2010 京都大学(改)
【問】次の文章の( )の中に最も適切な語句を入れ、下線部(1)~(5)について後の問に答えよ。
古代オリエントでは、大河の流域で、はやくから濯j既農業が行われ、定住が進み、都市を中心とした文明が生まれた。メソポタミアでは、前3000年頃からシュメール人が、( a )川下流域のウル・ウルクなど様々な都市国家を築いた。前24世紀頃これらの都市国家を征服してメソポタミアを統ーしたのがセム語族の( b )人である。その後、同じセム語族の(1).アムル人が強力な国家を建設し前18世紀前半ハンムラピ王のとき全メソポタミアを支配下に置いた。この王国は、小アジアに建国したヒッタイトに滅ぼされた。一方、エジプトでは前3000年頃までに最初の統一王国が生まれ、古王国はメンフイス、中王国はテーベを中心に栄えた。新王国では前14世紀半ば(2).アメンホテプ4世が改革に着手して遷都すると、新都を中心に写実的な( c )美術が生まれた。
エジプト王国とヒッタイト王国が弱体化すると、シリア・パレステイナでは、セム語族の3民族、( d )人・フェニキア人・ヘブライ人が活動を開始した。(3).( d )人は前1200年頃からダマスクスを中心に内陸交易で活躍し、フェニキア人は沿岸部にシドン・テイルスなどの都市国家をつくり、地中海交易を独占した。前7世紀前半に古代オリエントはアッシリア王国により統ーされ、その崩壊後はイラン人が大帝国( e )朝ペルシアを建設したが前4世紀後半アレクサンドロス大王がこれを滅ぼした。
アレクサンドロス大王没後、そのアジアの領土はセレウコス朝に受け継がれたが、前3世紀半ばにはバクトリアが独立し、またイラン系のパルテイアが建国された。パルティアが( f )川河畔に築いたクテシフォンは、パルテイアおよびこれを倒した王朝の首都となった。ヘレニズム時代に最も繁栄したのがプトレマイオス朝で、首都( g )には研究所・図書館が建設され、学問の中心となった。プトレマイオス朝が滅びローマ帝国が拡大すると(4).アラビア半島やシリア砂漠のオアシス諸都市は隊商都市として繁栄した。
7世紀初めアラビア半島西部の交易路上の都市にイスラームが興った。預言者ムハンマドと第3代までの正統カリフは( h )を活動の拠点としたが、その後成立したウマイヤ朝はダマスクスを首都とした。(5).8世紀後半にアッバース朝が新都バグダードを築くと、この都市は、 13世紀後半( i )にとって代わられるまで、イスラーム世界の政治・経済・文化の中心として繁栄した。東方では10世紀にサーマーン朝の首都( j )、11~12世紀にはセルジューク朝下の主要なイラン都市においてイラン=イスラーム文化が栄えた。
- (1)(ア)
- この王国(王朝)の首都の名を記せ。
- (イ)
- この首都の位置を、地図上のA~Nの中から選べ。
- (2)
- この新都の位置を地図上のA~Nの中から選べ。
- (3)
- ダマスクスの位置を、地図上のA~Nの中から選べ。
- (4)
- シリア砂漠にあり、3世紀後半には女王ゼノビアの統治下に繁栄し、現在その遺跡がユネスコ世界遺産として有名な隊商都市の名を記せ。
- (5)
- バグダードの位置を地図上のA~Nの中から選べ。
解 答
a | b | c | d | e |
ユーフラテス | アッカド | アマルナ | アラム | アケメネス |
f | g | h | i | j |
ティグリス | アレクサンドリア | メディナ | カイロ | ブハラ |
(1)ア | (1)イ | (2) | (3) | (4) | (5) |
バビロン | K | C | F | パルミラ | J |
解 説
b.
前2371年 アッカド人のサルゴン1世、常備軍を活用してメソポタミアを初めて統一。
罪ないメソッド 圧巻さ。
前2371年 メソポタミア統一 アッカド サルゴン1世
ユーフラテス川(上流から下流に)
ユーフセレバビ ウルクウル。
ユーフラテス川
セレウキア(セレウコス1世の定めたセレウコス朝シリアの都。ただし、彼はすぐに北シリアのオロンテス川河畔の都市アンティオキアに首都を移したので、セレウキアが首都であった期間は長くはない。紀元前141年にミトラダテス1世率いるパルティアによって征服され、以後パルティア西部の中心都市となった。)
バビロン(ティグリス川との間隔が狭くなっているところ ハンムラビ王の時、バビロニアの首都となった) ウルク ウル(ウル第一王朝の首都)
なお、地図中の正解以外の地点は、A:アレクサンドリア、B:メンフィス、D:テーベ、E:シドン、G:イェルサレム、H:メディナ、I:メッカ、L:ウル、M:スサ、N:ペルセポリス。
設問(4)パルミラは用語解説を参照。
前1379~BC1362 〈アメンホテプ4世、アマルナに遷都〉
意味なきゃダメよ甘えるな。
前1379年 イクナートン アメンホテプ4世 アマルナ
d アラームないよ笛注意。
アラム 内陸フェニキア地中海貿易
ティグリス川(上流から下流に)
ティグニネアッシュ バグだクテ。
ティグリス川 ニネヴェ アッシュール
バグダード(ユーフラテス川との間隔が最も狭くなっているところに位置する)
クテシフォン(シリア・イラク方面に進出したパルティアがヘカトンピュロスから遷した都。ササン朝の都)
i.1169年にファーティマ朝にかわってカイロでアイユーブ朝の政権を確立したサラーフッディーン(サラディン)は、ファーティマ朝の政府施設を接収するとエジプトの政府機能の一切をカイロに集約させ、カイロ南東のモカッタムの丘の端に城砦(シタデル)を建設して守りを固めるとともに、城壁と市街を南に拡大してフスタートをカイロに取り込ませる形で都市の拡張を進めた。この事業はアイユーブ朝に続くマムルーク朝の時代に至って完成し、東西交易によって空前の繁栄を迎えた。1258年にバグダードがモンゴルに征服された後はアッバース家末裔のカリフもカイロへと迎えられてイスラム世界の政治的・精神的な中心地ともなり、スンナ派を奉じたサラーフッディーンによってシーア派からスンナ派のイスラム学院に改められたアズハルはスンナ派イスラム世界の最高学府として高い影響力をもつようになった。
(1)ア.
前1792年 ハンムラビ王即位。
非難苦にせず 反撃す。
前1792年 セム系 ハンムラビ王 バビロン
〈アラム人とフェニキア人〉
アラームないぜ 笛(ふえ)注意。
アラム人 内陸貿易 セム系 フェニキア人
地中海貿易
なお、地図中の正解以外の地点は、A.アレクサンドリア、B:メンフィス、D:テーベ、E:シドン、G:イェルサレム、H:メディナ、I:メッカ、L:ウル、M:スサ、N:ペルセポリス。
(4)
273年、アウレリアヌス、パルミラ王国を滅ぼす。
津波に遭うと パールゼロ。
273年 アウレリアヌス パルミラ ゼノビア
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