【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【Ⅰ:2017総選挙と沖縄・福島】【Ⅱ:相模原事件と障がい者の生きる権利】

2017-10-21 19:32:55 | 政治・文化・社会評論
【Ⅰ:2017総選挙と沖縄・福島】【Ⅱ:相模原事件と障がい者の生きる権利】
 ~[2017/10/21JNN報道特集]を見ながら感じたこと~

                 櫻井 智志



【Ⅰ:2017総選挙と沖縄・福島】
 「後から後悔しても手遅れ」「原発の論議低調」「巨大な改憲勢力の誕生」三つのコメントを聴きながら、ワイマール共和国からナチスが飛びたっていった瞬間を感じている。志位和夫氏が述べた「私たちは決して諦めない」という街頭演説が鮮やかに甦る。大手マスコミが予測した予想がもしも現実化しても、無惨な結果から出発しよう。


 在沖米軍のしたい放題には原因がある。米軍の専制に、抗議はかたちだけでおもねりへつらう日本政府の歴代自民党総理。吉田茂、岸信介から安倍晋三に至る迄の悪しき伝統がある。米軍やアメリカ政府、軍産複合体に抵抗し対米路線から訣別しようとした田中角栄、鳩山由起夫。ほかにも総理になり対米から中立外交へと取り組んだ総理は数人いた。みな失墜させられた。


 東日本大震災・福島原発にとどまらない。治水政策や乱開発への無策。九州沖縄から北海道まで、熊本や大分の地震被災地の被害住民たちに生活と生命を保障することが政治の最大責任なのに、責任を果たそうとする実行は、住民の実際の環境には届いていない。安倍自公政権の無為は目を覆う。


 あんな無惨な臨時国会の冒頭解散にもかかわらず、マスコミの自公圧勝の奇怪な報道に違和感を覚える。なにかが、ある。ただもしかしたら日本の国内とは専制政治を熱狂で迎える実態なのか?生活苦から専制主義政治家に自分を投影して極右に自己実現を幻想しているのか?どちらにしても個人の自立が問われている時代なのだ。ひとつひとつを丁寧に考えたい。




【Ⅱ:相模原事件と障がい者の生きる権利】

 相模原事件には、わからないことがいくつもある。植松被告はTBSや月刊誌『創』の篠田編集長とも手紙のやりとりがある。私が被告に怒りを覚えるのは「障がい」をもつ人々への短絡的な発想である。「障がい」とは誰もが後天的に誰もがなりうる「状態」であり「存在」ではない。


「大麻を吸うとよく生きていける」という発言、多重的な側面を持っている。言葉と思考が繋がっていない。「自己愛的パーソナリティ障害」という診断は専門的知見であるが大量殺人の優生思想には社会の歪みの反映が映し出されている。日本社会のもつ深層的危機を表している。