バランスを欠いた世界:1日1ドル以下の貧困12億人:2ドル以下では40億人
ハンディの印:非識字者、女性、安全な水にアクセス不能
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「開発は,貧困とそれに伴う病理を撲滅するための世界的な努力を記述するために使われる用語である」p.30
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ブレトンウッズ体制(1945-1973)
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債務危機 Debt crisis
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構造調整融資は1980 年代に世界銀行とIMFではじまった。
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人びとの抵抗
ワシントンコンセンサス
https://bit.ly/3qIZ5Fs
構造調整までの長い道のり
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明治維新以来の日本の歴史は、まさにラーニング(どのようにして生産性を向上させるかに関する学習)とイノベーションの歴史だった。長い間の鎖国の後、日本は学ぶべきことが多くあることに気づき、先進国との知識ギャップを縮める努力をしてきたのだ。第二次世界大戦後はさらに熱心に取り組み、世界第2位の経済大国になった。
アジアのほかの国々は、日本の成長戦略を手本として、そのやり方を採用したが、その成長戦略の中心は、他の国の戦略とは異なるものだった。世界銀行や国際通貨基金(IMF)の助言で、後にワシントンコンセンサスと呼ばれるようになるアドバイスに従った他の国は、静学的な効率的資源配分のみに重点を置いてきた。
この考え方は、経済の成功に必要なことは、自由で制約のない市場であり、政府の最善の策は何もしないことである、という単純なイデオロギーに基づいていた。そして日本のやり方は成功したが、残念ながら、ほぼ例外なくワシントンコンセンサス政策は失敗した。
https://bit.ly/3pGjmtX
『スティグリッツのラーニング・ソサイエティ』
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(ゴールドマン・サックスのロバート・)ゼーリック副会長から竹中平蔵氏へ送られた
ある手紙の存在が明らかに出たのは、2005年8月、まさに「郵政民営化」を問うあの解散総選挙の前月に行われた、参議院特別委員会でのことでした。
民主党(当時)の櫻井充参議院議員が、竹中郵政民営化担当大臣に、こんな質問をしたのです。
「竹中大臣、あなたは今まで、アメリカの要人と民営化について話し合ったことはありますか」
この質問に対し、竹中大臣はキッパリとこう否定しました。
「いいえ、一度もございません」
そうですか、では・・・と言って、櫻井議員がその場で読み上げたのが、ロバート・ゼーリック氏から竹中大臣に宛てた手紙だったのです
(第162回国会 参議院 郵政民営化に関する特別委員会より:以下要約)。
「竹中さんおめでとうございます。あなたは金融大臣としてよいお仕事をされ、それが新しい任務につながったのですね。
この任務を小泉首相が貴方に託した事は我々にとって非常に心強く、貴方には以前と同様の決意とリーダーシップを期待しています。
保険、銀行、速配業務において、競争条件を完全に平等にすることは、私たち(米国)にとって根本的に重要です。
郵貯と簡保を、民間とイコールフッティング(同条件)にすること、つまり、これらについて今までの税制や保護、政府保証を廃止して、民間と同じ条件にしてほしいのです。
具体的には以下について、貴方を後押し致します。
(1)民営化開始の2007年より、郵貯・簡保業務にも民間と同じ保険業法、銀行法を適用すること。
(2)競争条件が完全に平等になるまで、郵貯・簡保に新商品や既存商品の見直しは認めないこと。
(3)新しい郵貯・簡保は相互扶助による利益を得てはならない。
(4)民営化するプロセスの途中に、郵便局には一切特典を与えてはならない。
(5)民営化のプロセスの途中で、米国の業者を含む関連業者に口を挟む場を与え、その意見は決定事項として扱うこと。
これらの改革に取りかかる際、私の助けがいる時は遠慮なくおっしゃって下さい。
貴方は立派な仕事をされました、、、新たな責務における達成と幸運を祈念致します。
