世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

チリという国

2010年10月15日 | 国際
               
                 サンチャゴでカーニバルに遭遇

チリに行った時のアルバムを改めて開いてみた。


15年前のちょうど今頃の季節(春)だった。




ボリビアの首都ラパスから空路チリに向かった。


海抜4000メートルの町から

一気に海抜ゼロメートルへ。



途中、ペルーとの国境の町アリカで入国手続きをする。


さらに、アタカマ砂漠の中のイキケにも立ち寄った。
               
                 砂漠の中の空港




首都のサンチャゴには数日間だけの滞在だったが、


垢ぬけた欧米風のイメージがあった。



アルゼンチンのブエノスアイレス同様、

グローバル都市化している。




かといって、

ペルーやボリビアのような有名な観光地もとりたててない。





ずっと前、

五木寛之のチリ革命を描いた 「戒厳令の夜」を読んだ。


大統領邸(モネダ宮殿)に軍事クーデター当時の生々しい弾痕があったのがとても印象的だった。
               
               弾痕の残るモネダ宮殿(大統領官邸)



太平洋に面した魚市場で、

巨大なフジツボ料理が美味だったことを鮮明に覚えている。
               
               フジツボに下鼓
                 (15年前だから子供も小さいし、若~い!)








今回の落盤事故における一連の流れで


改めてチリという国、チリ人の気質というものを考えさせられた。





ボクは今まで中南米9カ国を旅してきたが、



侵略の歴史に刻まれた


社会主義との狭間の中で、


どこも多かれ少なかれアメリカの傀儡を受けている。





そこに、スペインとインカ文明、原住民たちの文化や気質がブレンドされ


独特の魅力を生み出しているように思えてならない。


チリも例外ではなかった。





そんなことをおぼろげに思い出しながら、


気がつけばチリ産のスモークサーモンをつまみに

チリワインを飲みながらテレビに映し出される救出現場を見ていた。



この間に大きな地震がなくてホッとした。




そして、

も一度訪れてみたいと強く思った。


そのときは、ついでに南極にまで足を延ばそう。



しかし、なんとも遠い国である。



時速数百キロ(水深によって違う)といわれる津波も、

丸一日かけないと日本に届かないほどだから。





【学んだこと】


決して諦めてはいけない。

希望(esperansa)を捨ててはいけない。

リーダー力。

統率力。

団結力。

役割分担。


何事も冷静沈着に、などなど。
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