人生の岐路には二通りがある。
安定か変化か。
うまくいかないとき、人は別の道を考える。
だが、物事がうまく進んでいるときは、そのまま続くことを願う。
当然のことだ。
幸せであれば誰しも幸せでいつづけたいと思うだろう。
そうすれば守りに入る。
保守的になる。
そこに落とし穴が待っている。
うまくいっている時こそ転換期なのだ。
敢えて幸せを壊してまでも、その先を見据えなければならない。
人生で最も難しいことは、現状維持なのだ。
例え幸せであろうと不幸であろうと、それを長く維持することは不可能に近い。
ただし、不幸はさらなる不幸を呼ぶことがある。
今幸せな人でも、もっと幸せになろうと欲を出せば、不幸に転じることはよくあることだ。
幸せの状態をキープすることも難しい。
どこかで何らかの試練が待っている。
うまくいっているときにそれを自ら壊すには、勇気がいる。
だから、安定を求めコンフォートゾーンに留まろうとする。
だが、さらに次のステップを望むならあえてリスクを取るべきだ。
人が同時に手にできるものは、2つしかない。
なぜなら手は二つあるからだ。
ただ、両方の手で掴まなければならないほどの人生を左右する大きなものは、
たった一つしかつかめない。
天が二物を与えることは稀なのだ。
あるいは、3つ以上のものを手にしようと欲張れば、
今持っているものは手放さなければならない。
それをわきまえ(discriminate)なければならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ボクの夢は現状に留まらない。
モットモット先にある。
だから、現状にあるものを手放さなければならないことは分かっている。
今その手放すタイミングを探っている。
ただ、それは遠からず必ずやってくるだろう。
それを待つのではなく、
こちらから積極的に仕掛ける(challenge)のだ。
覚悟を決めて打って出(to launch oneself upon; to make one's debut )なければならない。
人生、守勢や守りに入っては面白くない。
自ら自分の殻を破り、未知の世界へ飛び込んでこそ面白くなる。
そのためにも、知らないこと、やったことがないことへの冒険心持ち続けよう。
常に変化と進化を求めてやまないチャレンジャーであるために。
たとえ、傷ついても、失敗しても構わない。
なぜならそれが人生だから。
それがボクのライフスタイルだから。
そういう経験を誰よりもした奴が最終的には勝つことを知っている。
波乱万丈こそ、人生は面白い。
安定か変化か。
うまくいかないとき、人は別の道を考える。
だが、物事がうまく進んでいるときは、そのまま続くことを願う。
当然のことだ。
幸せであれば誰しも幸せでいつづけたいと思うだろう。
そうすれば守りに入る。
保守的になる。
そこに落とし穴が待っている。
うまくいっている時こそ転換期なのだ。
敢えて幸せを壊してまでも、その先を見据えなければならない。
人生で最も難しいことは、現状維持なのだ。
例え幸せであろうと不幸であろうと、それを長く維持することは不可能に近い。
ただし、不幸はさらなる不幸を呼ぶことがある。
今幸せな人でも、もっと幸せになろうと欲を出せば、不幸に転じることはよくあることだ。
幸せの状態をキープすることも難しい。
どこかで何らかの試練が待っている。
うまくいっているときにそれを自ら壊すには、勇気がいる。
だから、安定を求めコンフォートゾーンに留まろうとする。
だが、さらに次のステップを望むならあえてリスクを取るべきだ。
人が同時に手にできるものは、2つしかない。
なぜなら手は二つあるからだ。
ただ、両方の手で掴まなければならないほどの人生を左右する大きなものは、
たった一つしかつかめない。
天が二物を与えることは稀なのだ。
あるいは、3つ以上のものを手にしようと欲張れば、
今持っているものは手放さなければならない。
それをわきまえ(discriminate)なければならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ボクの夢は現状に留まらない。
モットモット先にある。
だから、現状にあるものを手放さなければならないことは分かっている。
今その手放すタイミングを探っている。
ただ、それは遠からず必ずやってくるだろう。
それを待つのではなく、
こちらから積極的に仕掛ける(challenge)のだ。
覚悟を決めて打って出(to launch oneself upon; to make one's debut )なければならない。
人生、守勢や守りに入っては面白くない。
自ら自分の殻を破り、未知の世界へ飛び込んでこそ面白くなる。
そのためにも、知らないこと、やったことがないことへの冒険心持ち続けよう。
常に変化と進化を求めてやまないチャレンジャーであるために。
たとえ、傷ついても、失敗しても構わない。
なぜならそれが人生だから。
それがボクのライフスタイルだから。
そういう経験を誰よりもした奴が最終的には勝つことを知っている。
波乱万丈こそ、人生は面白い。
朝から食事する間もなく
ゲストルームの追い込み工事にかかっている。
それにしても、暑い!!
