護国寺と豊島丘陵

2015年05月17日 | 東京のお散歩
真言宗豊山派の神齢山悉地院大聖護國寺、通称護国寺は
天和元(1681)年に将軍綱吉の生母、桂昌院の請願によって造られた
江戸幕府の祈願寺です。





江戸時代には、庶民にも人気のある寺院として参詣客を集め
門前から神田川に架かる江戸川橋に至るまで、
1キロにわたって直線に伸びる参道は、参拝客で賑わいました。



明治維新の後、幕府祈願寺だった護国寺は、檀家を持っていなかったため
厳しい状況に置かれましたが、明治天皇の第一皇子の薨去に際し
境内の半分を皇室の陵として召し上げられ、豊島丘御陵となり
明治新政府の立役者である三条、山縣、大隈らの墓が護国寺境内に造られ
体面を保つことができました。

(豊島丘御陵の門)

大正以降は、当時の茶人で実業家の高橋義雄は、檀家総代として境内を整備し
茶会を開くなどして護国寺の再興に寄与しました。
茶会は現在に至るまで、続いています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする