【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【社会歳時記~「報道特集2018.10.27」を視聴しながら~】      櫻井 智志

2018-10-27 21:26:41 | 政治・文化・社会評論

前説1
トランプ支持だという人々の爆弾使用。これはニヒリスト、アナーキストあるいは不定形の破壊衝動か。
前説2
「朝鮮通信使」の報道は懐かしかった。子どものころ、NHKラジオと東映映画は『新諸国物語』シリーズを制作。「紅孔雀」「七つの誓い」「笛吹童子」「オテナの塔」など。まだ5歳前後で内容がわからなくても、登場人物の服装は、朝鮮や封建制下の中国と似ていた。今思うと日本と朝鮮との対等な平和社会が描かれていた。


3 本論
釈放された安田純平さんに対する「自己責任」をもとにしたバッシングは酷い。そんな中でメジャーにいる投手ダルビッシュの言動に驚いた。
あいつぐバッシングに迎合せずダルビッシュ投手はこう書いた。
〈一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かったなぁと思います。自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います〉


吹き荒れる安田氏への「自己責任」の声に対し、「助かって良かった」「助け合って生きていこう」とメッセージを発信したダルビッシュ。約4万件の「いいね」が押されているが、同時に自己責任論者からの反論や批判も殺到。だが、ダルビッシュはそれらに怯まず返答を展開していったのだ。

安田純一さんのように現地にわが目で事実を見るジャーナリストがいるから、世界は現実の危機を認識できる。「ずっと現状を見放してきたことが問題の根源」と安田さんはシンポジウムで語った。このようなジャーナリストをどう政府が扱うか。それによってその国家と国民の、「民度」がリトマス試験紙のようにわかる。

「自己責任」は新自由主義のキイワード。あの小泉純一郎政権が、「自己責任」を喧伝し、なんと教育の現場でさえ「自己責任」が国語授業など教室にはびこった。やがて「自己責任」論は公教育で破綻。しかし日本はネットに根をはやしてしまった。現実の場で認識形成を。日本の戦場ジャーナリストバッシングは世界で稀有で他国は異なる。

#安田純平さんバッシング、#報道への政府と国民の対応。戦犯の戦後の過酷な歴史。私はぼおっと見ていたが、はっと思った。これは過去の歴史にとどまらず、近未来の危険な可能性ではあるまいか。

 #B級C級戦犯 で私は元東京放送(TBS)テレビフランキー堺さん主役の『#私は貝になりたい』を忘れられない。東宝映画でも制作され、幼い私も見た。原作は少し異なる結末だが、ラストの「私は深い海の底の貝になりたい」が心に刻まれた。最近中居さん主演でテレビで放映、フランキー堺さんには及ばないがよかった。。