Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

ポ~ヨポヨポヨ さかなの子 ♪  鞆の浦ちょっと歩き

2012-01-13 21:52:04 | 旅行記

尾道を出たのは3時過ぎ もう何処にも行けないだろう

疲れもあるし 早く宿に行こう・・・と思っていたけれど 亭主が「鞆の浦に行こう」という 今日行っとかないと 明日倉敷は無理だって。。。。

でも暗くなってから行ってもねぇ

尾道と福山は隣同士の町だった。 詳しく地理を知っていたら 千光寺公園の展望台から見えたかもしれない。

鞆の浦の名前を何度となく耳にしていたのだけれど どんな町かを全く知らなかった。最近崖の上のポニョを見て 宮崎監督がこの町をモデルにしたのだと知った。また同じ頃 鞆の浦埋め立て架橋計画が持ち上がって 反対派 賛成派に別れて揺れているとも聞いた。

どんな町なんだろう?

Asidagawa
福山の大きな町を抜けて芦田川沿いにバスは行く。 やがて海沿いの漁師町と思われるような集落を走って行く。

その距離どのくらいか 鞆バスで530円だったから 遠いと言えるのではないだろうか? 地図を見ると一番端っこの半島まで来たことになる。

物珍しさであまり遠くには感じなかったけれどね

鞆の浦の歴史は思っていたより古かった。古くは万葉集にもその名前が出て来る。

地理的に 瀬戸内海の海流は満潮になると 豊後水道からと紀伊水道から流れ込み 瀬戸内海のほぼ真ん中にある鞆の浦でぶつかる。 反対に干潮時には 鞆の浦沖を境にして東西に別れて流れ出す。従って 瀬戸内海を横断するには潮流の変わるのを待たなければいけなかったらしく 潮待ちの港として知られていたというのだ。

Tomokou
鞆港についたのは4時頃

まもなく夕暮れである。

「ホテルに入って夕焼けに沈む鞆港を見よう。」なんていう声を聞きながら 良いな 良いな

私達は1時間ほどしたら帰らないといけないからね

まず 対潮楼へ行こう

福禅寺対潮楼 平安時代950年頃創建されたというこのお寺は元禄年間に隣に対潮楼を建てた。いわゆる客殿として作られたようで1711年の朝鮮通信使のもてなしに使われた。この客殿の名前を付けたのはその時の正使洪啓禧だそうです。

中に入ってみると 素敵な景観が

Bentenjima弁天島 仙酔島 等が見えます。

折しもいろは丸を模したと思われる船が入ってきました。 一瞬にして坂本龍馬の時代が蘇ってきました。

龍馬伝で いろは丸沈没に関して それまで才谷梅太郎を名乗っていた坂本龍馬は 紀州藩と談判するに当たって坂本龍馬の名前で対峙します。

Kyakuden

あのシーンがここだったのだ

狭い通りを歩いて鞆城跡に行きます。

元々鞆には大可島城という島がありました。 岬の先端で鞆城址から歩いてもさほど距離はまりません。大可島城は南北朝時代南朝方の兵士が籠城後全滅。

その後村上水軍のものになった。毛利氏を頼ってやってきた足利義昭が住んでいた鞆要害が鞆城の前身らしい。

Ookasimahoumen鞆城址から大可島城址を見る。

先端の園福寺あたりが大可島城跡らしい。

ちなみにこのあたりが崖の上のポニョの中で そうすけが住んでいた家があるそうである。 海へ降りる階段も崖に刻まれているとか。。。。

関ヶ原の戦い以降この土地は毛利氏から福島正則へと所有者が変わり 福島正則は家康の命によってとても立派な城を築いた。

これがあだとなり いらぬ疑いをかけられて鞆城は壊され福島正則は 家康に謝罪することになる。 

仕事を一所懸命するのは難しいことのようである。

Isigaki_2
今残っているのは 石垣のみである。

城の代わりに 福山市鞆の浦歴史民俗資料館がたっている。

この日はお正月休み。 中は見られませんでした。 もっとも時間も無かったですが。

石垣には 地が彫り込まれています。

○とか大とか一とか □とか・・・・

前に豊橋の吉田城でも見ました。 なんのためのものでしょうか?