シャワールームの組立てで午前中いっぱいかかった。

それでもまだ排水工事が住んでいない。
壁作りや配線工事もひとりでこなす。
24日のオープンまで間に合うのか?

奥は2段ベッドのスペース。
右手が個室。

もうひとつの個室
あれもこれもと締切に迫られて息つく暇もない。
あと10日ほどで、またベトナムに行く。
それまでイベントも目白押しだ。
NPO法人の申請、
電子書籍の発行準備と今月中に済ませなければならないことばかり。
これで狂わなかったら、自分を褒めてあげたい。
ブログの更新も、この時間になってしまった。
明日もまた、炎天下、走り回る。
すでに気が狂っているのと同じ状態だ。
ゲストルームの追い込み工事にかかっている。
それにしても、暑い!!
シャワールームの組立てで午前中いっぱいかかった。

それでもまだ排水工事が住んでいない。
壁作りや配線工事もひとりでこなす。
24日のオープンまで間に合うのか?

奥は2段ベッドのスペース。
右手が個室。

もうひとつの個室
あれもこれもと締切に迫られて息つく暇もない。
あと10日ほどで、またベトナムに行く。
それまでイベントも目白押しだ。
NPO法人の申請、
電子書籍の発行準備と今月中に済ませなければならないことばかり。
これで狂わなかったら、自分を褒めてあげたい。
ブログの更新も、この時間になってしまった。
明日もまた、炎天下、走り回る。
すでに気が狂っているのと同じ状態だ。
考え方は二通りある。
仕事と好きなことを峻別するタイプと
好きなことを仕事にするタイプ。
今やっている仕事はどっち?
今やっている仕事は好きですか?
本当に好きなことと、今の仕事は合致してますか?
好きなことでは喰っていけない。
好きなことを仕事にしたら、面白くない。
でもどこかで、
好きなことそして食べていかれればこんな良いことはない、と思ってはいないだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも、働くことが好きだ。
だから、何をやっても好きになり、働くことが苦にならない。
疲れたり、飽きたりすることはある。
その時は、ブレイクしたり、いつもと違うことをして気を晴らす。
転職も転地も効果的だろう。
転職、転地はいやいややるものではない。
自然と時が熟し、次のステップが決まればそれに従えばいい。
現状に嫌気が差し、辛さに耐え兼ねて逃げ出せば、さらに地獄を見ることになるだろう。
転地が窮地になっては本末転倒だ。
人生の流転は、なるようになっているのだ。
ただ、どこに身をおこうが、何をしようが働くという姿勢を忘れてはならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも日本国民には勤労の義務が課せられている。
なのに、働かない、働けない(?)人のなんと多いことか。
生活保護で遊んで(?)食ってる人間のなんと多いことか。
そもそも生活保護とはなんぞや。
生活保護法の目的は、
「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、
国が生活に困窮するすべての国民に対し、
その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、
その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)
とされている。
では、その日本国憲法第二十五条とは何か。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
安倍さんのおかげ(?)で、今や憲法論議が花ざかりである。
憲法は国を縛り、条例は人を拘束すると言われる。
正確には、
憲法の内容を実現するために法律が制定され、
その法律を実施するために「政令」や「省令」、さらには「規則」「条例」などが定められる。
話がやや硬くなったが、そもそも何が言いたいかというと
「好きなことを仕事にしてみたら」というお勧めである。
冒頭で述べたように、
好きなことでは食っていけない、という意見のもと
食べるためという言い訳で、
本来やりたいことと違った形で仕事続けている方が多いと推測する。
それだけでも大したものだが、
今やっている仕事を好きになる人は尊敬に値する。
汗水たらして仕事して、必死で生きてる人は見ていて清々しい。
働かない人以上に可哀想に感じるのは
楽して一攫千金を目論むことに余念がない人だ。
楽したい気持ちは誰にでもある。
だが、それ以上に自分のためだけでなく、
誰かの為に必死で働こうと思うのが人としての良心なのではないだろうか。
だが、どうせ働かなければならない(勤労の義務)のだから、
最初から好きなことを仕事にしたほうがいいのではないか思うのが
ボクの考え方だ。
そして、好きなことでどうやってお金を稼ぐかを徹底して追求する。
好きなことのビジネス化だ。
ビジネスの原理は単純だ。
マーケットのニーズに応えて、価値(サービス)を提供して対価をもらうことだ。
問題は、そのニーズだ。
ニーズがあればいいが、自分の好きなことに対するニーズはないことが多い。
だから諦めることになる。
そうではなく、徹底してニーズを掘り起こすなり、ニーズを作る方向で考えるのだ。
もう一つは、
価値(サービス)の提供のシステムを作り上げること。
このシステムしだいで、ニーズが出ることはよくあることだ。
好きを好きだけにとどめず、ビジネス化する。
それが夢に実現につながる。
ボク自身、好きなことで生計を立ててきた。
今回立ち上げるNPOでは、
仲間たちの好きをビジネス化することに挑戦する。
そこには、楽ではなく、楽しさがある。
自分が楽しんで社会貢献でき、生計が立てられる仕組みを作る。
これが『NPO法人IPA』のミッションである。
仕事と好きなことを峻別するタイプと
好きなことを仕事にするタイプ。
今やっている仕事はどっち?
