五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志⑤最終回
櫻井 智志
2017年05月03日
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅳ】
2016年 第17回
第17回平和のためのコンサートの新鮮な感動
〜2016年(核時代71年)6月18日 〜
1.今次コンサートの第1部講演について
鷹巣直美さんと石垣義昭さんの「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の講演は興味深いものがあり、なかでも提唱者の鷹巣直美さんのパワーポイントを使いながらの講演からは、斬新な内容を含み、なぜノーベル平和賞の受賞者を「日本国民」としたのか、そこに深い見識が感じられ、大いに示唆を受けた。
また高校教師であった石垣義昭さんの講演のなかで堤未果さんやSEALDsで大活躍している奥田愛基さんと学校教育との洞察は、現在日本の学校教育の根本に迫る内容も一緒になされ、大いに参考となった。
「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動について、実行委員会共同代表のひとりである石垣義昭さんは、2014年(核時代69年)9月22日に、以下のように述べていらっしゃる。原文をそのまま転載することで読者の判断に供したい。出典は「法学館憲法研究所」のウェブサイトである。
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20140922.html
====引用開始=====
この運動の始まり
私たちが進めている「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動は、私たちが最初ではありません。私たちの把握できている限り、1991年にアメリカで「第9条の会」を立ち上げた現オハイオ大学名誉教授のチャールズ・オーバービー教授や日本の全印総連女性部でも起こしています。
今回の私たちの運動の発案者である鷹巣直美さんはこうした経緯を知らないまま、同様の趣旨のメールを何回かにわたってノルウエイのノーベル委員会に送ったそうです。すると委員会からメールが返って来ました。そこには①憲法の条文は受賞の対象にならない。受賞者は個人か団体であることが必要。②ノミネートにはノーベル委員会が認めた推薦資格を持つ人の推薦書が必要。③推薦は毎年2月1日に締め切られる。などのことが書いてありました。
そこで鷹巣さんは2012年にEUが団体で受賞していることにヒントを得て、「憲法9条を70年近く保持し続けている日本国民にノーベル平和賞を」という今回の運動を思いついたといいます。その提案を受けて相模原市と座間市の「9条の会」が合同で実行委員会を立ち上げたのが昨年の8月でした。「全国9条の会交流集会」で協力を呼びかけたのが11月で、「神奈川新聞」や「東京新聞」(1月)がこの運動を紹介した頃から運動が広がり始めました。2月1日の締め切り前に推薦書(13個人と1グループ)とそれまでに集まった署名約2万筆を送ることができました。
海外の反響に驚く!
4月9日にノルウエイの委員会から推薦を受理したという連絡が入ると、マスコミなどの大きく取り上げるところとなりました。特に韓国や香港をはじめとする海外からの反響が大きかった事に驚きました。直後から署名も急速に広がりはじめました。次から次にかかってくる電話の「署名用紙を送ってください」という問い合わせに十分対応できないほどでした。多くの方にご迷惑をお掛けして申し訳なく思っています。
ノミネートの連絡が入った直後のことでした。以前から護憲運動を続けている「9条の会」を受賞対象者として推薦していた東工大の先生から、「私の推薦書も受理されましたよ、ともに頑張りましょう!」という連絡がありました。私たちは受賞対象者を「日本国民に」としています。今年「ノーベル平和賞」にノミネートされた個人および団体は278に上るといわれていますが、その中に「日本国憲法」を推薦した二つの団体が含まれていたのです。
さて、今回の運動を通じて最も強く感じたのは、署名用紙に添えられてくる手紙の殆どに「とてもいい運動を始めてくださいました。皆さん気持ちよく署名してくれます」とか、「この運動を知って希望と勇気が湧いてきました」などの感謝の言葉や「この運動の実現を祈っています」などと書かれていた事でした。そうした声を実行委員会ニュース(現在6号まで発行)にも毎回紹介してきましたが、そうした手紙に私たち実行委員がどれほど励まされたか知れません。改めてお礼申し上げます。
「アジア平和賞」をいただきました
8月15日、マレーシアのクアラルンプールで授賞式がありました。この賞の受賞については実行委員会ニュースNo.7(9月下旬発行)で詳しく報告しますが、私たちの運動の意義を改めて確認させてくれる賞でした。
実行委員会ニュースに毎回書いている文があります。それは≪憲法九条のすばらしさを共有し、守り、活かし、世界に向けて広めていく取り組みの一つとして、思想・政党・宗教などのあらゆる違いを超えて、「憲法9条にノーベル平和賞を」の一点で一致し、協力して活動しています。≫というものです。この一文に私たちの運動の思いが込められています。しかし、「ノーベル平和賞」を受賞する事が最終目標ではありません。それは一つの通過点なのです。
日本国憲法を守り、活かし、広めていくのはあくまで日本国民です。日本国憲法の持つ素晴らしい精神。「平和主義」、つまり、もう二度と戦争はしませんという不戦の誓いです。「基本的人権の尊重」、つまり、一人ひとりを人間として尊び、その幸せを実現していくことです。「主権在民」つまり、国民を主人公とする社会の実現です。
