学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

復興と政教分離

2011-10-04 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 4日(火)12時08分43秒

産経新聞に載っている赤坂憲雄氏の「【新章 東北学】(7) 神仏の再建、隠れたテーマ」から、少し長めに引用してみます。

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 ダム建設で移転した村などを訪ねると、村の入り口に墓地があって寺が建てられている。ずっと奥の高台に神社があって、神様を元の村から勧請してお祀(まつ)りしている。あるいは分村して入植する開拓村でも、人々が真っ先に考えるのは、以前の村から鎮守の神様を移して祀ることです。
 つまり、家が建てられ、道路ができて、インフラが整うから新しい村が始まるのではない。土地を守っている神様とのつきあいとか、あるいは祖先とのつながりをどのように維持していくかということが、地域のコミュニティにとって重要なことなんです。新しい村づくりが、さまざまな場所で始まっていますけれど、精神のよりどころとしての神や仏の座をどのようにデザインするのかということが隠れたテーマになるはずです。
 ところが、そう簡単な話ではない。政府の復興構想会議でも、僧侶の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんが「壊滅した寺や神社の再建を支援できないか」と提案されたんですね。でも、行政は宗教に関わってはいけないという建前があって、予算をつけるなんてとんでもない、と退けられる。おそらく国だけではなくて、地方行政のレベルでもそうでしょう。
 復興のために、神と仏の再建というテーマは、重要であるにもかかわらず、長期にわたって手をさしのべられない状況が続くかもしれない。避難している地域の人々も、精神的なよりどころを失ったまま地域の再建に取り組まざるを得ない。
(後略)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110919/dst11091907250001-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110919/dst11091907250001-n4.htm

赤坂憲雄氏は私にとって謎の思想家であって、私が関心を持っている分野で多くの著作を書かれているのですが、とにかく文章にスピード感が全然ないので、私は読んでいるうちにイライラしてしまい、耕運機に前方を塞がれた暴走族のような心境になって途中で放り投げるのが常でした。
しかし、最近、先方のスピードが上がったのか、私のスピードが落ちたのか、我慢すればある程度読めるようになってきました。
さて、赤坂氏や玄侑宗久氏は法律の素養がないので、役人から「行政は宗教に関わってはいけないという建前があって、予算をつけるなんてとんでもない」と言われれば何の反論もできないようですが、憲法の政教分離原則についての現行の解釈はいろいろ問題があって、今回の大震災を契機に憲法学者が本格的に議論しなければならない点が多いですね。
今までは、とにかく神道や靖国神社が嫌いな人々が、神道憎し、靖国憎しの一念でいろんな裁判を繰り返した結果、国家と宗教の厳格な分離を基調とする判例が積み重ねられ、結果として行政は宗教に近づくことに極端に慎重・臆病になってしまった訳ですが、今回の震災で政教分離原則の解釈が本当に今まで通りでよいのかを根本的に再検討する必要が明白になったように思います。
もっとも、解釈の変更が実現するかもしれない時期は遠い未来であって、そんなものを待っていては地域のコミュニティが崩壊してしまいますから、ちゃんとした自覚を持った人が、できることから少しずつ始めなければならないですね。
私はそうした仕事に関わるつもりで東北に来まして、今は地味に準備をしている段階です。

少し検索してみたところ、震災と政教分離原則については下のリンク先が良くまとめていますね。
真如苑が資金援助をしているサイトだそうですが、執筆者はしっかりした研究者みたいですね。

「宗教界の震災復旧を阻む政教分離の壁」
http://www.circam.jp/page.jsp?id=1953


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誤字その2

2011-10-04 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 4日(火)08時08分43秒

保立道久氏のブログで、<平田光司「満八反計画の現在」>とあったので、一瞬、中国共産党あたりでそんな表記をするのだろうかと思ったのですが、まあ、これは「マンハッタン計画」の単純なワープロミスですね。
9月28日以降修正がなされていないので、いつになったら直るのか気になって仕方ありません。
大きなお世話ですが。

http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-ba6f.html
http://rekiken.jp/journal/index.html

また、「文教日本史」氏のブログには「富岡製紙工場」とありましたが、正しくは「富岡製糸工場」ですね。

http://blog.goo.ne.jp/shuya1128/e/b40ddb76df08d93d136768397aeedce3

「文教日本史」氏のブログで誤字・脱字、不正確な知識、論理矛盾のない投稿は珍しいのですが、せめて教育実習生の指導の誤りを指摘している投稿では、もう少し慎重に書いていただきたいですね。


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鳥海山

2011-10-04 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 4日(火)00時34分58秒

先週末は金華山の代りに秋田・山形県境の鳥海山に行ってきました。
津波被災地の主要な神社・仏閣は大体見たので、今後は比較のために内陸部や日本海側の神社・仏閣も時々訪問しようと思っています。
特に修験の勉強はある程度しっかりやっておきたいと考えていて、今回は由利本荘市に一泊し、秋田県側の鳥海山麓にある旧由利町の森子大物忌神社や旧矢島町の福王寺など、往時は鳥海山修験の拠点として栄えた場所をいくつか訪問してみました。
たまたま本荘郷土資料館で「鳥海山展 山をめぐる信仰と文化」をやっていたのですが、なかなか充実していました。
写真はその展示の一部ですが、変な三面大黒像がありましたね。


>筆綾丸さん
>決闘死を目前にしたガロワが肉声で私に叫びかけてきたかのような電撃的霊感

まるで恐山のイタコにでも相談したかのような名文句ですね。
怖いものみたさで読んでみようかなとも思いますが、他に読まなければいけない本が山積しているので、当分先になりそうです。

