【永岡浩一さんからの通信】文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ(2022/1/19) 湯川れい子 時代のカナリアの本、自身と家族の戦争体験から、理不尽に口を閉ざすと暗黒が待っている、時代に抗して発言する意味を語る
永岡です、文化放送ラジオの、大竹まことゴールデンラジオ、本日のメインディッシュは音楽評論家の湯川れい子さんでした。パートナーは壇蜜さん、アシスタントは砂山圭太郎さんでした。概略追跡します。
報道するラジオの案内であったジャーナリストの平野幸夫さん、岸田総理のデタラメと立憲、国民民主党がこのままだとこの国は地獄だとブログで指摘されています、https://ameblo.jp/hirano-yukio/entry-12722117773.html
戦前生まれ、男社会の音楽評論の世界で日本初の女性の音楽評論家の湯川さん、時代のカナリアを出されて、この番組2016年以来、そこで戦争法反対を言うとある団体で叩かれてそこをやめて、しかし音楽も、聴いていいと思わないとほめないが、それだと困る人間がいる。大竹さん、芸能人は政治に口を出すなのに空気を問われて、湯川さん、島国の発想、芸能を見るのは慰めで来るので政治を聴きたくないというが、それはおかしい。この水がおいしいというのと同様に発言している。
時代のカナリア、炭鉱夫が危険を知るために使用するもの、そして映画の未知との遭遇、UFOの周囲に毒ガス、それを調べるカナリア、カナリアはいい声でさえずり、意見は言わないが、意味はある。この本、坂本龍一さんも評価、感性がカナリア。敗戦後、玉音放送で母から自害のことを言われて、要するに短刀で切腹、しかしもちろん何もせず、友達は無邪気。アメリカが来て辱めされたら自害しろと母から。父は海軍兵学校からの軍人、戦死した兄は防空壕を湯川さんと母のためにつくり、軍服を着て湯川さん抱き上げて、サーベルの音がして、18歳上の兄はフィリピンで戦士、ほとんど覚えていないが、兄が出征の時は、冗談をいう、もし髪の毛が違う子供を連れ帰っても卒倒するなというもの、湯川さん、成人後それを聞いて号泣、南方に行く(どこに行くか言えない)、現地の女性と結婚しても驚かないで=南洋に行くモチベーション、絵が好きな人。3歳違いの兄は91歳で大往生、戦争の軍国少年、猛勉強して、空軍に入りパイロット、特攻隊に入り、そこの分隊長、しかし飛行機ごと墜落しても、奇跡的に生き残り、しかしその後も片目のパイロット、戦後自衛隊ができて、戦争の悲惨さを知るものがやるべきと、国防に関わった。
長兄は絵もやり、作詞もされて、目黒の書斎からたくさん絵が出て、レコードのジャケットデザインをして、女性が歌うもの、踊るニューヨークなどをかいて、それを継いで湯川さんグラフィックデザイナーになっていたかも知れない。湯川さんは、作詞、音楽評論をされて、湯川さん徹子の部屋にも出て、兄が口笛、それを戦後米軍から知り、しかし兄のつくった歌と言うが、戦後、東京は焼け野原、しかし家は何とか残り、しかし詩が好き、ハイネなど、それを母に止められてラジオを聞けとなり、素晴らしい音楽は進駐軍の放送。そして兄の口笛の曲であり、それはアメリカの音楽、学校から帰り、米軍放送でタイトルも知り、その歌を調べて、アメリカで1941年の真珠湾攻撃の時にヒット、しかし兄がどうして知っていたか不明だが、神田ではアメリカのレコードをうっていた店があり、兄は赤紙直前までドイツ、フランスの映画を観ることが出来た。そんな時、口笛をアメリカの音楽と言えず、自分が作った曲としたが、真珠湾攻撃のヒット曲を兄は知り、その相手と戦う矛盾を、兄はそのような行動で今でも泣ける。
当時、日本の敗戦は確実、兄の出征は1945年の4月、上陸した米兵と戦い戦死、現地に1970年湯川さん行かれて、プレスリーの流行時に、アメリカ南部を知り、黒人たちの音楽からプレスリーはあり、ビートルズの前にプレスリーは音楽の革命。日本だとビートルズでロックンロールは革命だが、数年前にプレスリーが革命をアメリカで起こして、湯川さんプレスリーに会いたいと思い15年後に会えて、結婚の証人になってもらい、湯川さん、共感を寄せるのは大阪なおみさん、伊藤詩織さんと、時代のカナリア、湯川さんの本(https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-781710-2 )で書かれています(男社会を生き抜いた体験も書かれています)、素敵なお話でした、以上、湯川さんのお話でした。