ある人が言いました。「9条はノーベル平和賞に値するのか」と、そして「ノーベル平和賞は9条に値するのか」と。私は今回の運動を通して「この運動はそのことを問う運動でもあるのだということが」少し分かってきた気がしているところです。
===引用終了=====
石垣義昭さんは、1941年、北海道に生まれて室蘭栄高校、都留文科大学国文科卒業、武蔵工業大学(現東京都市大)付属中高校に勤務なさり、2005年にご退職された。現在は、「不登校を考える東京私学の会」の代表や東京父母懇談会「電話教育相談」・相談員もなされていらっしゃる。「教室に感動が広がるとき」(近代文藝社)などのご著作を出版なされている。
この「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みを日本で最初にとり組まれたかたが、鷹巣直美さんである。
2.第二部のコンサート
①重唱 アンサンブル・ローゼ
ビアノ:末廣和史さん
アンサンブル・ローゼは、七人の女性ボーカリストから構成される。
ソプラノが、池田孝子さん、高橋順子さん、渡辺裕子さんである。メゾ・ソプラノが、芝田貞子さん、高橋邦子さん。アルトが嶋田美佐子さんである。
今回は「待ちぼうけ」「野の羊」「この道」「浜辺の歌」の四曲を歌った。日本のうたをしっとりと聴かせる。歌が途中で転調する歌があった。澄み切ったハーモニーは変わらず、このグループの歌唱力がもつ声楽としての水準の高さを感じさせる。毎回さまざまなバラエテイの楽曲をこなし、洋楽やクラシックの歌唱の時もあったが、実に多彩などんな楽曲も「うたのこころ」をしみじみと響かせて共感を感じさせてくれる。
ピアノの末廣さんは今までにも加わっていて、重唱の効果をよく高めていて聴き心地がよい。
②チェロ独奏 佐藤智孝さん
ピアノ:児玉さや佳さん
プログラムには、「メネエット ト長調」(ベートーヴェン作曲)、「ムーア人の踊り」(ファリャ作曲)が記載されている。私のメモでは三曲と記されている。もう一曲の題名はわからないが、深いチェロの響きと伴奏のピアノとのコラボレーハョンが見事である。チェロのしみじみとした味わいをピアノの演奏が重厚な立体感を醸し出している。
③バリトン独唱 奥村泰憲さん
ピアノ:外林由貴子さん
歌劇「はだしのゲン」から”麦のように強くなれ”(保科 洋作曲)、「音頭の船頭歌」(広島県民謡)、歌劇「悪魔の壁」から"一人の美しい女性が”(スメタナ作曲)の三曲。曲想や種類が三曲とも異なるけれども、どの曲も音楽的に高いレベルとして演奏されていた。民謡、クラシックなど歌い手にとっては異質な楽曲であうるけれども、ひとつひとつの歌唱がピアノとよく共鳴しあっていて、バリトンとピアノのコンビネーションがよく合っている。
【私見】
ノーモア・ヒロシマ・コンサートを含めて、平和のためのコンサートは、芝田進午先生の「反核文化としての音楽」を実に豊かに体現化してきた。17回の平和のためのコンサートのすべて、ノーモア・ヒロシマ・コンサート(広島と東京)の東京都新宿区朝日生命ホールのコンサートのほとんどを聴いてきた。私の故郷には群馬交響楽団が昔からあって、群馬県内の平地・山間部を問わず広く小中学校の講堂や体育館で公演を行ってきた。そのことが、子どもたちの感性に一定の影響を及ぼしてきた。
この「平和のためのコンサート」も、広くおだやかで豊かな感覚と反核文化の普及に努めている。とくに派手なコンサートではないが、毎回持続して17年間も続いてきたことに、驚きと主催者への尊敬を覚える。
芝田進午・貞子ご夫妻と二人の息子さんご夫婦などのご家族がその担い手である。さらに芝田進午先生が生涯の最後にとり組んだ新宿区の住宅街・早稲田大学などのある文教地区に移転と実験を強行した国立感染研(旧国立予研)に対する実験強行差し止め裁判闘争をともに闘った人々や芝田先生の法政大学・広島大学・民間の芝田ゼミなどの教え子たち、さらに芝田貞子先生もメンバーのアンサンブル・ローゼの関係者たちのコンサート開催の実務支援は重要な意義をもつ。
このコンサートが平和と反核文化に国民に与える影響は大きい。過去にピートシーガーや美輪明宏さん、葦原邦子さんなども無料で賛助出演なされている。このコンサートの出演者は、確か無料出演と聴いたことがある。コンサート自体が、出演者・開催者・聴衆の三位一体となって、日本と世界の平和と平和文化に貢献している。
そして、第1部の講演「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みが、世間的な噂よりももっと深く「戦争を阻止し平和な社会」を形成する運動として深い意義をもっていることを、コンサート参加者に正確に知らせている。
第1部、第2部あいまって、「平和」を感じ考えさせてくれる。このコンサートの意義は、コンサート会場に出かけた人々を通して、広く深く社会に伝わっていってほしい重要な文化的社会的実践である。
3 持続する芝田貞子さんたちの志
今年2016年(核時代71年)で17回目を迎える。このコンサートの第1回目は2000年(核時代55年)に開催された。2001年(核時代56年)3月14日、芝田進午先生は胆管ガンのため多くの方々の哀しみのなかでご逝去された。この年に開かれた第2回コンサートの実務からすべての運営を担われたのが、芝田貞子さんだった。それを支えたのが、ご家族と感染研裁判をともに闘われた研究者や市民の方々や芝田先生を尊敬する教え子たちだった。
