明治25年(1892年)、久米邦武の学術論文「神道は祭天の古俗」を巡って激しい論争久米邦武筆禍事件。
人は邦武 神道は。
1892年 久米邦武 「神道は祭天の古俗」
[point]
1.久米邦武は岩倉使節団に随行し『米欧回覧実記』を編集、のち論文「神道は祭天の古俗」を攻撃された。
[解説]
1.久米邦武(1839~1931)は肥前藩出身の史学者。久米は岩倉使節団に随行、『米欧回覧実記』を編集。1881年、修史局で史料編纂に従い、やがて東京帝大教授に就任。
2.1891年、論文「神道は祭天の古俗」を発表したが、神道家や国学者の攻撃を受け教授辞職にいたる。
〈2017京大:前期
1871年から73年にかけ、[ ス ]を正使とする使節団が欧米各国を歴訪していた間、政府は徴兵令や学制の公布、[ セ ]暦の採用などの改革を進めた。使節団の見聞の様子を『米欧回覧実記』にまとめた[ ソ ]は、のちに「神道は祭天の古俗」と論じたために批判を浴び、帝国大学教授の座を追われた。」
(答:ス岩倉具視、セ大陽、ソ久米邦武)〉
〈2016立教大・法済異文
当初の古代史研究は、『日本書紀』や『古事記』などの歴史書に依拠していたが、明治後期以降は文献批判に基づく実証的研究が進展するようになった。だが、日本国内における歴史研究・教育は10様々な政治的制約をうけていった。
問10.これに関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.記紀の文献学的批判をおこなった津田左右古の『神代史の研究』などが日中戦争期に発売禁止となった
b.国家による教育への統制が強化されるなかで、1903年に国定教科書が小学校に導入された
c.田口卯吉の「神道は祭天の古俗」という論文に対して神道家らが攻撃し、田口を帝国大学の辞職に追い込んだ
d.日中戦争開始直前、文部省は『国体の本義』を発行し、国民思想の教化をはかった」
(答:c×※田口卯吉→久米邦武)
〈2015立教大・法
問 岩倉使節団に関する記述として正しいのはどれか。
a.安政の諸条約の改正交渉の前に、予備交渉を行なうことを目的としていた
b.記録係であった山口尚芳は、『米欧回覧実記』を編纂した
c.大使として派遣された岩倉具視はこの時、太政大臣の職位にあった
d.副使として、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、久米邦武が派遣された」
(答:a〇、※b×山口尚芳→久米邦武、c×岩倉は外務卿、太政大臣は三条実美、d×久米邦武は単に記録係をつとめる中堅官僚)〉
〈2012北大・前期
下線部は岩倉使節団派遣について述べたものである。使節団は二年にわたり欧米各国を巡遊して、制度・文物を視察した。
問1.使節団の本来の目的を述べなさい。
問2.使節団の同行や視察内容だ、同行した記録係によって『特命全権大使米欧回覧実記』にまとめられた。この記録係の氏名をこたえなさい。
問3.施設団は五名の女子留学生を随行させた。彼女らを募集した官庁を答えなさい。」
(答:問1不平等条約改正の予備交渉をするため、問2久米邦武、問3開拓使)〉
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます