学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

編集会議

2006-06-12 | その他
 昨日は池袋にてアーカイブズの会議を行いました。
 アーカイブズは非常に慌しく開店したので、編集関係で細かい打ち合わせをする必要があったのが集まった理由の第一ですが、私からは中世以外への拡大策についていくつかの提案をしました。
 まず、「青空文庫」的側面のモデルケースとして、辻善之助の著作をデータ化することについては、みんなの賛成を得られたので、時期を見て開始したいと思っています。
 それと、もうひとつ、書籍・論文紹介とともにそこで引用されている史料・参考文献をアップすることにより、専門家でない人でも相当の学問的水準を維持しつつ、歴史知識の共有に参加できる仕組みというのを考えていて、これはまだまだ具体的なものではないので、分かりやすいモデルの提案をこれから行いたいと思っています。
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青空文庫

2006-06-09 | その他

 アーカイブズ掲示板では、明治時代の陸軍で脚気による死者が続出したことについて、森鴎外の責任の有無の話が出ていますが、kariさんの投稿に「青空文庫」の鈴木梅太郎「ヴィタミン研究の回顧」がリンクされているのを見て、「青空文庫」ではこんな作品まで掲載されているのかと少し驚きました。
 「青空文庫」は著作権の切れた作品をテキストデータ化して公開することにおいては日本における先駆け的存在ですが、文学作品がメインで、歴史関係は非常に乏しく、ましてや理系の著作は稀ですね。
 ただ、鈴木梅太郎の著作もこれひとつだけなので、やはり森鴎外がらみで話題性があることから特別に入れられているようです。
 ところで私がネットでの日本史資料集の可能姓を探っていたとき、頻繁に見ていたサイトのひとつが「青空文庫」です。
 特に運営に関する様々な試行錯誤とその率直な報告はとても参考になりました。
 ただ、こう言っては何ですが、「青空文庫」は何だか生真面目すぎる印象がありますね。
 主宰者がもともと生真面目な性格であるのと、トヨタ財団あたりから金をもらっているので生真面目にやらざるをえない面があるようですが、何かストイックな人でないと参加しづらい雰囲気があります。
 私としては、主宰者側がやっていて楽しく、それを見ていろんな人が「なんだか面白そうだな」と興味を持ってくれて、だんだんと参加者が拡大して行くというような方向に進めばいいなあと思っています。

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

コメント (2)
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太田亮

2006-06-08 | その他
 『日本姓氏家系大辞典』の太田亮氏(1884~1956)については、来年1月1日から著作権が切れるので、これもテキストデータとして公開することを考えています。
 こういう本は電子化して自由に検索できるようにすると、書籍より遥かに便利ですね。
 ただ、内容的には古くなってしまっている部分もあるので、最新の情報を盛り込むことができないかと思っています。
 これも自分たちだけでやるのではなく、参加型の仕組みを作ってみたいですね。
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>「陸軍」の「某医学博士」

2006-06-08 | その他
>「陸軍」の「某医学博士」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月 8日(木)19時33分29秒

>kariさん
私も特別な知識は持ち合わせていませんが、たぶんそうなんでしょうね。
海軍では明治10年代に実際上解決されていた脚気の問題が、陸軍では軍医指導部の無能さのために二十年後の日露戦争の時期にも解決されないどころか、より深刻化して実に2万7800人の死者を出したというのですから、本当にひどい話ですね。
なお、鈴木梅太郎氏の文章も、自分がドイツから帰朝した明治39年以降に医学界で脚気の問題が起こったというような書き方をしていて若干変な感じがします。