資料館の裏手には 宮城道雄の像がある。

宮城道雄 春の海の作者であり。 琴の演奏者である。 お正月になると 必ずどこかで聞こえる 「ちゃん ちゃらららららら~ ♪}っていうあの曲である。(分かるかなぁ?)

宮城道雄は8才で失明するが まだ目が見える頃父方の祖父母のいる鞆で暮らしていた。 この曲は その時に目に焼き付けた鞆の浦の景色を曲にしたものだという。鞆へのこだわりは相当な物だったらしい。

Syouka
鞆の津商家

Minka

Toori_3
昭和の匂いがいっぱいする通りを抜けて行くと

Kakurega龍馬宿泊所跡です。

廻船問屋桝屋清右衛門の家だそうです。 いろは丸事件の時坂本龍馬たち土佐海援隊を支援して宿舎として提供していたそうです。

中には龍馬の隠れ家も作られていたようで・・・・

ここも時間切れで中を見ることはできませんでした。

鞆の浦の観光情報センターが気になっていました。時間が無かったので せめて観光案内のパンフレットもらえないかと。。。。

間に合いました。 牛肉コロッケを買って ほっ ほっと言いながらバスを待ちます。

鞆の浦には高架橋が出来る前にもう一度行かなくてはなるまい。

見落としたことが多すぎる。本当に残念 無念 

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坂の町 文学の町 映画の町 尾道

2012-01-12 18:56:11 | 旅行記

さて 宮島を出た私達は 三原行きの電車に乗ります。 たぶん山陽本線 山側を通る電車です。今地図で確認しましたが何しろ聞いたことない地名ばかりで怪しいです。 呉とか通った覚えが無いのでたぶん大丈夫でしょう。 三原からは尾道まで10分ほど。 すぐにつきます。

降り立った駅は目の前に海

ずっと思っていたのですが 瀬戸内海に面しているはずなのに 全然そんな気がしないのです。宮島もそうでしたが 目の前に島があるので 入り組んだ湾の中にいる感じ

思いがけないことでした。 明石や須磨の様に 目の前に四国が見えるものだと思っていましたから。 地図で見ると尾道は向島 因島など大きな島が迫っていて 細い細い湾の中にあるのです。 尾道水道と言うそうですが

後ろには山が迫っていて わずかな平地に家が建つはずもなく 階段状に沢山の家と寺院がひしめき合っています。 これが坂の町と言われる所以ですね?

大林監督の尾道三部作 「転校生」「さびしんぼう」「時をかける少女」の舞台です。 最近ではNHKのてっぱんの舞台でもありました。

坂道を配達する某運送会社のコマーシャルでも登場しました。

さて 私は この三つの町の姿をどういう風に感じられるでしょうか?

Onomitijyou

背後の山にお城が見えます。 尾道城? 誰の城? なんだか断崖にはみ出しそうにたっている城には 説明できない怪しさがありました。

後で調べてみると 城の形をしているだけで観光協会が 歴史的背景の全く無い城を作り 全国城の博物館を作ったのだと・・・・で 今は廃墟になっているそうで  これはあかん あかんよ~

どう歩く? 観光協会へ行って地図を貰ってくる。

まず海沿いに歩いて その後千光寺公園まで登ろう。 そんな風に決めたんだけれど 朝ご飯をしっかり食べていないので ちょっと食べたい。

ほんのわずかある平地に商店街がある。道二本分の商店街。 あらら? でもお正月休みだよ。ほとんど開いていない。 この頃 私の町では正月だからと休む店はほとんど無く ちょっと計算外の結果。

Hayasifumiko
「放浪記」の林芙美子が海を見て座っている。彼女はここに住んでいたらしい。

海が見えた 海が見える

5年振りに見る尾道の海はなつかしい

尾道ラーメンも おのみっちゃんのお好み焼きも 開いている店が少ないので超満員 仕方なく お寿司

Lunch
これで1200円 まぁ 安かったけれど

地元へ行ったら地元の美味しいものを・・・と思っていたので微妙

どこかで食べられるだろうか?

