世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ベトナム語講座

2013年06月15日 | 国際
昨日発表した通り

『べト研』では最初の取組として「ベトナム語講座」を開くことにした。


講師はベトナム人の女子大生。


まず言葉を理解しなければ始まらない。

ボクにとっては英語、スペイン語に次ぐ第3の外国語だ。



そして今回の当面の目標は「ベトナム・カフェ」を開くことが目標だ。

店の名前は 『リトル・ハノイ』 (仮称)


ベトナムコーヒーと雑貨を扱う。

そしてすべてベトナム人のスタッフが運営する。


アオザイを着て。


イメージはざっとこんな感じだ。



さて、「ベトナム語講座」だが


毎週日曜日午後4時から1時間、

フリートークで行う。


参加料は1,500円(コーヒー付)だ。



ベトナムは、観光もビジネスも中・長期滞在にも持って来い(恋・濃い)の国。

英語でもやっていけるが、やはりベトナム語を話せるに越したことはない。



ボクもこの4月、ハノイに店をオープンさせたが

スタッフで英語ができないものもいる。


むしろ英語ができない人が多い。


ボクがベトナム語を少しでもしゃべれれば、コミュニケーションは格段に良くなるだろう。


     ベトナム人スタッフとの打ち合わせ中(口説いているわけではありません)



ついでに、ベトナム文化や習慣、

それにベトナムでの経済についても一緒に勉強しちゃおう。



ベトナム語講座には、先日ベトナム人女性と結婚(入籍)したI君も参加する。


ベトナム女性はかわいくて美人が多い。

その口説き方も披露してもらえるか?


楽しく学べる講座にしたい。


※ 詳しくは、facebookのイベントで立ち上げますのでご参照ください。



Girls Talk in Hanoi, Vietnam

     何話しているのか、チンプンカンプン

この会話に加わりたい!



【追記】


今年、これからベトナムで2回の結婚式に出席する予定だ。


一度目は、9月(?)フエで行われるそのI君の結婚式。


2度目は、11月ホーチミンで行われる美人ベトナム人のYさんと日本人男性の結婚式。


なんとも目出度い話ではないか。


日本人男性、ベトナム人女性はいいぞ!!




【追記2】


ベトナムへの「ビジネス&出会い&語学ツアー」を企画中。

詳細は追って発表しますね。

ベトナム研究会

2013年06月14日 | 国際
『ベトナム研究会』を立ち上げました。

略して「べト研」



ベトナムにかかわって5年が過ぎた。


きっかけは5年前のJICAでの派遣だったが、

学生時代から べ平連に加担して活動して、

ベトナム戦争を遠巻きながら経験した。


べ平連とは、

「ベトナムに平和を!市民連合」の略で、

1965年(昭和40)ベトナム戦争に反対する無党派市民により組織された反戦運動団体である。

戦争終結とともに74年解散。


「ベトナム戦争反戦平和運動団体」といっても規約も会員名簿もなく、

何らかの形で平和運動に参加した人や団体を「ベ平連」と呼んだ。


ボクもその中の一人だった。



ベトナム戦争を知らないベトナムの若者も多い。


ベトナム戦争とは、ベトナムの独立と統一をめぐる戦争(1960年代から70年にかけて)である。


1960年結成された南ベトナム解放民族戦線は、

北ベトナムの支援のもとに、南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い、

69年臨時革命政府を樹立。

73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退、

75年南ベトナム政府が崩壊、翌年に南北が統一された。


※ 詳しくは末尾で。




ボクは戦争(第二次世界大戦)を知らない子供たちとしてこの世に生を得た。


フォークソング「戦争を知らない子供たち」(作詞・北山修、作曲・杉田二郎、唄・ジローズ)は、

戦後生まれの、戦争を知らない乾いた世代の哀愁を唄った歌である。



そんな中、ボクは学生運動に傾倒し、

戦争反対運動にも加担したのだ。



その後のボクの関心は

ベトナムの英雄、ホーチミンではなく


キューバの英雄、チェ・ゲバラへと向かっていった。


そして、忘れもしない1970年、大阪万国の年、

ボクは万博会場のキューバ館に潜入し、

「キューバ亡命事件」を起こすが奇しくも(strangely)失敗してしまう。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――


