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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

仕事への考察

2013年08月21日 | 仕事
考え方は二通りある。


仕事と好きなことを峻別するタイプと

好きなことを仕事にするタイプ。


今やっている仕事はどっち?


今やっている仕事は好きですか?

本当に好きなことと、今の仕事は合致してますか?


好きなことでは喰っていけない。

好きなことを仕事にしたら、面白くない。


でもどこかで、

好きなことそして食べていかれればこんな良いことはない、と思ってはいないだろうか。



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そもそも、働くことが好きだ。

だから、何をやっても好きになり、働くことが苦にならない。


疲れたり、飽きたりすることはある。

その時は、ブレイクしたり、いつもと違うことをして気を晴らす。


転職も転地も効果的だろう。


転職、転地はいやいややるものではない。

自然と時が熟し、次のステップが決まればそれに従えばいい。


現状に嫌気が差し、辛さに耐え兼ねて逃げ出せば、さらに地獄を見ることになるだろう。

転地が窮地になっては本末転倒だ。



人生の流転は、なるようになっているのだ。


ただ、どこに身をおこうが、何をしようが働くという姿勢を忘れてはならない。



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そもそも日本国民には勤労の義務が課せられている。

なのに、働かない、働けない(?)人のなんと多いことか。


生活保護で遊んで(?)食ってる人間のなんと多いことか。


そもそも生活保護とはなんぞや。


生活保護法の目的は、

「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、

国が生活に困窮するすべての国民に対し、

その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、

その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)

とされている。



では、その日本国憲法第二十五条とは何か。


すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。



安倍さんのおかげ(?)で、今や憲法論議が花ざかりである。


憲法は国を縛り、条例は人を拘束すると言われる。


正確には、

憲法の内容を実現するために法律が制定され、

その法律を実施するために「政令」や「省令」、さらには「規則」「条例」などが定められる。



話がやや硬くなったが、そもそも何が言いたいかというと

「好きなことを仕事にしてみたら」というお勧めである。



冒頭で述べたように、

好きなことでは食っていけない、という意見のもと

食べるためという言い訳で、

本来やりたいことと違った形で仕事続けている方が多いと推測する。


それだけでも大したものだが、

今やっている仕事を好きになる人は尊敬に値する。


汗水たらして仕事して、必死で生きてる人は見ていて清々しい。



働かない人以上に可哀想に感じるのは

楽して一攫千金を目論むことに余念がない人だ。



楽したい気持ちは誰にでもある。

だが、それ以上に自分のためだけでなく、

誰かの為に必死で働こうと思うのが人としての良心なのではないだろうか。



だが、どうせ働かなければならない(勤労の義務)のだから、

最初から好きなことを仕事にしたほうがいいのではないか思うのが

ボクの考え方だ。



そして、好きなことでどうやってお金を稼ぐかを徹底して追求する。


好きなことのビジネス化だ。


ビジネスの原理は単純だ。

マーケットのニーズに応えて、価値(サービス)を提供して対価をもらうことだ。


問題は、そのニーズだ。

ニーズがあればいいが、自分の好きなことに対するニーズはないことが多い。


だから諦めることになる。


そうではなく、徹底してニーズを掘り起こすなり、ニーズを作る方向で考えるのだ。


もう一つは、

価値(サービス)の提供のシステムを作り上げること。


このシステムしだいで、ニーズが出ることはよくあることだ。



好きを好きだけにとどめず、ビジネス化する。

それが夢に実現につながる。



ボク自身、好きなことで生計を立ててきた。

今回立ち上げるNPOでは、

仲間たちの好きをビジネス化することに挑戦する。


そこには、楽ではなく、楽しさがある。


自分が楽しんで社会貢献でき、生計が立てられる仕組みを作る。


これが『NPO法人IPA』のミッションである。