2018/02/22
櫻井智志
第一部
衆院選挙時に、突如生まれた「希望の党」政党ハプニング騒動は、背後にアメリカ軍産複合体によるジャパン・ハンドラーの謀略であろう。その点で若手の論客白井聡氏が執筆なさった評論『前原誠司氏の非凡』は、的確な論評と感じる。
熟読しながらふと疑問を覚えた。前原氏の政治的特質の分析と把握には白井氏の鋭い指摘に唸るところが大きい。けれども、安倍晋三が政治家としての力量というよりも、小選挙区制度という民意と異なる議席数を土台として、駆け引きと策略によって党内をコントロールし、マスコミや大衆文化にも浸透し報道機関をアメとムチで籠絡しつつ、左翼やリベラリストとは異なる視点からの掌握術で長期政権をボロボロになりつつも持続しているのが現段階である。虚像によって統制されている国民が、事実に立脚して政治の主人公として政治を取り戻すにはどうしたらよいのか。日本共産党や立憲民主党等立憲野党が提唱している「市民と野党の共闘」は、根本的根源的な当面の最大の戦略と感じる。私には、民進党代表として野党共闘に加わり、東北七選挙区で統一候補当選に尽力した時の前原誠司氏を正当に評価すべきと思う。その前原氏が変化していった政治的変化の軌跡は、なぜ発生したのか。そのことを明らかにしなければ、同質の問題は人物を変えて、再び起こりうる。
わかりやすく言おう。田中角栄、野中広務、小沢一郎、これらの諸氏を、左翼やリベラリストはどう理解し認識し、どう対応してきたのだろうか。いわずもがなであるが、三人とも自民党の総裁や首脳部を歴任した政治家であり、唯一小沢氏は四十歳代で自民党幹事長にまで上り詰めながら、離党して政界再編のために尽力した。さらに無罪と決定した事件でマスコミの餌食のようになり、日本共産党も厳しく批判を続けた。しかし、田中角栄は今までの政権の対米従属外交からアジアを重視した等距離外交への転換が、アメリカ支配層の逆鱗にふれて、ロッキード事件そのものが田中角栄失墜のための謀略だったという見解があらわれた。孫崎亨氏の『アメリカに潰された政治家たち』「第2章 田中角栄と小沢一郎はなぜ葬られたのか」(2012年 小学館刊)に代表される見解である。官僚制のまっただ中、外務省の国際情報局長や防衛大学校教授を歴任した体制派のエリートが、なぜそのような見解を公開したか。自民党だ、官僚だと決めつけてもどのような政治的見解を発言しているのかを謙虚に耳を傾けるべきだ。
前原誠司氏は、松下政経塾出身の新自由主義の立場に立つ。菅直人氏と代表選を競って当選し、民主党代表の経験ももつ。選挙区の京都は、蜷川虎三知事のもとで自共二大政党が競っていた。京都の旧社会党はもともと社会党右派であったが、しだいにじり貧となっていく。
若手で民主党から当選した前原氏には周囲の期待が高まり、野党の代表格のひとりとなった。野党共闘が民進・自由・社会民主・共産の四党で成立した。北海道5区補選で池田まき候補を、演説カーに乗って応援演説した内のひとりとなった。野党共闘では、京都などほかの選挙区でも前原誠司氏は応援に臨んだ。民主党・民進党の野田佳彦代表の曖昧でいい加減な野党共闘対応とは大違いだ。共産党の小池晃議員や穀田恵二議員も前原氏の誠意を讃えた。詳細な経緯は、第二部・参考資料として後に掲げた白井聡氏の評論を読むと、よくわかる。
私は政治家や政党の確執を知る度にずうっと考えていたことがある。とくに日本共産党で「除名」や「除籍」された政治家のことである。野坂参三・中野重治・石堂清倫・志賀義雄・古在由重。詳細な経過は省く。政党の規範となる規約に反することは、組織的な政党にとって、やむを得ない措置なのであろう。けれど、私は政治家を、政治的側面のみで判断しない。人間的・人格的側面からの判断を重視する。
政治主義のみの判断は時として決定的な蹉跌に連なる。政治家の人格についてよく見極めるべきと考えている。なぜか?政治主義判断では二元論となる。人格的人間的側面からの判断は二元論では収まりきれない。いわば多元論へ連なる。