今やっている仕事は好きですか?
本当に好きなことと、今の仕事は合致してますか?
好きなことでは喰っていけない。
好きなことを仕事にしたら、面白くない。
でもどこかで、
好きなことそして食べていかれればこんな良いことはない、と思ってはいないだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも、働くことが好きだ。
だから、何をやっても好きになり、働くことが苦にならない。
疲れたり、飽きたりすることはある。
その時は、ブレイクしたり、いつもと違うことをして気を晴らす。
転職も転地も効果的だろう。
転職、転地はいやいややるものではない。
自然と時が熟し、次のステップが決まればそれに従えばいい。
現状に嫌気が差し、辛さに耐え兼ねて逃げ出せば、さらに地獄を見ることになるだろう。
転地が窮地になっては本末転倒だ。
人生の流転は、なるようになっているのだ。
ただ、どこに身をおこうが、何をしようが働くという姿勢を忘れてはならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも日本国民には勤労の義務が課せられている。
なのに、働かない、働けない(?)人のなんと多いことか。
生活保護で遊んで(?)食ってる人間のなんと多いことか。
そもそも生活保護とはなんぞや。
生活保護法の目的は、
「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、
国が生活に困窮するすべての国民に対し、
その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、
その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)
とされている。
では、その日本国憲法第二十五条とは何か。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
安倍さんのおかげ(?)で、今や憲法論議が花ざかりである。
憲法は国を縛り、条例は人を拘束すると言われる。
正確には、
憲法の内容を実現するために法律が制定され、
その法律を実施するために「政令」や「省令」、さらには「規則」「条例」などが定められる。
話がやや硬くなったが、そもそも何が言いたいかというと
「好きなことを仕事にしてみたら」というお勧めである。
冒頭で述べたように、
好きなことでは食っていけない、という意見のもと
食べるためという言い訳で、
本来やりたいことと違った形で仕事続けている方が多いと推測する。
それだけでも大したものだが、
今やっている仕事を好きになる人は尊敬に値する。
汗水たらして仕事して、必死で生きてる人は見ていて清々しい。
働かない人以上に可哀想に感じるのは
楽して一攫千金を目論むことに余念がない人だ。
楽したい気持ちは誰にでもある。
だが、それ以上に自分のためだけでなく、
誰かの為に必死で働こうと思うのが人としての良心なのではないだろうか。
だが、どうせ働かなければならない(勤労の義務)のだから、
最初から好きなことを仕事にしたほうがいいのではないか思うのが
ボクの考え方だ。
そして、好きなことでどうやってお金を稼ぐかを徹底して追求する。
好きなことのビジネス化だ。
ビジネスの原理は単純だ。
マーケットのニーズに応えて、価値(サービス)を提供して対価をもらうことだ。
問題は、そのニーズだ。
ニーズがあればいいが、自分の好きなことに対するニーズはないことが多い。
だから諦めることになる。
そうではなく、徹底してニーズを掘り起こすなり、ニーズを作る方向で考えるのだ。
もう一つは、
価値(サービス)の提供のシステムを作り上げること。
このシステムしだいで、ニーズが出ることはよくあることだ。
好きを好きだけにとどめず、ビジネス化する。
それが夢に実現につながる。
ボク自身、好きなことで生計を立ててきた。
今回立ち上げるNPOでは、
仲間たちの好きをビジネス化することに挑戦する。
そこには、楽ではなく、楽しさがある。
自分が楽しんで社会貢献でき、生計が立てられる仕組みを作る。
これが『NPO法人IPA』のミッションである。
ベトナム語を習い始めた。
ベトナムに通いだして早5年半。
やっと重い腰を上げたのは、必要性に迫られたからだ。
どんなに英語がうまく喋れても
所詮ネイティブにはなれない。
それを踏まえたうえで、ベトナム語をせめて日常会話、
地元の人たちと世間話ができるようになることを目指して頑張ってみようかと。
それってホントはすごいことなのだ。
他国の言語で世間話ができれば上等。
――――――――――――――――――――――――――――
どうしてボクは英語が喋れるようになったのか。
お客様からもよく聞かれる。