この17年間のあいだ、アンサンブル・ローゼの声楽家の皆さんは芝田貞子さんを「芝田先生」と呼ぶようになっていた。かつて芝田進午氏が企画・推進・実務のかなりの実務を担っていた。それらのすべてをいま芝田貞子さんが担っている。しかも初回から17年間も。その前の「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」は東京都新宿区と広島市とで開催されていたから、ご夫婦が推進された反核文化としての実践は、数十年にわたる。
芝田貞子先生が果たされてきた反核文化としてのコンサート推進は、まさに芝田進午先生の開拓者としての同志であり継承者である。17年間企画者であり推進者であり実務の責任者としての継続は、私はひとことも聞いてはいないけれども、想像するに心身ともにかなりの負担や過労となったこともあろうと私には感ぜられる。
そのような思いに至った時、このコンサートが、福島原発事故でいまだ事故の実態も事故進行がどの程度の段階かも把握できていない今日にもつ意義は大きい。ヒロシマとナガサキの核兵器投下という非人道的戦争犯罪をノーモア・ヒロシマ・コンサートは側面から告発し、ここ数年、ケネディアメリカ駐日大使やアメリカ国務省ケリー長官は広島市の原爆資料館を訪れた。ノーベル平和賞を受けながら、ブッシュ前大統領の致命的な経済失政により受けた傷痕のため、経済政策の復興が実現できずに中間選挙敗北のためあいついでアメリカ軍産複合体と妥協せざるを得ない政治の連続である。それでもキューバとの劇的な国交回復に続き、広島を来日し原爆資料館を訪問する可能性をあきらかにしている。
ところがそんな日本の国情よりも別の価値観しかわからない安倍晋三氏は、なんと原発や兵器を輸入することで経済振興をはかる暴挙に出た。こんな核時代71年(この呼称は芝田学の反核文化論の成果である)に、平和のためのコンサートの意義は、実に豊かで大きなものがある。
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「平和のためのコンサート」を持続する志⑥
櫻井 智志
2017年05月13日
第18回 平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~(3)最終稿
----------構成-------------------------------------------
(序)
(1)第18回平和のためのコンサートの概要
(2)平和のためのコンサートの通史
◎(3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
◎(まとめ)
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(3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
① 芝田進午氏は現在も生きている
芝田進午氏は、現在、生きている。このような毎回広範な講演と音楽家の演奏が、18年間も一度も絶えることなく続いている。その事実が、芝田進午先生がいまも健在であるかのように感じる。正確に言えば、芝田氏の遺志をほぼ完璧に体現されている。
その実態は、芝田貞子氏を中心とする芝田進午氏のご家族と、《芝田学》(=人類生存の思想と実践的唯物論哲学を根幹とする学問)に関わる研究者・教え子、核廃絶と国立感染研の安全無視と対峙しバイオハザード災害阻止を実践的に取り組む住民と研究者の団体である。
芝田進午氏の最後の著作は、三階徹氏・平川俊彦氏・平田哲男氏の三人の編者、正確に言えば対話者の協同作業によって世に出た。
『実践的唯物論への道/人類生存の哲学を求めて』(2001年9月 青木書店)「Ⅴ 核時代・バイオ時代における「実践的唯物論」の課題」「19 核時代の危険と「実践的唯物論」の新しい形態の研究」「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」にこのようなくだりがある。
・・・いま思えば、僕が広島にいた(*広島大学教授として勤務)からこのコンサートはできたといってもいいでしょう。東京にいたとしたら、とてもできませんでした。そして、あえてもう一言いわせていただけば、妻が音楽家だからできたわけです。・・・・・
戦前の哲学者戸坂潤は、「おけさほど唯物論は広がらず」と嘆息した。戦後72年、核時代72年は、思わぬ平和憲法の解体と明治憲法の亡霊復活を企図する日本軍事国家主義の台頭勢力が政権を握り、与党自民党公明党内部にさえ批判する政治家が続いている。
生きる権利と平和の学問的実践的構築を基調とする芝田進午・貞子夫妻の信念は、実体のものとして持続している。
② 芝田進午氏の構想
芝田進午氏亡き後も、平和コンサートはこうやって続いている。平和のためのコンサートは、芝田夫妻によって始まり継続されている。
このコンサートは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートとともに歴史にきざまれる事は間違いない。反核音楽、反核文化は1945年を起点としている。
芝田先生は、「ヒロシマ紀元」を提唱し、広島・長崎に米軍機が核兵器を投下した西暦1945年を元年とした。この元号は進歩的学者たちから、賛否両論あり、芝田氏は他の歴史学者たちとともに「核時代」の紀元を使うようになった。
私が最も無念なのは、福島原発事故に対する民衆の側からの哲学的思想的構想力の脆弱さである。高橋哲哉氏、徐京植氏らの見解に共感を覚えたが、「核時代」「反核文化」に示した芝田氏の構想力に匹敵するような論究は寡聞にしてまだ把握していない。
ただ、反原発連合のような市民運動団体や草の根の福島県はじめ全国の市民たちの発言や表現、実践には希望が感じられる。社民党福島瑞穂さんや日本共産党など政党にも実践が持続している。