私は現実の日本共産党を、すべての政党の中では最も政党らしい近代的政党と一貫して評価している。けれど、それは最善かというと、次善であると思う。共産党の政治的展望と異なる政党や政治家に対して、政治的見解が生ずるのは当たり前のことだ。そのときに、相手の人間としての全体像、ひとがらや人格の良さがわかっていれば、政治的見解が異なってもコミュニケーションの余地は必ず生ずる。
それは、たとえば前原誠司氏の政治的言動をすべて許容し言いなりになるというのとは異なる。安倍政権が崩壊寸前の政治的情勢で、ジャパンハンドラーとして小池百合子都知事が正面にでた「希望の党」は、対米隷属政権の延命に成功した。前原氏も小池氏の仲間としての蹶起だったろう。前原氏が極めて安倍政権延命に役立ったとする解釈に、私も同意する。
にもかかわらず、白井聡氏の秀逸な分析に、あえて異を唱えるのは、日本の反共風土という困難な状況のもとにあるけれども、沖縄の「オール沖縄」の実例があることに示されている。政治家を単眼でなく、「政治家」として、「人格」として、併せて複眼で認識することは重要なことだ。翁長雄志沖縄県知事は、沖縄県自民党幹事長だった。翁長氏のもと、反基地反植民地主義の大義の一点で結集した。ひとえに翁長氏の人徳のなせるわざと考える。沖縄に行くまで志位和夫氏は、「オール沖縄」の発想に全面的に同意していたわけではなく、現地の情勢と対話を通して、変貌を遂げる。
今回、前原誠司氏の一連の言動には、白井聡氏と同様、肯定しているわけではない。問題は政治的言動に原則的に批判を行っても、なお相手の人間性と人格とを理解し交流していれば、次の契機はいつかあり得る。政治的言動の相違で相手の全存在を否定する、かつての連合赤軍内部崩壊事件のように、「贋左翼」と呼ぼうと左翼を称する集団が、追い詰められた極限状況のなかで仲間を次々に殺戮していった悪夢は、国民の深層意識に残存している。軍国主義の道を急速に転げ落ちていく安倍政権の領袖安倍晋三自民党総裁は、左翼やリベラリストの発想とは全く別の次元で国民を懐柔し影響を与え続けている。吉本隆明は、晩年にテレビにいちにち見入り、コムデギャルソンのファッションに関心をもった。テレビの芸能ワイドショーに出演し、日比谷野音で南こうせつらのコンサートに仕掛けられた飛び入りをして、「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌う。このような大衆感覚が一定の社会層に国民受けすることもわきまえている安倍晋三は、日本国民の統治のすべを知らないわけではない。仲間内に受ける言葉で仲間内にエコーするコミュニケーションでは、効果は低い。敵の言葉で語りそれが鋭い敵への批判となっているような、そのような発想が大事な時期だ。(一旦終わり/つづく)
第二部==参考資料==
転載「京都新聞」2月14日夕刊
『前原誠司氏の非凡』
白井聡 京都精華大学人文学部専任講師(政治学・社会思想)
一片の悔いなし
衆議院京都2区選出議員である前原誠司氏の発言が、話題を呼んでいる。安倍政権に大勝を許した昨年の総選挙での希望の党への合流について、「全く後悔していません」(産経新聞、1月20日)と語った。
政治家の決断に対する評価は、短期間で決まるものではない。例えば、一時の敗北を甘受しても、筋を通すことによって後にはより多くのものを達成することはある。
では、選挙前後から現在までの前原氏の言動に、選挙での負けを打ち消すような、価値あるものはあるだろうか。
魂は売らない
いわく、「共産党に魂を売って惨敗するより、チャレンジしてよかった」。「合流には《非自民・非共産》の大きなかたまりを作る狙いがありました。民進党の《左旋回》はひどすぎた。日米安全保障条約の廃棄を掲げる共産党と政権選択選挙で協力することを、有権者にどう説明するんですか」。
前原氏にとって、共産党を含む野党との共闘路線をとることは、「共産党に魂を売る」ことなのだそうだ。
しかし、少なくとも昨年6月頃まで、前原氏は「魂を売る」路線を基本的に維持しており、全国の民進党関係者はその路線に従って選挙準備を進めていたのである。前原氏はそれを「どう説明する」のだろうか。