留学もせず、英会話スクールにも通わず英語が喋れるようになったのは、
海外旅行への積み重ねがあった。
海外では英語をしゃべらなければ生きていけない。
ただ、英語さえ話せたら、ほとんどどこの国でも不自由しないことも知った。
それは観光地と、一部ビジネス社会においてだが。
スペイン語圏(スペインと中南米)においては、スペイン語もできるので便利だった。
たしかに現地の言葉をしゃべれることは有利に違いない。
あいさつ程度ならほとんどどこの国に行ってもすぐ覚える。
20数回訪れているベトナムにおいてもそうだった。
だが、ベトナムに自分のお店を出してから
英語を話せない地元の人たちとの接触が多くなった。
これは困る。
自分がベトナム語を話さなければ
これ以上深く入り込めないことを遅ればせながらようやく実感したという訳だ。
ほぼ毎週日曜日、約1時間半、4~5人の人たちと
ベトナム人留学生の女性に習っている。

もうかれこれ5~6回にはなるだろう。
少しずつだが、基本的な日常会話から覚え始めている。
片言でも地元の人と話が出来たら楽しい。
―――――――――――――――――――――――――――
新しい言語を覚えるにはどうしたらいいのか。
ボクは、英会話をどうして覚えたか、
スペイン語はどうだったか。
当時を思い出してみた。
英語は多くの日本人と同じ道を辿ってきた。
海外経験を重ねるたびに、自分でも上達していくのが見えた。
全くの実践の積み重ねだ。
ただ長い道のりだった。
そして今も続いている。
スペイン語はどうだったか。
ボクは大学に通ったのは、実質1年間だけだった。
学生運動とバイトにほとんどの学生時代を費やし、
5年かかってようやく卒業した。
だが、マジメに通った最初の1年間は集中していた。
専攻なので、ほぼ毎日スペイン語に触れ、徹底してたたきこまれた。
今考えれば、それが功を奏したようだ。
―――――――――――――――――――――――――――――
それで分かった。
新しい言語を習得するには、
徹底した「集中力」が必要なのだと。
そして、やっと感じた「必要性」。
しゃべれなければ生きていけないと思うほどの緊迫性。
この二つが備わった時に、
短期間で驚くほど言語の習得は出来るものだと悟った。
何故多くの日本人が英語を喋れないのか。
それはこの二つのことに欠けるからではないか。
英語が出来なくても生きていけるという、甘え。
何となくやってればいいやという、緩さ。
これを払拭しない限り、何時まで経っても英語は上手くしゃべれないだろう。
逆に、「必要性」を感じ、「集中力」を持って当たれば、
多くの日本人は3か月でソコソコしゃべれるようになる。
そこで、近々電子書籍にて発行する
『留学もせず、英会話スクールに通わなくて
お金をかけず、楽しみながら
90日で英語が喋れるようになる13の習慣』
という、長ったらしい題のボクの本が生きてくるのだ。
99円で買える。
是非これを読んで、素早く英会話力を身につけていただきたい。
―――――――――――――――――――――――――――
9月からベトナムに行く。
その時、どれだけベトナム語が喋れるようになっているか、楽しみだ。
そして、次は11月またベトナムに行く予定。
その時までには、日常会話が出来るようになる。
そうすることで、また新しい世界が開かれる。
これがボクの目標だ。
語学に限らず、
「必要性」を感じ、「集中力」を発揮した時、
人は恐ろしいような才能を身につけるものなのだ。
ベトナムに通いだして早5年半。
やっと重い腰を上げたのは、必要性に迫られたからだ。
どんなに英語がうまく喋れても
所詮ネイティブにはなれない。
それを踏まえたうえで、ベトナム語をせめて日常会話、
地元の人たちと世間話ができるようになることを目指して頑張ってみようかと。
それってホントはすごいことなのだ。
他国の言語で世間話ができれば上等。
――――――――――――――――――――――――――――
どうしてボクは英語が喋れるようになったのか。
お客様からもよく聞かれる。
留学もせず、英会話スクールにも通わず英語が喋れるようになったのは、
海外旅行への積み重ねがあった。
海外では英語をしゃべらなければ生きていけない。
ただ、英語さえ話せたら、ほとんどどこの国でも不自由しないことも知った。
それは観光地と、一部ビジネス社会においてだが。
スペイン語圏(スペインと中南米)においては、スペイン語もできるので便利だった。
たしかに現地の言葉をしゃべれることは有利に違いない。
あいさつ程度ならほとんどどこの国に行ってもすぐ覚える。
20数回訪れているベトナムにおいてもそうだった。
だが、ベトナムに自分のお店を出してから
英語を話せない地元の人たちとの接触が多くなった。
これは困る。
自分がベトナム語を話さなければ
これ以上深く入り込めないことを遅ればせながらようやく実感したという訳だ。
