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沖縄の肝心に火をつけた 玉城デニー氏 県知事選勝利 【金平茂紀の新・ワジワジー通信(38)最終回】
2018年10月16日 13:16
金平 茂紀(かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。
まさに歴史的瞬間だった。9月30日の夜9時半すぎ。那覇市古島の教育福祉会館の2階ホールは、NHKが玉城デ二ー氏の当選確実を報じるや、歓喜の拍手とカチャーシーと「デニー・コール」で沸き立った。一方の候補の選対開票会場、ハーバービュー・ホテルの大宴会場に陣取った佐喜真淳陣営は敗北に沈んだ。何から何までが対照的だった。調べてみると、玉城陣営の会場レンタル費用は実質8時間で6万円、佐喜真陣営の会場費はそれとは一桁違う金額だった。選挙中、県民所得が全国最低だの、最低賃金がどうのと訴えていたのは佐喜真陣営だったのだが…。会場に詰め掛けていた人々も両陣営では大きな違いがあった。佐喜真陣営は与党幹部や地方議員、その関係者らがほとんど。一方の玉城陣営には多種多様な人々が集っていた。組織・団体VS草の根。
当選確実となり支援者と共に歓喜に舞う玉城デニー氏(手前)=9月30日、那覇市・教育福祉会館(森住卓さん撮影)
実は、あの夜、朝日新聞、QAB(琉球朝日放送)が、午後8時の投票締め切りとほぼ同時に「玉城デニー氏当選確実」と速報した。これには僕も驚いた。僕らが身内で「ゼロ打ち」「冒頭(当確)」と呼んでいるこの速報は、よほどの確度のある裏付けがなければ打てない。それが今回はあった。
だがその後90分にわたって沈黙が続いた。東京の政治部報道では政権べったりの色彩が強いNHKが、午後9時33分に玉城氏当確を打った。その瞬間、最前列の玉城氏めがけて後方からお揃(そろ)いのデニT(玉城デニー氏の顔をあしらったTシャツ)を着た若者たちが駆け寄ってきてカチャーシーの乱舞が始まった。デニー氏も体全体で喜びを表現するように踊っていた。ああ、ここには音楽もダンスもあるなあ。長い間、硬直した「反対運動」に欠けていた文化のチカラがあった。運動は楽しくかつ魅力がなければ人々は集わない。そう言えば、佐喜真陣営が流していた選挙応援ソングは候補者と何だかマッチしていないなあ、と僕は思った。音楽は玉城氏自身が若い頃から虜(とりこ)になっていた得意分野だ。何しろコザのロック少年だったのだから。
大昔に大ヒットしたロックの名曲にドアーズの「Light My Fire」というのがある。邦題がなかなかよくて「ハートに火をつけて」だ。デニー氏に「この歌好きでしょ?」と聞いたら「大好きです」との答えが返ってきた。僕は、この「ハート」という語を玉城デニー氏がよく口にする「ちむぐくる(肝心)」(本当に心に大切に思っていること)という語に置き換えて、玉城氏に謹呈したい。今回の玉城氏の勝利は、沖縄の人々のちむぐくるに火をつけたことが勝因だと僕は思っているのだ。
識者たちが訳知りに勝因敗因分析を開陳するだろう。故・翁長雄志前知事が辺野古新基地建設阻止の公約を命を削って守り抜いた、政治家としての究極的な清廉さを、沖縄の人々が忘れなかったこと。公明党の支持母体、創価学会・沖縄の人々が、辺野古新基地建設反対を明言しない佐喜真氏に強い不信感を抱き、3割以上の学会員がデニー候補に票を投じたとみられること。投票日間近に台風24号が沖縄を直撃し、期日前投票を促し、結果的に浮動票の掘り起こしに大いに作用したこと。小泉進次郎衆院議員や菅官房長官、小池百合子東京都知事、片山さつき参院議員といった中央の著名政治家らが相次いで佐喜真氏応援に駆けつけて、応援すればするほど、かえって反発を招いたこと。とりわけ、沖縄だけ携帯電話料金4割引きなどという県民を愚弄(ぐろう)するような言辞をもてあそんだこと…。
だが、もう少し広い視野から今回の選挙結果の意味をとらえ返してみようではないか。決定的に重要なのは、候補者の人品骨柄だった。中央政界とのパイプを誇示する「へつらい型」の生き方と、沖縄のことは沖縄で決めるという「あらがい型」の生き方。後者は、いばらの道を歩むことになるかもしれないが、フェアな、誠実な生き方ではないのか。沖縄の有権者の多数派はそのような生き方を選んだのだ。
