エレカシことエレファントカシマシは、私にとって彼等がデビュー当時からのお気に入りバンドの一つ。
私はロックを聴くというスタンスにおいては洋楽に比重を置いていますが、このバンドはジャパニーズ・ロック界において久しぶりに硬派の骨太サウンド、リーダー宮本氏の魂の咆哮&突き刺さってくるほどの歌詞に打ち震えたものです。
4人編成のメンバー達は中学校時代からの仲間で一度もメンバーチェンジもなく結成35周年を迎えようとしています。これは凄い事ですね。
長い活動期間中にはメンバー2人が病気療養でやむなく活動停止状態に陥る事もありましたが、着実にキャリアを伸ばしています。
このユニークなバンド名は、「かしましいぞう」の「ぞう」を「象」に引っ掛けたといっていましたがそれは全くのこじ付けで、お笑い3人姉妹のかしまし娘と映画エレファントマンからもじった言葉遊びらしく別段深い意味はないらしいです。
一貫して露骨な売れ線狙いなどせず、ライブ中にも媚を売るようなMC一切無し、衣装も普段着という姿勢を貫き通すその姿にも強き男気を感じていました。時にはボーカルの宮本氏はいきなりブレイ極まりない客に対して、はたまたなぜかメンバーに対して切れまくる事もしばしば(数年前ラジオ番組にゲスト出演した際、女性DJのあまりにも心無い言葉に怒りまくった事件は有名)。
私の知人が20年以上前に札幌ライブハウス・ペニーレインで、彼らのライブを観にいったそうですがギタリストは終始怒っているかのように不機嫌な表情だったとか・・・。
まあ、それは彼等のコンセプトの一環だったとは思いますが、時流に乗らない音楽性やそれらが災いしてかアルバムセールスはそれほどの成果を得られる事もなく
知る人ぞ知る、通受けするバンドというイメージの中でも一切ぶれることなく鉄壁なる存在感を放っていました。よって業界内でも一目置かれるバンドの地位を確立。
そんな彼らの知名度が一気に増したきっかけは、15枚目のシングル「今宵の月のように(1997年7月30日発売)」
テレビドラマ主題歌として局スタッフから依頼を受け、ストーリーに沿った内容の歌詞で宮本氏が書き上げた入魂の力作。
彼等初のタイアップ曲ですが、結果大ヒットを記録し、代表作となります。
宮本氏いわく「ドラマなんか絶対に観ない」と言い放ってはいましたが、しっかり逐一チェックしていたそうですよ(笑)
ここからエレカシの快進撃がヒートアップします。
レーベル移籍に伴い、彼らの持ち味はそのままに音楽性にヒット性を意識したエッセンスも盛り込んでゆきます。
「今宵の月のように」のアレンジは伝説のジャパニーズ・プログレッシブ・バンドのベーシストでもあった名プロデューサー故・佐久間正英が担当しています。
ライブにおいても、宮本氏は無愛想ながらもMCをこなすようになり、髪型もロックっぽく長髪に、服装も多少はファッショナブルに変化。
(テレビ出演時、宮本氏は会話中身振り手振りの動作激しく表情もコロコロ変わりますが、髪の毛をしょっちゅう掻き毟る仕草は学生時代にそれが最も男らしい行為だと信じきっていたためだとか。その癖が抜けずアルバイト先では客の目前でもその仕草を繰り返して即刻クビになったとか)まあ、全体的な無頼漢風はそのままではありますが。
ほとんどおこなわれていなかったテレビ出演もそれなりに実現、宮本氏が「嫌いだ」と言っていたインタビューもこなし始めています(以前はインタビューを受けてもほとんど会話が成立しないほど言葉少なだったそう)。
東京は北区赤羽出身(マサはその地に一時住んでいました)のメンバー達は、その町に対して思い入れはないそうですが、プロモーションビデオなどの撮影地として度々収録を行っています。
またこれだけのカリスマ性を持ち日本の中でも指折りの個性派ロックバンドに成長したにも関わらず、世界進出には興味がないとか(メンバーに飛行嫌いの人もいます)。
私の琴線を振るわせた曲はやっぱり「今宵の月のように(写真中のCDS)」
以前に「曙/無事なる男」のCDSを所持していましたが、どうしても「今宵・・・」が欲しくて手放してしまいました(先の2曲はアルバム「浮世の夢」にも収録されているし)。
でも「曙」のほうが、コレクター・サイドに言わせればレア度高いのですがね。
ちなみに北海道出身日本ハム・ファイターズ鍵谷投手の登場曲は「今宵の月のように」です。
彼の登板がアナウンスされた途端からマウンドに登場して、練習投球が終了するまでの間ずっとこの曲が札幌ドーム内に轟いているのです!!