【現代思想とジャーナリスト精神】

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「日本の「家父長」気取る首相の「言葉狩り」」に思う

2015-04-25 13:01:37 | 転載と私見
。【日刊ゲンダイweb転載】

《日本経済一歩先の真相/高橋乗宣》

日本の「家父長」気取る首相の「言葉狩り」

2015年4月24日

自民党調査会で呼び出しを受けたテレビ朝日専務(C)日刊ゲンダイ

 この1週間も、日本の民主主義がガラガラと崩れ落ちる音が鳴りやまなかった。

 安倍自民党は先週金曜、放送法の停波命令をチラつかせ、テレビ朝日を恫喝した。「報道ステーション」における元経産官僚・古賀茂明氏の発言内容がよっぽど気に入らないらしい。

 古賀氏は自身の降板を巡って「菅官房長官をはじめ官邸から、ものすごいバッシングを受けてきた」と明かした。この発言のどこが問題なのか、サッパリ分からない。内容はあくまで「言論の自由」の範囲内である。

 憲法が保障する「言論の自由」は、国民が権力を批判しても危害を加えられないために与えられている。放送事業の許認可権を振りかざした政権側の圧力は憲法の趣旨に反する。古賀発言の「圧力」を否定しながら、政権批判を電波に乗せた民放に圧力をかけるとは、自ら古賀発言を肯定しているようなものだ。

 社民党の福島瑞穂・副党首が国会で「戦争法案」と発言し、安倍自民党が議事録の修正を求めているのは論外だ。政権側の意に沿わない国会発言の修正を迫るのは、議会制民主主義を根底から揺さぶる暴挙だ。議員個々の発言が平等に尊重されなければ、議会制民主主義はアッという間に有名無実化してしまう。

 安倍政権の「言葉狩り」は歴代政権の歴史認識にも及ぶ。首相は20日夜にBSフジの報道番組で、今夏発表の戦後70年談話に「侵略」や「おわび」の言葉を盛り込まない考えを明かした。先の戦時下で近隣諸国に与えた被害を考慮すれば、機会あるごとに謝罪を繰り返すべきだ。「(村山談話の)基本的な考え方を引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」とは、よくも言えるなと思ってしまう。

 日経新聞の小コラム「大機小機」(21日付)は、安倍政治を「家父長的」と論じていたが、首相が“絶対的権限を与えられている”と思い上がっているのなら、歴史や憲法、民主主義を無視した「言葉狩り」にも納得だ。首相は民間企業に賃上げを迫り、女性活躍を標榜した手前、頭ごなしに女性役員の比率アップを押し付けた。経済運営を見ても、首相はすでに独裁者気分に浸っているのかも知れない。

 地方「自治」も死語になりつつある。統一地方選の後半戦となる89市長選のうち、無投票の割合は3割を超える。前半戦の道府県議選も5人に1人が無投票当選。いずれも歴史的な高さだ。地方は自ら発展の道を切り開く意思を失ったのか。国の指図に従っておけば、カネも出してくれるという安易な発想すらうかがえる。

 地方から独自色が消えれば、中央集権国家の色合いがどんどん強まっていく。その中枢には独裁色を帯びたトップが居座っている。はたして、日本の民主主義は将来どうなってしまうのか。まだ危機感で収まっているうちはいい。絶望感に変わったら、この国は終わりだ。

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私見

 危機感と絶望感。
統一地方選挙前半の投票率の低さは、国民が次々に絶望感の渕に追いやられているためと私は考えている。低投票率を識者は嘆くよりも、国民に「希望」を「展望」を具体的明示的に提示することだ。