ほぼ毎週日曜日、約1時間半、4~5人の人たちと
ベトナム人留学生の女性に習っている。

もうかれこれ5~6回にはなるだろう。
少しずつだが、基本的な日常会話から覚え始めている。
片言でも地元の人と話が出来たら楽しい。
―――――――――――――――――――――――――――
新しい言語を覚えるにはどうしたらいいのか。
ボクは、英会話をどうして覚えたか、
スペイン語はどうだったか。
当時を思い出してみた。
英語は多くの日本人と同じ道を辿ってきた。
海外経験を重ねるたびに、自分でも上達していくのが見えた。
全くの実践の積み重ねだ。
ただ長い道のりだった。
そして今も続いている。
スペイン語はどうだったか。
ボクは大学に通ったのは、実質1年間だけだった。
学生運動とバイトにほとんどの学生時代を費やし、
5年かかってようやく卒業した。
だが、マジメに通った最初の1年間は集中していた。
専攻なので、ほぼ毎日スペイン語に触れ、徹底してたたきこまれた。
今考えれば、それが功を奏したようだ。
―――――――――――――――――――――――――――――
それで分かった。
新しい言語を習得するには、
徹底した「集中力」が必要なのだと。
そして、やっと感じた「必要性」。
しゃべれなければ生きていけないと思うほどの緊迫性。
この二つが備わった時に、
短期間で驚くほど言語の習得は出来るものだと悟った。
何故多くの日本人が英語を喋れないのか。
それはこの二つのことに欠けるからではないか。
英語が出来なくても生きていけるという、甘え。
何となくやってればいいやという、緩さ。
これを払拭しない限り、何時まで経っても英語は上手くしゃべれないだろう。
逆に、「必要性」を感じ、「集中力」を持って当たれば、
多くの日本人は3か月でソコソコしゃべれるようになる。
そこで、近々電子書籍にて発行する
『留学もせず、英会話スクールに通わなくて
お金をかけず、楽しみながら
90日で英語が喋れるようになる13の習慣』
という、長ったらしい題のボクの本が生きてくるのだ。
99円で買える。
是非これを読んで、素早く英会話力を身につけていただきたい。
―――――――――――――――――――――――――――
9月からベトナムに行く。
その時、どれだけベトナム語が喋れるようになっているか、楽しみだ。
そして、次は11月またベトナムに行く予定。
その時までには、日常会話が出来るようになる。
そうすることで、また新しい世界が開かれる。
これがボクの目標だ。
語学に限らず、
「必要性」を感じ、「集中力」を発揮した時、
人は恐ろしいような才能を身につけるものなのだ。
格差は何も経済的格差を意味しない。
ここでいう格差は、
精神的格差、
心の格差だ。
どういうことか。
つまり、
心を病む人と、心身ともに健全な人との格差が顕著になっている。
病む人はどこまでも病み続ける。
ひどくなっても治ることを知らない。
心を病む人に共通するある性癖がある。
当然のことだが、悲観論者である。
異常に取り越し苦労が多い。
何かを行動に移す前から、
まだ起きてもいないことをあれやこれやと心配してはふさぎ込む。
これではいくら身体(心)があっても身(心)がもたない。
潔癖症に多いと聞く。
そして、粘質性、何時までも根に持つ人。
許せない人。
仕返しをしようと考える人。
相手を困らせるだけで、自分に何の見返りもないことをしようとする。
嫌がらせだ。
こういう人は性根が腐っているから、早晩自らの心を病むことになる。
あるいは、嫌なことから逃げようとする。
嫌なことを避けて通ろうとする。
人はみな、快楽を求め、痛みを避ける。
肉体的には理解ができる。
だが、精神的なことでこれを貫くととんでもないことになる。
心の痛みから逃げていると、痛みへの免疫性が崩れていく。
生きていくうえで、身体の痛みは避けたり治したりできても
心の痛みは、避けることができないし、薬で治すことなど更々できない。
心の病に西洋医学療法は本末転倒だ。
心の病の症状として痺れや発作が体に出る。
あるいは不眠に陥る。
その現象をいくら薬でたたいても、付け焼刃(borrowed wisdom)の対策に過ぎない。
心とは思考である。
心の病に陥った人は、
思考のパラダイムシフト(Paradigm Shift of Thoght)を起こさなければならない。
これまでの考え方、価値観を一変させる必要がある。
なかなか難しいことではあるが、そうしなければ治らないだろう。
それにはそれに応じた行動を起こすことだ。
―――――――――――――――――――――――――――
人はすべからく幸せになりたいと思っている。
幸せになろうとして、いろんなものを買ったり集めたりする。
だが、物では心は真には満たされない。
日本人はそれにやっと気づいた。
でも、何が本当に心を満たし幸せにしてくれるのかが分からない。