それ以来、ベトナムのことはすっかり忘れていた。


世界一周の時も、ベトナムは外した。

その時いったのはタイだけだった。

東南アジアそのものを外して回ったといえる。


いつでも行けると思ったからだ。

それに家族で行くところではない、とも。




それから幾星霜、再びベトナムがボクの中で蘇ってきたのだ。


東南アジアは一人旅がよく似合う。

そして、そう思い描いた通りに今活動している。



既にこの5年間のあいだに20数ベトナムを回訪問してきた。


その間、全てとは言わないが、要所はほとんど回った。

お蔭で随分と詳しくなった。



今年に入ってハノイにお店をオープンさせ、

さらにNPO設立に向けてボクの活動は一気に加速した。


それにつれて、現地のベトナム人との付き合いも徐々に増えてきた。


今まで英語一本で接してきたが、今強くベトナム語の必要性を感じている。



そこで『ベトナム研究会(べト研)』を立ち上げることにしたのだ。



どういう内容かというと、ベトナムに関するすべてのことを学んでいこうというもの。

それは、文化、経済、政治、言語を含むすべてだ。


幸い熊本には強い味方がいる。

学生時代から起業しているベトナム人女性だ。


数日前彼女と会って話をした。

NPOのメンバーにも入ってくれた。


これから一緒に活動していく機会が増えるだろう。


同じ仲間で、

今月、バンミーの店をオープンさせた人がいる。


バンミーとはベトナムのフランスパン使ったサンドイッチのことだ。





そこでボクは、ベトナムのカフェ&雑貨店をオープンすることにした。

アオザイを着てベトナム人に働いてもらう場を作るのだ。


熊本に来るベトナム人はどんどん増える傾向にある。


またそのルートと受け入れ先を作るのもボクの役目だ。


とりあえず今日、大学生のベトナム人と会うことになっている。


さてさて、これからどういう展開を見せていくのかが楽しみだ。




【参照】


ベトナム戦争


     ヒューリッツア賞に輝いたベトナム戦争の写真


アメリカが北ベトナムを爆撃して、拡大していった戦争だ。

当時、北ベトナムはソ連や中国の支援を受けていた。

これに対し、アメリカは南ベトナムを支援していた。


1965年、社会主義の拡大を恐れたアメリカは、この北ベトナムを攻撃した。

アメリカは「北ベトナムはすぐに降伏する」と思っていたのだ。



ところが、予想外に戦争は長期化した。

北ベトナムは、アメリカが思う以上に強敵だった。

ついにはベトナム戦争はゲリラ戦になった。

そして、ジャングルでの戦いが始まった。

民間人も軍人も関係なく、子供までもが戦争に巻き込まれた。


北ベトナムの兵士は、ジャングルに隠れてアメリカを攻撃した。

そこで、アメリカは枯葉剤を空中から散布し、ベトナムの森林を破壊しようとした。


「ベトナムをまるはだかにして兵士の隠れるところをなくそう」としたのだ。

しかも、この際に使用された枯葉剤には、猛毒のダイオキシンが含まれていた。


このあと、ベトナムでは奇形児や障害児がたくさん生まれるようになった。


しかし、そんなにしても、アメリカはベトナム戦争で勝利をあげることができなかった。

というのは、内外の反対運動と経済的負担のために、アメリカは戦争を続けられなくなったのだ。



1973年1月27日、ベトナム和平協定が調印される。

そして、その2ヵ月後の3月29日 ベトナムからアメリカ軍の撤収が完了した。


アメリカはベトナム戦争に「敗北」したのだ。

アメリカがいなくなったあと、ベトナムは北ベトナムによって統一された。

これが現在のベトナム社会主義共和国だ。    (weblioから抜粋)

6月13日(木)のつぶやき

2013年06月14日 | 音楽

”Aso International Village” を熊本県阿蘇郡西原村に開設いたしました。

Opened the "Aso International Village" in Nishihara-Village,... fb.me/Xpm6ZuZj



継続こそ力なり

2013年06月13日 | 人生
何かを始めたらそれを継続させることこそ最も尊い行為である。


反対に、努力もせず途中でプッツンすることは負け犬(looser)の象徴である。



Little and often fills the purse.


