【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

後藤健二さんは永遠に不滅の星になった~今年度ローリー・ペック賞受賞

2015-11-19 18:20:13 | 言論と政治
後藤健二さんは永遠に不滅の星になった

             櫻井 智志


今年のローリー・ペック賞は、安倍総理のカイロ演説がきっかけでイスラム国に虐殺された後藤健二さんに受賞が決定され、発表されました。
民衆の立場でフォトジャーナリストとして貢献したことが、高く評価されました。
安倍総理は、この受賞を知ってどう思うでしょうか?
なにか感じたり思ったりできるフツーの人間なら、後藤健二さん救出に全力をあげたことでしょう。
虐殺されすでに存在しないとしても、国際的な団体は観るべきものをしっかりと観ていて、表彰してくださいました。
後藤さんは、世界の理性によって永遠の星となったのです。。





====参考資料転載======

【東洋経済ONLINE】転載

後藤さんを支援、「ローリー・ペック」とは?
紛争地を取材するフリーランスの一大拠点

著者:小林 恭子 :ジャーナリスト

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が2月1日、拘束中のジャーナリスト後藤健二さんを殺害したとする動画をネット公開した。同日、後藤さんの妻は、夫が設立した「インデペンデント・プレス」社のウェブサイトと、英国の「ローリー・ペック・トラスト」のウェブサイトに声明文を発表している。1月29日にも、トラストのウェブサイトにメッセージを寄せ、健二さんと同様にイスラム国に拘束されているヨルダン人の飛行士の解放を求めた。

一般にはあまり知られていない団体であり、日本の各種報道でも、ローリー・ペック・トラストについての詳細な解説はほとんど行われていない。いったい、どのような活動を行っているのだろうか。また、どのような経緯でできたのだろうか。

1995年設立の慈善団体

ローリー・ペック・トラスト(以下、「トラスト」)は1995年に設置された慈善団体で、フリーランスで報道に携わる人々(ジャーナリスト、カメラマン、ビデオジャーナリストなど)とその家族を支援することを目的としている。

ウェブサイトによると、トラストはフリーランサーたちを「どこの組織にも属さず、独立の立場から現場で取材し、紙メディア、オンライン、放送メディアを通じてニュースを発信する人たち」と定義する。世界の紛争地や独裁政治の国などで「しばしば圧力を受けながらも」犯罪、汚職、人権じゅうりんなどをレポートする人たちだ。

組織に所属しているジャーナリストやカメラマンでさえも、紛争地での取材は危険度が高い。フリーランスの場合、さらにその危険性は増す。頼るような組織や保険など「守ってくれる存在がないか、ほとんどない状態で」取材するのが実態だからだ。

そこで、頼りにできる存在として創設されたのがこのトラストだ。

活動の柱の1つは、「フリーランス支援プログラム」。危険な状況下で報道を続けるジャーナリストたちに財政支援を提供する。取材中にジャーナリストが命を落とした場合、遺族へのさまざまな支援を行う。

危険な場所に向かう前に、現地情報や取材のアドバイスを受ける研修も行っている。

ウェブサイトにはフリーランスで働く人に役に立つような資料が掲載されており、例えば現地での費用計算表、予算表、請求書のひな形などが無料でダウンロードできるようになっている。

取材前の保険加入についてのページもある。紛争地での報道を支援するワークショップ、募金集めのためのイベントも定期的に行っている。

アワードのスポンサーは英国ソニー

もう1つの柱が年に一度、優れたニュース報道を行ったカメラマン、カメラウーマンに贈る「ローリー・ペック・トラスト・アワード」の運営だ。英国ソニーが賞のスポンサーとなっている。

2014年のアワード(11月19日発表)では、中央アフリカ共和国の政情を扱った番組を撮影したパコム・パバンジ氏がニュース部門の最優秀賞を受賞している。

トラストは世界中のジャーナリズム関連組織40余りとパートナー関係を結ぶ。活動資金はメディア組織や企業、個人からの募金が大きな位置を占める。主な募金者の名前を見ると、英テレビ局BBC,BスカイB,チャンネル4、米CNN,NBC、AP、ロイター、ソニー、国連民主基金など。年間収入は2013年12月31日時点で約65万1000ポンド(約1億1400万円)である。