あるものは仲間を求め、あるものは教養を深めようとする。
セミナーに参加したり、習い事をしたりして。
だけど散財し、時間をかけたた割には実感として成果が上がらない。
そこでまたジレンマに陥る。
危険を回避し、幸せ(快楽)を求めるあまり、自分を傷つけてしまう。
そうして多くの人が心を蝕(むしば)まれていく。
だが、一方、心穏やかに、楽しく幸せに暮らす人がいる。
決してお金持ちとはかぎらない。
ではどういう人たちか。
まず、
「足るを知る」 ことを知っている人たちだ。
そうすれば、今ここに生きているだけでも幸せと思えてくるから不思議だ。
幸せになることは簡単だ。
幸せになろうと求めるから幸せは逃げていく。
今ある状況を、ただただ幸せと思えばそれだけでもう幸せになれる。
そんな単純なことがどうしても分からない。
足りないもの、今ないものを追い求めることを辞めて、
今あるものに感謝するだけで、人は十分幸せになれる。
言葉に出して言えば尚更その効果が出る。
「幸せです」
「感謝します、ありがとう」
たったこれだけで幸せになれる。
毎日毎日繰り返すだけで。
も一つ、欲を言えば、
人の幸せを心から喜べるようになれば、
もっとその人は幸せになれる。
さらに人は、楽しくありたいと思う。
笑って暮らせればどんなに幸せだろうと思う。
だったら、笑えばイイ。
楽しいから笑うのではない。
「笑うから楽しくなるのだ」、とはよく言われることだ。
笑うという行動を起こせば、心はそれに従う。
脳が身体の動きについていくとされる所以だ。
【今日のまとめ】
心の病は薬では治せない。
思考のパラダイムシフト(Paradigm Shift of Thoght)を試みよ。
身体(表情)を動かす。
ここでいう格差は、
精神的格差、
心の格差だ。
どういうことか。
つまり、
心を病む人と、心身ともに健全な人との格差が顕著になっている。
病む人はどこまでも病み続ける。
ひどくなっても治ることを知らない。
心を病む人に共通するある性癖がある。
当然のことだが、悲観論者である。
異常に取り越し苦労が多い。
何かを行動に移す前から、
まだ起きてもいないことをあれやこれやと心配してはふさぎ込む。
これではいくら身体(心)があっても身(心)がもたない。
潔癖症に多いと聞く。
そして、粘質性、何時までも根に持つ人。
許せない人。
仕返しをしようと考える人。
相手を困らせるだけで、自分に何の見返りもないことをしようとする。
嫌がらせだ。
こういう人は性根が腐っているから、早晩自らの心を病むことになる。
あるいは、嫌なことから逃げようとする。
嫌なことを避けて通ろうとする。
人はみな、快楽を求め、痛みを避ける。
肉体的には理解ができる。
だが、精神的なことでこれを貫くととんでもないことになる。
心の痛みから逃げていると、痛みへの免疫性が崩れていく。
生きていくうえで、身体の痛みは避けたり治したりできても
心の痛みは、避けることができないし、薬で治すことなど更々できない。
心の病に西洋医学療法は本末転倒だ。
心の病の症状として痺れや発作が体に出る。
あるいは不眠に陥る。
その現象をいくら薬でたたいても、付け焼刃(borrowed wisdom)の対策に過ぎない。
心とは思考である。
心の病に陥った人は、
思考のパラダイムシフト(Paradigm Shift of Thoght)を起こさなければならない。
これまでの考え方、価値観を一変させる必要がある。
なかなか難しいことではあるが、そうしなければ治らないだろう。
それにはそれに応じた行動を起こすことだ。
―――――――――――――――――――――――――――
人はすべからく幸せになりたいと思っている。
幸せになろうとして、いろんなものを買ったり集めたりする。
だが、物では心は真には満たされない。
日本人はそれにやっと気づいた。
でも、何が本当に心を満たし幸せにしてくれるのかが分からない。
あるものは仲間を求め、あるものは教養を深めようとする。
セミナーに参加したり、習い事をしたりして。
だけど散財し、時間をかけたた割には実感として成果が上がらない。
そこでまたジレンマに陥る。
危険を回避し、幸せ(快楽)を求めるあまり、自分を傷つけてしまう。
そうして多くの人が心を蝕(むしば)まれていく。
だが、一方、心穏やかに、楽しく幸せに暮らす人がいる。
決してお金持ちとはかぎらない。
ではどういう人たちか。
まず、
「足るを知る」 ことを知っている人たちだ。
そうすれば、今ここに生きているだけでも幸せと思えてくるから不思議だ。
幸せになることは簡単だ。
幸せになろうと求めるから幸せは逃げていく。
今ある状況を、ただただ幸せと思えばそれだけでもう幸せになれる。
そんな単純なことがどうしても分からない。
足りないもの、今ないものを追い求めることを辞めて、
今あるものに感謝するだけで、人は十分幸せになれる。