persevering through something difficult makes one stronger;

whatever doesn't kill us only makes us stronger;

slow but steady wins the race


ここ2年ぐらいの間に、

ボクが係わった3組の人間にプッツンされた。


ボクの痛手というより、

プッツンした人の代償は膨大だ。

社会的信用を喪失するのだから。



彼らには共通した特徴がある。


プッツンする前に、じっくり話し合って問題を解決しようとする努力さえしない。

そのプロセスを経ずしていきなり結論に達する。

しかも、断念する(後ろ向きな)方向に。


話し合う余地すら残さない。

最初から結論ありきの状態にあり、変化を恐れる。


だからプッツンというのだろうが。


つまり、逃げ(escape)なのだ。

現状からの逃避以外の何物でもない。

厳しい現状から逃れ、易きに走ろうとする。

むしろその道がより険しいのだが。


だが、不幸にも本人はそれに気付かない。

その先にある更なる苦しみにさえ気付こうとさえしない。


まさに、不幸としか言いようがない。

余りにも愚か(silly)であり卑劣(shabby)で臆病(coward)である。


こうなると、「残念な(sorry)人」を通り越して

実に「可哀想な(poor)人」、「哀れな(pitiful、miserable)人」たちだと思わないわけにはいかない。




―――――――――――――――――――――――――――――――

何か物事を始めるのは大変なことである。

並はずれた「決断」と「覚悟」がいる。


例えば起業したり何かのお店を始める。


始めるまでは気合が入ってやる気満々である。

そうでなければ何事も始められない。


かなりのエネルギーを消耗する。



そうして目出度く夢が叶う。


だが、そこからが本当のスタートなのだ。

ところが残念ながら、それをゴールと思ってしまう人がいる。


受験や、入社、結婚も同様だ。


そこに行きつくまでにエネルギーを完全に消耗してしまって

至った時点で、こんなはずじゃなかったと感じる。


燃え尽き症候群 (burnout syndrome)


男のセックスみたいなものだ。

(またまた例が卑猥ですいません)




お店や事業はオープンしたては思ったよりうまくいかない事が多い。

少なくとも、一年、二年間は。

辛抱の時期だ。


その間にあらゆる手立てを考え、死ぬほど苦しみ、鍛えられる。

この期間こそ最も大事で、最大のエネルギーを費やす時期なのだ。


その試練を乗り越えてやっと報われる。


これこそが「継続の力 (Power of the continuation) だ。




ところがところが。

一年どころか、3か月も待たずに(実質1か月で)諦める輩がいる。

しかも、ほとんど努力することもなく。


そしてその原因を、外に向ける。

誰々のせいで、何々のせいで、と。


素晴らしい素材があるにもかかわらず、

無いものばかりに目がいき、それが不平不満へと繋がる。


「文句」、「愚痴」、「悪口」、「いい訳」だけがまかり通る。

いわゆる毒を吐く人種だ。


そういう輩は決まって人の意見には貸す耳を持ち合わせていない。


こうなると、可哀想だが救いようがなくなる。


そうして自分から不幸を引き寄せてしまう結果になる。




―――――――――――――――――――――――――――

ボクは、基本的に性善説なので人を信じることにしている。

98%は信じる。


だが、人には万が一ということがある。

悪い人はいないが、魔がさすということはままあることだ。


to be possessed with an evil spirit―

be tempted by an evil spirit

come under evil influence



《諺》 すきを与えると魔がさすもの.

Opportunity makes the thief.



ボクも例外ではない。

よく魔がさす。(~_~;)



だから、98%は信じても2%は魔がさした時のために取っておくのだ。


それは、疑うこととは質を異にする。

万が一、裏切られても恨んだり憎んだりはしない。


間違いは誰にでもある。

それを認め、許すために2%ほどの余白が必要なのだ。



裏切るより、裏切られる方がよっぽどましだ。

振るより、振られる方がまだましだ。

そう思って生きてきた。


だからこれまで幾多と裏切られ、99%は振られっぱなし。



相手に勝たせること。

相手に優越感を与えること。


相手に名を与える。

ただし、実を取ることも忘れてはならない。

I prefer a fruit to the name.


生きるための最低限の実は必要だ。


<諺>

Give an inch to get a mile.

肉を切らせて骨を切る




【補足】

何時も喜び、どんなことにも感謝せよ


与えられているものをしっかりと見つめ、

与えられている喜びと感謝の中で歩んでいくことが

人を豊かに向上させていく。


つまり、

与えられている「生活」、「環境」、「出会い」などから、

喜びと感謝を見出すことで、

人は豊かに満たされていく

6月12日(水)のつぶやき

2013年06月13日 | 音楽

Wanted!

