天香久山から畝傍山までは結構あります。
線路を越えて 神武天皇陵まで行って 古い人家の中をくぐるように山を巻いて裏の方から登ります。 登山道はいくつかあるようですが 橿原の町を少しでも無駄なく歩くためにはこの方法が一番良さそうです。
名前からも分かるように法然上人ゆかりのお寺で二十五霊場の十番目
中は覗かないで通り過ぎる
いまは何も無いが昭和40年の発掘調査で 講堂跡 金堂跡 中門跡 南大門跡 回廊跡・・・・等が確認されたという。
明治11年頃までは礎石の一部が残っていたと言うから惜しいことをしたね。
ここの瓦は紀寺式軒瓦と呼ばれるものだそうだけれど よくわからない。 実物も見えないし・・・
この紀寺は明日香村のキテラに由来していると言うから それもなかなか面白い。 キテラって日本語ではないような面白い音と思っていたけれど 紀氏の氏寺と聞くと納得がいく。
地図には本薬師寺跡とありましたが 元薬師寺とどちらが一般的なのでしょう?
いずれにしろ 薬師寺の元です。
天武天皇がお后の持統天皇の病平癒を願って作られたお寺です。
平城京遷都のさいに 移されましたので元です。
いまは礎石が並べてあるだけで何も残っていませんが 雰囲気がある場所でした。
時代から取り残されてしまったような風景でしたが 静かで何かを語りかけているようです。
電車の駅を越えます。 地下道を通って向こう側に行くと急に町になって来ました。
正面に見える畝傍山を目指して歩きます。
まるで伊勢神宮にでも迷い込んだような大きな森でした。
参道を歩いてついた場所がここ
あまりの大きさにびっくりです。神武天皇陵です。 地図で見ると方墳のようでした。
神話の時代の神様で初代天皇
さすがです。
この道を使って畝傍山を巻き大谷町の人家から山に入ります。
地元の人々の散策路らしく いろんな人に出会います。
人家を抜けて たどり着いたところは畝火山口神社」(おむねやま)
飛鳥 石村 忍坂 長谷 畝火 耳成の一つ 祈雨神祭85座の一つ
小さいけれど 由緒ある神社なんだろうね
立派な舞殿です。
さていよいよ山登りです。 標高199メートルです。 沢山歩いて少し疲れまいたが 大丈夫です。 長くなったので 続くにしましょう。
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