最近出された本に「城」というのがある。 週刊なので一回一回はたいした金額ではないけれど100冊あるので気付いたら大枚はたいていると言う本。 前にアンティクな旅館シリーズを買い始めて止めるに止められず12万円以上使ってしまったという苦い経験がある。
ちゃんと作ったのならまだしも 定年になったら・・・・とおいといたのがどうにもやる気が起きなくて只のゴミになっているから
だから同じ失敗はしないよ・・・・と決心したものの これから山歩きがもっと出来なくなるかもしれない。そんなとき山城を回って歩くのも良いのではとまた気持ちが揺らぐ。
ま 工作ものでは無いから 価値が無いと思ったら止めても良いし
前置きが長くなりました。
苗木城のCGです。
知っている城の様子から見るととても不思議な出で立ちで釘付けになってしまいました。
折しもNHKの金トクで昇太さんの解説で苗木城が紹介されていて・・・・これ行ってみるしか無いでしょう。
これまで舞台峠回りで下呂に行くときは何度も通った道です。 城跡がある事も知っていました。 知らないと言うことはもったいないことで 一度でも行ってみようと思いませんでした。
17日 日曜日 ピーちゃんもお休みです。ピーちゃんには物足りないと思われる山行きで消極的なお誘いになってしまい「行きたくないのか?」と思われてしまいましたけどね。
不思議な城じゃないですか? 清水寺みたいな様子です。 かけや作りって言うそうです。(清水寺がそう言うかどうかは知りません)
三之丸へ繋がる駐車場に車を駐めて歩き出します。
何とのっけから雪です。 この冬まだ積もった雪を見たことが無いのでテンションアップです。
右手には足軽長屋があったとのこと
足軽はまずここによってそれぞれの懸りの場所に付いたのだとか
稽古小屋 宿舎等が建っていたらしいのですが狭くて とても想像が付かない。おまけに隣には龍王院という城主遠山家の祈祷暑があったとのこと・・・・
信じられん。
ここで城内の地図をゲット
ふつう 城の案内とかあるのだろうけれど この地図が私達のテンションを更に高めた。江戸時代のものだろうか? 苗木城跡の見取り図だった。
これを手にくまなく歩いて見ることにする。 これね 実に楽しかったのです。 今まで何度か城巡りしたけれどこういった歩き方は初めて。
天守まで15分と言うのに全然先に進めない。
あそこまでどんなわくわくが待っているでしょうか?
大矢倉は頭の上にそびえ立つようです。石垣でさえそう感じるのですから 建物が建っていたときにはどんなに立派だったか・・・ 矢狭間唐雨のように降ってくる矢に太刀打ちできるはずがありません。
ここから右に広がる渡り廊下のような石垣城には厩が有り 薪や材木小屋が 干し草もあるようですよ。
大矢倉から天守を臨みます。 矢倉は特別に高く作ってあるようです。
中庭に材木倉などがあった事を知るととても生活感を感じます。
当時の生活が目に浮かびます。
城の裏側には牢屋もあったようです。
行く人がいないのかちょっと雪が・・・・
なんという長い霜柱でしょうか?
東濃は雪はあまり降らないけれど凍るんだと聞いていたけれど なるほどです。
こんな大きなつららが下がっている。
牢屋の跡は大きな岩の上に雑草が茂っているだけ・・・・
ここに2間×4間の牢屋があったとは思えません。 畳6畳が縦に二つあるぐらいです。
例のかけや作りって言うのですね? 大きな岩よりはみ出して作られていたので土地はなくてもそれなりの部屋が出来たのでしょう。
明治時代まだ使われていたようで苗木藩の政争の時に沢山の上級武士が収監され処断されたようです。
胸の痛む歴史です。
戻って大門をくぐります。城内で一番大きな門です。 この門が開くときは城主が江戸に建つとき 戻ったとき 正月3が日等特別な日だけで普段はしまっていたと。
どうやって入るの?
潜り戸が付けられていて普段はそこを使っていたようです。
すぐに御朱印倉(昔から徳川家から戴いたもの 御朱印や御奉書 刀剣などの宝物をしまっておく蔵です)跡を通り綿蔵門 坂下門菱樽門へと続きます。
人が立っているので大きさは想像できるでしょ?