貴方と仕事をするのを楽しみにしております」
手紙で触れられているのはあくまでも郵便貯金と簡保のみ、明らかに日本国民の貯金340兆円を、ピンポイントで狙いうちにした指示でした。
まさに内政干渉の極みといったこの事件、そこにいた議員たちは皆ショックを受け、室内はざわめきで一杯だったそうです。
この手のことになると日本のマスコミは一斉に「報道しない自由」を行使して沈黙しますから、翌日の朝刊にはこの委員会のことどころか、竹中氏の「竹」の字すら載っていませんでした。
郵政民営化法案は、心ある愛国議員たちによって参議院では一旦否決されます。
その翌日、ワシントンの広報誌であるウォール・ストリートジャーナルはこんな記事を出しています。
「これで我々が待ち望んだ3兆ドルは、しばらくお預けだ。が、しかし、小泉総理は頑張るに違いない」
ええ、頑張りました。
とりわけ、アメリカからの指示を受けた竹中郵政民営化担当大臣はしっかりとその期待に応え、それまで誰も手をつけなかった郵政民営化は、小泉政権下であっさりと実施されたのです。
07年には郵便局会社・郵便事業会社・ゆうちょ銀行・かんぽ生命保険の4社に再編され、15年には東京証券取引所第一部に上場、ゆうちょ銀行とかんぽ生命保険も同様に、日本郵政から株が売り出されました。
それまで安全な日本国債で日本国民のお金を運用していたゆうちょ銀行は、米系企業の株式や債券に投資する比率をどんどん上げ始め、ゴールドマン・サックスの勧めるリスク商品に投資するようになったのです。
竹中氏を後押しして郵政民営化の実現に貢献したゼーリック氏は「大金星」を上げ、世界銀行総裁、国務長官と順調に出世の階段を登ってゆき、13年には再びゴールドマン・サックスへと舞い戻り、国際戦略アドバイザー統括責任者という輝かしい椅子を手にいれたのでした。
ウォール街関係者との間でこの郵政民営化の話題に出ると、「小泉総理が郵便局の貯金を差し出し、次に彼の息子が農協の貯金をウォール街に捧げてくれる」などという不吉な言葉が出てきます。
350兆円の郵便貯金の次にウォール街が喉から手が出るほど欲しいのは、600兆円と言われる農協の貯金、そして私たちの老後を支える、130兆円の年金です。小泉進次郎議員が熱心に進める「農協改革(解体)」が完全に民営化路線なのは偶然ではありません。親子二代で貢献しています。
そして私たちの年金にも手が伸びてきました。
・私たちの年金がどんどんウォール街に流れていく
私たちの厚生年金と国民年金の管理・運用を行なっているGPIF(「年金積立金管理運用独立行政法人」)の資産規模は世界最大級です。
GPIFの運用比率が1%上がると1兆円を超える資金が市場に流入する、凄まじい規模で、ウォール街にとってはまさに垂涎(すいぜん)ものでした。
世界中どこの国でも、国民の老後を左右する年金の運用は慎重に行われています。日本も例外ではなく、年金は6割以上が、最も安全な国内債券で運用されていました。
そこでウォール街が目をつけたのが、政権支持率を株価に支えられていた安倍政権です。2014年10月、安倍政権の下でGPIFの運用委員会は、まず株式保有率の上限を撤廃し、年金は高リスク商品にバンバン入れられるようになりました。国内株が25%、外国株が25%と、半分を株が占めるようになったのです。
すると15年には巨額の損失を出してしまった。ただし国民がそれを知ったのは翌年7月末でした。何故ならこの時期参院選があったので、不利になる情報は選挙後まで発表を遅らせていたからです。それから19年までの5年間のうち、2年はマイナスを出し、19年には8兆円規模の損を出しています。
株式に投資する比率を跳ね上げてから、運用実績は悪くなってしまったのです。
でも政権支持率を株価に支えられている安倍政権と、年間数億円の運用手数料が流れこむ外資系金融機関および海外投資家にとっては順風満帆でした。
高い報酬を払ってウォール街から人材を入れる方針も閣議決定され、ゴールドマン・サックスらが私たちの年金を運用、利益を出しても損失を出しても、なんと彼らは毎年1億円の手数料を受け取っているのです。GPIFが運用を委託する金融機関14社に支払っている手数料は319億円。
14社中10社は外資系金融機関ですからウォール街は笑いが止まりません。
アメリカのある自治体議員にこの話をしたところ、「130兆円もの国民の老後資金を、危ない商品に投資するなんて正気なのか?」と呆れていました。
世界中を見ても、国民年金を国家レベルでこんなに株式運用している国などありません。
運用に失敗した場合、そのツケをかぶるのは私たち国民だからです。