なお、私は加藤哲郎氏の『日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理』(岩波書店2013年12月)を断続的に読んでいる。「原子力の資本主義的利用と原子力の平和的利用」という視点に、国内の歴史的経過、国際社会の原子力観の変遷を具体的に分析している。
かつて芝田先生の『社会科学年報』において、大月書店編集部にいた加藤氏の論文を読み、感銘を受けた。その後加藤氏は、大学教師となり一橋大学社会学部教授として精力的に研究を重ねた。加藤哲郎氏の論文は忌憚なく日本の社会主義を批判している。加藤哲郎氏が提起した問題を、芝田先生ならどのように研究なさって研究の労作を発表なされただろうか。ひとつだけ私に予想できることは、加藤哲郎氏の労作を事実はきちんと受け止めて、「原子力の平和利用」肯定の日本の社会主義政党の歴史からどう現在を開拓するかを提示するだろう。
芝田氏のように、反核を文化として現実社会に広めていった姿に、学者として第一級であるばかりか、実践においても地道で持続なされ、それを継承していること。そこには、国内原発事故以前に、原発の危険を予知して市民運動を展開されていた高木仁三郎氏に対する芝田氏の謙虚な姿勢の対峙を著作からうかがうことができる。
芝田進午氏のスタンスは党派的ふるまいに限定されない。事実を何度も疑い、吟味する。芝田氏ならば、原発事故を論じること以上に広範な資料データや調査を蒐集して、それらをもとに仮説を立て、定説にとらわれず、自らが納得する立論をたて、分析する。
さらにそれにとどまらず、原発被災の被害を受けた福島県民を励まし応援する文化的運動を展開されたことだろう。その文化的運動の一環としてこの「平和のためのコンサート」は先駆的な意義をもつ。
【まとめ】
再度、18回コンサート実行委員会のアピールを掲載させていただく。
=================================================================================
第18回目となる“平和のためのコンサート”を今年も開催することとなりました。
世界中で不寛容の嵐が吹いています。アメリカでは分断を煽るトランプ大統領が誕生し、ヨーロッパでも排外主義を掲げる政党が勢力を
伸ばしています。日本では、戦争法を作り、共謀罪の制定を目指し、憲法改悪を狙う安倍内閣が長期政権を築いています。日々、暗いニュースに接していると、落ち込むばかりですが、私たちに出来ること、やらなければならないことも多くあるので、落ち込んでばかりではいられません。
今年の平和のためのコンサートは「芝田進午十七回忌によせて」とさせていただきました。厳しい局面でも、常に笑顔を絶やさず、真っ直ぐ前を見つめておられた芝田進午先生が生きておられたら、平和を諦めてはいけないと、優しく励ましてくださったことでしょう。
第一部では、元広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんに講演をお願いしました。「核-禁止と平和への道-」と題してお話いただきます。
ぜひ、周りの方々、とりわけ若い人たちにも声をかけていただき、平和のためのコンサートに足を運んでいただきますよう、お願い申し上げます。
2017年(核時代72年) 平和のためのコンサート実行委員会
====================================================================================
2017年6月10日(土)
午後1:30開演(午後1:00開場)
料金 ¥2,200(全席自由)
会場:牛込箪笥(うしごめ たんす)区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩0分
主催 平和のためのコンサート実行委員会
後援 アンサンブル・ローゼ ノーモア・ヒロシマ・コンサート
ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会
バイオハザード予防市民センター
【お問い合わせ TEL/FAX 03-3209-9666 芝田様方】
①第18回平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~
第一部 講演 スティーブン・リーパー(Steven Leeper)
「核禁止と平和への道」
スティーブン・リーパーさん(Steven Leeper)のこと:
1947年米国生まれ。
翻訳家、平和運動家を経て2002年平和市長会議米国代表。2003年(公財)広島平和文化センター専門委員、2007年米国人として初めて同センター理事長に就任(~2013年)。
全米における原爆展開催、核兵器廃絶を目指す「2020ビジョンキャンペーン」など広島から世界に向けて核兵器廃絶を訴えてきた。
現在広島県に「平和文化村」を開設。「豊かさを問う交流の場」として持続可能な平和を実践するモデルを国際社会に示そうと活動中。広島女学院大学、長崎大学客員教授。
第二部 コンサート
【重唱】 アンサンブル・ローゼ(ピアノ:末廣和史)~イギリス地方のメロディ~
♪スコットランドの釣鐘草 スコットランド民謡
♪埴生の宿 H.ビショップ作曲
♪ロンドン橋 イギリス童謡
♪春の日の花と輝く アイルランド民謡
ソプラノ
:池田孝子 斎藤みどり 高橋順子 渡辺裕子
メゾ・ソプラノ :芝田貞子 高﨑邦子
アルト :嶋田美佐子
【マリンバ独奏】水野与旨久(ピアノ:水野喜子)
♪チャルダス
♪ただ憧れを知るものぞ
「ラテン名曲」より
♪マリア・エレナ ♪エル・クンパンチェロ
【テノール独唱】狭間 壮(ピアノ:はざま ゆか)
♪無縁坂 ♪リリー・マルレーン
♪一本の鉛筆 ♪死んだ男の残したものは 他
