1971年刊行の佐藤進一『古文書学入門』の初版を見たところ、起請文についての記述は新版(1997)と異なる箇所は殆どありません。
同書に先行する研究を全て押さえた訳ではありませんが、相田二郎の長大な論文「起請文の料紙牛王宝印について」(『相田二郎著作集 日本古文書学の諸問題』所収、初出は1940)にも「自己呪詛」「第三者呪詛」云々はないので、やはりこれらは佐藤が最初に使い始めた表現のようですね。
まあ、さすがに私も佐藤の古文書学の業績に文句をつける勇気はありませんが、深谷克己氏と同じく、「自己呪詛」「第三者呪詛」という表現には若干の違和感を覚えざるをえません。
まず、「自己呪詛」ですが、「宣誓の内容は絶対に間違いない、もしそれが誤りであったら(すなわち宣誓が破られた場合には)、神仏などの呪術的な力によって自分は罰を受けるであろう」(『新版 古文書学入門』、p220)と述べることは、条件付きで神仏の罰を甘受します、というだけの話で、別に自分自身に呪いをかけ、自分自身の不幸を望んでいる訳ではないですね。
「第三者呪詛」の方は更に変な感じがするのですが、佐藤がどのような文脈で「第三者呪詛」を用いているかというと、実際には寺院の規則に関してです。
起請文の源流である「祭文」と「起請」のうち、「起請とは、もともと事を発起(企画)して、それを実行することの許可を上(支配者)に請うことであり、ひいてはそのために作成する文書」(p222)であって、行政用語・官庁用語であり、宗教色は全然なかったそうですね。
しかし、「起請の実物として今日に伝わる最古のもの」である「天禄元年(九七〇)七月十六日の天台座主良源(慈恵僧正)の起請」(p223)は「寺院内の制規、制誡というべきもの」(p224)であって、「本文中には起請という文字は全く用いていない」(同)ものの、
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ただ、ここに注意されるのは、この文書の書出しに「良源敬啓」とあり、終わりの部分に「仍抽小愚之蓄懐謹仰大師之明鑒」とある点である。これによって良源敬啓の対象、すなわち文書の充所は大師(最澄)であるとすべきであり(もちろん内容に即していえば、この文書は制誡・制式というべきものであるから、その対象は「山家之一衆」すなわち全寺院内の衆僧というべきであるが、少なくとも文書の形式上の充所は大師である)、良源は大師に「明鑒」を仰いでいるのである。明鑒は確実な見知の意味に解されるから、良源は大師の見知を請い、これを得ることによって、この制式を大師の認許を経たもの、すなわち大師の証明ずみのもとして、山家の一衆に受けとられるように期待しているわけである。いいかえれば、良源自身の制式に大師の権威を添加しようというわけである。これは前記三代実録の起請の場合と、官の許可・証明を大師の許可・証明におっきかえただけの違いと見ることができる。そう考えれば、この制式は起請とよばれて少しも不思議ではない。起請とよばれる十分な理由があるということができる。
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のだそうです。
そして、良源の起請など、当初の起請には罰への言及はなかったのですが、後に変化します。(p226以下)、
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これをさらに一歩進めて、かかる宗教的権威をもって制式・制誡に遵守の保障、換言すれば自己の強制力を実現化するための保障としようとするものが現われた。すなわち制式・制誡に違背するものは、かかる宗教的権威の怒りを受け、罰を蒙らねばならないとするものである。例えば有名な元暦二年(一一八三)正月十九日の文覚四十五箇条の起請(神護寺文書、『平安遺文』九巻、四八九二号)は「寺僧等各守此旨、永不可違失、若於背此旨之輩者、内鎮守八幡大菩薩幷金剛天等、早令加治罰」云々と述べ、また建久五年(一一九四)七月七日の高野山の鑁阿の起請(高野山文書之一、宝簡集四三四号)は、「如此之一々事、令違背之輩出来者、(中略)然則金剛胎蔵両部諸尊、丹生高野大師御勧請諸神等、伽藍護法十八善神、満山三宝護法天等、梵尺四生諸天善神、天照大神、正八幡宮、王城鎮守諸大明神、乃至日本国中三千一百三十二社、盡空法界一切神等罰ヲ、可蒙一々身ノ毛穴者也、現者忽受白癩之病、感得不交人之果報、当者入阿鼻大城之中、永無有出期」と述べている。ここで仏神は、本文の妥当性の認証者とか、強制力を助長する権威としての立場をはるかに越えて、違反の有無を判定する絶対者としての地位を与えられている。その意味では、さきに説明した天判祭文や起請文と同じである。ただ違うところは、天判祭文や起請文では、違反の有無は文書差出人自身の問題として考えられているから、仏神は自己呪詛のために奉請されているのに対して、起請の場合は、違反の有無は、制式・制誡を遵守せしめようと予定している相手、すなわち例えば寺院の制式ならば、その寺院の僧侶全体(現在および将来にわたる)、文書の形式からいえば第三者の問題として考えられているのであって、仏神は第三者呪詛のために奉請されているという点である。【後略】
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ということで、「第三者」とは「制式・制誡を遵守せしめようと予定している相手」、「例えば寺院の制式ならば、その寺院の僧侶全体(現在および将来にわたる)」ですが、規則を守らなかったら罰がありますよと予想することは「呪詛」なのか。
まあ、罰を下す主体は「違反の有無を判定する絶対者」ですから、「予想」や「予報」ではいささか変で、100%確実な「予言」とでも言うべきかもしれませんが、別に「制式・制誡」の制定者も、「制式・制誡を遵守せしめようと予定している相手」、「例えば寺院の制式ならば、その寺院の僧侶全体(現在および将来にわたる)」を呪い、その不幸を願っている訳ではないですから「呪詛」は変だろうと思います。
さて、「有明の月」の起請文には、二条への直接的な呪詛はないものの、善勝寺大納言・四条隆顕への恨み言はあるので、「第三者呪詛」のように見えなくもありません。
しかし、佐藤進一以来、古文書学で言われている「自己呪詛」「第三者呪詛」が上記のような意味であって、一般的な「呪詛」の意味とは相当にずれるものだとすると、「有明の月」の起請文に「第三者呪詛」があるのか、こんなものを起請文と呼んでよいのか、が問題となります。