学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

タリバン・イスラム国の偶像破壊と廃仏毀釈の相違

2016-01-16 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月16日(土)11時05分59秒

「興福寺五重塔二十五円売却説」がらみで高田良信氏の『「法隆寺日記」をひらく─廃仏毀釈から百年』(NHKブックス、1986)を読んでみたところ、幕藩体制の下では裕福だった巨大寺院の廃仏毀釈に関して参考になりそうな記述が多いですね。
まず、興福寺五重塔についてですが、

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 徳川幕府の末期的症状と国学の振興により、各寺院は大きな変革の時代に直面する。とりわけ維新政府は慶応四年(一八六八)三月、祭政一致の方針にもとづいて、太政官布告をもって「神仏判然令」がだされ、やがてその思想に拍車がかかり、廃仏毀釈となって、寺院に破壊の危機が押し寄せることとなった。
 奈良においては千二百年来、栄華を誇った興福寺は、慶応三年十二月に興福寺の、学侶三十一名が玄米千石を皇室に献上したのをはじめ、明治元年には大阪行幸の守衛、大和国の行政権の委任などがあり、同年四月には興福寺一山の寺僧が挙って復飾するという、最悪の事態を迎えていた。
 これによって興福寺は廃寺同然の姿となり、西大寺と唐招提寺の寺僧が興福寺を管理するため、南円堂に駐在するという状況であった。このような、激動の時代に、興福寺の五重塔が入札によって二百五十円で落札されたという話もある。
 明治三十八年の「新大和新聞」に
「五重塔は二百五十円で買い手が付いたが、焼払つて金物だけ取つても二百円にならないので沙汰止みとなつた。三重塔は自分が三十円で買つて遊び場所にと思つたが、兄に諌められて諦めた」という、そのころの事情を知る人が語った話が載せられている。
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とのことで(p22)、明治38年ですから少し時間は経過していますが、金銭感覚についてはリアルな印象を与える逸話ですね。
なお、上記引用文中に年次の若干の混乱がありますが、明治改元は旧暦・慶応4年9月8日(新暦・1868年10月23日)なので、興福寺は明治改元前、「太政官布告をもって「神仏判然令」がだされ、やがてその思想に拍車が」かかるよりかなり前の、別に「破壊の危機が押し寄せ」ている訳でも何でもない時期に自主的に廃業してしまった訳ですね。

>筆綾丸さん
>水木要太郎
私も「しげる」以外の水木さんを知りませんでした。
「水木コレクション」と聞けば、ほぼ100%の人が妖怪の集団を連想するでしょうね。

>バーミヤンの石像の破壊
ツイッターで知ったのですが、民俗学者の畑中章宏氏は、

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民俗学の一部をなす宗教民俗学の立場からみると、例えば、イスラム過激派のようなひとびとがいますよね。世界遺産の仏像を爆破したようなニュースが一時期頻繁に取り上げられていました。あれを大半の日本人は非文明的で信じられないといった反応を示すのですが、実はほんの150年ほど前に似たような出来事が日本でもありました。排仏毀釈です。明治政府が樹立したのちに、太政官布告が発せられ、国家宗教としての神道を仏教と切り離す運動が持ち上がった。そのとき、多くの寺院で仏像が破壊される運動が起こりました。これを実際に行動に移したのは、普通の庶民です。決して過激派とはいえないような、一般人が、そんな破壊行為に走ってしまったのです。こういうことを知っていれば、イスラム過激派のことも違った目線で考えることができるはずです。
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と主張されています。
畑中氏の言われるように、確かに偶像破壊という現象面は一致していますが、タリバンやイスラム国の場合は異教徒、または宗教は同一でも政治的に敵対する人々に対する殺戮を伴っているのに対し、廃仏毀釈はそうではない点は重大な違いだと私は考えます。
中世に形成された神仏習合思想は近世に入ると近世なりの合理主義の観点から次第に変質し、江戸末期には内部からグズグズに崩れ始めており、仏像破壊に走った人々も決して仏教徒の殺害・仏教の根絶を目的としていたのではなくて、神仏習合のような「陋習」を改めさせるための、ある種啓蒙的なパフォーマンスとして行ったのではないか、というのが私の考えです。

「廃仏毀釈について-Togetterまとめ」
「21世紀の民俗学をはじめよう:気鋭の民俗学者、畑中章宏に聞く」

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

「もうひとつの五重塔」2016/01/15(金) 12:55:39
小太郎さん
水木要太郎は知りませんでしたが、第1回水木十五堂賞の創設は平成25年度とのことなので、地元でも長い間、忘却の河レーテーに沈んでいたということでしょうか。

運慶作「大日如来坐像」のクリスティーズでの落札額約15億円に比べると、現在の貨幣価値は不明ながら、興福寺五重塔の売出価格250(25)円には隔世の感がありますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%B8%AD%E4%BA%94%E9%87%8D%E5%A1%94%E6%94%BE%E7%81%AB%E5%BF%83%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
こちらの五重塔は放火心中事件で焼失したのですね。露伴が生きていたら、がっかりしただろうな。

以前、バーミヤンの石像の破壊が野蛮だと話題になりましたが、少し歴史を遡れば日本も結構 barbarism だったのだな、という気がします。昨今は、ユネスコに踊らされて、世界遺産だの記憶遺産だの、国を挙げて賑やかですが。

http://www.foxmovies-jp.com/bridgeofspy/
https://ja.wikipedia.org/wiki/U-2%E6%92%83%E5%A2%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.sankei.com/west/news/160107/wst1601070006-n1.html
昨日、『ブリッジ・オブ・スパイ』を面白く見ました。プロローグに Based on ではなく Inspired by true story とあり、inspire とはいえ、かなり史実に基づいているのですね。不満を言えば、ロシア語とドイツ語の字幕がないことでした。少ししか聴き取れず、苛々しました(悔しかったら、ロシア語やドイツ語をもっと勉強しろ、という有難い配慮かな)。

https://www.youtube.com/watch?v=MHpmHhi1Rxk
映画では、ショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第2番』が使われていましたが、心憎いばかりでした。
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まずは数字を知りたいのです。

2016-01-16 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月16日(土)09時58分29秒


14日の投稿「廃仏毀釈に殉教者はいるのか? 」について、ツイッターで「スナックかえるちゃん」さんから、

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殉教したのは長い長い歴史を持つ寺や神社にまつわる信仰と文化でした。鹿児島では鑑真和上の建てた寺が打ち壊され廃墟になりました。もう取り戻せません。文化破壊は心を壊しました。
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という感想をもらいました。
「スナックかえるちゃん」さんは中世史の非常に有名な学者の娘さんなんですかね。
まあ、私もこのような反応は理解できるのですが、やはり精神的・文化的な意味での「殉教」を検討する前に、まずは他の宗教弾圧と比較できる客観的な数字、即ち具体的な死者の数とその状況を知りたいですね。
佐伯恵達氏の『廃仏毀釈百年』には鹿児島・宮崎における浄土真宗関係の「殉教者」について一応の数字が出ているのですが、あまりに過大な上に根拠が不明で、しかも佐伯氏には事実を検証しようとする姿勢すら感じられませんから参考になりません。
それと、薩摩藩の浄土真宗迫害は特殊で、「神仏分離」に関係づけるよりはむしろキリシタン弾圧に近いのでは、というのが私の今のところの印象です。
「カヤカベ」なんて「隠れキリシタン」とそっくりですね。

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