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参考
「近代文学研究会のホームページ」
医学史の研究者によると日露戦争当時の陸軍軍医部の内情は次のようであった。医務局長であった小池正直は麦飯の脚気予防効果を認めていた。第1軍軍医部長であった谷口謙は開戦早々に麦飯を支給するよう意見書を提出していた。第2軍軍医部長であった鴎外のもとには部下の各師団の軍医部長から麦飯支給が進言されていた。実地の経験から軍医たちの間には麦飯の脚気予防効果が広く浸透していた。反麦飯論を採るのは軍医部の長老ですでに退役していた石黒忠悳と鴎外であった。当時はこの二人に東大医科大学長の青山胤通を加えた三人が強硬な反麦飯論者であった。日露戦争の犠牲者に関しては三人のうちの唯一人現役軍医だった鴎外の責任が重視されている。
http://www.mars.dti.ne.jp/~akaki/igaku02.html

医学書院「週間医学界新聞」
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2001dir/n2438dir/n2438_05.htm

「自衛隊ニュース」脚気と征露丸
http://www.mil-box.com/news/2002/20021215_10.html
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掲示板を凍らせているのは私?

2006-06-07 | その他
掲示板を凍らせているのは私? 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月 7日(水)20時39分3秒

例によって勝手に宣伝です。

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鎌倉遺文研究会第122回例会の御案内

日時:6月29日(木)18:00~
場所:早稲田大学文学部第2研究棟6階第7会議室
報告者:森幸夫氏
題目:「南北朝動乱期の奉行人斎藤氏」
  [報告者の一言]
拙稿「六波羅奉行人斎藤氏の諸活動」(拙著『六波羅探題の研究』所収、2005年)に引き続き、鎌倉末~南北朝期の斎藤氏について検討します。合戦や政争、守護との関係などを中心に、斎藤一族の様ざまな動きを追いながら、考察を加えたいと思います。

http://www.littera.waseda.ac.jp/faculty/ebisawa/kamakuraibun.html
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辻善之助

2006-06-07 | その他

 「日本史アーカイブズ」でやりたいことはいろいろありますが、当面はWEB資料集としての信用の基礎を着実に固めたいと思っています。
 その基礎固めの一例として、早めにやりたいなと考えているのは「辻善之助プロジェクト」(仮称)です。
 辻善之助は1955年に亡くなっているので、2006年1月1日から著作権が切れているんですね。
 没後半世紀とはいえ、辻善之助の重厚な著作の数々は今でも役立つ情報が山盛りですから、とりあえず岩波の『日本仏教史』あたりをテキストデータ化して公開してみたいと思っています。
 また、これは研究者または相当マニアックな人でなくても参加できる仕組みのモデルケースとしても考えています。

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辻善之助(つじ ぜんのすけ)
<歴史学者> ●明治10~昭和30/1877~1955
 現在の姫路市元塩町の商家に生まれ、姫路中学校に学ぶ。東京帝国大学では同郷の先輩で師でもある三上参次の勧めで仏教史研究を志し、卒業後も三上に従い史料編纂員となる。大正9年、伊勢専修寺(せんじゅじ)で当時実在が問われていた親鸞(しんらん)の真筆を発見。昭和4年、初代史料編纂所長に就任。仏教を通して日本人の精神と日本文化の形成を探り、実証的態度を貫いて、日本史学の発展に貢献した。
 『日本佛教史』全10巻、『日本文化史』全7巻など。
http://www.city.himeji.hyogo.jp/bungaku/shisetsu/floor/n1_tsuji.html


 

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新ブログ、始めました。

2006-06-06 | その他
新ブログ、始めました。 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月 6日(火)20時28分1秒

>皆様
サイト名は「日本史アーカイブズのエンジン・ルーム 」です。
運営の立場から、地味に真面目にやる予定です。
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin
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りんたろう

2006-06-06 | その他
りんたろう 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月 6日(火)20時26分43秒

>kariさん
私も山梨のことをすっかり忘れて「大会報告批判」に行くつもりになっていました。

>ryusei さん
せっかくだから、ウェブ書店へのリンクも張っておきます。

http://homepage2.nifty.com/Tears2000/book1.htm
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894750961/qid%3D1133940016/sr%3D1-1/ref%3Dsr%5F1%5F0%5F1/249-7217879-3078764

