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1716(享保元)年 〈享保の改革〉★★

2016-11-18 | 『新日本史頻出年代暗記』

●江戸時代(中御門 徳川吉宗)
Tokugawa Yoshimune embarks on a strenuous program of bureaucratic and financial reforms. known as Kyoho Reforms.
非難異論も 今日はよし。
1716年    享保の改革 8代将軍 徳川吉宗 新田開発

1716年、7代将軍徳川家継が死去し、御三家《 徳川家康の子を藩祖とする紀伊・尾張・水戸の三藩。「君とは終わり」と覚えよう!》の紀伊藩主徳川吉宗が8代将軍に就任。

吉宗は家康時代への復古を掲げて封建支配を立て直すとともに、新田開発・増税などによる財政再建に努めた(享保の改革)。
                  
〈享保の改革〉 8代将軍となった徳川吉宗は足高の制を設けて有能な人材(町奉行を経て大名となった大岡忠相が有名)を登用。さらに裁判の基準となる公事方御定書を制定して法にもとづく合理的な政治を進めた。また、金銀貸借についての争いを当事者間で解決させるため、1719年に相対済し令を出した。また、年貢収入の増加を図るため、徴収の方法を従来の検見法から定免法へ改め、年貢率を4公6民から5公5民とした。さらに吉宗は評定所に目安箱という投書箱を設けて、庶民の意見を聞き入れた。この投書から貧民の救済施設である小石川養生所がつくられた(目安箱の〈コ〉と小石川の〈コ〉を尻取りにして押さえよう)。


[ポイント]

1.享保の改革期に、荻生徂徠室鳩巣(侍講)、田中丘隅(農政家)、野呂玄丈青木昆陽(蘭学者)、神尾春央(勘定奉行)、大岡忠相(町奉行)、などが登用された。

[解説]

1.吉宗は、1740年、青木昆陽野呂玄丈蘭語学習を命じた。これがのちの蘭学隆盛の基礎となる。吉宗は、青木昆陽には加えて甘藷栽培の奨励をさせ、漢訳洋書輸入を緩和した。

 

2.青木昆陽(1698~1769)は、江戸日本橋の魚屋の子。京に上り伊藤東涯に古義学を学び、江戸八丁堀に塾を開く。折からの享保の飢饉に書いた『蕃薯考(ばんしょこう)』が大岡忠相を通じて吉宗に認められ出仕。以後甘蔗の普及につとめる。吉宗の命を受け野呂玄丈とともにオランダ語学習につとめ、その成果は前野良沢によって継承され、のちの蘭学興隆の基となった。

 

3.野呂元丈(1694~1761)は、吉宗の御目見(おめみえ)医師。青木昆陽とともにオランダ語書籍解読および西洋本草(ほんぞう)(薬草)導入の先駆(さきが)けとなり、のちの蘭学興隆の道を開拓。

 

4.荻生徂徠(1666~1728)は、綱吉の侍医の子。父の不遇時代に上総(かずさ)の農村で暮らす。この経験が実証的な学者となる基礎となる。やがて儒学者として柳沢吉保につかえる。吉保の失脚後は官を持し江戸で私塾蘐園塾(けんえんじゅく)を開き、古文辞学を大成。さらに吉宗に登用され、幕政の改革を述べる『政談』を献じた。

 

5.室鳩巣(1672~)は、はじめ金沢藩に仕え、藩主・前田綱紀の命で京都の木下順庵の門下となる。新井白石の推挙によりで、江戸幕府の儒者となり、家宣、家継、吉宗の3代に仕え、享保の改革ではブレーンの役割を果たす。赤穂事件においては赤穂浪士を擁護した。

 

6.神尾春央(1687~1753)は、勘定奉行として徹底した検地や隠田の摘発で幕領耕地の拡大に努めた能吏。「胡麻(ごま)の油と百姓は、絞(しぼ)れば絞るほど出る」(本多利明西域(せいいき)物語』)と語ったとされる。

 

7.大岡忠相(1677~1752)は、24歳で養父の1920石の旗本家を継ぐ。41歳で町奉行に昇進。後世の脚色された「大岡政談」などで人情味あふれる名奉行の評判をのこす。素顔は、訴訟・裁判が山積する町奉行の業務を迅速にこなす有能な封建官僚だった。最後にはたびたびの加増で1万石の大名となった。