なお、共産党は現在、日米安保条約の即時廃棄を主張していない。
魂の主張
では、前原氏の「決して売れない魂」とは何なのであろうか。国民負担を増やしてでも福祉を充実させ社会不安を取り除くという路線を前原氏は強調しているが、福祉の充実という考え自体に他の野党は反対などしていなかったし、この政策は安倍政権によって現在模倣されつつある。
すると残る主張は、「非自民・非共産」の大勢力をつくるということ以外にはない。この「大きなかたまり」には何もする能力も意思もないことは、菅・野田民主党政権によってすでに十分証明された。
つまり、前原氏の魂の主張とは、「第二自民党をつくってお山の大将になり、何かの拍子に政権が転がり込まないかなぁ」ということだと推論される。
前原氏の実績
有権者は、前原氏のこれまでの実績を虚心に振り返ってみるべきであろう。最初に民主党党首を務めた際には「偽メール事件」を発生させ(2006年)、永田寿康元議員は自殺した。外務大臣時代には、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の発生に際し、「日本の国内法に基づき粛々と対応する」との発言により「棚上げ合意」を一方的に破棄することで緊張を高めた挙句、超法規的措置に逃げた(2010年)。そして、民進党党首として、今回の振る舞いがあった。
この非凡なる者
それでも前原氏の名前に「誠」も入っているのだから、主観的にはすべて誠意を尽くした振る舞いだったのに違いない。そうだとすれば、昨年の総選挙で、「ずっと一緒にやってきた枝野さんと別れるのはきわめて残念」と言いながら、立憲民主党が候補者を立てた全選挙区で徹底対決する一方、公明党に対しては妥協的に戦った希望の党の選挙戦術には、常人には理解できない誠意が込められているのであろう。
京都の有権者と京都財界を牽引してきた稲盛和夫氏らは、非凡な政治家を育て上げたものである。
櫻井智志
第一部
衆院選挙時に、突如生まれた「希望の党」政党ハプニング騒動は、背後にアメリカ軍産複合体によるジャパン・ハンドラーの謀略であろう。その点で若手の論客白井聡氏が執筆なさった評論『前原誠司氏の非凡』は、的確な論評と感じる。
熟読しながらふと疑問を覚えた。前原氏の政治的特質の分析と把握には白井氏の鋭い指摘に唸るところが大きい。けれども、安倍晋三が政治家としての力量というよりも、小選挙区制度という民意と異なる議席数を土台として、駆け引きと策略によって党内をコントロールし、マスコミや大衆文化にも浸透し報道機関をアメとムチで籠絡しつつ、左翼やリベラリストとは異なる視点からの掌握術で長期政権をボロボロになりつつも持続しているのが現段階である。虚像によって統制されている国民が、事実に立脚して政治の主人公として政治を取り戻すにはどうしたらよいのか。日本共産党や立憲民主党等立憲野党が提唱している「市民と野党の共闘」は、根本的根源的な当面の最大の戦略と感じる。私には、民進党代表として野党共闘に加わり、東北七選挙区で統一候補当選に尽力した時の前原誠司氏を正当に評価すべきと思う。その前原氏が変化していった政治的変化の軌跡は、なぜ発生したのか。そのことを明らかにしなければ、同質の問題は人物を変えて、再び起こりうる。
わかりやすく言おう。田中角栄、野中広務、小沢一郎、これらの諸氏を、左翼やリベラリストはどう理解し認識し、どう対応してきたのだろうか。いわずもがなであるが、三人とも自民党の総裁や首脳部を歴任した政治家であり、唯一小沢氏は四十歳代で自民党幹事長にまで上り詰めながら、離党して政界再編のために尽力した。さらに無罪と決定した事件でマスコミの餌食のようになり、日本共産党も厳しく批判を続けた。しかし、田中角栄は今までの政権の対米従属外交からアジアを重視した等距離外交への転換が、アメリカ支配層の逆鱗にふれて、ロッキード事件そのものが田中角栄失墜のための謀略だったという見解があらわれた。孫崎亨氏の『アメリカに潰された政治家たち』「第2章 田中角栄と小沢一郎はなぜ葬られたのか」(2012年 小学館刊)に代表される見解である。官僚制のまっただ中、外務省の国際情報局長や防衛大学校教授を歴任した体制派のエリートが、なぜそのような見解を公開したか。自民党だ、官僚だと決めつけてもどのような政治的見解を発言しているのかを謙虚に耳を傾けるべきだ。