>筆綾丸さん
>言い過ぎ
ではないんでしょうね。
犠牲になった人が気の毒です。
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このブログについて

2006-06-06 | その他

 このブログは「日本史アーカイブズ」(団体名)の運営組織・運営方法・運営資金等について、幅広く意見を求めるために設けました。
 2006年3月27日に発足した「日本中世史アーカイブズ」(サイト名)の設立趣旨は編集責任者である細川重男氏が下記リンク先に書かれている通りですが、我々は将来的には中世史のみならず、広く日本史全体を扱うサイトにしたいと考えています。
 そのためには、運営組織をきちんとしたものとし、運営方針もわかりやすく開示して、執筆や資料掲載に協力してくれる方を募りたいと思っていますし、また、安定的な運営ができる程度の財政的基盤も作りたいと思っています。
 新しい試みなので、試行錯誤を重ねて手探りでやって行くことになりそうですが、多くの方から知識・知恵をお借りして、充実したサイトにしたいと思います。
 なお、「日本史アーカイブズ」は近い将来にNPO法人にしたいと思っており、その際に参加者の役割分担も明確にする予定ですが、現時点では「日本中世史アーカイブズ」の編集責任者が細川重男氏、私が編集以外の一切についての運営責任者という位置づけです。

 「日本中世史アーカイブズ設立趣旨」
http://jparchives.sakura.ne.jp/system/organize.html

編集長ブログ
 http://blog.goo.ne.jp/shaku-henshucho/

コメント (17)
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『丹沢の行者道を歩く』(白山書房)

2006-06-04 | その他
『丹沢の行者道を歩く』(白山書房) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月 4日(日)23時50分7秒

>ryuseiさん
ご著書、拝読しました。
もととなった論文は固い内容なんでしょうけど、ご著書は本当に親しみやすい構成と文章になっていますね。
景観CG作成ソフト「カシミール」で描かれた美しい鳥瞰図の数々、大峰と丹沢の類似箇所を並べた写真など、読ませるための工夫が随所にこらされていて、自分もこんな本が作れたらいいなあと思います。
「あとがき」に職場の先輩であった広島三朗氏の言葉が研究の出発点になったとありましたが、広島氏のお名前は、はるか昔、「山と渓谷」「岳人」などの登山雑誌を購読していたころ、いつも目にしていました。
登山から離れてずいぶんたつので、広島氏が9年前にカラコルムで遭難死されていたことを今ごろになって知りました。
一冊の本は、いろんな出会いがあって生まれるものなんですね。

>筆綾丸さん
つい前年までは想像を絶する緊張の中にいたわけですから、「漫遊」も許されますよね。
それと足利地方の関係者としては、荒廃していた足利学校を明治初年以降の継続的努力でなんとか立ち直らせたという純粋な喜び、郷土への誇りから、三将軍を迎えたと素直にとらえるのが一番正しいのかもしれません。
また、何か気づいたことがあったらお知らせします。

>阿哈馬江さん
>『旧皇族・華族秘蔵アルバム 日本の肖像』
私もこのシリーズは気に入っております。

>遁世僧さん
いらっしゃいませ。
しぶいハンドルですね。

>kariさん
7月1日の「大会報告批判」は参加されるのですか。
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レスしなければ、

2006-06-04 | その他
レスしなければ、 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月 4日(日)22時55分21秒

と思いつつ、取り急ぎ御連絡のみ。

>釈さん
>あまのさん
いえいえ。
私は何もしていません。
gooブログなので、変なことはないと思いますし、万一あったとしても対処済みなのでは。
あと、「Ctrl」キーなど、キーボードの一部をうっかり押していたりすると、そういう現象が起きることはありますね。
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中間報告

2006-06-01 | その他
中間報告 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月 1日(木)22時24分50秒

