巣鴨のとげぬき地蔵は、萬頂山高岩寺という曹洞宗の寺院で
門前の商店街も「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるほどに
高齢者の信仰を多くあつめています。
(高岩寺と地蔵通り商店街)
開山は慶長元(1596)年で、当時は湯島に創建されましたが
後に下谷屏風坂下(上野駅、岩倉高校付近)に移り、
明治二十四(1891)年に、現在の旧中山道巣鴨に移ってきました。
(三門)
本尊の延命地蔵は秘仏で、この地蔵菩薩像をとげぬき地蔵と呼んでいます。
江戸時代に、田村又四郎という武士が、妻の病気平癒のために
霊夢に現れた地蔵菩薩のお告げに従い、地蔵の御姿を印した紙一万を
川に流し祈ったところ瀕死の妻が回復したことから
地蔵菩薩の御影を寺で配布するようになったとされています。
のちに毛利家の女中某が針を誤飲した際に、この御影を飲み
針を吐き出すことができて、その吐き出した針には御影が刺さっていたことから
とげぬき地蔵と呼ばれるようになったそうです。
四の付く日は寺のご縁日で、多くの人で賑わいます。
映画「男はつらいよ」の第一作では、寅次郎の舎弟の登(秋野太作)が
一人でバイをしているところに帰ってきた寅がやってくるシーンは
現在の洗い観音の前あたりです。
(境内)
なお当代の住職、来馬明規師は内科を専門とする医学博士でもあり
名実ともに「健康」にご利益のあるお寺なのです。
(とげぬき地蔵行きバスは、お地蔵さんのイラスト付き)
門前の商店街も「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるほどに
高齢者の信仰を多くあつめています。

開山は慶長元(1596)年で、当時は湯島に創建されましたが
後に下谷屏風坂下(上野駅、岩倉高校付近)に移り、
明治二十四(1891)年に、現在の旧中山道巣鴨に移ってきました。

本尊の延命地蔵は秘仏で、この地蔵菩薩像をとげぬき地蔵と呼んでいます。
江戸時代に、田村又四郎という武士が、妻の病気平癒のために
霊夢に現れた地蔵菩薩のお告げに従い、地蔵の御姿を印した紙一万を
川に流し祈ったところ瀕死の妻が回復したことから
地蔵菩薩の御影を寺で配布するようになったとされています。
のちに毛利家の女中某が針を誤飲した際に、この御影を飲み
針を吐き出すことができて、その吐き出した針には御影が刺さっていたことから
とげぬき地蔵と呼ばれるようになったそうです。
四の付く日は寺のご縁日で、多くの人で賑わいます。
映画「男はつらいよ」の第一作では、寅次郎の舎弟の登(秋野太作)が
一人でバイをしているところに帰ってきた寅がやってくるシーンは
現在の洗い観音の前あたりです。

なお当代の住職、来馬明規師は内科を専門とする医学博士でもあり
名実ともに「健康」にご利益のあるお寺なのです。