言葉に出して言えば尚更その効果が出る。
「幸せです」
「感謝します、ありがとう」
たったこれだけで幸せになれる。
毎日毎日繰り返すだけで。
も一つ、欲を言えば、
人の幸せを心から喜べるようになれば、
もっとその人は幸せになれる。
さらに人は、楽しくありたいと思う。
笑って暮らせればどんなに幸せだろうと思う。
だったら、笑えばイイ。
楽しいから笑うのではない。
「笑うから楽しくなるのだ」、とはよく言われることだ。
笑うという行動を起こせば、心はそれに従う。
脳が身体の動きについていくとされる所以だ。
【今日のまとめ】
心の病は薬では治せない。
思考のパラダイムシフト(Paradigm Shift of Thoght)を試みよ。
身体(表情)を動かす。
その人の年収は、
その人が付き合っている人々の年収の平均値である、とまことしやかに言われる。
ボクの年収は、200万円以下である。
そういえばボクの周りには、
年収200万円前後の人がかなりいるような気がする。
生活保護を受けている人のなんと多いことか。
それも、若い人が結構いることに驚かされる。
ときに、500万円に上の人もいるが
親しい人に1,000万以上の人はいないような気がする。
(いたらごめんなさい)
では、(精神)年齢はどうして決まるか。
ボクの付き合う人の平均年齢はたぶん30代であろう。
つまり若い人が多い。
余り同年代と付き合うことはない。
同年代は、どうも湿った話が多い。
明るい話題に欠ける。
若い人の夢を聞くのが好きだ。
こちらまでワクワクしてくる。
夢無く裕福なお年寄りより、
貧乏でも夢多き若者の方が話し甲斐がある。
最近は、それもなかなか少なくなってしまったが。
旅先も、欧米より東南アジアが多いと、エネルギーをもらえる。
これがヨーロッパ主体になると、どうも暗くなりがちだ。
訪れる先も病院より学校の方が良い。
気が充満しているところの方が良いに決まっている。
ボクは生活の基盤の比率として
日本40%
アジア30%
アメリカ方面20%
ヨーロッパ方面10%にしたいと思っている。
つまり、日本と外国に暮らす比率を4:6にするのだ。
そうすることでいつでも新鮮な空気を味あうことができる。
【追記】
昨夜も2件のパーティの梯子だった。

異業種交流っぽいちょっと年齢層が高めのパーティ

インターナショナルパーティ
精力的に出愛の場を作ることが大切だ。
【今日の格言】
「その人を知らざれば、その友を見よ」
その人が付き合っている人々の年収の平均値である、とまことしやかに言われる。
ボクの年収は、200万円以下である。
そういえばボクの周りには、
年収200万円前後の人がかなりいるような気がする。
生活保護を受けている人のなんと多いことか。
それも、若い人が結構いることに驚かされる。
ときに、500万円に上の人もいるが
親しい人に1,000万以上の人はいないような気がする。
(いたらごめんなさい)
では、(精神)年齢はどうして決まるか。
ボクの付き合う人の平均年齢はたぶん30代であろう。
つまり若い人が多い。
余り同年代と付き合うことはない。
同年代は、どうも湿った話が多い。
明るい話題に欠ける。
若い人の夢を聞くのが好きだ。
こちらまでワクワクしてくる。
夢無く裕福なお年寄りより、
貧乏でも夢多き若者の方が話し甲斐がある。
最近は、それもなかなか少なくなってしまったが。
旅先も、欧米より東南アジアが多いと、エネルギーをもらえる。
これがヨーロッパ主体になると、どうも暗くなりがちだ。
訪れる先も病院より学校の方が良い。
気が充満しているところの方が良いに決まっている。
ボクは生活の基盤の比率として
日本40%
アジア30%
アメリカ方面20%
ヨーロッパ方面10%にしたいと思っている。
つまり、日本と外国に暮らす比率を4:6にするのだ。
そうすることでいつでも新鮮な空気を味あうことができる。
【追記】
昨夜も2件のパーティの梯子だった。

異業種交流っぽいちょっと年齢層が高めのパーティ

インターナショナルパーティ
精力的に出愛の場を作ることが大切だ。
【今日の格言】
「その人を知らざれば、その友を見よ」
人生を決定づけることに
普段何気なく使っている言葉の癖というものがある。
「~(が)ない」などの否定語や
「ダメ」といった悲観語を多用する人は
残念ながらあまりいい人生を歩んでいない。
日本人は、国民性として
謙譲・謙遜の心を良しとする民族である。
それ自体は決して悪いことではなく、むしろ日本人の美徳といってよいだろう。
だが、時間がない、お金がない、才能がないといかにも自分を卑下するのはあまりよろしくない。
無いと自ら宣言する人のところに、
時間もお金も才能も寄っては来ないからだ。
無くてもあるように振る舞えばイイ。
無いことを言葉に出していちいち宣言する必要はない。
