【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【色平哲郎氏からのご紹介】健康をおびやかす二大問題「疲労」と「うつ病」、メカニズムを世界で初めて解明

2022-01-26 21:13:19 | 転載
*「色平哲郎氏からのご紹介」は文章量の多いときはここに転載させていただきます。
普通の分量はmixi【孫崎享・広原盛明・色平哲郎卓見】に掲載させていただきます。

【色平哲郎氏からのご紹介】健康をおびやかす二大問題「疲労」と「うつ病」、メカニズムを世界で初めて解明

健康をおびやかす二大問題「疲労」と「うつ病」、メカニズムを世界で初めて解明


現代人の健康をおびやかす二大問題「疲労」と「うつ病」。世界の中でも日本人は特に、疲労やストレスによるうつ病患者や自殺者の数がトップクラスに多いという、、、東京慈恵会医科大学ウイルス学講座の近藤一博教授は、この二大問題のメカニズムを世界で初めて解明するという快挙を成し遂げた。  

疲労については
・原因物質を発見した
・「疲労感」と「労働や運動による生理的疲労」からなる疲労のメカニズムを解明し、従来「疲労回復効果がある」と思われていた物質のほとんどは「疲労感を軽減させる物質であり、疲労回復効果はない」ことを明らかにした
・疲労を客観的に測る技術を発明した  
……というように、従来の常識を覆してしまった。
 
また、うつ病についても
・ほとんど全ての人に潜伏感染している「ヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)」の遺伝子「SITH-1(シスワン)」を発見し、これがストレスレジリエンス(ストレスを跳ね返す力)を低下させることで、うつ病を発症させることを見いだした
・「うつ病は心の弱さや性格が原因」という説は間違いであることを明らかにした
・SITH-1を持っている人がうつ病を発症する確率は持っていない人の12.2倍、患者5人中4人はSITH-1を持っていることを明らかにした

https://bit.ly/3r02VMO


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日本社会の縮図としてのPTA 書評

PTAから公立小中高への寄付は、本書で出てくる2007年を例にとると全国で211億円あったという。財政法上問題のある例もあり、本来、税で支えられるべき公教育を保護者の金銭負担で補っている懸念がある。

朝日新聞はPTAに関する特集記事を断続的に掲載してきた。そこに関わった記者の一人が追加取材を実施して本書を刊行した。

PTAに関わる「モヤモヤ」は数多ある。
・入退会自由なはずだが、実質強制も多い
・活動の中心は女性(母親)なのに会長は男性ばかり
・学校ごとのPTAで集めた会費の一部が日本PTA全国協議会(日P)に回っている、など。

日Pの方針と保守政権の教育政策の近さや、冒頭に挙げた財政上の問題など、政治的に踏み込んだ分析もある。読みながら色々考えさせられる本で、PTAとは日本社会の縮図とも言えそうな組織であると書評者は感じた。(神)

「PTA モヤモヤの正体」 役員決めから会費、「親も知らない問題」まで 
堀内京子著 筑摩選書     「世界」 22年1月号掲載


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諸手当に関しては、すでに2018年の最高裁の判決で正社員に支払われている時間外手当、通勤手当、皆勤手当を非正社員に支給することが確定している。こうした最高裁の一連の判決などによって、正社員に支払われている諸手当や休暇、福利厚生などの制度については非正社員にも支給し、制度の利用も認めなければならないことがほぼ確定した。
最高裁の判決は企業にも大きな衝撃を与えた。なぜなら正社員と同じように非正社員に諸手当を支給し、福利厚生も同じにすると人件費の増加が避けられないからだ、、、

■趣旨は劣遇されている非正規の処遇を上げることにあるはず

ところで企業にとってやっかいなのは、一方的に正社員の処遇を切り下げると「不利益変更」となる恐れがあることだ。

https://bit.ly/33MyrW2
「正社員の特権がどんどん消えていく」扶養手当、住宅手当…諸手当が"全廃止"される日


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間違いだらけのジョブ型論ばかりが世間にはびこっています。その中でも特に目に余るのが、「労働時間ではなく成果で評価する」のが「ジョブ型」だという議論です。あまりにも頻繁に紙面でお目にかかるため、そう思い込んでいる人が実に多いのですが、これは9割方ウソです。

