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持明院統と大覚寺統

2018-08-23 | Weblog

ボク幸福か長寿命 課題なんや

朝・後深草天皇・講堂領・持明院統)(山天皇・覚寺統・朝・条院領)

[ポイント]
1.後深草天皇から発し長講堂領を継承した持明院統北朝)と、亀山天皇から発し八条院領を継承した大覚寺統南朝)とが皇位を争った。

[解説]

1.長講堂領は、後白河法皇が持仏堂長講堂に寄進した荘園群。

2.八条院領は、鳥羽上皇が皇女八条院に伝えた荘園群。


3.持明院統は、持明院を院御所とし、膨大な皇室領荘園である長講堂領を継承した。建武新政により一時衰退した。しかし新政崩壊により足利氏に擁立され、南北朝合体後は皇位を継承して現在の皇室に至っている。


4.大覚寺統は、大覚寺を院御所とし、八条院領を継承した。鎌倉末期、持明院統と皇位を争って両統迭立が決まる。この皇統の後醍醐天皇は建武の新政に成功した。足利尊氏が離反して持明院統の光明天皇に譲位させられると吉野に南朝を立てて京都の北朝(持明院統)に対抗したが、南北朝合体後は皇統を外れた。


5.両統の発生は、後嵯峨天皇(上皇)(1220~72、在位1242~46、院政1246~72)が、長子後深草天皇(以後その血筋を持明院統)にせまってその弟(亀山天皇、以後大覚寺統)に譲位させ、かつ亀山の皇子を皇太子と定め、幕府も認めた。これが両統のはじまり。


6.両統迭立(りょうとうてつりつ)は、両統が交代で皇位につくこと。後嵯峨天皇の譲位後、両統が対立したため、幕府が和解に立った(1317年、文保の和談)とされるが解決には至らず。花園天皇(持明院統)の後は後醍醐天皇(大覚寺統)が即位し、在位10年で交替することになった。しかし後醍醐天皇は退位せず、吉野南朝を立てて足利尊氏に擁された北朝(持明院統)と対立(南北朝時代)した。

〈2016早大・人間科学〉

問8 下線部f後醍醐天皇についての説明として、正しいものはどれか、1つ選べ。

 ア 持明院統から天皇となった。
 イ 正中の変によって、隠岐に流された。
 ウ 寺院勢力の協力を得るため、懐良親王を天台座主にした。
 エ 建武の新政で、諸国には守護を置かなかった。
 オ 権威を示すため、大内裏造営を計画した。」

(答:オ〈ダイ〉 ※ア×大覚寺統の誤り〈ダイ〉、イ×隠岐に流されたのは正中の変のあとの元弘の変による、ウ×天台座主としたのは護良親王、エ×守護と国司を併置した)〉

〈2014明大・全学部前期(2/5):「下線部(オ)に関して、天皇とその属した皇統の組み合わせとして誤っているものを、次のA~Dのうちから一つ選べ。

 A後深草-持明院統 B伏見-持明院統
 C花園-大覚寺統  D亀山-大覚寺続」

(答:C※ゴロを記憶しておればA、Dが〇だと分る。しかし残りのB、Cどちらが×かは分らない。後醍醐天皇(大覚寺統)の前が花園(持明院統)である。難問)〉

〈2014立大・現代心理(心理)・コミュ福祉(コミュ政策・観光(交流文化)・経営(経営・国際経営)

問7 これ7)八条院領を経済基盤とした上皇と皇統名の組み合わせとして正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a亀山上皇-持明院統  b亀山上皇-大覚寺統
 c後深草上皇-持明院統 d後深草上皇-大覚寺統」

(答:b)〉

〈2013早大・文

下線d一方、荘園の複雑な階層の頂点にある摂関家や皇族の側でも全国に展開する荘園群を束ねて帳簿を作成するようになったについて。鳥羽法皇が皇女に伝え、平安時代末期には約百カ所に達した荘園群は何と呼ばれているか。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。」

(答:八条院領)〉

〈2012立大・経済法異文化コミ

これ(大覚寺統)に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選び、その記号をマークせよ。

 a.後嵯峨上皇亡きあと、皇室は、後深草天皇の流れをくむこの皇統と亀山天皇の流れをくむ持明院統に分かれて、皇位などを争うようになった
 b.この皇統から即位した後醍醐天皇は、正中の変・元弘の変において討幕の計画を立てるも失敗し、隠岐に流された
 c.1392年、将軍足利義満の主導で南北朝合一が実現し、天皇は、この皇統に属する後小松天皇1人となった
 d.吉野の南朝(大覚寺統)と京都の北朝(持明院統)が対立したが、南朝側についた武将として、楠木正成、新田義貞、高師直などがいる」

(答:b ※a後深草は持明院統、c北朝の持明院統の後小松に統一された、d高師直は北朝方)〉


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