東急大井町線。
九品仏駅は、ホームが踏切に挟まれているために
二子玉川方1両のドア扱いができない駅として鉄オタなどに知られています。
(東急大井町線)
駅の名の由来にもなっている九品仏は、浄土宗九品山淨眞寺(浄真寺)という寺で
室町時代には吉良氏の奥沢城の曲輪でした。
(九品仏)
廃城となったのちに延宝六(1678)年に、霊岸(霊厳)寺念仏堂の僧、珂碩が
四代将軍家綱から奥沢城跡地を賜り、浄真寺を創建、
弟子とともに刻した九軀の阿弥陀如来像を安置し
これを以って九品仏と呼ばれるようになりました。
近隣には、等々力渓谷があります。
等々力渓谷は、谷沢川の河川争奪によって本流となった河川で
切り離されてしまった旧来の谷沢川は、九品仏の微高地の麓を流れる
九品仏川として残り、現在は暗渠と緑道として
名残をとどめています。
(等々力渓谷)
九品仏駅は、ホームが踏切に挟まれているために
二子玉川方1両のドア扱いができない駅として鉄オタなどに知られています。
(東急大井町線)
駅の名の由来にもなっている九品仏は、浄土宗九品山淨眞寺(浄真寺)という寺で
室町時代には吉良氏の奥沢城の曲輪でした。
(九品仏)
廃城となったのちに延宝六(1678)年に、霊岸(霊厳)寺念仏堂の僧、珂碩が
四代将軍家綱から奥沢城跡地を賜り、浄真寺を創建、
弟子とともに刻した九軀の阿弥陀如来像を安置し
これを以って九品仏と呼ばれるようになりました。
近隣には、等々力渓谷があります。
等々力渓谷は、谷沢川の河川争奪によって本流となった河川で
切り離されてしまった旧来の谷沢川は、九品仏の微高地の麓を流れる
九品仏川として残り、現在は暗渠と緑道として
名残をとどめています。
(等々力渓谷)