>筆綾丸さん
 本日、某図書館に行き、『足利市史』『近代足利市史』を見ましたが、いずれにも三将軍訪問に関する記述はありませんでした。
ついで『東郷平八郎全集』(全三巻、小笠原長生編、昭和5年、平凡社)をパラパラ見たところ、まず、一巻9ページに「東郷元帥名は実良(さねよし)、初め仲五郎と称し元服して平八郎と改む。平姓(たひらうぢ)なり。昔者(むかし)鎌倉幕府の時、武州秩父の支族たる渋谷庄司重国(しげくに)の子に、太郎光重(みつしげ)と呼ばれし武夫(もののふ)あり。鎌倉に仕へ功を以て薩摩国祁塔院(けたふゐん)、入来院(いりきゐん)、東郷(とうがう)、高城(たかぎ)の五箇郷に封ぜらる。是に於て光重六人の男子を引連れ、宝治二年(紀元千九百八年)、遥々(はるばる)領地に下り、五人の子に五ヶ郷を分け与へ、次男早川二郎実重(さねしげ)をして東郷を領し斧淵城(をのぶちじやう)に居らしむ、この実重こそ実に東郷元帥の遠祖にして、後年其の領地の名を取りて姓と為しゝものなるべし。・・・」とありましたが、とりあえず関係ないので読み飛ばして、一番の山場である日露戦争も素通りし、531ページに至ると、「第七篇 海軍々令部長乃至元帥時代」「第一章 官軍々令部長拝命 丹心聖明(たんしんせいめい)に答へ奉り、さしもの敵艦隊を粉※(ふんさい)して帝都に凱旋したる東郷海軍大将は、明治三十八年十二月二十日登部(とうぶ)して伊東大将より事務の引継を受け、次長海軍中将伊集院五郎を始め高等官一同を集めて就職(しうしよく)の披露を為しぬ。・・・・」と続いておりまして、これより以降、肝心の明治39年12月の足利訪問記事がないかと目を皿のようにして熟読したのですが、見当たりませんでした。
 そして巻末の年譜の明治39年部分を見ましたが、ここにも足利訪問の記述はありませんでした。
 ついで第二巻に手を伸ばし、含蓄の深い自慢たらたら話や外国訪問記などに目を通しましたが、足利に関連する記述はありませんでした。
 更に若干の疲労をものともせず第三巻に進むと、29ページに三人の軍人が並んだ一葉の写真が掲載されていて、そこには「明治三十九年五月十一日、三将軍信州漫遊の際長野県上田城址にて紀念撮影、向つて右より上村中将、東郷大将、伊東元帥、立てるは横須賀鎮守府参謀宇佐川知義大尉、後方に三将軍手植樹。(長野県上田、岡本孝氏蔵)」との説明がありました。
 結局、少しでも関係ありそうな部分はこれだけでした。
 で、まだまだ調査不足の段階での暫定的な結論ですが、明治39年というのは東郷平八郎(60歳)にとって人生最大の仕事を終えた後のけっこうヒマな時期で、一応は海軍軍令部長(陸軍の参謀総長に相当)という要職にあったとはいえ、まあ、お気楽にあちこち「漫遊」できる身分で、5月の上田と同様、12月にたまたまヒマ仲間の三人で足利に行った程度の話なんじゃないですかね。
 足尾鉱毒問題も、リンク先のページを見ると、明治39年の段階でも深刻だったような印象を受けるのですが、『近代足利市史』あたりを読むと、明治33年(1900)の川俣事件や翌34年の田中正造天皇直訴事件などで世間を震撼させた大問題であったのが、明治37・38年の日露戦役ですっかり話題性がなくなってしまい、明治39年の段階では、「なんだ、まだ騒いでるのか」みたいな感じだったようですね。

http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo40_35.htm

>阿哈馬江さん
>盛況
激論にはならなかったとはいえ、確かにそうですね。
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