Zousenjyo
狭い尾道水道には造船所が建ち並びあちこちで重機のアームが突き出ている。

てっぱんも 造船に関係した鉄工所が舞台だった。

Noriba
反対側の向島に渡るフェリー乗り場

宮島へ渡るときと同じような簡易フェリー みんなの生活の足

ものの2-3分であちら側に着くらしい。

Mise海側を歩いていてもあまり変化が無いので 左に折れて山側に行くことにする。

電車の線路を越えてすぐにのぼりにはいる。

坂の町だからね

Sanmon_2
少し登るだけで もう町を見下ろす様になる。

てっぱんでお寺の階段を駆け上がっていくシーンが好きだったけれど あれは何処だろう?

ごちゃごちゃしていて あの場所は見つかりそうにない。

この門も何処のお寺のものか よくわからないほど入り組んでいる。

Teraこりゃ迷子になるわ・・・・と言えばこんな言葉が書かれたものが

Tabisuruhitohe
旅する人よ

おのみちを 歩いてごらん

千光寺山に古屋が這い上がる道を

海から風も登ってくる

汐の香を捲きながらあなたへごちそう

坂道をさまようとき

やさしく迎える

山寺のみほとけ・・・・・・

そうだね こんな気持ちで楽しめば良いんだね

Miti

人様のお家の軒先を通る。

Miti3_3

転んだら下までころがりそうだよ

Miti4

敷石は円形に外側に向って・・・これって ひょっとしたら雨水が溜まらないように下へ流れる工夫?

Sanjyuunotou_3
どっしりした三重の塔を眺めて先に行こうとしたら 亭主 いきなり

「歩けん。 ロープウェーに乗ろう」

え~~ 下まで戻るですか?

しぶしぶ戻ることにするけれど けっ!

半分は来ているんだよ。

帰りは歩く約束で ロープウェーに

Ropeway
尾道水道の様子がよくわかる。

左にかかっている橋はしまなみ海道?

Onomiti100メートルそこそこの標高なんだけれど 360度の展望に興奮

向島の先に因島生口島 大三島と島が重なる。

それを繋いでいるしまなみ海道は 自転車で通行できるとかで 昔息子が四国から自転車で渡ったことがある。

これだけ島が重なっていると そりゃ四国は見えなくても不思議は無いね

向島にも思ったより沢山の人々が住んでいる。

帰りは 約束通り歩いて降ります。 文学の小径と呼ばれる道を通って・・・

著名な文学者 尾道にゆかりのある文学者などの作品が刻まれています。千光寺にも寄っていきます。 巨石の上に 丸い岩が乗っているとか お餅のように三段重ねの岩だったり・・・なかなか面白いです。

Kagamiiwa

Kyoseki_3

Tamanoiwa

Sanjyuuiwaそして三重岩

この岩には秘密があったのです。反対側に回り込むと 鎖場になっていて石鎚山って名前がついています。

男坂 女坂のコースに別れていますが・・・・

Isizutiyama_2
手前に大きくせり出していますが いけないことはなさそうです。

でも みんな遠巻きに見ているのです。

無理だよなぁ・・・・って

私 挑戦してみました。 鎖は案外大きいので足がしっかり入ります。 あ 大丈夫・・・と思ったのですが カメラが邪魔で・・・亭主に持っていて貰おうと戻ったら みんなの視線が・・・

あんなばあちゃんが登ろうとしている

って言っていることが感じられます。

と まず ちびっ子がやってみる~と登りはじめ お母さんが「お兄ちゃん危ないからついていってあげて」と 列が出来 やがて 冷ややかな視線を浴びせていたお母さんも「私もやってみようかな?」って

いえ 別に良いんですよ  出来ることは挑戦しないと・・・

尾道が文学の町と言われる所以の一つ 志賀直哉の家と中村憲吉の家

SiganaoyaNakamurakenkiti_3

志賀直哉のお家の前は尾道の海が見える。

こんな景色がみんなに人気があるのだろうか?