 

8.田中丘隅(1662~1729)は、農政家。東海道川崎宿の名主の家を継ぎ、衰微していた川崎宿の復興につとめる。1723年大岡忠相から農政や治水について諮問されたのをきっけに、幕命により荒川・酒匂川(さかわがわ)・多摩川などの治水に成功。晩年その功により、武蔵国の代官に任じられた。

 

〈2016関西大学・全学部
問12 この史料にあるように西洋の事物が紹介され、やがて蘭学が発達した。青木昆陽や野呂元丈にオランダ語を学ぶよう命じた将軍は誰か。

 ア徳川綱吉 イ徳川吉宗 ウ徳川家重」


(答:イ)〉


〈2016立教大・文

10.これ(享保の改革)に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.勘定奉行の神尾春央は「百姓と胡麻の油はしぼればしぼるほど出る」と述べたと伝えられる

 b.徳川吉宗に登用された寺西封元は、『民間省要』という農政建言書を書き上げた
 c.徳川吉宗はキリスト教関係以外の漢訳洋書の輸入制限をゆるめ、野呂元丈にオランダ語の習得を命じた
 d.徳川吉宗は諸大名や商人に買米令や廻送制限令を出し、米の公定価格を決め、米価の下落を抑えようとした」

(答:b×寺西封元→田中丘隅)〉


〈2015早大・人間科学

問6 下線部e8代吉宗の諮問に答えた『政談』の著者は誰か、1人選べ。もし該当するものがなければ、カを選べ。

 ア室鳩巣 イ太宰春台 ウ荻生徂徠
 エ野呂元丈 オ石田梅岩


(答:ウ)〉


〈2013同志社大学・法グロコミュ

オ.吉宗は、1717年にある人物を町奉行に任命し、江戸市中の改造に取り組ませた。彼は江戸を防災都市とする種々の政策を行なった。この人物名を漢字で記せ。

(答:大岡忠相)〉


〈2012立教・経済法異文化コミュ〉

 8代将軍徳川吉宗は,幕府財政の悪化に対処するため,享保の改革を実施した。吉宗は,山田奉行から江戸町奉行に抜擢された〈 あ 〉や,『民間省要』の著者で宿駅の名主でもあった( ロ )など,有能な人材を多く登用した。また,幕府財政の安定をめざして年貢の徴収方法を〈 い 〉に変えるなど,さまざまな施策を実施した。

(ロ)a大蔵永常 b大原幽学
   c田中丘隅 d二宮尊徳」


(答:あ大岡忠相、い定免法、ロc)〉

 

ミカン西洋棚救具。

民間省要(せいよう)川崎宿 田中丘隅(きゅうぐ)


[ポイント]
1.田中丘隅は『民間省要』を著した。

[解説]
1.田中丘隅(1662~1730)は、東海道川崎宿の名主で、農政家。農家に生まれたが農業のかたわら絹売買で各地を回り、かついつも書を離さないという向学心の持ち主だった。

2.その人物を見込まれ東海道川崎宿の本陣名主田中家の養子に迎えられる。家督を義父から継ぎ本陣名主問屋役の三役として、衰微していた川崎宿の復興につとめる。

3.丘隅は50歳のとき家督を子に譲り、念願の江戸遊学を果たし荻生徂徠に学ぶ(のちの伊能忠敬も養子に入り家業を栄えさせ50歳で江戸遊学を果たし高橋至時に学ぶ)。

4.丘隅は、土木治水の技術に長け、1723年(享保8年)大岡忠相から農政や治水について諮問されたのをきっけに、吉宗に登用されて荒川・酒匂川(さかわがわ)・多摩川などの治水に成功。晩年その功により、武蔵国の代官に任じられた。

〈2016早大・教育

 a17世紀は開発の時代であったが、やがてそれは頭打ちとなり、b18世紀にはさまざまなかたちで行き詰まりを見せるようになった。そうした状況を社会の側から克服しようとした知識人を、[ A ]に巧みな者という意味で[ A ]巧者という。村社会の事情に精通し、その経験にそって農政についての提言を行った彼らは、村の運営に関わる村方三役([ A ]三役ともいう)とは別に、この時期の村社会の変化に対応した支配を進めようとする領主に登用された。