※写真


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
正伝と外伝 2011/09/30(金) 00:27:57
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4480093915.html
佐々木力氏『ガロワ正伝ー革命家にして数学者』を読んで、期待を裏切られました。

「白土三平には、劇画の傑作『カムイ伝』なる大作があり、その伝記から漏れた逸話として『カムイ外伝』も存在する。夭折のガロワには「外伝」はほとんど不可能であろう。本書は「正伝」として、真っ正面からガロワの実像に迫ってみたいのである」(27頁)
という緒言をみて、イヤな予感がしましたが、予感通りでした。ガロワの決闘死について、文学的な(?)思い込みを縷々述べたあと、こんな風に書きます。

「アルキメデスが数学的発見の際に発したという「ヘウレーカ」(われ見いだせり)を叫びたい気分に襲われた。(中略)私の感触では、これまでガロワのい遺言の封印を全面的に満足すべきほどに解いた人はいなかったーその役廻りは、他の伝記作家や歴史家のあらゆる人を超えて、まっすぐ私に向けられたのではないか、とすら思った」(164頁)
「私は、決闘死を目前にしたガロワが肉声で私に叫びかけてきたかのような電撃的霊感のようなものに襲われたのだった」(230頁)

老人の、こんな臆面もない自己陶酔の告白には、ただただ苦笑するばかりです。一体、どこが「正伝」なのであろうか。こういう文を読むと、私は、大谷崎の『瘋癲老人日記』を思い出します。

著者は、フランス語に精通しているような書きっぷりですが、色々と変な記述がありますね。
「un certain ordre de considerations Metaphysiques qui planent sur tous les calculs」(132頁)を、あらゆる計算を上空飛翔するような形而上学的考察の一定の秩序、と訳していますが、これでは日本語にならない。「上空飛翔する」ではなく、「俯瞰する」とか何とか、しなければなるまい(なお、フランス語のアクサン記号は二箇所略)。「このコケットにだまされた2人」(deux dupes de cette coquette)とありますが(158頁)、dupes の e にアクサンがなければ、意味をなすまい。「Sauter a pieds joints sur ces calculs」(a のアクサン記号略)の訳として「足を束ねて計算の上を跳ぶこと」とありますが(142~143頁)、「足を束ね」てしまったら、自由を奪われて上手に跳ぶことができまい。これは複数形からもわかるように、片足でピョンピョン跳ねるのではなく、「両足で跳ぶ」と訳さなければならない。蛇足ながら、ガロワが削除している「embrasser」という単語は、多くは、抱擁する、という意で使われるが、ここでは、「planer」と同じく、俯瞰する(見渡す)、という意で使われている。著者の訳語で言えば、「上空飛翔する」ということになる。

「逆説的に、ガロワは自らの死によって、天才的数学者ですら、人間の生は数学的には計算し尽くすことはできないことを示した。どこか、彼の代数方程式論と似ている。人は、その真実を、人生についての「ガロワの定理」、あるいは「ガロワの教訓」と、はたして呼ぶだろうか?」(220頁)
「あらゆる計算を上空飛翔する」ことが、ガロワ理論の精髄なのだから、ここで「計算」という言葉を使うのは比喩としても間違いであり、著者の訳語で言えば、「人生を上空飛翔する(planer sur sa vie)」ことはできない、と書かなければならないだろう。ガロワにとって、チマチマした「計算」など眼中にないのだから、「人間の生は数学的には計算し尽くすことはでいない」ことを、ガロワの定理(教訓)などと呼ぶとしたら、君は僕のことが何もわかっていないね、僕は「計算」などという形而下的なことはしないぜ、とあの世のガロワが怒るだろう。

後記の日付は2011年4月3日で、東日本大震災に言及した中に、次のような文章があります。
「広州の広東外語外資大学での二つの講演は、今回の東日本大震災と、私が長年主張してきた反原子力を中核とする環境社会主義の理論についてであった。ちなみに、一般に現代中国では、現代資本主義を規定する私の概念「自然に敵対する帝国主義」(Imperialism Against Nature)は大きな支持を集めている。それに対応する政治的プログラムが「環境社会主義」(Ecological socialism)なのである。多くの聴衆が集まり、講演は大好評であった。20世紀アメリカ資本主義文明に追随しようとする現代中国の経済成長中心主義への私の批判は意外な共感を呼んだ。私が大震災が襲った東北の産であることを知ると、日本の事情に通じた聴衆は、東北地方の日本史における地位について質問を集中させた。今回、英国から発信された”Don't give up Japan、don't give up Tohoku!”の叫びを私たちは講演会の最後に復唱したー声を上げて、あるいは心の中で」(233頁)

著者の高邁な(?)政治思想には全く興味を惹かれませんが、このあとに以下の文章がきます。
「統御不可能な放射能は、人間が原子力を使用してはならないという警告のサインにほかならない。使用不可能性を告げ知らせる冷厳な自然科学的真理の証なのである。どこか、ガロワ理論と類比的である」(233頁)
どこがガロワ理論と類比的なのであろうか。ガロワ理論と類比的なのは、「統御不可能な放射能」なのか、「原子力の使用不可能性」なのか、「自然科学的真理」なのか・・・さっぱりわかりませんね。

佐々木氏の記述には不必要な自慢話が多すぎ、そして、文体にスピード感がないため、流星のように人生を駆け抜けたガロワにはとても追いつけまい、と感じました。

補遺
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110923-OYT1T00374.htm
スピードと言えば、光よりニュートリノの方が速いとすると、大変なことになるのでしょうね。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110920/trd11092018350010-n1.htm
これは凄いことですね。
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