1976年、「21世紀のロック・サウンド」という謳い文句で華麗に登場した「ボストン」は衝撃的でした。
そのキャッチ・コピーに負けないくらいの説得力が「宇宙の彼方へ」1曲だけでも十分伝ってくるほど。
日本とは違ってあちらは都市をバンド名にしても、響き・ロゴが様になるから羨ましいですね(CHICAGO,BOSTON・・・・ETC)。
そもそもボストンというバンドが誕生したキッカケというのが、そうとうに変わっているというか、特殊です。
頭脳明晰なるトム・ショルツが、あのマサチューセッツ工科大学在学中に、ギターを独学でマスターしたことに端を発しています。
その後、ポラロイド社に就職したのをきっかけに、プロダクト・エンジニアの知識を習得。その電気工学技術を生かして自宅にレコーディング・スタジオを構築。
そこで製作されたデモ・テープが大手レコード会社に認められてアルバム「幻想飛行」でデビュー(ノー・シンセサイザー、ノー・コンピューターのクレジットも話題に)。
実はこのアルバム、ボーカル故ブラッド・デルプ以外のパートはほとんどがトムによる重ね録音だったとのこと(ほとんどの人々はそうとは思わなかった。私もその一人)。
一切の妥協を許さない完璧主義のトムはスタジオに長時間篭りっきりで、特にミックスにはそうとうの時間を費やしたそうです。
ただ、トムにはアルバム製作以外、コンサートというものは念頭になかったらしく、レーベルサイドの意向により急ツアー・メンバーをオーディションにより決定したそうです。
鳴り物入りで登場したこのバンドは、大成功を収めたのですが、なにせこのトムという男は全く時流に流される事なく己の音楽にしか興味が向かないらしく、じっくりとマイペースでセカンドアルバムの録音に取り掛かった結果、2年の歳月をかけて発表された「ドント・ルック・バック」は全米1位と前作以上に大ヒット。
今作はバンド体制となっていますが、実際にはトムによる絶対的コントロールのもとに行われたそうです。
3作目の発表がいつまでたっても日の目を見ないため、遂にはレーベルから訴えられて法廷闘争へ突入することに。
その間、ボストンの活動が一時休止状態に陥るも、トムはロックマンというエフェクターを開発。
「このエフェクター1台でボストンと同じ分厚くスペイシーなサウンドが実現可能」ということで大ヒット商品に(実際に弾いて見ましたが、トムの言うことに嘘偽りない代物だと感動しました)。
これ以外にも「留守中の植物への水やり機」「絶対にチューニングの狂わないギター」などを開発して数多くの特許を取得しています。
この人、なにやっても成功する商売上手のさしずめンテリですね。凄い才能の連発に驚愕。
レーベル移籍後1986年のアルバム「サード・ステージ」、シングル「アマンダ」共に第1位を記録。
悠々自適にその後も1994年アルバム「ウォーク・オン」
1997年の「ベスト盤」
2002年「コーポレイト・アメリカ」
2013年「ライフ、ラブ&ホープ」発表。
デビューから早40年近いキャリアですが、オリジナル・スタジオ・アルバムは6作品のみです(ベストは除く)
ライブ音源作品も映像集もなし。
ちなみにトムは長身でして、若かりし頃バスケットボールの選手になることも考えたそうなのですが、彼でも背が足りない・・・とのことであきらめたとか(これはジョークかも?)
ボストンは2度の来日公演が実現していますが、私の中学校時代の友人は初来日1979年4月「チェリー・ブロッサム・ツアー」における日本武道館を観ています。「トムがパイプオルガンを弾いていた」という彼の一言を私はよく覚えています(笑)。
トムのトレード・マークでもある愛器レスポールが、ある音楽雑誌にアップで写真紹介されていましたが、フレット・ボード上にホッチキスを打ち込んでいたのを鮮明に記憶しております。
アメリカン・プログレッシブ・スペイシー・商業ハードロック・バンドなんていう、なにやらわかりやすいようなややこしい、日本人がよく好む枠組みでくくられているこのバンド。かっこいいロゴに伴い、毎回あらゆるデザインで登場するUFOのような宇宙船とバックが音を上手に表現していてわかりやすいところもポイント高いです。
ボストンそのものであるトムは相変わらず「わが道を行く」の音楽人生を邁進し続けてゆくでしょうね!
写真はアルバムCD,ベストCD,マキシCD,EP。オマケのデモLPとライブDVDは非公式物・・・・・。