正月三が日は お天気は良いはずだった。 暮れから何度も何度もチェックした天気予報はいつもお日様マーク
よっしゃ~
運悪く 風邪をひいて危ぶまれたけれど とりあえずGO!
正月 みんなで桜井の家に集まって膳を囲んだ後 仮眠を取って湾岸にのる。
安芸の宮島・・・遠いねぇ 姫路あたりからはさっぱり分からない土地をひたすら走っている。自分が何処にいるのか あとどのくらい走ればいいのか・・・ 私の中で山陽という地域が全く未知の世界であることを思い知らされた。
あれれ? 広島県に入ったあたりからだろうか? 雪が降ってきた。どうして? お天気良いんじゃないの?山陽道は広島県あたりからかなり山の方へ入っていく。 きっとそのせい。 雪の降り方は半端じゃなく 目の前が見えないくらいに降ることもある。
スタッドレスと言えどもちょっと怖い。 急な雪に普通タイヤの人もあるのか走行車線はのろのろ 追い越し車線を何とか100キロぐらいで走って行く。
まだ日の出前 少しづつ明るさを増してきた頃に 宮島に着く。
朝ご飯は? フェリーの時間を見て穴子弁当を頼もうと思ったらまだ出来ていないとのこと・・・仕方なくセブンイレブンで肉まんとソーセージを食べる。(途中のサービスエリアで おにぎりやお寿司を 多少は食べている。)
JRフェリーは18切符の使用範囲と言うことで ただで乗れる。 ありがたや~
それにしても時間は7時半 こんな早い時間でも人がいっぱい。 みんな宮島へ行くの?
宮島って遠いの?って聞いたら息子があきれた顔して言った
反対側の島にあるよ
よく見ると島の中にぽつんと浮かぶ小さな鳥居がある。 確かに見たことがある風景だった。
でも それを見たことによって 厳島神社に抱いていた概念は ただの観光地に変わってしまった。
でも近づくと 確かに優美な佇まいを見せてくれた。 一気に気持ちが高ぶる。
時は干潮を迎えていた。
干潮の時は大鳥居の近くまでいける。
しかし 厳島神社の一番美しい姿は満潮の時に違いない。 海に浮かぶ赤い神社
よそでは見たことが無い。
厳島神社は もともと山そのものがご神体としてあがめられていたようで 社殿はずいぶん前にあったらしい。 平家のお守りの神社として1168年に平清盛が 社殿を作ったけれど その後の二度の火災によって全部焼失してしまった。
それでも山を神としてあがめる事はその後も続き 1240から1243までに作られた社殿が現在残っているものらしい。
と言うことは800年近く前のものが今でも残っていると言うことで すごいことですよね? 満潮時には水に浸かってしまうのに傷んだりしないのかと不思議に思うのですが・・・・
海の水が引き始めて 人々が鳥居に近づくべく浅瀬を歩いている。
反対に神殿方向を臨むと 水が無いので丘の上で干上がったカッパのようななんだかしまりのない様子。
いえ 水に浮かぶ神殿を知らなければ これも美しい。
鹿君も 寄っては来るがえさをくれる上客でないことを確かめると 知らんぷりして行ってしまう。
どうやら写真屋さんが飼い慣らしているようで 何かの匂いを嗅がせて お客の中で おとなしく参加させてシャッターを切っていた。
鹿はここでも神様のお使いらしいけれど 山での鹿の害を知っているので それに良く山で見かけるので さほど興味はない。
しばらく 雅な社殿を見てください。 いわゆる寝殿造りなので 社殿のどこから見ても なかなか美しい姿を楽しめます。
対岸から見た印象を今ではすっかり忘れてやはり美しい社殿を堪能しました。
鳥居は言ってみれば神社の入り口
私達が歩いたような入り方はしないはずで 昔は厳島神社にお参りするに船でとりいをくぐったのでしょうか?
舞殿でしょうか?
優雅で美しいでしょうね?
ポスターで見た 不思議な面を付けての姿を思い想像を巡らします。
こちらは朱塗りではありませんが なかなか美しい。簡素な中に美しさを感じます。
水に浮かぶ能楽堂
是非見て見たいものです。
いつも太鼓橋を見ると渡ってみたくなります。 でもこれはちょっと無理
神様の専用の橋のようです。
安芸の宮島は平清盛だけでなくその後も沢山の人々の信仰の対象だったので 千畳閣は太閤殿下の命によって作られたようです。
太閤殿下が途中で亡くなったと言うことで 建築途中のままだそうですが 何処が?りっぱな どっしりした建物でした。
町に降りて焼き牡蠣を食べてフェリー乗り場に戻ります。 みんな美味しいと喜んでいましたが 私は子供の頃から牡蠣はちょっと~なので
突然現れた大しゃもじ
良く甲子園の応援などにも登場しますが 宮島と大しゃもじ どんな関係があるの?
謎です。
とってつけたようですが 厳島神社は 毛利元就が中国地方を統一するきっかけになった厳島の合戦の舞台でした。
毛利元就と友好関係にあった大内義隆と陶氏との戦いで 平地での戦いを不利と思った元就は宮島に城を築き おびき寄せます。
丁度暴風雨の時で夜暗かったのを利用して厳島神社の裏手に上陸し 山を越えて陶軍の陣に奇襲をかける。 三男小早川と宮尾城の兵(宮島に作った城)は鳥居のあたりから攻めたので 厳島神社あたりは大激戦の舞台になったというのです。
長い歴史の中で とても重要な島だった・・・と言うことでしょうか?
ちなみに 宮島のご神体は弥山と言いロープウェーで行くことも 登山することも出来ます。その時間を作れなかったことが とても心残りでした。