しかし亭主が言った。

「こんな所に住めんよ」 もし私の家が志賀直哉の旧宅の辺だったら・・・・・元気なうちは良いけれどねぇ 車は入れないし

尾道が観光に力を入れて 楽しんで回れるようにしているのは痛いほど分かるけれど 実は廃屋がいっぱい。 カーテンがしょうが抜けて ぶら下がっているのはまだしも 傾いて危険な様子になっている家もいっぱい。

住んでいる人は その中で快適に暮らしているけれど 誰にもそれが当てはまるわけではなく 坂道の町がこれからどうなるか ちょっと考えてしまいました。

旅する人よ  の呼びかけと暮らすことの難しさ

Bus

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平清盛ゆかりの地 安芸の宮島

2012-01-10 19:36:58 | 旅行記

正月三が日は お天気は良いはずだった。 暮れから何度も何度もチェックした天気予報はいつもお日様マーク 

よっしゃ~

運悪く 風邪をひいて危ぶまれたけれど とりあえずGO!

正月 みんなで桜井の家に集まって膳を囲んだ後 仮眠を取って湾岸にのる。

安芸の宮島・・・遠いねぇ  姫路あたりからはさっぱり分からない土地をひたすら走っている。自分が何処にいるのか あとどのくらい走ればいいのか・・・ 私の中で山陽という地域が全く未知の世界であることを思い知らされた。

あれれ? 広島県に入ったあたりからだろうか? 雪が降ってきた。どうして? お天気良いんじゃないの?山陽道は広島県あたりからかなり山の方へ入っていく。 きっとそのせい。 雪の降り方は半端じゃなく 目の前が見えないくらいに降ることもある。

スタッドレスと言えどもちょっと怖い。 急な雪に普通タイヤの人もあるのか走行車線はのろのろ  追い越し車線を何とか100キロぐらいで走って行く。

まだ日の出前 少しづつ明るさを増してきた頃に 宮島に着く。

朝ご飯は? フェリーの時間を見て穴子弁当を頼もうと思ったらまだ出来ていないとのこと・・・仕方なくセブンイレブンで肉まんとソーセージを食べる。(途中のサービスエリアで おにぎりやお寿司を 多少は食べている。)

JRフェリーは18切符の使用範囲と言うことで ただで乗れる。 ありがたや~

Ferry
雪の中歩くの嫌やなぁ

それにしても時間は7時半 こんな早い時間でも人がいっぱい。 みんな宮島へ行くの?

宮島って遠いの?って聞いたら息子があきれた顔して言った

反対側の島にあるよ 

よく見ると島の中にぽつんと浮かぶ小さな鳥居がある。 確かに見たことがある風景だった。

でも それを見たことによって 厳島神社に抱いていた概念は ただの観光地に変わってしまった。

Enkeiあれか~

Enkei2_2
でも近づくと 確かに優美な佇まいを見せてくれた。 一気に気持ちが高ぶる。

時は干潮を迎えていた。

干潮の時は大鳥居の近くまでいける。

しかし 厳島神社の一番美しい姿は満潮の時に違いない。 海に浮かぶ赤い神社

よそでは見たことが無い。

厳島神社は もともと山そのものがご神体としてあがめられていたようで 社殿はずいぶん前にあったらしい。 平家のお守りの神社として1168年に平清盛が 社殿を作ったけれど その後の二度の火災によって全部焼失してしまった。

それでも山を神としてあがめる事はその後も続き 1240から1243までに作られた社殿が現在残っているものらしい。

と言うことは800年近く前のものが今でも残っていると言うことで すごいことですよね? 満潮時には水に浸かってしまうのに傷んだりしないのかと不思議に思うのですが・・・・

Ootorii_2海の水が引き始めて 人々が鳥居に近づくべく浅瀬を歩いている。

Sinden
反対に神殿方向を臨むと 水が無いので丘の上で干上がったカッパのようななんだかしまりのない様子。

いえ 水に浮かぶ神殿を知らなければ これも美しい。

Sika鹿君も 寄っては来るがえさをくれる上客でないことを確かめると 知らんぷりして行ってしまう。

どうやら写真屋さんが飼い慣らしているようで 何かの匂いを嗅がせて お客の中で おとなしく参加させてシャッターを切っていた。

鹿はここでも神様のお使いらしいけれど 山での鹿の害を知っているので それに良く山で見かけるので さほど興味はない。

しばらく 雅な社殿を見てください。 いわゆる寝殿造りなので 社殿のどこから見ても なかなか美しい姿を楽しめます。

対岸から見た印象を今ではすっかり忘れてやはり美しい社殿を堪能しました。

Shaden
うむ 水に映すと美しいでしょうに

Shaden2

Shaden3_2

Shaden4

Tourou
水位を見るものでしょうか?