トラストの名称はジャーナリスト、ローリー・ペック氏に由来する。ペック氏は1956年12月、米国で生まれた。アイルランド共和国の首都ダブリンで育ち、米国や父方の出身地である英スコットランドを行き来しながら複数の仕事をした後で、ジャーナリズムを職として選ぶようになった。

カメラを担ぎ、第1次湾岸戦争(1990~91年)を取材した後、ボスニアやアフガニスタンなど次々と紛争地で取材を行った。その映像はBBCやARD(ドイツ公共放送連盟)を含む世界中のテレビ局の番組で放送された。

2度目の結婚で妻となったジュリエットさんと子供たちとで一緒にモスクワに住むようになったペック氏は、ソ連が崩壊する様子をカメラで記録した。1993年10月、「モスクワ騒乱」が発生した。ソ連崩壊後、エリツィン大統領と反エリツィン派との対立が深まり、反勢力が最高会議ビルに立て籠もった事件である。

オスタンキノ・タワー(テレビ塔)の外で行われていた戦闘の模様を撮影していたペック氏は、砲火を浴びて命を落とした。享年36。エリツィン大統領はペック氏の死後に個人の勇気を称える勲章を授けている。

トラストのウェブサイトに掲載されている、ペック氏の妻ジュリエットさんの説明によると、ペック氏とジュリエットさんの一家は家族で紛争地を転転とする生活を過ごした。ペック氏のジャーナリズムを家族全員で支えていた。このため、1993年にペック氏が亡くなると、家族は一切の収入の道を閉ざされた格好となった。

ペック氏の業績に敬意を表したBBCは、モスクワに住んでいた一家が英国に引き上げる費用や手間の面倒は見てくれたという。しかし、「その後、財政的支援をする法的な理由がなかった」ため、フォローアップは途絶えた。ドイツのARDもペック氏が亡くなった日の午後に現場を撮影してくれたが、それ以上の支援をするようにはなっていなかった。

BBCやARDは一家に保険を提供しておらず、ペック氏が紛争地で働いていたために自分たちで保険の手配をし、支払いを行うことは「不可能だった」。

ペック氏が亡くなってまもなく、ジュリエットさんはガンにかかっていることを知る。働くことができず、手持ちの資金も減少する一方の中で、ジュリエットさんは心機一転。友人、知人に声をかけ、フリーランスのカメラマンたちを支援する組織立ち上げのための財政サポートを呼びかけた。何とか資金を集め、トラストが形となったのが1995年だった。その後、ジュリエットさんは2007年に亡くなったが、トラストはフリーランスたちとその家族を助けるための組織として生き続けている。

ロンドンにある、ジャーナリストのクラブ「フロントライン・クラブ」は、もともとはペック氏などの数人がフリーのカメラマンの集団として結成した「フロントライン・テレビジョン・ニュース」であった。フロントライン・クラブはネットを使った告発サイト「ウィキリークス」のジュリアン・アサンジ代表が一時宿泊していた場所としても知られている。

「ケンジ・ゴトウを思い出す」

トラストのウェブサイトには、後藤さんの妻のメッセージとともに、同じく1日付でトラストのディレクター、ティナ・カー氏のメッセージも掲載されている。

「ケンジ・ゴトウを思い出す」と題された、このメッセージの後半にこんな文章がある。「ケンジはトラストではよく知られていました。友人であり、私たちの仕事の支援者であり、ローリー・ペック・アワードの常連の候補者でした。彼の死は、彼を知るすべての人にとって大きな損失です。ご家族が今経験していることは想像ができないほど大変なことでしょう。すべての方がご家族のプライバシーを尊重することを望んでいます」

===参考資料転載終了====

政治家の信義と真偽~大阪で勝つ~

2015-11-19 15:48:07 | 社会・政治思想・歴史

          櫻井 智志


 11月22日の大阪府知事選挙・大阪市長選挙は、投票率や終盤の出来事で影響され、きわめて厳しい選挙戦と伝えられています。

 そんな中で、おおさか維新と橋下徹氏は、「批判ばかりしている共産党が自民党とくむのはおかしい」と非難しています。
 確かに自民党は大元の本部で安倍政権の言うがままに動く状態です。しかし、日本共産党の人々は懸命に応援しています。しんぶん赤旗を観ても、共産党が自民党を応援しているとは思えないほど、わが党のように誠心誠意応援し続けています。