そもそも、ジョブ型であれ、メンバーシップ型であれ、ハイエンドの仕事になればなるほど仕事ぶりを評価されますし、ミドルから下の方になればなるほど評価されなくなります。それは共通ですが、そのレベルが違います。多くの人の常識とは全く逆に、ジョブ型社会では一部の上澄み労働者を除けば仕事ぶりを評価されないのに対し、メンバーシップ型では末端のヒラ社員に至るまで評価の対象となります。そこが最大の違いです。

https://bit.ly/3H4YK82
ジョブ型は成果主義にあらず――『ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機』(岩波新書)濱口桂一郎(著者)


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15 この空しい人生の日々に、わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり、悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
16 善人すぎるな、賢すぎるな、どうして滅びてよかろう。
17 悪事をすごすな、愚かすぎるな、どうして時も来ないのに死んでよかろう。
18 一つのことをつかむのはよいが、ほかのことからも手を放してはいけない。神を畏れ敬えば、どちらをも成し遂げることができる。19 知恵は賢者を力づけて、町にいる十人の権力者よりも強くする。
20 善のみ行って罪を犯さないような人間は、この地上にはいない。
21 人の言うことをいちいち気にするな。そうすれば、僕があなたを呪っても、聞き流していられる。
22 あなた自身も何度となく他人を呪ったことを、あなたの心はよく知っているはずだ。
(コヘレト書)


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「じゃなかしゃば」(もうひとつのこの世)

一般的な職場を「もうひとつのこの世」にするという展望、、、

「もうひとつのこの世」ということばは、水俣の患者さんたちが好んでつかいました。これも私の好きな言葉です。「あの世」ではないし、「今の世」でもない、もうひとつの現世という意味です。もうひとつのこの世としての職場では、少なくとも言論の自由をはじめとする市民的な諸権利が認められなければならないし、少なくとも労働組合は本当に民主主義的に運営されなければならない。そしてそこは、労働者とか労働組合とかが、これまで批判の目を向けずにきたゆえに労働者間競争と職制による査定の支配するままにまかせていた分野、すなわち、労働そのものとそれをめぐるなかま相互の関係のありかたにたいして、発言権をもつ世界でなければなりません、、、

しかし、それだけに、なぜQC活動がこんなにたくさんの日本の労働者の心をとらえたのか、その問いに私たちは答えねばなりません。

自分の腕を試すような仕事をしたい、あるいは自分たち自身が仕事のありかたを工夫するような職場であってほしい。そういう労働者の欲求は、体制を問わず本来的なものだと思います。たとえば、資本主義社会では、労働者は搾取されているのだから仕事のありかたなんかについてけっして関心はもたないし、またもつべきではない、社会主義の社会になってはじめて、労働者は生き生きと労働のありかたを考えはじめるーーそれは、やはり虚妄にすぎないわけです。
労働者はどのような体制のもとでも、仕事に関する決定権を広げたいと考えますし、労働者にとって職場とか会社とかは、そこで生活費を稼ぐためだけの場所ではないと思います。そう思うのは資本家にごまかされているから、企業意識を注入されているからではありません。なじみの職場に、なじみの仕事があり、なじみの仲間がいる、普通の労働者はそのなじみの場で生きつづけてゆきたいと自然に考えます。
職場定着志向は、なにも日本の「集団主義」の特産物ではないでしょう。また、その場でやってゆけるためには、仕事仲間との間に熱い心の交流みたいなものもほしい。
要するに私は、創造的な仕事をしたい、よい仲間がほしいという、テーラーシステムの果てにあらためて顧みられるようになった労働者の本来的な欲求に訴えるところがあるからこそ小集団活動は普及したというように、まず考えざるを得ないのです。