時間に余裕がありそうな人のところへは人が集まり、頼みごとが増える。
いつも忙しい忙しい、時間がないという人のところへは人は寄り付かない。
お金も、才能も同様だ。
特に、イエス、ノーをはっきり言わなければ通用しないグローバル時代においてはなおさらだ。
それから、人生うまくいっていないなー、と思う人の特徴に
人の悪口を言うことがある。
一般に人は、そこにいない人の噂をするのが好きだ。
その時に、悪口を言うのか褒めるのかでその人の人格が決まる。
さらに、愚痴っぽい人。
妬む人。
人のせいにする人。
よく、政治が悪い、世の中が悪いと決めつけて批判する人がいる。
自分の商売がうまくいかないのを景気のせいにする人もそうだ。
何かや他人を批判することで、いくら自分を正当化しようとしても
結局はすべて自分にはね返ってくる。
悪口を言い、批判し、相手のせいにしたところで何も解決はしない。
現状を批判し否定するのであれば、
では、どう解決したらよいのかを示さなければならない。
対案なき反対、否定は無意味である。
日本はダメだと嘆く。
じゃあ、どうすればいいのかと聞くと、分からないと答える。
ダメな日本から飛び出す勇気もない。
ただ批判するというか、悪口を言い放つだけで会話が終わっている。
だからといって、どこかの国々のように
暴力に訴えるのだはなおさら良くない。
ではどうすればいいのか。
自分自身がしっかりすればいいだけのことだ。
相手や周囲のことに惑わされることなく、
一人一人が自分を磨いて自立すれば世の中は自ずと良くなっていく。
それには普段使う言葉に注意することだ。
明るい言葉を使う。
前向きな言葉を使う。
肯定的言葉を使う。
(人を)褒める。
そして夢を語る。
それだけで、人生は好転する。
【付録】
マザーテレサの有名な言葉だ。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
結局、自分の想いが言葉として口を突いて出てくるのであり、
思考そのものが言葉を通して、運命を決定づけることになる。
自分の吐く言葉、口癖を見直してみよう。
普段何気なく使っている言葉の癖というものがある。
「~(が)ない」などの否定語や
「ダメ」といった悲観語を多用する人は
残念ながらあまりいい人生を歩んでいない。
日本人は、国民性として
謙譲・謙遜の心を良しとする民族である。
それ自体は決して悪いことではなく、むしろ日本人の美徳といってよいだろう。
だが、時間がない、お金がない、才能がないといかにも自分を卑下するのはあまりよろしくない。
無いと自ら宣言する人のところに、
時間もお金も才能も寄っては来ないからだ。
無くてもあるように振る舞えばイイ。
無いことを言葉に出していちいち宣言する必要はない。
時間に余裕がありそうな人のところへは人が集まり、頼みごとが増える。
いつも忙しい忙しい、時間がないという人のところへは人は寄り付かない。
お金も、才能も同様だ。
特に、イエス、ノーをはっきり言わなければ通用しないグローバル時代においてはなおさらだ。
それから、人生うまくいっていないなー、と思う人の特徴に
人の悪口を言うことがある。
一般に人は、そこにいない人の噂をするのが好きだ。
その時に、悪口を言うのか褒めるのかでその人の人格が決まる。
さらに、愚痴っぽい人。
妬む人。
人のせいにする人。
よく、政治が悪い、世の中が悪いと決めつけて批判する人がいる。
自分の商売がうまくいかないのを景気のせいにする人もそうだ。
何かや他人を批判することで、いくら自分を正当化しようとしても
結局はすべて自分にはね返ってくる。
悪口を言い、批判し、相手のせいにしたところで何も解決はしない。
現状を批判し否定するのであれば、
では、どう解決したらよいのかを示さなければならない。
対案なき反対、否定は無意味である。
日本はダメだと嘆く。
じゃあ、どうすればいいのかと聞くと、分からないと答える。
ダメな日本から飛び出す勇気もない。
ただ批判するというか、悪口を言い放つだけで会話が終わっている。
だからといって、どこかの国々のように
暴力に訴えるのだはなおさら良くない。
ではどうすればいいのか。
自分自身がしっかりすればいいだけのことだ。
相手や周囲のことに惑わされることなく、
一人一人が自分を磨いて自立すれば世の中は自ずと良くなっていく。
それには普段使う言葉に注意することだ。
明るい言葉を使う。
前向きな言葉を使う。
肯定的言葉を使う。
(人を)褒める。
そして夢を語る。
それだけで、人生は好転する。
【付録】
マザーテレサの有名な言葉だ。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
結局、自分の想いが言葉として口を突いて出てくるのであり、
思考そのものが言葉を通して、運命を決定づけることになる。
自分の吐く言葉、口癖を見直してみよう。