【会場の皆様とご一緒に~シング・アウト】
♪「青い空は」小森香子 作詞/大西 進作曲
司会 長岡 幸子
《連載終了》
櫻井 智志
2017年05月03日
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅳ】
2016年 第17回
第17回平和のためのコンサートの新鮮な感動
〜2016年(核時代71年)6月18日 〜
1.今次コンサートの第1部講演について
鷹巣直美さんと石垣義昭さんの「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の講演は興味深いものがあり、なかでも提唱者の鷹巣直美さんのパワーポイントを使いながらの講演からは、斬新な内容を含み、なぜノーベル平和賞の受賞者を「日本国民」としたのか、そこに深い見識が感じられ、大いに示唆を受けた。
また高校教師であった石垣義昭さんの講演のなかで堤未果さんやSEALDsで大活躍している奥田愛基さんと学校教育との洞察は、現在日本の学校教育の根本に迫る内容も一緒になされ、大いに参考となった。
「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動について、実行委員会共同代表のひとりである石垣義昭さんは、2014年(核時代69年)9月22日に、以下のように述べていらっしゃる。原文をそのまま転載することで読者の判断に供したい。出典は「法学館憲法研究所」のウェブサイトである。
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20140922.html
====引用開始=====
この運動の始まり
私たちが進めている「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動は、私たちが最初ではありません。私たちの把握できている限り、1991年にアメリカで「第9条の会」を立ち上げた現オハイオ大学名誉教授のチャールズ・オーバービー教授や日本の全印総連女性部でも起こしています。
今回の私たちの運動の発案者である鷹巣直美さんはこうした経緯を知らないまま、同様の趣旨のメールを何回かにわたってノルウエイのノーベル委員会に送ったそうです。すると委員会からメールが返って来ました。そこには①憲法の条文は受賞の対象にならない。受賞者は個人か団体であることが必要。②ノミネートにはノーベル委員会が認めた推薦資格を持つ人の推薦書が必要。③推薦は毎年2月1日に締め切られる。などのことが書いてありました。
そこで鷹巣さんは2012年にEUが団体で受賞していることにヒントを得て、「憲法9条を70年近く保持し続けている日本国民にノーベル平和賞を」という今回の運動を思いついたといいます。その提案を受けて相模原市と座間市の「9条の会」が合同で実行委員会を立ち上げたのが昨年の8月でした。「全国9条の会交流集会」で協力を呼びかけたのが11月で、「神奈川新聞」や「東京新聞」(1月)がこの運動を紹介した頃から運動が広がり始めました。2月1日の締め切り前に推薦書(13個人と1グループ)とそれまでに集まった署名約2万筆を送ることができました。
海外の反響に驚く!
4月9日にノルウエイの委員会から推薦を受理したという連絡が入ると、マスコミなどの大きく取り上げるところとなりました。特に韓国や香港をはじめとする海外からの反響が大きかった事に驚きました。直後から署名も急速に広がりはじめました。次から次にかかってくる電話の「署名用紙を送ってください」という問い合わせに十分対応できないほどでした。多くの方にご迷惑をお掛けして申し訳なく思っています。
ノミネートの連絡が入った直後のことでした。以前から護憲運動を続けている「9条の会」を受賞対象者として推薦していた東工大の先生から、「私の推薦書も受理されましたよ、ともに頑張りましょう!」という連絡がありました。私たちは受賞対象者を「日本国民に」としています。今年「ノーベル平和賞」にノミネートされた個人および団体は278に上るといわれていますが、その中に「日本国憲法」を推薦した二つの団体が含まれていたのです。
さて、今回の運動を通じて最も強く感じたのは、署名用紙に添えられてくる手紙の殆どに「とてもいい運動を始めてくださいました。皆さん気持ちよく署名してくれます」とか、「この運動を知って希望と勇気が湧いてきました」などの感謝の言葉や「この運動の実現を祈っています」などと書かれていた事でした。そうした声を実行委員会ニュース(現在6号まで発行)にも毎回紹介してきましたが、そうした手紙に私たち実行委員がどれほど励まされたか知れません。改めてお礼申し上げます。
「アジア平和賞」をいただきました
8月15日、マレーシアのクアラルンプールで授賞式がありました。この賞の受賞については実行委員会ニュースNo.7(9月下旬発行)で詳しく報告しますが、私たちの運動の意義を改めて確認させてくれる賞でした。
実行委員会ニュースに毎回書いている文があります。それは≪憲法九条のすばらしさを共有し、守り、活かし、世界に向けて広めていく取り組みの一つとして、思想・政党・宗教などのあらゆる違いを超えて、「憲法9条にノーベル平和賞を」の一点で一致し、協力して活動しています。≫というものです。この一文に私たちの運動の思いが込められています。しかし、「ノーベル平和賞」を受賞する事が最終目標ではありません。それは一つの通過点なのです。
日本国憲法を守り、活かし、広めていくのはあくまで日本国民です。日本国憲法の持つ素晴らしい精神。「平和主義」、つまり、もう二度と戦争はしませんという不戦の誓いです。「基本的人権の尊重」、つまり、一人ひとりを人間として尊び、その幸せを実現していくことです。「主権在民」つまり、国民を主人公とする社会の実現です。
