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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

中山道を歩く 妻籠風俗絵巻之行列

2007-11-23 15:00:00 | 山歩き

妻籠寺下は 妻籠保存の原点とも言える場所。古い町並みが良く残されている。

繁華街?に入る前に妻籠発電所による。今日のお祭りに合わせて公開されていたから のぞいてみようということで・・・水力発電所 水が高いところから落ちる力を利用して作る電気は 思ったより 簡素な物で小さかった。こんな物で電気を作ることを思いついたって 凄いな

そしてだんだんいろんな事に思い当たった。 いただいたパンフレットには関西電力東海支社と書かれている。 れれれ? 関西電力? 木曽川なら中部電力何じゃ・・・?

で 読み進めていくと 福沢桃介の関与した発電所だったんだぁ。 岐阜県東濃地方に桃介は中電に勤めていたのだけれど さらなる電力を求めて御岳や中央アルプスの奥に入ったのだと・・・思えばなかなか魅力的な人だったんだね。 福沢諭吉の養子に入ったときのエピソード 川上貞奴とのエピソード そして事業家としての桃介

さていよいよ繁華街 

昔見た写真は タイムスリップしたような町並みだった。夜になって家々からテレビの音がしてきて初めてこれが現代なんだと思う。そんな場所だった。 今はまるでテーマパークの町並みのように賑やかで人がごった返している。 ご飯を食べるのも容易じゃ無い。

集落の入り口では藁でできたおおきな馬がお出迎え。 と思ったけれどこれは馬の小物を売っているお店のディスプレイだった。うん良くできている。

Warauma_2 妻籠の宿は正面にいつも伊勢山を見て歩く。山頂付近にある岩が気になる。どんな山なんだろう?

博物館とか本陣跡とか見るところはいっぱいあるのだけれど人がいっぱいでゆっくり見られそうになかったので 今回は見送る。また来たらいいさ

そんなわけで 町(町のっていう時点で変わってしまっている気がする)の様子を少しご覧ください。

Tumago1 Tumagohonjin

本陣跡からは あの南木曾岳が見える。

Cyoujiya ここはご飯が食べられます。

こういったお店なら好いているかもしれないと思い入ったらやっぱりいっぱい。でも二人だから直ぐに案内してもらいました。

いただいた食事は朴葉みそステーキ定食 どうして妻籠で朴葉みそ? と思ったけど そんなのかんけいね~ぇ(ちょっとテレビを見ながら書いていてつい使ってみました)

Goubamiso

Turuumemodoki この辺の人は 生活を楽しむのが得意? どのうちもディスプレーで観光客サービス。

Masugata

と言いたいけれど 宿場町全体が一人のコーディネーターに寄って作られている気もする。

枡形もしっかり残っている。

Tumago2

Tumago3

Karin

さて 大妻籠の所で話した文化文政風俗絵巻之行列だけれど 宿場町のあらゆる場所で 旅人に扮した行列に出会う。

今はもう見なくなってしまった虚無僧さん あれ? 私の子どもの頃まだ見かけたよ。いっつも「はぁるの おがわはさらさらいくよ~」と尺八を吹きながら歩いていた。

越後獅子 越中富山の薬売り なかなか面白い。

カメラの調子が悪くて 携帯に変えたので 起動が遅くてうまく写真にならない。雰囲気出ているかな?

Gyouretu Kakubeijisi

Kawaraban

Komusou KusuriuriOkosozukin

すっかり観光地になってしまった宿場町を心の片隅で嘆いてみたものの こんな催しを楽しんでいるのだから 自分でも恥ずかしい。 中山道歩いていると ○○跡と言った看板しか立っていなくて何ともつまらない思いをするのだから勝手といえば勝って

今回は面白い物が見られた。 それは結婚式 デモンストレーションかと思ったら そうでもなく 公募で選ばれたカップルだそうな。 丁度行ったときには新郎が新婦にご飯を食べさせている所だった。 へえ~ 所変われば・・・そんな儀式もあるんだ  美しい花嫁さんとはにかんだお婿さん  観光客には振る舞い酒が配られた。 木曽の梯 きついけど おいしい日本酒だった。

