Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

さよううなら お世話になりました

2007-01-15 00:14:44 | 日記・エッセイ・コラム

仕事に出かける車の中で 前の会社の社長の訃報を知った。

直ぐに行きたいけど・・・ともやもやしながら 会社に着く。 その頃までに 通夜に行くことを決めていた。 休みをもらう。 そのままかえると残された人が大変かも知れないので 昨日の売り上げの処理だけをしてくる。

前の会社 明治から続いた古い会社で家族で繋がっていることもあってやりにくい部分もあった。それでも 子育て終えて 久しぶりに仕事に出た私が 自信を付け 変わっていた場所であることは間違いない。

7年前 風をこじらせていらした社長が 目の前を歩く姿がおかしいことに気づいて 脳梗塞を見つけた。 それから 会社はどんどん変わっていった。 お見舞いに行っても涙をぼろぼろこぼす社長を見るのは辛かった。

やがて 会社に戻れない社長は 大手に引き取ってもらう選択をした。

心の通わないやり方に 嫌気がさして会社を辞めた。 いま幸いにも居心地の良い場所に巡り会って しあわせな毎日を送ってはいるけれど ここまで来られたのは社長のお陰だと思っている。

会場にはかつての仲間がいっぱい集まっていた。 もう引退して長いのに 社長をしたって 近隣の町から沢山の人が集まって来た。

困ったときはお互い様だよ とか お金は 返せるときでいいから頑張りなさい

なんて仏様のように みんなに優しかったから 裏切った人もいたけれど みんな大好きだった。 

日頃 社長に辛辣な言葉を浴びせていた奥様だったけれど 今日は涙 涙だった。

思いがけず沢山の人が集まって 同窓会みたいになった会場。「一緒にご飯食べってよ。」奥様は 言葉はきついけれど本当に面倒見の良い人だったもの。お二人のお陰で頑張れたんだよね

蝋人形のように美しい仏様はぼろぼろ涙をこぼしていた時のお顔では無く 穏和な美男子だった。

ここに お嬢様が代弁されたと思われる故人の最後の言葉がある。

おもいで

昭和25年 中学卒業と同時に15歳で安城に来ました。

いわゆる丁稚奉公 酒屋の小僧です。

ご飯は立ったまま5分で食べ、盆も正月もなく働き

気がつけば世の中は高度経済成長真っ只中でした。

「モノさえあれば売れる。」いま思えば信じられないことですがビールが足らずに困ったと言う時代がありました。

働いた分だけ儲かる、いい時代を過ごさせてもらいました。

良く飲み食べた四十代、五十になった頃血糖値が高いと言われ、病気に気づきました。

大好きだったお酒をきっぱり止めて、大腸癌も克服しました。

この後の二十年は、病気とともに歩みました。

七年前、志半ばで脳梗塞に倒れ、その後は、会社に出ることも叶わず、

本日、たびだつこととなりました。

             感謝を込めて・・・・

社長のまじめにこつこつやっていらした一生を 見事に表わしているなって思います。

さようなら 本当にお世話になりました。 

コメント (6)
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