ある人が言いました。「9条はノーベル平和賞に値するのか」と、そして「ノーベル平和賞は9条に値するのか」と。私は今回の運動を通して「この運動はそのことを問う運動でもあるのだということが」少し分かってきた気がしているところです。
===引用終了=====
石垣義昭さんは、1941年、北海道に生まれて室蘭栄高校、都留文科大学国文科卒業、武蔵工業大学(現東京都市大)付属中高校に勤務なさり、2005年にご退職された。現在は、「不登校を考える東京私学の会」の代表や東京父母懇談会「電話教育相談」・相談員もなされていらっしゃる。「教室に感動が広がるとき」(近代文藝社)などのご著作を出版なされている。
この「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みを日本で最初にとり組まれたかたが、鷹巣直美さんである。
2.第二部のコンサート
①重唱 アンサンブル・ローゼ
ビアノ:末廣和史さん
アンサンブル・ローゼは、七人の女性ボーカリストから構成される。
ソプラノが、池田孝子さん、高橋順子さん、渡辺裕子さんである。メゾ・ソプラノが、芝田貞子さん、高橋邦子さん。アルトが嶋田美佐子さんである。
今回は「待ちぼうけ」「野の羊」「この道」「浜辺の歌」の四曲を歌った。日本のうたをしっとりと聴かせる。歌が途中で転調する歌があった。澄み切ったハーモニーは変わらず、このグループの歌唱力がもつ声楽としての水準の高さを感じさせる。毎回さまざまなバラエテイの楽曲をこなし、洋楽やクラシックの歌唱の時もあったが、実に多彩などんな楽曲も「うたのこころ」をしみじみと響かせて共感を感じさせてくれる。
ピアノの末廣さんは今までにも加わっていて、重唱の効果をよく高めていて聴き心地がよい。
②チェロ独奏 佐藤智孝さん
ピアノ:児玉さや佳さん
プログラムには、「メネエット ト長調」(ベートーヴェン作曲)、「ムーア人の踊り」(ファリャ作曲)が記載されている。私のメモでは三曲と記されている。もう一曲の題名はわからないが、深いチェロの響きと伴奏のピアノとのコラボレーハョンが見事である。チェロのしみじみとした味わいをピアノの演奏が重厚な立体感を醸し出している。
③バリトン独唱 奥村泰憲さん
ピアノ:外林由貴子さん
歌劇「はだしのゲン」から”麦のように強くなれ”(保科 洋作曲)、「音頭の船頭歌」(広島県民謡)、歌劇「悪魔の壁」から"一人の美しい女性が”(スメタナ作曲)の三曲。曲想や種類が三曲とも異なるけれども、どの曲も音楽的に高いレベルとして演奏されていた。民謡、クラシックなど歌い手にとっては異質な楽曲であうるけれども、ひとつひとつの歌唱がピアノとよく共鳴しあっていて、バリトンとピアノのコンビネーションがよく合っている。
【私見】
ノーモア・ヒロシマ・コンサートを含めて、平和のためのコンサートは、芝田進午先生の「反核文化としての音楽」を実に豊かに体現化してきた。17回の平和のためのコンサートのすべて、ノーモア・ヒロシマ・コンサート(広島と東京)の東京都新宿区朝日生命ホールのコンサートのほとんどを聴いてきた。私の故郷には群馬交響楽団が昔からあって、群馬県内の平地・山間部を問わず広く小中学校の講堂や体育館で公演を行ってきた。そのことが、子どもたちの感性に一定の影響を及ぼしてきた。
この「平和のためのコンサート」も、広くおだやかで豊かな感覚と反核文化の普及に努めている。とくに派手なコンサートではないが、毎回持続して17年間も続いてきたことに、驚きと主催者への尊敬を覚える。
芝田進午・貞子ご夫妻と二人の息子さんご夫婦などのご家族がその担い手である。さらに芝田進午先生が生涯の最後にとり組んだ新宿区の住宅街・早稲田大学などのある文教地区に移転と実験を強行した国立感染研(旧国立予研)に対する実験強行差し止め裁判闘争をともに闘った人々や芝田先生の法政大学・広島大学・民間の芝田ゼミなどの教え子たち、さらに芝田貞子先生もメンバーのアンサンブル・ローゼの関係者たちのコンサート開催の実務支援は重要な意義をもつ。
このコンサートが平和と反核文化に国民に与える影響は大きい。過去にピートシーガーや美輪明宏さん、葦原邦子さんなども無料で賛助出演なされている。このコンサートの出演者は、確か無料出演と聴いたことがある。コンサート自体が、出演者・開催者・聴衆の三位一体となって、日本と世界の平和と平和文化に貢献している。
そして、第1部の講演「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みが、世間的な噂よりももっと深く「戦争を阻止し平和な社会」を形成する運動として深い意義をもっていることを、コンサート参加者に正確に知らせている。
第1部、第2部あいまって、「平和」を感じ考えさせてくれる。このコンサートの意義は、コンサート会場に出かけた人々を通して、広く深く社会に伝わっていってほしい重要な文化的社会的実践である。
3 持続する芝田貞子さんたちの志
今年2016年(核時代71年)で17回目を迎える。このコンサートの第1回目は2000年(核時代55年)に開催された。2001年(核時代56年)3月14日、芝田進午先生は胆管ガンのため多くの方々の哀しみのなかでご逝去された。この年に開かれた第2回コンサートの実務からすべての運営を担われたのが、芝田貞子さんだった。それを支えたのが、ご家族と感染研裁判をともに闘われた研究者や市民の方々や芝田先生を尊敬する教え子たちだった。