 ここが重大なポイントです。日本共産党が大阪自民党と他党と強力して、全力をあげて闘い住民投票で大阪都構想を阻止しました。それでも開票結果はほんとうにわずかの薄氷を踏む接戦でした。けれど、共産党と支持者たちが全力を尽くして闘ったから、僅少差でも住民投票で民主主義の再生を果たしました。
 ダブル選挙で、日本共産党が大阪自民党候補を信義を尽くして懸命に闘う姿は、信義を重んじる政治家の面目躍如たるものがあります。

 おおさか維新の会は、維新の党と醜い罵倒の応酬です。これがもともとのなかまたちだったとは思えない罵倒のやりとりです。
そのような政党集団には、日本共産党のような「信義」はみじんのかけらも観られません。

 日本共産党の信義は、政党としての成熟度を示しています。真偽から言えばほんとうの政党です。真実を体現しようと努力し続ける政党です。

 そのような日本共産党が全力をあげて誠心誠意とり組んでいる選挙戦です。選挙で負けても、大阪自民党は、本物の政党の姿をそこに見るでしょう。

 対するにおおさか維新の会は、両方当選しても、今後維新の党との激しい政党助成金目当てのバトルが待っています。
 日本共産党は、この選挙が負けても、二度三度と大阪自民党との共闘によって、共産党は信頼するに値する、と認識を新たにされ見直されることでしょう。

 民主党も、懸命に取り組む岡田代表の足元から民主党を解体するという安倍政権から敵前逃亡して、第二自民党をめざしても、ついには組織は別でも自民党に吸収され、大政翼賛会平成バージョンとなるだけです。
 一見愚直に見えても、相手に信義を尽くして共闘する政党こそ真の政党と呼べる存在です。真の政党には、選挙戦で一時期は敗北したと見えても、その「信義」ゆえにつぎのステップがあります。けれど、政党の根本精神を見失ったひとびとが一時期多数集めたと思っても、なかでは押さえつけられた不満が鬱積し、やがては集団は瓦解することが、過去の歴史にもありました。
 おおさか維新の会、民主党解党派。これらは戦前戦時中の大政翼賛会となんら変わりがありません。
 平成大政翼賛会グループには、未来はありません。過去の亡霊と妄想を愉悦するのみで、現代民主主義政治とは無縁の暴走族としかたとえようがありません。

 心ある大阪の有権者は、一度は弁舌爽やかに見えた饒舌にたぶらかされた橋下徹氏の政界入りしたこの数年間にどれだけ貴重なものを次々に喪失させられていったか。はっきりと痛いほどの目にあわされました。しかし橋下徹氏は安倍総理の指示のもとにうろうろ動いています。安倍政権を倒幕しないかぎり、安倍の腰巾着として何度でも政界にあらわれうろうろしていることでしょう。

大阪ダブル選挙。自民党候補対おおさか維新の会の対決、ではないのです。橋下徹と安倍晋三の極右同盟に、大阪の住民が大阪自民党から共産党までの議会制民主主義勢力がチャレンジして、脈々と続く庶民の町大阪の歴史と今後の未来とを守り抜く闘いなのです。大阪には中世にも堺など町民の自治の歴史があります。それを踏み潰したのは織田信長ですが、奇しくも独裁権力者に比喩される安倍晋三、橋下徹、石原慎太郎。みんな似たタイプです。かれらは織田信長を好んでいるそうです。独裁者に地方自治のまちを渡すな。安倍政権直結の橋下グループに二つとも首長の座を渡すならば、12月19日に市長任期切れとなった橋下徹氏の副総理入閣がかなりの確立で実現することでしょう。橋下は二つの首を手土産に安倍政権に入りいっそう政治の反動化を促進してしまうと予測されます。


おおさか維新に権力を渡すな

橋下徹の好き放題にさせるな

安倍晋三は即時退陣しろ

20,21,22日日曜日
決戦は金曜日今回は日曜日
https://youtu.be/4ZQxNmeKgEU