世田谷の大谿山豪徳寺は、招き猫発祥の地(の一つ)として知られています。
(豪徳寺書院)
もともとは、室町時代に吉良氏の世田谷城だった場所で
文明十二(1480)年に吉良政忠が、伯母である弘徳院のために
臨済宗の庵を結んだのが最初とされています。
(三門)
天正十二(1584)年に曹洞宗へ改宗しますが、その六年後に
吉良氏は秀吉の小田原征伐によって滅ぼされ、世田谷城は廃城になります。
(世田谷城址)
江戸時代に入り、彦根城主井伊直孝が一匹の猫によって
寺の門内に招き入れられ、その直後に雷雨があり、直前までいた大木に落雷し
その難を逃れることができたと謂れています。
(奉納された招き猫)
またこの時に和尚の説教を聞くことができたことを喜び、
井伊家代々の菩提所としたとされています。
(豪徳寺松並木)
豪徳寺の寺号は、井伊直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」によるものです。
井伊直孝を招いた猫は、豪徳寺では招福猫児と呼ばれ、
招猫観音が祀られています。
純粋に福を呼ぶ招き猫として、小判など俗物を持たずに右手を上げる姿の猫は
実は井伊家の領地である彦根のあいつ…そう、ひこにゃんのモデルでもあるのです。
(豪徳寺書院)
もともとは、室町時代に吉良氏の世田谷城だった場所で
文明十二(1480)年に吉良政忠が、伯母である弘徳院のために
臨済宗の庵を結んだのが最初とされています。
(三門)
天正十二(1584)年に曹洞宗へ改宗しますが、その六年後に
吉良氏は秀吉の小田原征伐によって滅ぼされ、世田谷城は廃城になります。
(世田谷城址)
江戸時代に入り、彦根城主井伊直孝が一匹の猫によって
寺の門内に招き入れられ、その直後に雷雨があり、直前までいた大木に落雷し
その難を逃れることができたと謂れています。
(奉納された招き猫)
またこの時に和尚の説教を聞くことができたことを喜び、
井伊家代々の菩提所としたとされています。
(豪徳寺松並木)
豪徳寺の寺号は、井伊直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」によるものです。
井伊直孝を招いた猫は、豪徳寺では招福猫児と呼ばれ、
招猫観音が祀られています。
純粋に福を呼ぶ招き猫として、小判など俗物を持たずに右手を上げる姿の猫は
実は井伊家の領地である彦根のあいつ…そう、ひこにゃんのモデルでもあるのです。