この17年間のあいだ、アンサンブル・ローゼの声楽家の皆さんは芝田貞子さんを「芝田先生」と呼ぶようになっていた。かつて芝田進午氏が企画・推進・実務のかなりの実務を担っていた。それらのすべてをいま芝田貞子さんが担っている。しかも初回から17年間も。その前の「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」は東京都新宿区と広島市とで開催されていたから、ご夫婦が推進された反核文化としての実践は、数十年にわたる。
芝田貞子先生が果たされてきた反核文化としてのコンサート推進は、まさに芝田進午先生の開拓者としての同志であり継承者である。17年間企画者であり推進者であり実務の責任者としての継続は、私はひとことも聞いてはいないけれども、想像するに心身ともにかなりの負担や過労となったこともあろうと私には感ぜられる。
そのような思いに至った時、このコンサートが、福島原発事故でいまだ事故の実態も事故進行がどの程度の段階かも把握できていない今日にもつ意義は大きい。ヒロシマとナガサキの核兵器投下という非人道的戦争犯罪をノーモア・ヒロシマ・コンサートは側面から告発し、ここ数年、ケネディアメリカ駐日大使やアメリカ国務省ケリー長官は広島市の原爆資料館を訪れた。ノーベル平和賞を受けながら、ブッシュ前大統領の致命的な経済失政により受けた傷痕のため、経済政策の復興が実現できずに中間選挙敗北のためあいついでアメリカ軍産複合体と妥協せざるを得ない政治の連続である。それでもキューバとの劇的な国交回復に続き、広島を来日し原爆資料館を訪問する可能性をあきらかにしている。
ところがそんな日本の国情よりも別の価値観しかわからない安倍晋三氏は、なんと原発や兵器を輸入することで経済振興をはかる暴挙に出た。こんな核時代71年(この呼称は芝田学の反核文化論の成果である)に、平和のためのコンサートの意義は、実に豊かで大きなものがある。
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「平和のためのコンサート」を持続する志⑥
櫻井 智志
2017年05月13日
第18回 平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~(3)最終稿
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(序)
(1)第18回平和のためのコンサートの概要
(2)平和のためのコンサートの通史
◎(3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
◎(まとめ)
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(3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
① 芝田進午氏は現在も生きている
芝田進午氏は、現在、生きている。このような毎回広範な講演と音楽家の演奏が、18年間も一度も絶えることなく続いている。その事実が、芝田進午先生がいまも健在であるかのように感じる。正確に言えば、芝田氏の遺志をほぼ完璧に体現されている。
その実態は、芝田貞子氏を中心とする芝田進午氏のご家族と、《芝田学》(=人類生存の思想と実践的唯物論哲学を根幹とする学問)に関わる研究者・教え子、核廃絶と国立感染研の安全無視と対峙しバイオハザード災害阻止を実践的に取り組む住民と研究者の団体である。
芝田進午氏の最後の著作は、三階徹氏・平川俊彦氏・平田哲男氏の三人の編者、正確に言えば対話者の協同作業によって世に出た。
『実践的唯物論への道/人類生存の哲学を求めて』(2001年9月 青木書店)「Ⅴ 核時代・バイオ時代における「実践的唯物論」の課題」「19 核時代の危険と「実践的唯物論」の新しい形態の研究」「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」にこのようなくだりがある。
・・・いま思えば、僕が広島にいた(*広島大学教授として勤務)からこのコンサートはできたといってもいいでしょう。東京にいたとしたら、とてもできませんでした。そして、あえてもう一言いわせていただけば、妻が音楽家だからできたわけです。・・・・・
戦前の哲学者戸坂潤は、「おけさほど唯物論は広がらず」と嘆息した。戦後72年、核時代72年は、思わぬ平和憲法の解体と明治憲法の亡霊復活を企図する日本軍事国家主義の台頭勢力が政権を握り、与党自民党公明党内部にさえ批判する政治家が続いている。
生きる権利と平和の学問的実践的構築を基調とする芝田進午・貞子夫妻の信念は、実体のものとして持続している。
② 芝田進午氏の構想
芝田進午氏亡き後も、平和コンサートはこうやって続いている。平和のためのコンサートは、芝田夫妻によって始まり継続されている。
このコンサートは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートとともに歴史にきざまれる事は間違いない。反核音楽、反核文化は1945年を起点としている。
芝田先生は、「ヒロシマ紀元」を提唱し、広島・長崎に米軍機が核兵器を投下した西暦1945年を元年とした。この元号は進歩的学者たちから、賛否両論あり、芝田氏は他の歴史学者たちとともに「核時代」の紀元を使うようになった。
私が最も無念なのは、福島原発事故に対する民衆の側からの哲学的思想的構想力の脆弱さである。高橋哲哉氏、徐京植氏らの見解に共感を覚えたが、「核時代」「反核文化」に示した芝田氏の構想力に匹敵するような論究は寡聞にしてまだ把握していない。
ただ、反原発連合のような市民運動団体や草の根の福島県はじめ全国の市民たちの発言や表現、実践には希望が感じられる。社民党福島瑞穂さんや日本共産党など政党にも実践が持続している。