永岡です、文化放送ラジオの、大竹まことゴールデンラジオ、本日のメインディッシュは音楽評論家の湯川れい子さんでした。パートナーは壇蜜さん、アシスタントは砂山圭太郎さんでした。概略追跡します。
報道するラジオの案内であったジャーナリストの平野幸夫さん、岸田総理のデタラメと立憲、国民民主党がこのままだとこの国は地獄だとブログで指摘されています、https://ameblo.jp/hirano-yukio/entry-12722117773.html
戦前生まれ、男社会の音楽評論の世界で日本初の女性の音楽評論家の湯川さん、時代のカナリアを出されて、この番組2016年以来、そこで戦争法反対を言うとある団体で叩かれてそこをやめて、しかし音楽も、聴いていいと思わないとほめないが、それだと困る人間がいる。大竹さん、芸能人は政治に口を出すなのに空気を問われて、湯川さん、島国の発想、芸能を見るのは慰めで来るので政治を聴きたくないというが、それはおかしい。この水がおいしいというのと同様に発言している。
時代のカナリア、炭鉱夫が危険を知るために使用するもの、そして映画の未知との遭遇、UFOの周囲に毒ガス、それを調べるカナリア、カナリアはいい声でさえずり、意見は言わないが、意味はある。この本、坂本龍一さんも評価、感性がカナリア。敗戦後、玉音放送で母から自害のことを言われて、要するに短刀で切腹、しかしもちろん何もせず、友達は無邪気。アメリカが来て辱めされたら自害しろと母から。父は海軍兵学校からの軍人、戦死した兄は防空壕を湯川さんと母のためにつくり、軍服を着て湯川さん抱き上げて、サーベルの音がして、18歳上の兄はフィリピンで戦士、ほとんど覚えていないが、兄が出征の時は、冗談をいう、もし髪の毛が違う子供を連れ帰っても卒倒するなというもの、湯川さん、成人後それを聞いて号泣、南方に行く(どこに行くか言えない)、現地の女性と結婚しても驚かないで=南洋に行くモチベーション、絵が好きな人。3歳違いの兄は91歳で大往生、戦争の軍国少年、猛勉強して、空軍に入りパイロット、特攻隊に入り、そこの分隊長、しかし飛行機ごと墜落しても、奇跡的に生き残り、しかしその後も片目のパイロット、戦後自衛隊ができて、戦争の悲惨さを知るものがやるべきと、国防に関わった。
長兄は絵もやり、作詞もされて、目黒の書斎からたくさん絵が出て、レコードのジャケットデザインをして、女性が歌うもの、踊るニューヨークなどをかいて、それを継いで湯川さんグラフィックデザイナーになっていたかも知れない。湯川さんは、作詞、音楽評論をされて、湯川さん徹子の部屋にも出て、兄が口笛、それを戦後米軍から知り、しかし兄のつくった歌と言うが、戦後、東京は焼け野原、しかし家は何とか残り、しかし詩が好き、ハイネなど、それを母に止められてラジオを聞けとなり、素晴らしい音楽は進駐軍の放送。そして兄の口笛の曲であり、それはアメリカの音楽、学校から帰り、米軍放送でタイトルも知り、その歌を調べて、アメリカで1941年の真珠湾攻撃の時にヒット、しかし兄がどうして知っていたか不明だが、神田ではアメリカのレコードをうっていた店があり、兄は赤紙直前までドイツ、フランスの映画を観ることが出来た。そんな時、口笛をアメリカの音楽と言えず、自分が作った曲としたが、真珠湾攻撃のヒット曲を兄は知り、その相手と戦う矛盾を、兄はそのような行動で今でも泣ける。
当時、日本の敗戦は確実、兄の出征は1945年の4月、上陸した米兵と戦い戦死、現地に1970年湯川さん行かれて、プレスリーの流行時に、アメリカ南部を知り、黒人たちの音楽からプレスリーはあり、ビートルズの前にプレスリーは音楽の革命。日本だとビートルズでロックンロールは革命だが、数年前にプレスリーが革命をアメリカで起こして、湯川さんプレスリーに会いたいと思い15年後に会えて、結婚の証人になってもらい、湯川さん、共感を寄せるのは大阪なおみさん、伊藤詩織さんと、時代のカナリア、湯川さんの本(https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-781710-2 )で書かれています(男社会を生き抜いた体験も書かれています)、素敵なお話でした、以上、湯川さんのお話でした。