前原誠司氏は、松下政経塾出身の新自由主義の立場に立つ。菅直人氏と代表選を競って当選し、民主党代表の経験ももつ。選挙区の京都は、蜷川虎三知事のもとで自共二大政党が競っていた。京都の旧社会党はもともと社会党右派であったが、しだいにじり貧となっていく。
若手で民主党から当選した前原氏には周囲の期待が高まり、野党の代表格のひとりとなった。野党共闘が民進・自由・社会民主・共産の四党で成立した。北海道5区補選で池田まき候補を、演説カーに乗って応援演説した内のひとりとなった。野党共闘では、京都などほかの選挙区でも前原誠司氏は応援に臨んだ。民主党・民進党の野田佳彦代表の曖昧でいい加減な野党共闘対応とは大違いだ。共産党の小池晃議員や穀田恵二議員も前原氏の誠意を讃えた。詳細な経緯は、第二部・参考資料として後に掲げた白井聡氏の評論を読むと、よくわかる。
私は政治家や政党の確執を知る度にずうっと考えていたことがある。とくに日本共産党で「除名」や「除籍」された政治家のことである。野坂参三・中野重治・石堂清倫・志賀義雄・古在由重。詳細な経過は省く。政党の規範となる規約に反することは、組織的な政党にとって、やむを得ない措置なのであろう。けれど、私は政治家を、政治的側面のみで判断しない。人間的・人格的側面からの判断を重視する。
政治主義のみの判断は時として決定的な蹉跌に連なる。政治家の人格についてよく見極めるべきと考えている。なぜか?政治主義判断では二元論となる。人格的人間的側面からの判断は二元論では収まりきれない。いわば多元論へ連なる。
私は現実の日本共産党を、すべての政党の中では最も政党らしい近代的政党と一貫して評価している。けれど、それは最善かというと、次善であると思う。共産党の政治的展望と異なる政党や政治家に対して、政治的見解が生ずるのは当たり前のことだ。そのときに、相手の人間としての全体像、ひとがらや人格の良さがわかっていれば、政治的見解が異なってもコミュニケーションの余地は必ず生ずる。
それは、たとえば前原誠司氏の政治的言動をすべて許容し言いなりになるというのとは異なる。安倍政権が崩壊寸前の政治的情勢で、ジャパンハンドラーとして小池百合子都知事が正面にでた「希望の党」は、対米隷属政権の延命に成功した。前原氏も小池氏の仲間としての蹶起だったろう。前原氏が極めて安倍政権延命に役立ったとする解釈に、私も同意する。
にもかかわらず、白井聡氏の秀逸な分析に、あえて異を唱えるのは、日本の反共風土という困難な状況のもとにあるけれども、沖縄の「オール沖縄」の実例があることに示されている。政治家を単眼でなく、「政治家」として、「人格」として、併せて複眼で認識することは重要なことだ。翁長雄志沖縄県知事は、沖縄県自民党幹事長だった。翁長氏のもと、反基地反植民地主義の大義の一点で結集した。ひとえに翁長氏の人徳のなせるわざと考える。沖縄に行くまで志位和夫氏は、「オール沖縄」の発想に全面的に同意していたわけではなく、現地の情勢と対話を通して、変貌を遂げる。
今回、前原誠司氏の一連の言動には、白井聡氏と同様、肯定しているわけではない。問題は政治的言動に原則的に批判を行っても、なお相手の人間性と人格とを理解し交流していれば、次の契機はいつかあり得る。政治的言動の相違で相手の全存在を否定する、かつての連合赤軍内部崩壊事件のように、「贋左翼」と呼ぼうと左翼を称する集団が、追い詰められた極限状況のなかで仲間を次々に殺戮していった悪夢は、国民の深層意識に残存している。軍国主義の道を急速に転げ落ちていく安倍政権の領袖安倍晋三自民党総裁は、左翼やリベラリストの発想とは全く別の次元で国民を懐柔し影響を与え続けている。