この広さに台所 下男部屋 書院 二の間 広間 次の間 居間 中の間 女中部屋 味噌蔵 つきや等々
おまけに築石を配された庭まであるようです。
あ 的場もありました。
まるで魔法の国です。 これもかけや造りのなせる技。 凄いことです。 この山は巨石が一杯で石をどかして平地を作ることは大変なのでそれなら自然を生かして足りないところは空中に作ってしまえ・・・・と言うところですね?
山城では水の確保は絶対条件だと思いますが この山頂近くの井戸は今でもこんこんと水が
これは強みですね
武士はいつも鍛錬を行わないと・・・ですね?
真ん中にまん丸い石が・・・・
ここにも巨石があってそれを巻くように石を積んだ結果ですね?
むむ? ここは自然の地形を生かした結果五角形のようになりました。
西洋のお城のようです。
武器倉 具足倉・・・なるほど
16メートル×6メートルだとか
そして天守です。
今は残念ながら何も残っていないのです。 かけや作りの様子が分るように木組みが展示されていて展望台になっています。
城主気分は上々です。
恵那山 富士見台など雪をかぶったなじみの山が連なっています。
美しい~~
眼下には木曽川です。
遠山のお殿様はこうして中津川の城下を眺めながら暮らしていたのですね?
かけや造りのおかげで我が家より遙かに小さな土地と思われる山頂に(高森山432メートル)台所 居間 次の間 千畳敷・・・・と作ることが出来たのです
それにしても千畳敷って・・・・・土地だけ見ていたら3畳ほどしかないよ
絶景を二人締めしながら
今日はささやかにビーフシチューとパン ドリップ珈琲です。
周回するつもりだったので馬洗い岩の方へ降りたのだけれど どうにも行く道がない。
さすが城です。 道が見えるのに繋がっていない。 まるで迷路です。 簡単に見取り図が見えたらまずいよね
笠置矢倉って言うのを左にいけば良かったのかもしれないけれど巨石がせり出していてちょっと二の足を踏む
仕方なく大門まで戻って見る。下へ降りてしまうかと思う道を見つけて進むとこれが清水門に続いていた。 はぁ
特に建物が建っていたとの記述はなかったけれど段々畑の様に石組みがあります。城を取り囲む塀だったのでしょうか?
巨石の間に八大龍王です。
確か雨を司る神様だったと思うのだけれど
古地図のおかげでとても楽しい城廻が出来ました。
展示の仕方もとてもわかりやすくて楽しかった。 テレビの影響か案外沢山の人が来ていました。
小さな山なのにとてつもない大きな城でした。 在りし日の姿が残っていないことが本当に残念。 これは資料館で確かめるしかないでしょう・・・と寄る予定無かったのに迷わず寄ったのでした。
お元気そうで良かった。
面白そうなお城、、今度行ってみます。
また、伊吹野も来てくださいね
パソコンの調子が相変わらず悪いので気ままに更新を続けていますが 日付を合わせているので 過去のレポートとして更新してるのですよ。
ま いつ見ても寝過ぎた話が一番上に来るので気になって そろそろ新しいレポを・・・・とかいたわけです。
あまり出かけられないことは相変わらずですが
伊吹野雪はもう積もっていませんか? セツブンソウはもう咲いていると言う情報もあって気にしています。
今年は暖冬なので案外早いのではないかと・・・・
ピーちゃんを連れて行きたいと思っていますが 天気と都合と 花の見頃と・・・・難しいです。
賤ヶ岳は山本山からですか? 何とか行けると良いなと思っています。
良いですね~~!
一緒に楽しませていただきました。(*^_^*)
城跡でのランチ、美味しかったでしょう♪
パソコンがご機嫌悪くてなかなか開けなくて・・・まだ 買って2年なのにいやになっちゃう。
直す気力も無くてだましだまし・・・・
こそっと過去の記事ばかり書いているので 誰も来なくなりました。 笑
見た目は只の石垣ですけれど なかなか面白い城廻でした。
古地図で回るって良いですよ。
遠山のお殿様と同じ目線で城下を眺めながらご飯食べました。
景色が良かったので みすぼらしいビーフシチューでしたが美味しく食べられましたよ。