回向院
2015年05月13日 | 旅
本所と小塚原にある回向院は、浄土宗の寺院で
本所が諸宗山無縁寺回向院、小塚原が豊國山回向院という浄土宗の寺院です。
小塚原、すなわち南千住駅前の回向院は、元は本所の両国駅前の回向院の別院で
現在では独立しています。
(本所回向院)
本所回向院では、天明元(1781)年以降、境内で勧進相撲が興行され
これが後に両国国技館(初代)建設に繋がる、いわば大相撲発祥の地でもあります。
(国技館跡標)
また、門前では文政七(1824)年に小泉與兵衛が、華屋の屋号で鮨店を操業します。
これは現在の握り寿司の発祥とも言われています。
(与兵衛鮨発祥の跡は、電柱にも案内が)
小塚原の回向院は、小塚原刑場での刑死者供養を行うために創建されました。
明和八(1771)年に、杉田玄白や中川淳庵、前野良澤らが
腑分けに立ち会ったことから、日本における解剖学発祥の地とも言える場所です。
(小塚原回向院)
本所が諸宗山無縁寺回向院、小塚原が豊國山回向院という浄土宗の寺院です。
小塚原、すなわち南千住駅前の回向院は、元は本所の両国駅前の回向院の別院で
現在では独立しています。

本所回向院では、天明元(1781)年以降、境内で勧進相撲が興行され
これが後に両国国技館(初代)建設に繋がる、いわば大相撲発祥の地でもあります。

また、門前では文政七(1824)年に小泉與兵衛が、華屋の屋号で鮨店を操業します。
これは現在の握り寿司の発祥とも言われています。

小塚原の回向院は、小塚原刑場での刑死者供養を行うために創建されました。
明和八(1771)年に、杉田玄白や中川淳庵、前野良澤らが
腑分けに立ち会ったことから、日本における解剖学発祥の地とも言える場所です。
