昔 伊吹山の中腹に太平寺というお寺があって そこに小さながあったと言う記事を見たことがあります。 その集落は 伊吹山の8合目までそばを植えていたと・・・
厳しい自然にみんなで山を下りようと決め 集落は伊吹鉱産に売ったのだと・・・ 昭和30年代のことだったと聞いて その場所が何処にあるのかとても気になっていました。 調べようにも 愛知県民としてはなかなかその資料を得る方法を思いつきませんでした。
人に会う度にそのことを訪ねていてどうやらその場所も分かってきました。 そして 伊吹山そのものが日本武尊の時代から歴史の舞台に上がっていて そこに沢山の人々の営みがあったことを知り胸が熱くなりました。
そんな私の気持ちを知って山中間のジオンさんが 弥高尾根の登山を計画してくれました。すごいです。伊吹山丸ごと感じることが出来ます。 そして弥高寺は私が探していた太平寺とも縁が深かったのです。
平安時代に天下の七高山に数えられた伊吹山 巨石信仰等に見られるように山に対する原始的な信仰であがめられていた伊吹山はやがて起きる密教と結びつき修行の場として伊吹山寺の場所となります。
伊吹山寺は やがて弥高寺 太平寺 長尾寺 観音寺に別れ 山岳信仰はこの四ヶ寺と伊夫岐神社 三之宮神社を中心に展開するのです。
これはものすごい規模です。 今回回る弥高寺は標高714メートル ずいぶん高いです。 ここに本坊があったようですが 弥高百坊と言われる沢山の僧坊があったと思うと心が高鳴ります。伊吹山は空まで続く僧坊で埋め尽くされ 人々は辛み大根(昔から作っていたらしい)やそばを作っていた。
その後 京極氏の台頭に寄って 僧坊は城として代用されます。ちょっと前まで大河ドラマで京極氏が脚光を浴びていたので 少し書いておきます。
京極氏は宇多天皇の流れをくむ名門です。 近江源氏佐々木氏として有名です。 前に滋賀県の衣笠山に登ったときに佐々木氏(六角氏)の観音寺城跡を見たことを思い出しました。
鎌倉時代に佐々木氏が京極氏 六角氏 大原氏 高島氏に別れます。 南北朝時代にはバサラ大名で有名な京極道誉の活躍で室町時代に幕府の四識家として中央政権で重要な役割を果たすようになります。
最近歴史ブームに乗っ取ったゲームにバサラ大名が登場しますが 銅像を見てあまりに様子がおかしいので ちょっと笑ってしまいました。 むかーしの大河ドラマでは陣内孝則さんがやっていたような気がします。
その後戦国時代に入り跡目争い 有力家臣の一族争いなどで 京極氏の名前が歴史から消えていきます。 浅井三兄弟の初と結婚した京極高次は 実は初の従姉妹です。 小谷城で生まれた高次と弟の高知が京極家を再興するようになります。
勝ち馬に乗るのが高次のやり方だと・・・・
京極龍子が秀吉の寵愛を受けていたこと 大津籠城戦などをおもうと勝ち馬に乗ると言う家訓は本当かもねと思ってみたり そんな生き方を美しくないと思ったり 家族 家臣を養うために必要な選択だったんだと思ったり
その後初とともにキリスト教の洗礼を受けたことなどを考えると いつもぎりぎりの選択を迫られていた人生だったのかもしれない。
とりとめもないことを書きました。 一つ一つを大事に書くときりがないので これで辞めます。 これから登る弥高寺への思いを少しでも分かってもらえたら・・・・と
何とか一ヶ月を取り戻そうと思って一所懸命書いていますが ずいぶん忘れているところがあるようです。
ダメですね せっかく連れて行っていただいたのに
ジオンさんところも大忙しでしたか? なんだか二週間ご飯ばかり作っていた気がします。 チビもずいぶん成長してごそごそ悪さをして回り てんてこ舞いでした。
成長は嬉しいけれど 大変でした。
伊吹山の新しい情報楽しみに待っています。
24日の件 もう二三日お待ちください。Kさんの法の出席情報など聞いてから判断します。 勝手言って申し訳ないです。
どらさん、
やっと、孫ちゃんから開放されたかな?
私もこの週末は息子が揖斐川マラソンに出場するために、
家族で帰ってきていて
仕事と、帰ってからは、
食事、孫ちゃんの世話と、、、、、、
ちょっと疲れました。(^_^;)
孫は「来て嬉し、帰って嬉し」です。
歴史的な舞台の伊吹山
その後の関が原の合戦など
その前に壬申の乱など、、
今度は源頼朝が隠れたと言われる
大吉寺の山、天吉寺に登ってきます。
伊吹周辺は面白いです。(^^)v
春に清滝山に行きましょう
京極是清のお墓があるお寺から登ります。
しだれ桜が有名ですよ。(^^)v