THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

SOME LIKE IT HOT

2015-02-20 02:23:42 | STAのレパートリー

THE POWER STATION

1985年3月4日リリース  英14位、米6位

EP VER 3:43

LP VER 5:05

作者はロバート・パーマー、ジョン・ティラー、アンディ・テイラー。

STA結成当初、当時のメンバー達が「是非ともやりたい!」と熱望、ブラススコアを書きあげたにもかかわらず、技量が伴わずに長年お蔵入りになっていた唯一の曲。

2015年2月15日小樽エンペラー雪明かりの路オールディズナイト(シカゴ結成48周年の日)、遂にこの曲がライブ披露されました。STAのカバー曲中、一番新しい時代のもの。と言っても80年代中期ですがね(笑)

それにしても長かった・・・。

 

このオリジナルはデュラン・デュラン、シックのメンバー達とロバート・パーマーを含む英米出身4人からなるプロジェクトのデビュー作からのファースト・シングル。

時、MTV全盛期、プロモーション・クリップがガンガンに流されて衝撃的な話題になり大ヒット、ディスコでも(クラブではない)たいへん重宝されたものです。

さて、事の起こりは1983年、英国バーミンガムにある有名ディスコ、ラム・ランナー(デュラン・デュランのマネージャーが経営)を訪れたロバート・パーマーがジョン・テイラーと出会ったのがはじまり。

ロバートの大ファンを自認するジョンはその場で意気投合。1972年にヒットしたT-REX「ゲット・イット・オン」をいつか2人でレコーディングしよう!と約束を取り交わす。

同年、ブロンディーの英国ツアー初日、ジョンはかねてより大尊敬するドラマー、トニー・トンプソンと会場で知り合う。

翌年の1984年、デュラン・デュランのプロデューサー、ナイル・ロジャースとも親交が深まり、彼を通して同じベーシストとして敬愛するバーナード・エドワーズを紹介してもらう。

ここにジョン長年の夢でもあったシック&ロバートとの共演を本格的にスタート。ギタリストにはファンクとハード・ロックに興味を持っていた同僚アンディ・テイラーを抜擢。

1984年6月「ビッグ・ブラザース」というバンド名でアメリカにて1回目のレコーディング・セッション突入。

12月、合計4回のセッション・レコーディング・テープは、ニューヨークのシックが所有するスタジオ「パワー・ステーション」にて最終トラック・ダウン終了。

これを期にバンド名を正式に「パワー・ステーション」と命名。

ここにアルバムとシングルが世に登場したわけです。

このキャリアもジャンルも年齢も人種も違う、ちょっと冷静に考えてみれば、実現不可能ともいえる取り合わせですが、とりようによってはこの上ない超魅力的なビッグ・プロジェクト。

シックとロバート達はお互い面識も存在自体もまったく知らなかったそうなのですが、何故かデュラン・デュランは知っていたそうでこの辺がキーワードといえそうです。

水面下で進行していたこのプロジェクトは、当初かなりお洒落なファンク・サウンドになるのでは?ともっぱらの前評判。ところが蓋をあけてみたらば、インパクトある物凄いハードな楽曲がグルーブ満載でグイグイと迫り、エドワード仕込みのジョンのベースは唸りをあげ、ロバートはそれまでのソロ活動以上に力の入ったエモーショナルな声を披露。

この時代は機械的無機質な打ち込みリズムが主流になっていたために、トニーが叩き出す本来の人間にしかかもし出せないド迫力肉体的躍動感溢れるタメ、独特のノリのある跳ねるドラミングに音楽ファン達は新鮮な驚きをもって大歓迎(黒いボンゾ本領発揮)、そしてあのアンディがあそこまでテクニカルに弾きまくるとは、と嬉しい想定外連続でした(ジョン談:アンディを檻から出してやった!)。

デュラン・デュランは正直な話、美しい男の子達がヒラヒラ衣装を身にまとい、ポップスセンス溢れる楽曲で世間に旋風を巻き起こしていたアイドル路線真っ只中だったために、通のロック・リスナー達からは冷ややかな視線を浴びせられていたのです。

でも、こんなに骨のある図太いアルバムを出された日にゃあ、もうただただ屈服するしかありませんなあ。

だって、デュラン・デュラン結成当時のコンセプトはジョンいわく純粋に「セックス・ピストルズと、シック、ハードロックの混合」だったのですから。

ところが、デュラン・デュランはその後ドンドンとポップス化の傾向に邁進。

ここがミュージシャンの性で、「それならば、デュラン・デュランで実現不可能な音を別のバンドで体現しよう」となったわけなのです。

写真の3作品はアルバム国内盤帯付きLP&アメリカ盤CD。

そして日本盤帯付き12インチ「サム・ライク・イット・ホット」

この12インチは80年代にジャンル問わず猫も杓子も大流行したレコード。シングルとLPとの中間的ソフト。

誕生時は業界向けプロモーション的意味合いが強かったのですが(ラジオ、マスコミ関係への非売品配布用)、ディスコブーム到来に乗じて商品的価値が高まり、ディスコ店内で長時間歌ったり踊れる事を目的に、重低音やダンスビート、リズムを強調したバージョン、リミックスモノが登場。延々と聞かせどころのサビやリフ、コーラスがリフレインされたりエフェクト効果を加えたりとありとあらゆる手法を加えて音楽界の重要なジャンルを確立。1枚の盤に1曲が数テイク収録されるというパターンが通常の作品にと落ち着きました(時には未発表モノやライブテイク、ボーナス的に既初作1曲をプラスということも)。マニアはこの盤でしか聞けない音源がよくあるためにコレクションに腐心したものです。いまだに権利の関係上CD化されていない「レア」モノが多数存在していて、こいつはコレクター泣かせですね。プレス枚数も絶対的に少ないし、単発モノがほとんどだったし。

その後、CD化に伴いマキシシングルというソフトに引き継がれていき、その姿は一般メジャー第一線からは消え失せましたが、クラブDJの間では現在もそれ専用の盤モノが現役続行中。

この「サム・ライク・イット・ホット」12インチにもA面は「サム・ライク・イット・ホット&ザ・ヒート・イズ・オン」、B面には分断されて「サム・ライク・イット・ホット」「ザ・ヒート・イズ・オン」と計3曲収録。

この曲はイントロ、1番、2番、ギターソロ、ブリッジ、サビ(エンディング)という構成ですが、部分部分が長いためにけっこうツギハギ遊びが(!?)出来るのでしょうね。

そうとうにいじりまくっていて面白いよ。

 

さて、爆発的大成功を収めたパワー・ステーションは、この後ツアーに進出。ところが、それまで全米では成功を収めていなかったロバート・パーマーはパワステと並行してレコーディングしていたソロ作品のプロデューサーにもバーナードへ白羽の矢を向けます。このソロがそれまでの中でも比較にならないほどの大ヒット。それならばと、パワステ・ツアー参加を頑なに固辞。

よってボーカリストにはシルバー・ヘッドのマイケル・デバーレスを起用することになります(ライブ・エイドにも出演)。

時は流れて、1996年、唐突にパワー・ステーションが再結成されてセカンド・アルバムが発表されます。

ただ、その時にはジョンの姿はなく、バーナードがプロデュースとベースを兼任。

初の来日公演も1996年に行われましたが(テレビ出演もありました)、この年の4月シックの来日公演中にバーナードが死去したために、彼の姿はありませんでした。

そして2003年にはロバート、トニーも他界しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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