笠置山からどっちへ行くかかなり迷いました。
北上して奈良へ その後京都回りで帰るか・・・・・ 京都からは連絡良いんだけれど あの混み様を思い出すと気が乗らない。
やっぱ関西本線で帰りますか?
そうだ 関宿へ行こう
前も行ったことあるけれど 風情のある宿場町だった。
東海道53次のうち47番目の宿場町
鈴鹿の山越えをすると京都は近いと言うことですね
関宿の関は関所の関
古代3関の一つ鈴鹿の関が置かれていたことからこの名前があるそうです。
駅からぶつかった街道は東西追分から全体の三分の一程の所にあります。
ここから西の方に歩いてみましょう。
次の電車まで一時間強の散歩です。
それにしても人通りなさ過ぎ。 日曜日だって言うのにね。 稼ぐ気は無いのかしら?どの店も閉まっていますわ。
あの車が無かったら時代劇の撮影に使えそうです。
うだつのある家が何となく曲って続いています。
表にある柱のわっかは牛や馬を繋いでおく金具らしいです。
問屋場跡とありますがそれらしい感じは無く 屋台蔵のようでした。
それに新しい。
本陣跡も石碑のみ
良く残っている宿と思っていたけれどなぁ
前に来たときと比べると随分整備されています。
沢山の旅人が往来した頃を再現したと言う事でしょうか?
お休み所も 資料館も 町並文化センターも・・・・
至れり尽くせりです。
百六里庭(関宿の町並の中にある小公園 江戸から百里の所にあるのでこの名前があるそうです)別名 眺関亭でちょっと休憩
この二階から関宿の町並が見えると言う事でしたから
この先は亀山です。
この先は坂下の宿 そして鈴鹿越えが待っています。歩いたこと無いですが 厳しい道だと思います。
とカルタに書かれていました。
面白い屋根です。 橋爪家の屋根です。代々両替商を営む橋爪家は江戸にも出店を持ち大阪のこうのいけ家と並び称されたとのこと
こうのいけ? あの鴻ノ池グループ?
江戸末期は芸者置屋だったって
道路に面して三角の方が(つま)が出ているのはとても珍しいのだとか
そういえば見ないですね?
手すり付きの二階もなかなかお洒落です。
面白い形をしています。
旅籠玉屋です。
関で泊るなら鶴屋か玉屋 まだも泊るなら会津屋か・・・・と言われるぐらいの大旅籠だそうです。
今は資料館?
安藤広重の浮世絵が展示されているそうです。
泊れるんかなぁ?
関の戸の看板が見えます。
庵看板と言ってちょっとした工夫がされています。
看板の文字は京都側が漢字 江戸側がひらがなで書かれています。
旅人が向う方向を間違わないようにと言う思いやりだそうですよ。
関の戸 好きなお菓子です。
求肥のお餅にあんこが入っていて 更に和三盆にまぶされています。
甘いです。
でも小さいので食べられます。 お抹茶と良く合います。
これまでの道は中町の町並のようです。 東に木崎の町並 西に新所の町並
三分の一を歩いたことになりますか?
資料をもらって亀山の宿 坂下の宿 鈴鹿越え・・・・繋いでみたいと思いました。
またゆっくり来ることにしましょう