しかしながら、ここで大切なことはほかでもありません、その同じ欲求を、実は労働運動が扱ってもよいということです。

すなわち、労働運動が仕事の手順や仕事のスピードや労働者の配置などーーそれまでは経営者が決定権をもつといわれていたものーーに、自治または団体交渉を広げていく。あるいは、いままではせいぜい労使協議のテーマであった「管理運営事項」を団体交渉の対象に変える。このように労働そのものと仲間相互の関係のありかたを労働組合が扱うという余地があります。実は職場に労働組合が存在するかどうかは、それがなされているか否かによるわけで、だいたいヨーロッパの強い労働組合は、たとえば作業ノルマを職場交渉できめたり、職場の労働者のあらゆる異動に基本的に人事考課を使うことができないようにさせたりしています。

けれども、さきにふれたように、1960年代後半以降の日本の民間企業では、労働組合運動がこの領域から後退しました。後退したから、だれかが労働と仲間相互の関係のありかたをルール化しなければならない。その空隙を小集団活動が埋めた、普通の労働者の本来的な必要性をQCが資本の論理に合うかたちで埋めたのです。
QC活動を労働者が受け入れた原因は、ついにはここに帰着します、、、

(1981年の)ワレサ・フィーバーというのも、なんとも奇妙なものだったという気がします。私はこう思います。
日本の労働運動がポーランド労働者から学ぶものはなにか。社会主義政権の下でさえも、労働者にはストライキ権が必要であるということ。まして資本主義下パブリック・セクターの労働者が、ストライキ権を要求するのは当り前だということなんです。逆に言えば、日本は公共部門にストライキ権を許さない、日本の成長の影にはこういう歪みがあるということを、ポーランドの労働者にわかってもらうことが一番大切でした、、

ワレサ氏はまた、日本では労働者が管理者の命令に一致してよく従う。まるで社会主義の国みたいに思うと、実に皮肉で鋭い発言をしました。そして最後に空港を発つ前に、ワレサ氏は、これは見逃しえないことを申しました。
日本では公共部門でストライキ権が剥奪されていることがわかった、と、、、

労働者の組合離れの根底には、労働者の日常である労働の世界に、組織労働者としての独自性が見当らないということがあると思います。だから現代の日本では、組織労働者も日常的には従業員であり、サラリーマンです、、、

生産点の日常において組織労働者ではないということは、なにを意味するでしょうか、、、

くりかえし言いましょう。組織労働者もまた、生産点では未組織労働者のように働くようになっているということは、個人主義的に、能力主義的に、競争主義的に働くということで、それはブルジョワ社会の論理に身を委ねていることとほとんど同義です。

組織労働者の哲学では、そのブルジョワ社会の論理に身を委ねてゆくならば、一介の労働者の自立的な生活は成り立たないというところから、それとは対抗的な論理(反競争・反選別・平等を通じての保障)が通用するようなソサイェティ、労働社会にたてこもり、そうしたみずからの論理を仲間とともに義理がたく守ってゆくことだったはずです、、、

たとえば、今の日本では、普通の労働者の世界にワークシェアリングという考えかたがありません。ワークシェアリングとは、経済状況が悪くなってきたとき、雇用機会を仲間の間で分けあうという考え方です。
時間短縮とか残業制限とかは、その代表的な手段にほかなりません、、、

インターナショナルな意味での組織労働者とは、仲間のあいだではけっして競争せず、仲間とともに職場や仕事に関するみずからの決定権をひろげようとする人びとのこと、、、

能力主義的競争がますます多くのノンエリート(普通の労働者)をコンプレックスと受難に追いこんで、、、

革新の側が、いまこそ、大胆に言えば「民間の活力」による成長ということに流し眼をくれずに、社会の基本サービスを供給する公共部門を擁護する構想をもつべきことです、、、

ここが世界的に台頭しつつある右派との当面の対決点になるはずです。〈反管理社会〉の思想さえあれば、「大きな政府」でなぜ悪いのでしょうか。

ただ、もしこの道を選択するならば、いわゆる「民間の活力」に保証された国際競争力は一定程度は弱まり、物的な生活水準はもうそれほど高まりはしないでしょう、、、

生活の質を問い直すということは、、、職場ではノンエリートが仕事に関する自立的な決定権を拡大し、社会生活では市民が自然との共生や公的サービスの充実をうちたてること。これは危険な、貧困に至る生活のありようでしょうか?