インターナショナル・カフェ 「フリートーク」 では
外国人スタッフを募集しています。

英語が喋れる方なら年齢、性別、国籍は問いません。



人生はクイズじゃない

2013年06月12日 | 人生
人生はギャンブルである。


クイズは正解があり、

全ての人が正解だと思う方を選ぶが


ギャンブルは人の少ない方を選ぶことが鉄則となる。

本命より穴を狙う方が化ける確率は高い。



目の前の動きをあれやこれやと騒ぎたてる

マスコミからの情報に翻弄されてはいけない。


物事の本質を見極めることが必要だ。


相場の世界では、

「勝つためには、大衆が考えていることの逆をやればいい」

と言われる。


上手い人は、いつも今の相場の反転ポイントを狙っている。


相場を 「流れ」や「潮目」 と言い換えてもいいだろう。


この地球をゲーム盤かポーカーボードに例えればよい。


賭けて楽しむ。

賭けるのは、もちろん、命。


負ける(失敗する)時もあれば勝つ(成功する)ときだってある。

ツキが来るまで耐えて待つ忍耐力こそ大切だ。

どこまで辛抱できるかが生死の分かれ目となることはよくあることだ。



株が乱高下しているうちに円がまた高くなってきた。

日本の一般経済的には95円くらいで落ち着くのが良いとされる。


これもマスコミの味方だ。

ボクは、個人的には円高であればあるほどいい。

$1が¥50くらいになってくれるといいと思っている。


その中で生き延びる術を考えるのが経営だ。


相場に一喜一憂 (•be glad and sad by turns) してはならない。


人生も万事塞翁が馬 “Inscrutable are the ways of Heaven.”


何が起きるか分からないからこそ面白いのだ。

ブログが書きにくい

2013年06月11日 | 人生
読者の方が増えれば増えるほど

影響力は強くなる。


当然の話だ。


一語一句に気を配らないと、とんでもない誤解を招く。


政治家や芸能人の発言ほどではないにせよ、

身近な人に不快感を与えたり、時に傷つけてしまう。


物言えば唇寒し(Out of the mouth comes evil) というが、

「物書けば心寒し」とでも言おうか。


何度か言われた。

「人のことは書かない方が良いよ」と。



ほとんどの人は人との係わりの中で生きている。

そうすれば人のネタを書かざるを得ないときもある。


直截的な悪口雑言は書かないが、

自分の心に正直であればあるほど批判的になることだってある。


もちろん心底褒め称えることだって書いている。



一般論で、当たり障りのないことや

綺麗ごとばかりを並べた文章ほどつまらないものはない。

そういう人ほど、書いていることとは程遠い人生を歩んでいるものだ。


――――――――――――――――――――――

ボクはこのブログにおいて、

敢えて自分をさらけ出すことを身上としている。


心の内の悪や卑猥さを正直に書く。


それがいけないというのなら、断筆するしかないだろう。


断酒、断女の次は断筆か。


いや、それはない。

何のための断酒、断女なのか。


書くためである。

書いて発行するために自分に課した決断だ。




よって、このブログを書くことでぼく自身が損をすることも多々ある。

エッ、そんなワルい人だったの?

とか

そんなエロい人だったの?と思われる節が多々ある。



自分のことはまだいい。

他人様のことを書いて、その対象者が悪く思われることは極力避けたい。


匿名にしたりして気を使うが、

どうしても身近な人には特定の人の察しが付く。


その場合、ボクの方が批判の矢に晒される。


書いて損をするのだ。


だが、そこだけに目を向けると書かない方が良いのかもしれないが、


書くメリットの方に目を向けると

書かないよりも歴然として多くのメリットがあることに気付く。


だから書き続ける。


極力人を傷つけないよう気は配るが

もし相手を傷つけてしまったとしても

ボク自身も同じかそれ以上に傷つくのだ。


それを覚悟で今日もブログを書いている。


―――――――――――――――――――――――――――

人に嫌われないように、憎まれないようにすることは必要だ。

だが、そればかりに気を配って生きているとストレスになる。


いい子を演じている人はウツになりやすい。


それより、

自分が人を嫌いになったり、相手を憎んだりしないようにした方が良い。


ボクを嫌う人はいても、

ボクが嫌いな人はこの世にはいない。


たぶん、ボクを嫌う人は、邪(よこしま)な心の持ち主なのだ。

またこういうことを言うから、余計に嫌われるのだろうが。



ボクを嫌う人より、

ボクを好きな人、愛してくれる人の方が多い。


そう言い切れる。

でなきゃ、こうして生きていられないでしょ。


そのうち死にますけど。


ざまあ見ろとか、ホッとしたとかいう人もいるだろうけど、

死人に耳無しだ。

(ちなみに「死人に口無し」は dead men tell no tales



死んでしまえばそんなことはどうでもいい。


よく自分の葬式をイメージしなさい、といわれる。

誰も来ない。


後は野となり山となれの心境。

I don't care what follows.