Ootorii3海水はすっかりひいて 沢山の人が鳥居まで歩いています。

鳥居は言ってみれば神社の入り口

私達が歩いたような入り方はしないはずで 昔は厳島神社にお参りするに船でとりいをくぐったのでしょうか?

舞殿でしょうか?

Maiden_2
ここで雅楽を舞うところが見て見たい。

優雅で美しいでしょうね?

ポスターで見た 不思議な面を付けての姿を思い想像を巡らします。

Nougakudou
能楽堂もあります。

こちらは朱塗りではありませんが なかなか美しい。簡素な中に美しさを感じます。

水に浮かぶ能楽堂

是非見て見たいものです。

Taikobasiいつも太鼓橋を見ると渡ってみたくなります。 でもこれはちょっと無理

神様の専用の橋のようです。

Senjyoukaku_2
千畳閣です。きつい階段を少し登ったところにたっています。

安芸の宮島は平清盛だけでなくその後も沢山の人々の信仰の対象だったので 千畳閣は太閤殿下の命によって作られたようです。

太閤殿下が途中で亡くなったと言うことで 建築途中のままだそうですが 何処が?りっぱな どっしりした建物でした。

町に降りて焼き牡蠣を食べてフェリー乗り場に戻ります。 みんな美味しいと喜んでいましたが 私は子供の頃から牡蠣はちょっと~なので 

Oosyamoji

突然現れた大しゃもじ

良く甲子園の応援などにも登場しますが 宮島と大しゃもじ どんな関係があるの?

謎です。

とってつけたようですが 厳島神社は 毛利元就が中国地方を統一するきっかけになった厳島の合戦の舞台でした。

毛利元就と友好関係にあった大内義隆と陶氏との戦いで 平地での戦いを不利と思った元就は宮島に城を築き おびき寄せます。

丁度暴風雨の時で夜暗かったのを利用して厳島神社の裏手に上陸し 山を越えて陶軍の陣に奇襲をかける。 三男小早川と宮尾城の兵(宮島に作った城)は鳥居のあたりから攻めたので 厳島神社あたりは大激戦の舞台になったというのです。

長い歴史の中で とても重要な島だった・・・と言うことでしょうか?

ちなみに 宮島のご神体は弥山と言いロープウェーで行くことも 登山することも出来ます。その時間を作れなかったことが とても心残りでした。

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今年の旅はじめは

2012-01-10 15:08:16 | 旅行記

去年息子が結婚して 我が家はとうとう2人きりの生活になった。

子供たちは時々訪問してくれるけれど 二人っきりには違いない。 日曜日に仕事があった私も去年夏に辞めて いつでも亭主の都合に合わせて出かけられるようにはなったけれど 私としては多少方向性の違う旅は 時々にしたい。

今年はどんな旅にしようかねぇ。

お嫁ちゃん これまでに何度か里帰りをしてはいるけれど 初めての尾所月は特別。 飛行機で帰ると思ったら まだ向こうに洋服がいくらか残っているので 全部持って帰りたいし 車で行くと・・・・片道900キロの旅はいくら2人で運転しても大変。どのくらい時間がかかるのだろうか?

彼もちょっと嫌だなぁと言う気持ちがあったのか「一緒に行かん?」と言ってきた。彼の計画によると宮島まで4人で行って 2人はそこから長崎へ 私達は青春18切符で宮島から行きたいところで降りてはうちに帰ってくるというもの。

「お母さん まだ宮島まで行ったこと無いでしょ。 丁度良い」と自分の為か私のためか分からないけど・・・・

なら 私もその気で楽しみましょ

と 宿は・・・・ 18切符だから出来ることならJR沿線が良いよね? そうするとビジネスホテル?  行きたいところの真ん中あたりって何処だ?

