バタバタしているうちに最後のレポが今までかかってしまいました。
なかった事にしても良いような話ですが どうにも気持ち悪くて先に進めないので
目に留まったら 読み飛ばしてください。
私の覚えに書いているようなものです。
暑い 余りに暑い
エンゼルランドに寄って 子どもたちを遊ばせます。
大人のつきあいは 子どもたちにとって退屈ですからね
洋服脱ぎ捨てて パンツ一枚で大騒ぎ
さて 一乗谷行きます。
朝倉氏は東海地方に住んでいる私に取っては信長にとって敵というイメージがあるので 余り興味がありませんでした。
お市の方を仲立ちにして兄弟となっていたはずの淺井を味方に引き込んだのは朝倉です。
それをきっかけに淺井三姉妹の歴史が変わってきました。
そうはいっても 福井へ来たらやっぱり行きたい。
少し前に ソフトバンクのコマーシャルで一乗谷をロケ地として放映されたので 一寸興味が湧きました。
それに たかさんが去年秋に行っていらして にわかに興味が出てきます。
道の駅を過ぎて奥に入って行きます。
こんなに山奥に・・・・不思議です。 あの天下の朝倉がこんな山奥を拠点としていた?
一乗川の左右に広がる 屋敷跡は 川を挟んで一乗谷城 侍屋敷跡 寺院 町屋などが広がっている。
その距離1.7キロメートルほど そこにその当時一万人ほどの人が暮らしていたとか
今福井市の方が賑やかになってしまったので 不思議に感じたのですが 天然の要塞を利用した街造りと考えるとなかなかです。
歴史から忘れられてしまった遺跡は長いこと 田畑のしたに埋もれてしまっていたとのこと
これだけの立派な城下町を掘り出して 再現 凄いです。
建物は商人達の町屋が一部再現されているだけですが その周りは礎石が 石段が 綺麗に発掘されていて それを見ているだけでも私がタイムスリップしているような気分です。
残念ながら妹は職員旅行できたことがあるので車で待つ と言い 母を連れ出したものの 暑くて 倒れるといけないので 半分だけ歩いて見ようと 一寸ショートカット
元気に全行程歩いたのは 娘とちび
元気だぜ
朝倉館正面に 唐門
とても古い感じなので当時のもだと思ったけれど そうでは無く江戸時代のものだそうです。
館の門では無く 朝倉義景の菩提を弔うために建てられた寺の門だそうです。
堀の役割を果たしていたのでしょうね?
鯉が泳いでいる川はかなり深そうです。
城は山を利用して 上の方まで曲輪が作られているようでした。 石垣があちこちに残っています。
空堀のように見えます。
明らかにお屋敷の庭跡と思われる石組みもありました。
一寸見ただけでもとてもひろくて立派な屋敷であり 城下町だと言う事が想像できます。
無骨な三河武士と比べると 京都の公家文化も花開いた場所だと聞いた。
そんな街だったから 将軍を招いて自分の保身を計ったのかもしれない。
なんて考えながら 暑さで喘いでいる母を気遣い 川端を歩いて帰った。
中途半端な歩き方で惜しいことをしました。
もう一度 一人でゆっくり歩いて見たいと思います。
勉強して行かなかったこと 大失敗でした。
さて母の御祝旅行と称して みんなやりたいこといっぱいやった旅行でした。
また こんな機会が出来ると良いなと思いながら 高速を走ります。
なかった事にしても良いような話ですが どうにも気持ち悪くて先に進めないので
目に留まったら 読み飛ばしてください。
私の覚えに書いているようなものです。
暑い 余りに暑い
エンゼルランドに寄って 子どもたちを遊ばせます。
大人のつきあいは 子どもたちにとって退屈ですからね
洋服脱ぎ捨てて パンツ一枚で大騒ぎ
さて 一乗谷行きます。
朝倉氏は東海地方に住んでいる私に取っては信長にとって敵というイメージがあるので 余り興味がありませんでした。
お市の方を仲立ちにして兄弟となっていたはずの淺井を味方に引き込んだのは朝倉です。
それをきっかけに淺井三姉妹の歴史が変わってきました。
そうはいっても 福井へ来たらやっぱり行きたい。
少し前に ソフトバンクのコマーシャルで一乗谷をロケ地として放映されたので 一寸興味が湧きました。
それに たかさんが去年秋に行っていらして にわかに興味が出てきます。
道の駅を過ぎて奥に入って行きます。
こんなに山奥に・・・・不思議です。 あの天下の朝倉がこんな山奥を拠点としていた?
一乗川の左右に広がる 屋敷跡は 川を挟んで一乗谷城 侍屋敷跡 寺院 町屋などが広がっている。
その距離1.7キロメートルほど そこにその当時一万人ほどの人が暮らしていたとか
今福井市の方が賑やかになってしまったので 不思議に感じたのですが 天然の要塞を利用した街造りと考えるとなかなかです。
歴史から忘れられてしまった遺跡は長いこと 田畑のしたに埋もれてしまっていたとのこと
これだけの立派な城下町を掘り出して 再現 凄いです。
建物は商人達の町屋が一部再現されているだけですが その周りは礎石が 石段が 綺麗に発掘されていて それを見ているだけでも私がタイムスリップしているような気分です。
残念ながら妹は職員旅行できたことがあるので車で待つ と言い 母を連れ出したものの 暑くて 倒れるといけないので 半分だけ歩いて見ようと 一寸ショートカット
元気に全行程歩いたのは 娘とちび
元気だぜ
朝倉館正面に 唐門
とても古い感じなので当時のもだと思ったけれど そうでは無く江戸時代のものだそうです。
館の門では無く 朝倉義景の菩提を弔うために建てられた寺の門だそうです。
堀の役割を果たしていたのでしょうね?
鯉が泳いでいる川はかなり深そうです。
城は山を利用して 上の方まで曲輪が作られているようでした。 石垣があちこちに残っています。
空堀のように見えます。
明らかにお屋敷の庭跡と思われる石組みもありました。
一寸見ただけでもとてもひろくて立派な屋敷であり 城下町だと言う事が想像できます。
無骨な三河武士と比べると 京都の公家文化も花開いた場所だと聞いた。
そんな街だったから 将軍を招いて自分の保身を計ったのかもしれない。
なんて考えながら 暑さで喘いでいる母を気遣い 川端を歩いて帰った。
中途半端な歩き方で惜しいことをしました。
もう一度 一人でゆっくり歩いて見たいと思います。
勉強して行かなかったこと 大失敗でした。
さて母の御祝旅行と称して みんなやりたいこといっぱいやった旅行でした。
また こんな機会が出来ると良いなと思いながら 高速を走ります。