The future will take care of itself.




それよか

大事なのは、生きている今でしょ!


今を生きる。

それも自分らしく。


この瞬間、瞬間を必死で生きる。


文字通り、必ず死ぬ覚悟だ。


そして、死ぬ直前にこっちから言ってやる。


ざまあ見ろ!

Look at you!

Serve you right!




【独り言】

これで確実にまたボクを嫌う人が数人増えたな。

Who knows?

I don't care.

Never mind.




【余談】

Coffin Therapy (コフィンセラピー)って知ってます?

棺桶に入ると癒されるらしいですよ。


やってみようかな。

葬儀屋さんに行ってみよう。

友達いるから。



ちなみに、棺桶は主に米国では a casket といいます。

世界一周子育て講座

2013年06月10日 | 
昨日リアカーで地球一周した人の話題が新聞に載りましたね。


いろんな方が、いろんな形でいろんなことに挑戦し、

達成しておられるニュースを聞くとホントに勇気づけられますね。


よし、オレもまた一丁ガンバンベー!と。


知り合いの女性で、今現在世界一周の旅に出かけている人もいます。

たしか今、インド当たりかな?



ところでところで、

ボクと同じ、家族4人で世界一周をしたご家族が福岡にいらっしゃいます。


単独やカップルで世界一周した人、している人は多いでしょうが、

家族四人でというのは、知る限り世界でもボク達二組だけなのではないでしょうか。

他にいらしたらご連絡ください。



なぜなら、今度その福岡の方(お母さんの方)とコラボすることを計画しているからです。

旦那さんも、お会いしたことはないのですが、結構過激で(?)有名な方です。



未だ、今日の話なので、具体的日程などは決まっていませんが

とりあえず福岡と熊本で開催することにしました。


テーマは、これも仮題ですが

『世界一周と子育て』 を考えています。


旅の話と、子育て、教育論みたいな話で盛り上がればいいかなー、と。


うまくいけば、国際教育、国際人の育て方などこれからの教育の仕方に一石を投じればなんて思っています。


全国を回ったりして、

共著で出版したりして、などなど


またまた妄想癖が噴出中です。



その方とはfb フレンドですが、まだ面識がないので

近々お会いして話を詰めていきたいと思っています。


福岡に行く機会も増えるし、忙しさに一層拍車がかかりそう。


嬉しい悲鳴です。

ありがとう! 感謝です。


セミナーに行くよりパーティに行け

2013年06月09日 | 人生
同じお金を出すならセミナーに行くより

パーティに出席した方がよっぽど有意義である。


全てとは言わないが、

ほとんどのセミナーは3,000円、4,000円出しても

それだけの価値がないものが多い。


交通費や時間も含めればなおさら時間とお金の無駄遣いだ。




昨夜はInternational Party に参加した。



日本人は3,000円、外国人は1,500円なので

多くの外国人が集まる。




ボクは外国人扱いにしてもらっている(お得です)。



これで、食べて飲んで、いろんな人と話せて、

知り合って、名刺交換して、facebookで繋がってといっただけでもさらにお得感が増す。


いろんな人(全員)と握手もし、ハグもし(特に可愛い子)、スキンシップも自ずと図れる(さらにお得)。




セミナーではこうはいかない。

もちろん玉石混交だが、それはセミナーも同じだ。


ただ座って一方的に話を聞かされ、

その場ではわかった気にさせられるのはむしろ逆効果になることが多い。


セミナーおたく(オタッキー)には、分かったつもりで行動に移せない人間がいかに多いことか。


それに、自分の意見を言えないばかりか、多くの人と交わり会話を交わすこともままならない。

むしろそれを避ける傾向にある。


そればかりか腹は一向に満たされない。

むしろ空腹感が増すばかりだ。


百害あって一利なし(a hundred harms and not a single gain ;all pain, no gain

とはまさにこのことだろう。


セミナーに行くのは極力やめた方が良い。


――――――――――――――――――――――――――――――

日本人は、知らない人とすぐに打ち解けるのが下手な人種である。

いわゆるパーティに馴染めない。


これも場数をこなすことで徐々に慣れてくる。

初対面でも話しかけるコツみたいなものが身に付く。



目が合えばそれだけでも、挨拶を交わせるようになる。


英語表現を覚えれば尚更だ。

だから、外国人、特に西洋人が多く集まるところでは

