街のはずれに、豊玉姫陵があります
豊玉姫の話は、知覧町のあちこちに伝説として残っています
あまりにもその数が多いので、その昔伝説になったエピソードの人物がいたんだろうなと思っています
地元の神社は豊玉姫神社と言います
上の絵葉書は、地元のクリニックの医者が描いた「歴史の知覧シリーズ」の中の一枚の絵です
海神の神(ワダツミノカミ)の娘2人が、この地を収めるようにいわれてやってきた
今の取違(とりちがい)のいう集落で一夜を過ごした
姉の豊玉姫がっかり行きなさいと言われた川辺の地が、田んぼも多くて豊かな土地だとその夜に知った妹の玉依姫は、翌朝姉の行くはずの川辺に先に行ってしまった
残された姉の豊玉姫は、妹が収めるはずだった知覧に住むことになった
2人が行く町を取り違えた事から、その集落はとりちがい(取違)と呼ばれるようになった
ここまでは、豊玉姫神社や取違集落を散歩して知っていました
その後のことは、今年の初詣で川辺の飯倉神社に行き知ったことですが、
豊玉姫は結婚して子供ができた
お産の時を見られた豊玉姫はショックで、父の元に帰ってしまった
生まれた子供は、妹の玉依姫が引き取って育てた
そして2人は夫婦になり、ひとりの子どもを授かり、その赤子が天皇家の子孫の神武天皇である
と、て伝えられていました
え〜‼️
神武天皇はお母さんの妹と結婚したの😱
ていうか、お姉さんの子を育てて、自分の夫にしたんだ🤣🤣
神武天皇にとって、豊玉姫は実のお婆さんで、伯母さんにもなるなんて、ややこしい😵😵😵
私とトトさんはその話題でしばらく盛り上がりました
海神の神の元に帰ったはずの豊玉姫のお墓が、残っていたり(今日散歩した所)
豊玉姫が使ったという産湯の跡が全く違う場所にあったり
現代人(我ら夫婦のような)は、神話の世界のことでさえ、辻褄の合わないところを突いて 苦笑いしたりしてしまいますが
昔の人はおおらかに受け入れて大事に祀ってきたのですね
この豊玉姫陵は、昔は木々が植えられてあったところだそうです
そこを開墾して田んぼになったのですが、
以前は木が生い茂り林のようになっていました。鍬も入れてはならない場所でした。そのため耕地整理が行われた時もそのまま残されました。森山信仰と豊玉姫伝説が結びついたところでしょうか
上は、案内板の記載です
囲われた中には小さな楕円形の石が置いてありました
豊玉姫陵の向こうに見えるこんもりとした山は、なんとなく亀を横から見たような姿に見えます
この山は亀甲城(きっこうじょう)と呼ばれた出城があった場所
豊玉姫陵より30メートルほど高い山です
散歩で足を伸ばした豊玉姫陵の前に、亀甲城跡にも登ってきました
石碑があり、平家の流れの云々という長い文が刻まれていましたが、もちろん苔むしているし、所々漢字を拾って読む程度
トトさんが帰ってからネットで調べようと言っていましたから
私は後でレクチャーされそうです😅
今日は気温は10度切っていましたが、風もなく、雲もなく、お散歩日和でした
ベス🐕🦺の好奇心でまた一つこの町の歴史と伝説を確かめる事ができた散歩でした
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今日の夕食は残り物片付けの献立
昨日解凍したタコが半分以上残っていて、今夜もたこ焼き❣️とリクエストされていました
ロースハムの残りやらを刻んで入れたカレー炒飯とブロッコリーと干しエビの中華炒めと
今年も食材を無駄にしない事を目標に掲げています(毎年挫折というか、必ず廃棄する食材を出してしまう私です😰)
今のところ、うまく回しています
といっても、まだ今年はスタートしたばかりですねぇ😅
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