●ドイツ(神聖ローマ帝国)
Martin Luther nails the Ninety-five Theses to the church door at Wittenberg.
以後(いご)非難する 贖宥状(しょくゆうじょう)。
1517年 ルター 贖宥状 95か条の論題
宗教改革
イギリスのウィクリフやベーメン(ボヘミア)のフスのような先駆者をへて、16世紀に入ると教会革新運動が広がった。1517年、ウィッテンベルク大学教授ルターは、ローマ教皇レオ10世がサン=ピエトロ大聖堂の改修資金調達のため、贖宥状(免罪符)を乱発したことに対して九十五カ条の論題を発表。カトリック教会を批判し、宗教改革の口火を切った。それに対してローマ教皇はルターを破門し、さらに神聖ローマ皇帝カール5世もヴォルムス帝国議会にルターを喚問し、自説の撤回をもとめた。