玉城デニー氏は父親が米軍基地の兵士だった。その父親はデニー氏が母親のおなかの中にいる時に単身帰国した。だからデニー氏は父親の顔をみたことがない。母子家庭で育ち、地域住民の愛情の中で育てられた。冷徹な事実がある。玉城デニー氏は米軍基地が沖縄になかったならば、この世に生を受けていなかった。その彼が、沖縄の地にこれ以上の新たな米軍基地はいらないと主張することの「重み」を、本土に蝟集(いしゅう)する、歴史を知らぬ政治家たちはよくよく考えた方がよい。「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とチコちゃんに喝をいれてもらいたいくらいだ。多人種、多文化、チャンプルー性、政治手法の多様性と柔軟性を、身をもって生きてきた玉城デニー氏を、沖縄県民は知事に選んだ。有権者の判断力と勇気に敬意を表する。なぜならば、僕らはその沖縄をいたぶり、いじめ、脅し続ける政権を、知らんぷりをする国民とともに、選挙を通じて勝たせ続けている本土の人間だからだ。
さて、ご報告。2008年8月以来、東京から、そしてアメリカから本紙に原稿を送り、掲載されてきた「ワジワジー通信」の連載(「ニューヨーク徒然草」「ワジワジ通信」「新・ワジワジー通信」)は、今回をもって終了することになりました。長年の皆さまのご愛読とご支援に心から感謝いたします。沖縄の取材現場で「ワジワジー、読んでますよ」と声をかけられた経験が幾度となくあり、随分と僕自身励まされました。それが取材を続ける糧となりました。本当にありがとうございました。
半世紀近く前に加藤周一という希代の知識人が書いていた言葉が今は心に染みます。「私の民主主義の定義は、実践的な目的のためには…甚だ簡単である。強気を挫き、弱きを援く」(朝日新聞1972年1月21日夕刊)。「ワジワジー通信」は、考えてみれば、そのような思いと共感するところから書き継いできたように思います。ですから、今回の玉城デニー氏の知事選勝利は、「ワジワジー精神」の勝利だと、僕はひそかに思っているのです。「ワジワジー通信」をお読みいただいた読者の皆さんとは、また別のところでお目にかかるかもしれません。なぜならば、僕はジャーナリストなので、口をつぐんでいる気はさらさらありませんので。皆さん、新時代の沖縄を力強く作っていってください。またお目にかかりましょう。さようなら。(テレビ報道記者・キャスター)=おわり
沖縄の肝心に火をつけた 玉城デニー氏 県知事選勝利 【金平茂紀の新・ワジワジー通信(38)最終回】
2018年10月16日 13:16
金平 茂紀(かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。
まさに歴史的瞬間だった。9月30日の夜9時半すぎ。那覇市古島の教育福祉会館の2階ホールは、NHKが玉城デ二ー氏の当選確実を報じるや、歓喜の拍手とカチャーシーと「デニー・コール」で沸き立った。一方の候補の選対開票会場、ハーバービュー・ホテルの大宴会場に陣取った佐喜真淳陣営は敗北に沈んだ。何から何までが対照的だった。調べてみると、玉城陣営の会場レンタル費用は実質8時間で6万円、佐喜真陣営の会場費はそれとは一桁違う金額だった。選挙中、県民所得が全国最低だの、最低賃金がどうのと訴えていたのは佐喜真陣営だったのだが…。会場に詰め掛けていた人々も両陣営では大きな違いがあった。佐喜真陣営は与党幹部や地方議員、その関係者らがほとんど。一方の玉城陣営には多種多様な人々が集っていた。組織・団体VS草の根。
当選確実となり支援者と共に歓喜に舞う玉城デニー氏(手前)=9月30日、那覇市・教育福祉会館(森住卓さん撮影)
実は、あの夜、朝日新聞、QAB(琉球朝日放送)が、午後8時の投票締め切りとほぼ同時に「玉城デニー氏当選確実」と速報した。これには僕も驚いた。僕らが身内で「ゼロ打ち」「冒頭(当確)」と呼んでいるこの速報は、よほどの確度のある裏付けがなければ打てない。それが今回はあった。
だがその後90分にわたって沈黙が続いた。東京の政治部報道では政権べったりの色彩が強いNHKが、午後9時33分に玉城氏当確を打った。その瞬間、最前列の玉城氏めがけて後方からお揃(そろ)いのデニT(玉城デニー氏の顔をあしらったTシャツ)を着た若者たちが駆け寄ってきてカチャーシーの乱舞が始まった。デニー氏も体全体で喜びを表現するように踊っていた。ああ、ここには音楽もダンスもあるなあ。長い間、硬直した「反対運動」に欠けていた文化のチカラがあった。運動は楽しくかつ魅力がなければ人々は集わない。そう言えば、佐喜真陣営が流していた選挙応援ソングは候補者と何だかマッチしていないなあ、と僕は思った。音楽は玉城氏自身が若い頃から虜(とりこ)になっていた得意分野だ。何しろコザのロック少年だったのだから。