え~と 福山 福山? あまり聞いたことない名前だ・・・・えい ここにしちゃえ。 でリッチモンド福山をポチッと   これで決まり。

正月 夜中に家を出た私達は まず宮島へ  500何キロかの旅。 

厳島に渡って世界遺産厳島神社を見る。

Ootoriiその後 愛知県に、向って戻って行く。

岩国も言ってみたかったけれど ちょっと時間的にどうかな? 息子が言うには また行く機会があるから わざわざ行くには及ばないよ・・・・と

じゃぁ 今度は辞めた。 どのくらい時間がかかるのか 見当つかない。

広島は? 原爆ドームぐらいしか行く時間が無いとのこと

う~ん どうしよう

これも却下

で 尾道

Onomiti坂の街 尾道

大林監督の映画や 最近ではでっぱんで 見ていた景色 私の目にはどんな風に写るかな?

そのまま 福山に移動  出来れば鞆の浦へ

次の日でも良いかと思ったのだけれど そうすると倉敷を諦めなきゃ駄目だって ぶ~

ぽ~よ ぽよ ぽよ さかなのこ~ ♪

の映画の舞台になったと言われる 鞆の浦  歴史的にも面白い場所らしい。

Bentenjima

で 福山泊

次の日は倉敷へ 

私の県では 高校の修学旅行でたいていここへ来ているんだけれど なぜか私は 小豆島と鷲羽山だった。後ちょいのところで 倉敷には縁が無かった

Ooharabijyutukanここでは大原美術館に行こう

アイビースクエアーってどんなところだ?

美観地区って・・・・?

最後に 時間があったら 岡山で降りて後楽園へ  これはあんまり希望していないけれど 亭主が行ったこと無いので行くと・・・・

Ujyou

夕方前に電車のらないと 長い道のり大変に違いない。 姫路までは何度か行ったことあるけれど 何度も線を乗り継いでの帰り道は なかなか見当がつかない。

うまくいくかな?

食べたいもの おのみっちゃんのお好み焼き 尾道ラーメン ままかり 穴子飯 黄ニラ・・・・

どのくらい体感できるかな?

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謹賀新年

2012-01-04 22:09:08 | 日記・エッセイ・コラム

あけましておめでとうございます。

今更でちょっと恥ずかしいのですがこれをやらないと次へ進めませんのでね。

暮れから風邪をひきまして寝たりおきたり  それでも毎日日曜日の生活なんだから大掃除ぐらいしないとねと決心して ごそごそ

「あれとこれは背が届かないので 助けてね」と亭主の休みをアテにして待っていると あややぁ・・・亭主もダウン。 機嫌悪いってなんて・・・

仕方なく寒風にさらされて大掃除 窓ふき ゴミ捨て(粗大ゴミに リサイクルに)そしておせちの準備  止めたかったけれどね 息子夫婦にとって初めてのお正月だし 桜井の実家にみんなで集まることに 妹親子もやってくる。

熱あるから。。。。とは 言えません。 みんな楽しみにしているし 長男の嫁らしいことはしていないので こんな時ぐらい

と勢いで頑張りました。

Ootoriiこれだけで済めば正月早々寝ていれば良かったんですけれどね

息子たち 初めての正月だから長崎に帰るけれど 荷物がまだあるので車で帰るという。900キロの旅。

ちょいきつい

なので私達に広島まで一緒に行かないか?と

そうすればガソリン代 高速代浮くし 運転手も4人いるから交代でいける。

そんなわけで絶不調の中 途中まで同行することに・・・・

亭主も私もふらふら でも ちょっとした使命感で何とか回復~~

リュック一つの歩き旅 青春18切符 と言うことになり「30分ごとに新幹線出ているから 体調悪くなったら新幹線で帰るんだよ」と息子に釘を刺されたんだけれど 何とか二人とも無事に家にたどり着いた。

安心したのかな

今日またダウンです。 朝から寝込んでいます。

そんなわけで ひどい幕開けですが もう少し休んだら いつもの私に戻る。 もう少し横着しますが お許しくださいね。 

今年もよろしくお願い致します。

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