さて、ウォール街の作った危ない商品を買い過ぎて、リーマン・ショックで1兆円を超える損失を出した
農林中金も、郵貯やJAバンクと同様に、未だにハイリスク商品を買い続けています。特に、信用の低いアメリカ企業が借りるローンを束ねた危険度の高い「CLO(ローン担保証券)」という商品を大量に買い続けているので心配ですね。
郵便局のお金、そして私たちの年金、農協のお金など、日本人の大切な資産は、ずっと前から、今も、彼らのターゲットにされてきたのです。
【堤未果「株式会社アメリカの日本解体計画」経営科学出版 2021年1月20日 52ページ】
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コロナ禍(か)で誕生した菅(すが)政権の人事を見ると、総理のブレーンに収まっているのは、元ゴールドマン・サックスのトップ(共同運営パートナー)でかつて安倍政権のIRやインバウンドを進めたデービッド・アトキンソン氏だ。
彼は前政権の頃から、日本の中小企業を「生産性が低い」と批判し、再編して数を半分に減らすべきだと主張し続けている。
政府は彼の助言に沿って、7月11日に企業の再編を促す「成長戦略実行計画」を閣議決定したが、アトキンソン氏の真のターゲットは、日本の中小企業を守っていた「中小企業基本法」の廃止だ。
成立すれば秀逸な技術を持つ日本の中小企業は淘汰(とうた)され、M&Aが盛んになり、ウォール街に巨額の手数料が流れこむ。
準備に余念がないゴールドマン・サックスは、早々と3月に日本で富裕層向け資産運用ビジネスへの参入を決定済みだ。
【堤未果「株式会社アメリカの日本解体計画」経営科学出版 2021年1月20日 13ページ】
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日本には農協という協同組合があります。
農協と言えば、昨今マスコミから既得権益の代表として叩かれっぱなしの存在ですが実は、世界から「世界でも有数の、成功した共助モデル」と称賛されているのをご存知ですか?
組合員同士が全員の幸せのために出資し合い、地域の農業から貯金・保険などの事業を行う。農家でなくても加入できる共済制度は、この国でどれだけ多くの人の救いになっていることでしょう。
一人ひとりは弱い存在ですが、皆で助け合ってゆくことで大きな力になる。
このような協同組合のシステムが、日本にはいくつもあります。
この礎(いしずえ)になっているのが日本人のDNAに刻まれ、先人たちから受け継がれてきた「お互いさま」の精神なのです。
日本人が時を超えて無意識に育(はぐく)んできた知恵、「お互いさま」の精神性こそ、ウォール街が一番怖がっているものです、、、
それは絶対にお金で買えないからです。
【堤未果「株式会社アメリカの日本解体計画」経営科学出版 2021年1月20日 152ページ】
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プライエム Plejehjem 特養 から プライエボーリ Plejebolig 介護住宅
デンマークの元福祉大臣、アンデルセン氏は次のように述べている。
「プライエムの多くは孤立し、不毛で活気がなく、いる人たちの権威を失わせるようなミニ病院、いわば人生の最期を迎える前の待合室になっていた。プライエムに住む人々にとって、その主体としての生活はプライエムにた日を境に幕を閉じた。多くの人はこの状況を、施設のまた施設文化の避けられない結果と考えていた。」
https://bit.ly/3sjXSow
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約600人の候補者から選ばれたのが、当時42歳のユベロス氏でした。
ユベロス氏は旅行会社を起業して成功した実績はありましたが、IOCやスポーツ界に人脈はありません。後に彼を取材した日本の記者にこう語っています。「小さなオフィスを借り、段ボール1箱のファイルと20人のボランティア、100ドルで開いた銀行口座。それがすべての始まりだった」
IOCはすでに74年に五輪憲章からアマチュア規定を撤廃していましたが、アマチュアリズムの考え方は組織内に根強く残っていました。彼は五輪にビジネスを導入することに反対するIOCと闘い、1業種1社に独占的な権利を与えるスポンサー協賛金制度を導入し、テレビ放映権も米ABCに独占契約で販売。こうした手法で五輪を「稼げる大会」に変えました。