パーティマナーというか、要領が早く身に付きやすい。


日本に留まらず、海外に行けばそうした機会も増えよう。


日本人はそうした場が苦手だ。

どうしても日本人どうしてつるみ(hang out with)やすい。


政治家の外交下手も、ロビー活動(Lobbying)も日本の不得手とする分野だといわれる。


グローバル時代、全方位外交時代において、

それで日本(人)はどれだけ損をしているだろうか。



それには語学を磨き、積極的に外に飛び出し、

人の輪の中に入り込んで揉まれることが不可欠だ。



英語ができると人格さえも変わってくる。

明るく積極的でポジティブになり、なんと人生そのものが好転する。


ウソではない。


そしてそれはパーティという実践の場で一層磨きがかかる。



――――――――――――――――――――――――――――――――

という訳で、

帰国後3週連続で週末はパーティである。


もちろん、フリートークの毎月恒例の

「異文化、異業種、友活パーティ」もその中に入る。


22日の土曜日だ。

誰でも気軽に参加できるよ。




飲み食いは、相手を知るのに良い手段である。

しゃべりも滑らかになり、本音が出ることも。

ある意味育ちもわかるし好みも分かる。


そして胃袋は満たされる。


そうしていきつけの店を作っておけばいろいろと便宜も図ってもらえる。



というわけで、昨夜も胃も心も満たされながら床に就いた。

幸せ、そして、感謝。

頑張っている人

2013年06月08日 | 人間関係
いろんな分野で頑張っている人は多い。


十分成果を出している人は良いが、

実力のわりには世に認められていないというか、

なかなかそれに見合う報酬を上げていない人もいる。


むしろそういう人の方が多いのではないだろうか。



ボクが惚れ込んだ作品を手掛ける書画家(Japanese Art Calligrapher)の人がいる。

既にI氏をご存じの方も多いかと思う。



実はボク以上に彼の作品に、あるいは彼の人柄にほれ込んだ男がいる。


そのN氏とともに勝手にI氏の応援団を作ることにした。




ボクはすでにI氏の海外進出に協力すべく、単身ニューヨークに乗り込み、

ソーホーの路上で無許可で展示販売したことがある。


    ソーホーの路上で、I氏の作本を興味深く見るNYのアーティスト




そして、今度はベトナムである。


先日2週間ほど滞在した折、彼の作品を持参して、いわば営業をした。


ハノイにある「日本カルチャーセンター」を訪ね、彼のことを紹介しながら

ワークショップやデモンストレーションといったイベントができないものかと。







この企画は、現在政府が積極的に推し進めている「クールジャパン構想」に合致する。


それは、現在平行して進めている着物からアオザイを仕立て、



お互いの伝統衣装によるコラボ戦略やJ-Popなどの音楽とともに

現在設立中の『NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会』の企画として扱いたいと考えている。


その下地として、先日度越したおりハノイで活躍するベトナム人ファッションデザイナーに話を通している。





書画家のI氏単独の企画は


独立行政法人「日本国際基金」(Japan Foundation)が窓口になっている

文化芸術交流海外派遣助成プログラムに申請しようと思っている。





そのため昨夜は、I氏にその旨伝え彼の意思を確認した。


     レストランバー「GAKUYA」似て食事をとりながら打ち合わせ




もう一つは、ベトナム中部の町、ダナン市からの「日越国交樹立40周年」のイベントの企画だ。




これは、日本に留学経験のあるハノイに住むP氏と知り合い、

同じく書画家I氏のことや、着物アオザイの案件を伝えてた。




国際プロジェクトを動かすには、国内以上にそれぞれのお国事情が異なるなど難関は多い。


それをクリアしてこそ実現できるものなのである。


それだけに遣り甲斐がある。


ボクが惚れ込んだ書画家I氏の海外進出をプロモートできることは身に余る幸せである。




併せて、I氏の応援団長であるN氏とも昨夜遅く合流してマスコミ戦略も練った。


彼は、阿蘇にある某有名な観光企業の重鎮であ理、その方面には滅法顔が広い。



彼と顔を合わせるのは3度目だが、

ボクの大好きな北九州に住むM氏のハーブ・アロマ案件も推し進めてもらえるよう重ねてお願いした。





酒を酌み交わし(依然断酒の身のボクはウーロン茶だが)、カラオケでお互いのコミュニケーションを計る。


こうして、またまた新たなコミュニケーションの輪とビッグ・プロジェクトが夜な夜な作られていく。



今日の夜はまた別のパーティ。

それにしても、眠い。