FurumaizakeNagamoti   

Syuugen こうして短い間だったけれど 妻籠の宿の時代絵巻を楽しんで バス停に向かう。ここから馬籠まで戻って馬籠の宿を見て帰ることにする。

バス停は大渋滞。観光バスも身動きできなくて 路線バスはその間を縫って運行。

イベント主催者としては 大成功だったね。

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中山道を歩く 馬籠峠を越えて

2007-11-23 14:00:00 | 山歩き

馬籠峠から 妻籠をめざして歩く。 馬籠の次のが妻籠だと思ったら大違い。峠の集落があったように この先下り谷 大妻籠 神明と続く。

亭主は 馬籠から妻籠へ向かうことに少々抵抗を示していた。 妻籠の方が標高が高いので 登っていくのはきついのでは無いか?という考えらしかった。 しかし峠からの大下りにそんな気持ちも吹っ飛んだようだった。それに本当のこというと 妻籠より馬籠の方が遙かに標高が高い。

延々と下りが続く。 石畳の道から地道から 中山道「木曽路はすべて山の中である」だ。

Isidatami Kudaritani

山の中から出てくると少し開けた所に出て 丁度宿と宿のほぼ真ん中 立場茶屋に出る。

下谷から移された一石栃番所跡がある。 明治2年まで木曽五木(ひのき サワラ あすなろ コウヤマキ ねずこ)の出荷規制のためにある番所。

木曽の番所は出女と 木曽五木をおもに取り締まっていたと聞いたことがある。

Nobotoke Tatebacyaya

往時は7軒あった家も今では南側を切り取って小さくなったこのいえ牧野家が残っているだけ。(人が住んでいるかどうかはわからなかったけれど 綺麗に手入れされて今でも十分住めそうだった。)

番所跡を後にして石畳と地道を繰返す。車道と中山道を何度か交差して暫く車道を歩く。右手に本来の中山道があるのだけれど 雄滝 女滝を見るために車道を歩く。

この雄滝女滝は吉川英治の「宮本武蔵」に武蔵とお通のロマンスの舞台として出てくる場所だそうな。NHKのドラマではここでは無かったような・・・・? 倉科様伝説もある。滝に金の鶏が舞い込んだんだって

滝は道からすぐ入ったところにある。元々はもっと高さもあったらしいのだけれど 洪水や蛇抜け(蛇が穴を通ると岩が崩れるの?)によって高さも滝壺も小さくなったのだとか 向かって左が雄滝 右が女滝 確かに高さは無いけれど 水量は豊かで 道行く人々を慰めていたに違いないことは想像できる。

Medaki   Odaki

中山道を歩いていると 同じ中山道でも 時代によって道がどんどん変わっていることがわかる。 今滝の上を通っている中山道も 昔は滝の下を取っていたらしい。

道は生き物だ。

追分に来て下り谷の集落に出る。 滝の伝説の主倉科様を祀った倉科祖霊社がある。

とても小さなお社。

Kurasinajinjya

倉科様 どんな人か知らない。松本城主小笠原貞慶の重臣だったそうだけれど 松本? ここから遠いでしょ?と思ったら従者30余名と一緒に地元の士豪達に全滅させられてしまった。その礼を弔うために建てられた物。

しかしそんな人と金の鶏どんな関係があるのだろう?金の鶏は 倉科様に吉をもたらしてはくれなかったのかな?

ここまで三つの神社を見たけれど どれもとても小さい。

子どもの頃 飛騨の山奥に暮らす祖父母を家に招待しようとすると 神社の秋祭りだから と断わられて不思議に思った。

今思えばわかるけれど。 ここでも4月3日にはお祭りがあるそうな。 暮しと結びついている信仰心。

石畳の道を更に降りて大妻籠の一里塚に出る。 ここから橋を渡っていよいよ大妻籠 この一里塚見たことあるような 南木曾へ行った通った道では無かったか? 妻籠が馬籠からずいぶん離れたところにあるのに驚いた覚えがある。

この集落もいなかの良い雰囲気がある集落。うだつがある家々。 出し梁作りの家。観光客を意識してか 濡れ縁にはディスプレーがお洒落。

Dasibari Dhisupurei

 

Ryokan

大妻籠の集落をこえて 神明に至る。 ここに石柱道標がある。その場所は人家の中にあり見せてもらうのも憚られるような変なところにある。 道がどんどん変わっている証拠だね。

石柱道標 飯田街道と中山道の分岐を表わす道標はその頃の名士(松井 藤原 今井)と商人達が作った物らしい。 ずいぶん栄えていたようだ。もっとも 道標がたてられたのは明治の話。江戸じゃなくて東京って書いてある。

