学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

契約講と魔王神社

2012-07-03 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月 3日(火)23時52分48秒

>斎藤さん
マーティン・ファクラー記者の記事、読み直したところ、

Mr. Abe said most survivors from Hadenya found it easy to cooperate because they had organized themselves to hold the village’s religious festivals.

との一文があり、契約講についてもそれなりに押さえているんですね。
今から見れば多少の誤解があるとはいえ、短時間でずいぶん充実した取材をしているなと思います。
ただ、この記事を読んだ欧米の読者は、津波被災地の多くで波伝谷と同じような自律的活動が行われたのだろうと想像したでしょうね。

私は大震災前には東北地方の太平洋岸に全く土地カンがなくて、「契約講」という言葉自体、ひどく奇妙な感じがしました。
「契約」は近代的なイメージの言葉なのに、なぜそれが「講」に結びつくのかと思って、当初は古くからの団体が明治以降に「契約講」と名称を変えたのだろう、と考えていました。
『波伝谷の民俗─宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相─』(東北歴史博物館、2008)にも、78pに「波伝谷に契約講が組織されたのは明治9年(1876)」との記述がありますが、この本を読む前も、まあ、「契約」だから明治以降だよなあ、と思っていたところ、女川原子力発電所に近い旧牡鹿町の鮫浦を歩いている時、江戸時代の年号の古碑に「契約講」とあるのを見つけ、ちょっとびっくりしたことがあります。
『波伝谷の民俗』の契約講に関する記述は充実していますが、名称はともかくとして、「契約講」以前に存在していたであろう組織との連続性についての説明が欠けているようで、若干の不満があります。
このあたり、他の集落とも比較して、もう少し調べてみたいと思っています。

それと、三陸を訪問した当初、「悪魔」や「魔王」といった表現にも驚きました。
群馬で生まれ、大学入学以降は東京周辺で生活し、新潟県で二年弱過ごしてから東北に来た私にとって、「悪魔」や「魔王」は宗教用語ではあっても、どこか西洋的な響きを持つ言葉でした。
それが三陸では「悪魔」が当たり前のように使われているのに驚き、波伝谷の「魔王神社」に至っては驚愕のネーミングでした。
こうした用語についても、その使用範囲や由来・歴史について調べてみたいと思っています。
「魔王」については「第六天魔王」に由来するのかなと思っていたのですが、「魔王神社」はどうも違うみたいですね。

『波伝谷の民俗─宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相─』
http://www.thm.pref.miyagi.jp/archives/book_pdf/minzoku/hadennya_minzoku.pdf

コメント
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