Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

ちょっと寄り道 東海道関宿

2014-04-15 22:05:10 | 旅行記

笠置山からどっちへ行くかかなり迷いました。
北上して奈良へ その後京都回りで帰るか・・・・・  京都からは連絡良いんだけれど あの混み様を思い出すと気が乗らない。
やっぱ関西本線で帰りますか?

そうだ 関宿へ行こう

前も行ったことあるけれど 風情のある宿場町だった。

Sekijyuku駅からまっすぐに5-10分歩くと 旧街道に出る。

東海道53次のうち47番目の宿場町
鈴鹿の山越えをすると京都は近いと言うことですね

関宿の関は関所の関

古代3関の一つ鈴鹿の関が置かれていたことからこの名前があるそうです。

駅からぶつかった街道は東西追分から全体の三分の一程の所にあります。

ここから西の方に歩いてみましょう。

次の電車まで一時間強の散歩です。

それにしても人通りなさ過ぎ。 日曜日だって言うのにね。 稼ぐ気は無いのかしら?どの店も閉まっていますわ。

Sekijyuku2ほらね

あの車が無かったら時代劇の撮影に使えそうです。
うだつのある家が何となく曲って続いています。

Karutaこんなカルタで関宿の見所を案内しています。

表にある柱のわっかは牛や馬を繋いでおく金具らしいです。

Toiyabaato問屋場跡とありますがそれらしい感じは無く 屋台蔵のようでした。
それに新しい。

本陣跡も石碑のみ

良く残っている宿と思っていたけれどなぁ

Map前に来たときと比べると随分整備されています。
沢山の旅人が往来した頃を再現したと言う事でしょうか?

お休み所も 資料館も 町並文化センターも・・・・
至れり尽くせりです。

百六里庭(関宿の町並の中にある小公園  江戸から百里の所にあるのでこの名前があるそうです)別名 眺関亭でちょっと休憩
この二階から関宿の町並が見えると言う事でしたから

Higasi東の方に続きます。

この先は亀山です。

Nisi西の方に続きます。

この先は坂下の宿 そして鈴鹿越えが待っています。歩いたこと無いですが 厳しい道だと思います。

Yane丸みある 屋根の形は起こり屋根

とカルタに書かれていました。

面白い屋根です。 橋爪家の屋根です。代々両替商を営む橋爪家は江戸にも出店を持ち大阪のこうのいけ家と並び称されたとのこと

こうのいけ? あの鴻ノ池グループ?

江戸末期は芸者置屋だったって

道路に面して三角の方が(つま)が出ているのはとても珍しいのだとか

そういえば見ないですね?

手すり付きの二階もなかなかお洒落です。

Mado窓? 灯り取り?

面白い形をしています。
旅籠玉屋です。

関で泊るなら鶴屋か玉屋 まだも泊るなら会津屋か・・・・と言われるぐらいの大旅籠だそうです。

今は資料館?
安藤広重の浮世絵が展示されているそうです。

泊れるんかなぁ?

Kousatuba高札場

Sekinoto関の戸の看板が見えます。
庵看板と言ってちょっとした工夫がされています。

看板の文字は京都側が漢字 江戸側がひらがなで書かれています。
旅人が向う方向を間違わないようにと言う思いやりだそうですよ。

関の戸 好きなお菓子です。
求肥のお餅にあんこが入っていて 更に和三盆にまぶされています。
甘いです。
でも小さいので食べられます。 お抹茶と良く合います。

Jizouin地蔵院までやってきました

これまでの道は中町の町並のようです。 東に木崎の町並 西に新所の町並

三分の一を歩いたことになりますか?

資料をもらって亀山の宿 坂下の宿 鈴鹿越え・・・・繋いでみたいと思いました。

またゆっくり来ることにしましょう

コメント (2)
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笠置寺修行場巡りⅡ

2014-04-15 09:34:11 | インポート

胎内くぐりをしたので私の身体は浄められた・・・・・・はず

先に進みます。Taikoisi

びっくりするような大きな石が乗っています。バランス大丈夫かいなぁ?
このでっかい石 たたくと太鼓の音がするとかで太鼓石と言われているそうです。

知らなくてたたいてみなかった
でも 負け惜しみではないけれど 太鼓の音がするなんて・・・・・ねぇ

こんなにでかい石が響くとは思えない。

Kizugawa_2 時々展望が開けて 蛇行する木津川が見える。
お天気があまり良くなくて霞んでいますけれどね

地図を見ると住吉神社 国津神社 天照御門神社・・・等が見えているはず

その先は伊賀上野

伊賀上野? 三重県ですけれど・・・・笠置の位置が本当に不思議なところにあると実感。

Kobanomitubatutujiコバノミツバツツジのつぼみも堅い

Yurugiisi揺るぎ石

実はここは後醍醐天皇が鎌倉幕府の奇襲を受けたところ

この石は奇襲に備えて武器として使いたいとここへ運んだとか

下に隙間があったのでみんなが動かしてみたんだと思い切り踏ん張って押してみる

ううう~~~動かん

本当に武器としてここまで運んだの? 信じられん。

Kiriyama北側を見る

山の中腹に人家が建っている。不便だろうなぁと思いながらも その景色はなんだか優しくて桃源郷のようにも見える。

好きだな こういう景色

Byoudouiwa見上げるような大きな岩です。

平等岩と名付けられていますが 意味がよくわかりません。

この岩の回りを回って行をしたのだそうですが左手の方を登って降りようとすると ちょっと切れていて難しい。

この岩に人がよじ登って座っている写真を見たことがあります。 膝に自信が無いので無理はしません。

Arinotowatari平等岩の右下をくぐって行きます。

狭くて有りさんの様に一列にならないと行けないのでこの名前がついていると。。。。

伊勢山上では細い馬の背のような岩の上をどきどきしながら進みましたが

Byoudouiwa2

しばらく進むとちょっとした広場に出会う。

Ninomaru東屋が建っているけれど ここは二の丸跡

と言っても建物が建てられた形跡はないそうで 東屋の向こう側が少し小高いので あちらを本丸と見立てて 少し下がったこの場所が二の丸

太平記に「笠置の城は山高くして・・・」とあるそうですがおかしいですね

Momijikouen

本丸の横を抜けて進むと左下に紅葉公園が見えてきます。 

何人かのパーティーが 休憩していましたが あの人達もお寺の山域に入ると言う事で 入山料払うのでしょうか?

Kaifukiiwa貝吹き岩

貝に似ているからかしら?と思ったのですがそうでは無くて元弘の戦いの時に見方の四季を高めるためにこの岩の上で盛んにホラ貝を吹いたことから名付けられたようです。

ここの平等岩のように登りにくい岩です。

Sakura桜の名所で有名な笠置山ですが 麓では桜満開のようでしたが どうしてか山頂はあまり桜ありません。

Gyouzaisyo笠置山の山頂に後醍醐天皇の行在所跡があります。

長~い階段を見上げてなんだか気が削がれて行きませんでした。
あとから見ると 石の玉垣がめぐらされた行在所あとのようです。

西ののぞきもあったようでちょっと後悔

ここに後醍醐天皇をお迎えしたことで この山が戦場となり 全山焼失し衰退をむかえることになりました。

この山で政治の中心としてやっていくことは考えにくいですが 残念な歴史の一ページです。

宝蔵坊あと 大師堂と巡って元のところに戻ってきました。

笠置山の文化財は収蔵庫で保管されていますが 今回見ることはありませんでした。
下の方にあるわかさぎ温泉笠置憩いの館へ急ぎます。
時々あられがぱらぱらしたりして変な天気です。 寒い

Shadou

 

 

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