 その一人に、川崎宿の名主であった田中丘隅がいる。丘隅は宿の名主であった経験をもとに『[ B ]』という農政書を1721年にまとめ、将軍[ C ]に献上した。丘隅は『[ B ]』のなかで、c.地主小作関係の進展の事情、[ D ]法の利点などを説いているほか、下記の引用部分では画期的な提言を行っている。彼の視点は必ずしも下層百姓の立場のものとはいえないが、百姓の意見を反映させようとする構想を具体的に提言しているという点で注目される。ただし、[ A ]巧者による農政は、村社会にとって評価される事業ばかりではなかった。百姓の負担増加に荷担して、百姓一揆の原因をつくった事例もある。


 江戸時代中期以降、領主は村社会の実情に通じている地域有力者を無視して支配を貫徹することができなくなっていく。地域有力者の地域統治の実力を利用する見返りに、彼らに対して[ E ]の権利が与えられることもあった。田中丘隅は支配勘定格に取り立てられた。それだけ民間の力量が成長してきたということである。


〈史料〉

万事にわたり且卑賤の事を知って、世上に望みなく、その志を遂げ、国土の為に身命をなげうち、誠をつくして世に望みなき人を四十人選出して用いるべし。その品、
  一 五人  仕官[ F ]の御内より
  一 五人  同[ G ]の内より
  一 五人  僧侶の中より
  一 拾五人 諸国農家より
  一 拾人  諸都商家より
    以上

(中略)これを代わる代わる半分は国土に出して四海の邪正を聞き、半分は都内におらしめ、(中略)奉行・評定衆の異見の上に一切の政事・公事沙汰に至る迄、悉くこれらに尋ね問い、その道々の深き味をよく察し、よく計って決断するにおいては、何事も的中して相違有る事あらじ。


問1 空欄[ A ]を漢字で答えなさい。


問2 空欄[ B ]を漢字で答えなさい。


問3 空欄[ D ]は、この時期に幕府領で採用された新しい年貢徴収方法である。適切な語を漢字二字で答えなさい。


問4 下線部aに関して、17世紀の過剰開発のために起こった水害で、消滅したといわれる町はどれか。


 ア美濃加茂 イ福原 ウ近江八幡
 エ草戸千軒 オ敦賀


問5 下線部bの結果、18世紀に起こった出来事として適切なものをすべて選べ。


 ア田畑永代売買の禁止発令

 イかぶき者の登場
 ウ江戸富裕層への打ちこわし
 エ異国船打ち払い令の発令
 オ株仲間の結成・公認
 カキリシタン一揆の発生

問6 空欄[ C ]の政策でないのはどれか。


 ア足高の制

 イ公事方御定書の制定
 ウ蝦夷地の調査
 エ漢訳洋書の輸入緩和
 オ室鳩巣の登用

問7 下線部cを背景に、1720年代に起こった事件を何というか。


 ア質地騒動 イ伝馬騒動

 ウ嘉助騒動 エ郡内騒動
 オ三方領知替え反対一揆

問8 空欄[ E ]には士分の地位を示す語が入る。それはどれか。


 ア地下検断 イ苗字帯刀 ウ鉄砲所持

 エ新恩給与 オ知行宛行

問9 空欄[ F ]には将軍家臣、空欄[ G ]には大名家臣、を意昧する語が入る。その組み合わせとして正しいものはどれか。


 アF一直参  G一奉公人

   イ.F一陪臣  G一奉公人 
 ウF一奉公人 G一中間
 エF一陪臣  G一中問   

問10〈史料〉の引用部分が意昧していることについて、適切なものを選べ。


 ア 身分別に改革案を募り、その方法を世に問うことを提言している。

 イ 身分別の議会を設置し、自治を認めることを提言している。
 ウ 身分別に代長者を選出して、それらの意見を反映させた政治の実現を提言している。
 エ 身分別に支配を行う方法を撤廃し、身分の解消を提言している。
 オ 身分別に選出された陪審員が、異なる身分の裁判にも参加することを提言している。」

(答:1地方、2民間省要、3定免、4エ、※「草の戸も消滅するぞ雛(17世紀)の家。」5ウ・オ、6ウ、7ア、8イ、9.ア、10ウ)〉

 

〈2013立大・経済法異文化コミ

 享保の改革……『民間省要』の著者で宿駅の名主でもあった( ロ )など

(答:田中丘隅)〉




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