吉本隆明は、晩年にテレビにいちにち見入り、コムデギャルソンのファッションに関心をもった。テレビの芸能ワイドショーに出演し、日比谷野音で南こうせつらのコンサートに仕掛けられた飛び入りをして、「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌う。このような大衆感覚が一定の社会層に国民受けすることもわきまえている安倍晋三は、日本国民の統治のすべを知らないわけではない。仲間内に受ける言葉で仲間内にエコーするコミュニケーションでは、効果は低い。敵の言葉で語りそれが鋭い敵への批判となっているような、そのような発想が大事な時期だ。(一旦終わり/つづく)
第二部==参考資料==
転載「京都新聞」2月14日夕刊
『前原誠司氏の非凡』
白井聡 京都精華大学人文学部専任講師(政治学・社会思想)
一片の悔いなし
衆議院京都2区選出議員である前原誠司氏の発言が、話題を呼んでいる。安倍政権に大勝を許した昨年の総選挙での希望の党への合流について、「全く後悔していません」(産経新聞、1月20日)と語った。
政治家の決断に対する評価は、短期間で決まるものではない。例えば、一時の敗北を甘受しても、筋を通すことによって後にはより多くのものを達成することはある。
では、選挙前後から現在までの前原氏の言動に、選挙での負けを打ち消すような、価値あるものはあるだろうか。
魂は売らない
いわく、「共産党に魂を売って惨敗するより、チャレンジしてよかった」。「合流には《非自民・非共産》の大きなかたまりを作る狙いがありました。民進党の《左旋回》はひどすぎた。日米安全保障条約の廃棄を掲げる共産党と政権選択選挙で協力することを、有権者にどう説明するんですか」。
前原氏にとって、共産党を含む野党との共闘路線をとることは、「共産党に魂を売る」ことなのだそうだ。
しかし、少なくとも昨年6月頃まで、前原氏は「魂を売る」路線を基本的に維持しており、全国の民進党関係者はその路線に従って選挙準備を進めていたのである。前原氏はそれを「どう説明する」のだろうか。
なお、共産党は現在、日米安保条約の即時廃棄を主張していない。
魂の主張
では、前原氏の「決して売れない魂」とは何なのであろうか。国民負担を増やしてでも福祉を充実させ社会不安を取り除くという路線を前原氏は強調しているが、福祉の充実という考え自体に他の野党は反対などしていなかったし、この政策は安倍政権によって現在模倣されつつある。
すると残る主張は、「非自民・非共産」の大勢力をつくるということ以外にはない。この「大きなかたまり」には何もする能力も意思もないことは、菅・野田民主党政権によってすでに十分証明された。
つまり、前原氏の魂の主張とは、「第二自民党をつくってお山の大将になり、何かの拍子に政権が転がり込まないかなぁ」ということだと推論される。
前原氏の実績
有権者は、前原氏のこれまでの実績を虚心に振り返ってみるべきであろう。最初に民主党党首を務めた際には「偽メール事件」を発生させ(2006年)、永田寿康元議員は自殺した。外務大臣時代には、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の発生に際し、「日本の国内法に基づき粛々と対応する」との発言により「棚上げ合意」を一方的に破棄することで緊張を高めた挙句、超法規的措置に逃げた(2010年)。そして、民進党党首として、今回の振る舞いがあった。
この非凡なる者
それでも前原氏の名前に「誠」も入っているのだから、主観的にはすべて誠意を尽くした振る舞いだったのに違いない。そうだとすれば、昨年の総選挙で、「ずっと一緒にやってきた枝野さんと別れるのはきわめて残念」と言いながら、立憲民主党が候補者を立てた全選挙区で徹底対決する一方、公明党に対しては妥協的に戦った希望の党の選挙戦術には、常人には理解できない誠意が込められているのであろう。
京都の有権者と京都財界を牽引してきた稲盛和夫氏らは、非凡な政治家を育て上げたものである。