大昔に大ヒットしたロックの名曲にドアーズの「Light My Fire」というのがある。邦題がなかなかよくて「ハートに火をつけて」だ。デニー氏に「この歌好きでしょ?」と聞いたら「大好きです」との答えが返ってきた。僕は、この「ハート」という語を玉城デニー氏がよく口にする「ちむぐくる(肝心)」(本当に心に大切に思っていること)という語に置き換えて、玉城氏に謹呈したい。今回の玉城氏の勝利は、沖縄の人々のちむぐくるに火をつけたことが勝因だと僕は思っているのだ。
識者たちが訳知りに勝因敗因分析を開陳するだろう。故・翁長雄志前知事が辺野古新基地建設阻止の公約を命を削って守り抜いた、政治家としての究極的な清廉さを、沖縄の人々が忘れなかったこと。公明党の支持母体、創価学会・沖縄の人々が、辺野古新基地建設反対を明言しない佐喜真氏に強い不信感を抱き、3割以上の学会員がデニー候補に票を投じたとみられること。投票日間近に台風24号が沖縄を直撃し、期日前投票を促し、結果的に浮動票の掘り起こしに大いに作用したこと。小泉進次郎衆院議員や菅官房長官、小池百合子東京都知事、片山さつき参院議員といった中央の著名政治家らが相次いで佐喜真氏応援に駆けつけて、応援すればするほど、かえって反発を招いたこと。とりわけ、沖縄だけ携帯電話料金4割引きなどという県民を愚弄(ぐろう)するような言辞をもてあそんだこと…。
だが、もう少し広い視野から今回の選挙結果の意味をとらえ返してみようではないか。決定的に重要なのは、候補者の人品骨柄だった。中央政界とのパイプを誇示する「へつらい型」の生き方と、沖縄のことは沖縄で決めるという「あらがい型」の生き方。後者は、いばらの道を歩むことになるかもしれないが、フェアな、誠実な生き方ではないのか。沖縄の有権者の多数派はそのような生き方を選んだのだ。
玉城デニー氏は父親が米軍基地の兵士だった。その父親はデニー氏が母親のおなかの中にいる時に単身帰国した。だからデニー氏は父親の顔をみたことがない。母子家庭で育ち、地域住民の愛情の中で育てられた。冷徹な事実がある。玉城デニー氏は米軍基地が沖縄になかったならば、この世に生を受けていなかった。その彼が、沖縄の地にこれ以上の新たな米軍基地はいらないと主張することの「重み」を、本土に蝟集(いしゅう)する、歴史を知らぬ政治家たちはよくよく考えた方がよい。「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とチコちゃんに喝をいれてもらいたいくらいだ。多人種、多文化、チャンプルー性、政治手法の多様性と柔軟性を、身をもって生きてきた玉城デニー氏を、沖縄県民は知事に選んだ。有権者の判断力と勇気に敬意を表する。なぜならば、僕らはその沖縄をいたぶり、いじめ、脅し続ける政権を、知らんぷりをする国民とともに、選挙を通じて勝たせ続けている本土の人間だからだ。
さて、ご報告。2008年8月以来、東京から、そしてアメリカから本紙に原稿を送り、掲載されてきた「ワジワジー通信」の連載(「ニューヨーク徒然草」「ワジワジ通信」「新・ワジワジー通信」)は、今回をもって終了することになりました。長年の皆さまのご愛読とご支援に心から感謝いたします。沖縄の取材現場で「ワジワジー、読んでますよ」と声をかけられた経験が幾度となくあり、随分と僕自身励まされました。それが取材を続ける糧となりました。本当にありがとうございました。
半世紀近く前に加藤周一という希代の知識人が書いていた言葉が今は心に染みます。「私の民主主義の定義は、実践的な目的のためには…甚だ簡単である。強気を挫き、弱きを援く」(朝日新聞1972年1月21日夕刊)。「ワジワジー通信」は、考えてみれば、そのような思いと共感するところから書き継いできたように思います。ですから、今回の玉城デニー氏の知事選勝利は、「ワジワジー精神」の勝利だと、僕はひそかに思っているのです。「ワジワジー通信」をお読みいただいた読者の皆さんとは、また別のところでお目にかかるかもしれません。なぜならば、僕はジャーナリストなので、口をつぐんでいる気はさらさらありませんので。皆さん、新時代の沖縄を力強く作っていってください。またお目にかかりましょう。さようなら。(テレビ報道記者・キャスター)=おわり