なお、私は加藤哲郎氏の『日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理』(岩波書店2013年12月)を断続的に読んでいる。「原子力の資本主義的利用と原子力の平和的利用」という視点に、国内の歴史的経過、国際社会の原子力観の変遷を具体的に分析している。
かつて芝田先生の『社会科学年報』において、大月書店編集部にいた加藤氏の論文を読み、感銘を受けた。その後加藤氏は、大学教師となり一橋大学社会学部教授として精力的に研究を重ねた。加藤哲郎氏の論文は忌憚なく日本の社会主義を批判している。加藤哲郎氏が提起した問題を、芝田先生ならどのように研究なさって研究の労作を発表なされただろうか。ひとつだけ私に予想できることは、加藤哲郎氏の労作を事実はきちんと受け止めて、「原子力の平和利用」肯定の日本の社会主義政党の歴史からどう現在を開拓するかを提示するだろう。
芝田氏のように、反核を文化として現実社会に広めていった姿に、学者として第一級であるばかりか、実践においても地道で持続なされ、それを継承していること。そこには、国内原発事故以前に、原発の危険を予知して市民運動を展開されていた高木仁三郎氏に対する芝田氏の謙虚な姿勢の対峙を著作からうかがうことができる。
芝田進午氏のスタンスは党派的ふるまいに限定されない。事実を何度も疑い、吟味する。芝田氏ならば、原発事故を論じること以上に広範な資料データや調査を蒐集して、それらをもとに仮説を立て、定説にとらわれず、自らが納得する立論をたて、分析する。
さらにそれにとどまらず、原発被災の被害を受けた福島県民を励まし応援する文化的運動を展開されたことだろう。その文化的運動の一環としてこの「平和のためのコンサート」は先駆的な意義をもつ。
【まとめ】
再度、18回コンサート実行委員会のアピールを掲載させていただく。
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第18回目となる“平和のためのコンサート”を今年も開催することとなりました。
世界中で不寛容の嵐が吹いています。アメリカでは分断を煽るトランプ大統領が誕生し、ヨーロッパでも排外主義を掲げる政党が勢力を
伸ばしています。日本では、戦争法を作り、共謀罪の制定を目指し、憲法改悪を狙う安倍内閣が長期政権を築いています。日々、暗いニュースに接していると、落ち込むばかりですが、私たちに出来ること、やらなければならないことも多くあるので、落ち込んでばかりではいられません。
今年の平和のためのコンサートは「芝田進午十七回忌によせて」とさせていただきました。厳しい局面でも、常に笑顔を絶やさず、真っ直ぐ前を見つめておられた芝田進午先生が生きておられたら、平和を諦めてはいけないと、優しく励ましてくださったことでしょう。
第一部では、元広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんに講演をお願いしました。「核-禁止と平和への道-」と題してお話いただきます。
ぜひ、周りの方々、とりわけ若い人たちにも声をかけていただき、平和のためのコンサートに足を運んでいただきますよう、お願い申し上げます。
2017年(核時代72年) 平和のためのコンサート実行委員会
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2017年6月10日(土)
午後1:30開演(午後1:00開場)
料金 ¥2,200(全席自由)
会場:牛込箪笥(うしごめ たんす)区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩0分
主催 平和のためのコンサート実行委員会
後援 アンサンブル・ローゼ ノーモア・ヒロシマ・コンサート
ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会
バイオハザード予防市民センター
【お問い合わせ TEL/FAX 03-3209-9666 芝田様方】
①第18回平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~
第一部 講演 スティーブン・リーパー(Steven Leeper)
「核禁止と平和への道」
スティーブン・リーパーさん(Steven Leeper)のこと:
1947年米国生まれ。
翻訳家、平和運動家を経て2002年平和市長会議米国代表。2003年(公財)広島平和文化センター専門委員、2007年米国人として初めて同センター理事長に就任(~2013年)。
全米における原爆展開催、核兵器廃絶を目指す「2020ビジョンキャンペーン」など広島から世界に向けて核兵器廃絶を訴えてきた。
現在広島県に「平和文化村」を開設。「豊かさを問う交流の場」として持続可能な平和を実践するモデルを国際社会に示そうと活動中。広島女学院大学、長崎大学客員教授。
第二部 コンサート
【重唱】 アンサンブル・ローゼ(ピアノ:末廣和史)~イギリス地方のメロディ~
♪スコットランドの釣鐘草 スコットランド民謡
♪埴生の宿 H.ビショップ作曲
♪ロンドン橋 イギリス童謡
♪春の日の花と輝く アイルランド民謡
ソプラノ
:池田孝子 斎藤みどり 高橋順子 渡辺裕子
メゾ・ソプラノ :芝田貞子 高﨑邦子
アルト :嶋田美佐子
【マリンバ独奏】水野与旨久(ピアノ:水野喜子)
♪チャルダス
♪ただ憧れを知るものぞ
「ラテン名曲」より
♪マリア・エレナ ♪エル・クンパンチェロ
【テノール独唱】狭間 壮(ピアノ:はざま ゆか)
♪無縁坂 ♪リリー・マルレーン
♪一本の鉛筆 ♪死んだ男の残したものは 他
【会場の皆様とご一緒に~シング・アウト】
♪「青い空は」小森香子 作詞/大西 進作曲
司会 長岡 幸子
《連載終了》