●中国(明)
Battle of Tumu Fortress: The Oirat Mongols defeat the Ming Dynasty army and capture the Zhengtong Emperor of China.
石(いし)敷(し)く土木 おらエセン。
1449年 土木の変 北虜
オイラート
エセン=ハン
英宗正統帝
1449年、明の貿易制限や、かねて約束していた明の皇女との婚姻の拒絶に対し、西北モンゴルで強勢を誇ったオイラト部(瓦剌(ワラウェラ)の族長エセン=ハンは華北に侵入。
明軍を土木堡(どぼくほ)で破り、6代皇帝英宗正統帝を捕らえて北京を包囲した。
皇帝が野戦で捕虜になったこの事件を土木の変とよぶ。
明の朝廷は、エセン以外のモンゴル高原の有力者と接触して貿易を部分的に復活させ、エセンが孤立することを画策した。
孤立化を恐れたエセンは1450年、英宗を無条件で釈放して帰国させた。
16世紀にはタタール部(韃靼(だったん))がダヤン=ハンにより復興し、1550年には孫のアルタン=ハンが北京近辺まで侵入した(庚戌の変)。
南倭と称される倭寇の略奪に対し、これらを北虜と呼ぶ。
▼明王朝6代皇帝英宗正統帝
▼アルタン・ハーン