ロス五輪は商業主義ばかりが強調されますが、同時に徹底的な経費削減にも取り組んだことはもっと重要です。競技会場は既存施設を活用して新設は必要なものだけに絞り、選手村は大学の学生寮を活用しました。そして公的資金を一銭も使わない五輪を実現し、2億1500万ドルの黒字を出したのです。息も絶え絶えだった五輪において、まさに「ゲームチェンジ」を行ったのです。
こうしてユベロス氏は五輪の救世主となりました。その手法はその後、IOCが積極的に取り入れ、五輪だけでなくスポーツ界全体に広がり、スポーツビジネス全体を急成長させました。これこそ功績と呼ぶべきものでしょう。彼は五輪やスポーツの未来を輝かせる新たなアイデアを考案し、具現化したのです。ユベロス氏は学生時代、水球選手として五輪の代表候補になりましたが、出場はしていません。スポーツ界とは無縁の業界にいたので、IOCはもちろん、国内のスポーツ団体にも行政にもなんらコネもなく、それこそ知恵を絞り、徒手空拳で保守的なIOCを説得していったのです。つまり、五輪が巨大な商業イベントである以上、評価されるべきは能力であり、政治力ではありません。
後の五輪は、商業主義は引き継ぎましたが、経費削減の努力は怠り、再び莫大な経費が開催都市を苦しめています。デジタルなど新たな技術の登場で、従来のビジネスモデルからの転換も迫られています。五輪が再びピンチに陥り、変革が避けられなくなったときに、東京が五輪を開催することになりました。ユベロス氏のように、次の未来を築く革新的な五輪のあり方を提示することに取り組むべきだったように思います。
https://s.nikkei.com/3ulH0iR
森氏辞任に考える 日本社会に残る無意味な風習
ドーム社長 安田秀一 日本経済新聞
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わきまえなかった女性たち
毎日新聞 2021/2/19金言「ただ、感謝しかない」=小倉孝保
近代五輪の父、フランスのピエール・ド・クーベルタンが女性に差別意識を持っていたことはよく知られている。「大衆の面前で女子競技を見せることは、大会の品位を下げる」と語っている。今なら一発アウト、即退場である。
五輪第1回アテネ大会(1896年)の女子選手はゼロ。パリ大会(1900年)では出場997人のうち女性は22人だった。女性の増加が気になるのか彼は、このままでは将来、陸上やサッカーでも女子選手を見ることになると嘆いている。
そのクーベルタンに抵抗したのがアリス・ミリアだった。仏西部ナントに生まれた彼女は17年、仏女子スポーツ連盟を立ち上げ、女子陸上を五輪競技とするよう国際オリンピック委員会(IOC)に求めている。
しかし、当時IOC会長だったクーベルタンはこれを頑としてはねつける。それではとばかり、「わきまえない」ミリアは21年、国際女子スポーツ連盟(FSFI)を創り翌年、パリで女性だけのオリンピックを開いてしまう。女子五輪は34年まで欧州各都市で、4年ごとに開かれている。
これがIOCへの圧力になった。クーベルタン退任から3年後のアムステルダム大会(28年)で女子陸上は正式競技となる。最後まで認めたくなかったのか、クーベルタンは亡くなる前年、「女性の役割は、勝者に冠を授けることだ」と書いている。
第二次大戦後、性差別撤廃の波は五輪に及び、女子選手の割合はヘルシンキ大会(52年)で1割、モントリオール大会(76年)で2割を超えた。その後も各競技で「わきまえない」女性たちがIOCの尻をたたき、ロサンゼルス大会(84年)で女子マラソン、バルセロナ大会(92年)で女子柔道が正式種目となる。FSFI設立から100年。「男女平等」は今、IOCの譲れない価値で、今夏の東京大会で女子選手は5割になる。
うれしいのは柔道、卓球、競泳、トライアスロンなどで男女混合種目が新設されたことだ。男女2人ずつが泳ぐ競泳混合400メートルメドレーリレーの場合、泳ぐ順番は自由で、男女のトップアスリートが隣同士で競う場面が見られるかもしれない。想像するだけでわくわくする。わきまえなかった女性たちよ、ありがとう。
パリ市議会は昨年7月、地元開催の五輪・パラリンピック(2024年)で会場となる体育館に、ミリアの名を冠することを全会一致で決めた。フランスの人々もようやく、クーベルタンに挑んだ女性の功績に気付いた。(論説委員)
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エマニュエル・トッド
「先進諸国は今、どこももたついています。今持つべき目的は、何か素晴らしいことをしようというのではなく、酷すぎる状態になってしまうのを避けることです」
『大分断』2020 85p