Sekicyuudouhyou 川のせせらぎを聞きながら里の風景を楽しむ。街道から外れた農家も良い感じ。ほっとする 懐かしい。

Kanson川沿いの道を歩いているうちに 妻籠へやってきた事を感じる。

今日この道を歩こうと思ったのは 今日はちょっとした時代行列があることを知っていたから。 どこかの神社のお祭りらしいのだけれど 人が溢れてくる。

コメント (2)
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中山道を歩く 馬籠から馬籠峠へ

2007-11-23 12:00:00 | 山歩き

23日金曜日は 私の仕事が休みの日。 祭日と重なった。こういう事は滅多にない。

亭主殿がカレンダーに赤丸を付けて待っている。ちぇっ 面倒見るのか・・・・と内心思いつつ 二人でいけるところを探す。

この日名鉄のハイキングで馬籠から妻籠コースがあることを思い出した。これは丁度適当なコースだ。しかし 家からそう遠くないのに わざわざ名古屋まで出かけて参加することもないさと マイカーで 行くことを決める。

東海道も 中山道も だいたい近くに線路が走っている。 中山道は中央線 東海道は東海道線。 ところが 妻籠から馬籠の間は 駅から行くには割合不便 車で行っても電車が使えないので ピストンを余儀なくされるのか?と 少し諦めていた。 しかし バスが沢山出ていることがわかったので 安心して中山道を歩ける。

祭日だもの 沢山の人 恵那の辺りから大渋滞。 幸いひっかからないで 中津川を降りる。恵那山が白く雪化粧して綺麗。 これは期待できる。 馬籠で駐車場に迷い(まだたくさんあった。あまりありすぎて何処において良いやら)馬籠の宿の上の方に置いてしまった。 ここから妻籠まで歩いて 乗り合いバスにのって戻り 馬籠の宿を散策して帰ることにする。

家から割合近いこともあって 駐車場はまだがらがら。何処において良いかわからないので 陣馬の東屋の脇に駐める。 恵那山真正面

Enasan 陣馬は馬籠の宿の上の端に当る。おそば屋さんの前に高札場がある。何時の時代の物を再現した物だろうか?一気にタイムスリップしたような気分になる。

Kousatuba

石畳の道を上っていって民家の庭を通る。 いや~ 今日は沢山のひとだもの迷惑なことだろうね。

ずっと石畳の道に誘われて進む。 しかし待てよ。どう考えてもこの道新しい。 一気に冷める。全体に 特に馬籠では作られた古い町という気がしてならなかった。 復元は元々そうなるので仕方ないのだけれど 少し違和感

もう一つ悩まされたのが 中山道があちこちで寸断されていたこと。少し良い気分で歩いていると 直ぐに自動車道路に出会う。 平成と江戸の出会い~とは思えない。恵那山の脇を通る東山道もそうだった。 地元のくらしが大事 でももう少し何とかならなかったのかな?

Suishazuka この前の道は梨の木坂と言うけれど 梨植わっているのかな?丁度渋柿の収穫をしていた。 とてもおいしそうだけれど渋柿 皮をむいて吊す。 寒風にさらされて 時々揉まれて柔らかく甘くなる。

Kakisudare2三度ほど車道を横切り進むと十返舎一九の碑まで行く。

双体道祖神は 月日を経てよく見えなくなっている。

Dousojin 

農家の軒先に腰掛けて何かを食べている人がいた。 何もこんな人のうちの軒先でご飯食べなくても~ と思いきや 農家でふかし芋を売っているのだった。何とも商魂たくましい。

と言っても私達も1個だけ買って 直ぐ先の東屋で半分こ。 ここで ポットのお湯で珈琲を淹れる。今回は 何でも買えると思ってお茶さえ買ってくるのを忘れた。

Jyuppennshaikku Tougenookasiranohi  

この辺り峠の集落。昔民間の輸送に使われていた牛「岡舟」の仕事に関わっていた人々の集落。1762年の大火で焼けてしまったらしい。その後火事も起きていないので 結構沢山のうちが連なっている。

Kakisudare

Kikyouya 山あいの小さな集落だけれど 何か懐かしい。 ここで今も生活を営んでいることに 感動さえ覚える。

ここから更に登っていくと馬籠峠に出る。

Kumanojijya

馬籠峠 昔の旅人を悩ませた難所の一つだけれど 近年頂上を十数メートル削ったんだとか???? へっ どうして?

十数センチじゃそう楽な道になったとは思えないし・・・

Magometouge 峠からの景色は美しい。丁度見頃の紅葉は 日の光を受けて輝いていた。

特に見える山は南木曾だろうか? 

去年登って 私の山登りの考え方を根底から揺るがすことになった山。 山登りのスタイルの転機になった山。

そんなことを考えていた。 後であの山は伊勢山1373メートルとわかる。

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