たとえば、自然を破壊しながら経済を成長させ、どこまでも労働者個人の可処分所得を増大させようとすることは、今日なにを意味するでしょうか。

熊沢誠「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」 


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(晋は)母校を変えたいという気持ちを胸に抱いて東大に赴任したのです。2000年、太平洋戦争で命を落とした東大医学部生の慰霊碑建立が計画されたことがありました。晋は「鉄門だより」(2001年1月10日号)に、こんな意見を寄せました。

・被害者としての側面のみを前面に出す碑は建立すべきではない。
加害者としての罪責も明らかにし、そのような悲劇と、罪を犯すことが二度とないようにしようという反戦の碑であるのならば個人的には賛成であるが、少なくとも教授総会の説明ではそのような意図はないように感じられた、、、日本人としての立場だけで考えるのでなく、今まで以上にグローバルな視点から物事を考えるようにならなければならないと思う。
慰霊碑は日本人としての立場を日本人でない方々に押し付けることになり、国際化の流れに逆行するものである。

信念をためらうことなく表現するのも、〈東大を変えたい〉との思いからでしょう。しかし、その思いは、病気、それもアルツハイマー病というやっかいな病気によって、不意に絶たれたのでした。

若井克子 「東大教授、若年生アルツハイマーになる」 講談社


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【世銀の生みの親ケインズ】

第二次世界大戦終結の前年、米国ニューハンプシャー州にあるブレトンウッズに米英の連合国を中心とした代表団およそ800人が集まり戦後の世界経済の復興計画を討議、世界銀行(世銀)および国際通貨基金(IMF)の設立が決定された。
この二つの機関、とくに世銀の設立にあたってはイギリスの有名な経済学者メイナード・ケインズ(1883から1946)が中心的役割を担った。彼の基本姿勢は第一次世界大戦終結後のベルサイユ会議にさかのぼる。
彼はイギリス代表団の下級官吏として参加したが敗戦国ドイツに対して到底支払えないほどの巨額な賠償金を課した和平条約に反対し代表団から退いた。
「この条約に署名する人々は何百万というドイツの男、女、子どもたちに死刑の宣告をすることになる」と言い残して。

そして彼が予言したとおり、この条約が引き金となってヒトラーの台頭、そして第二次世界大戦へと世界は巻き込まれていった。
ケインズの民衆の側に立った経済学説は、1929年の世界大恐慌からの経済建て直しにあたって大きな影響力を与えた。
その成果の一つがフランクリン・ルーズベルトのニューディール制作である。ケインズの学問に対する姿勢は終始、「公正と正義」をめざすもので、ブレトンウッズに彼を招いたのは他ならぬルーズベルトであった。ケインズはそれから2年後の1946年に、、、世を去った。
以降、IMFと世銀からは彼の名前とともにその基本理念も完全に消え去ってしまったのである。

世銀とIMFの誕生(ブレトンウッズ体制と呼ばれる)はまさに「上からのグローバリゼーション」の始まりであった。すなわちそれは、開発の主役が人々(民衆)ではなく政府や国際機関だとする強大な潮流の始まりであった。NGOはまさにそのような強大な力、潮流に対して「Non」を唱え、人々、民衆の立場から保健、開発、経済、環境などの諸問題に取り組んでいくよう期待されているのである。

コラム【世銀の生みの親ケインズ】 若井晋 「学び・未来・NGO」 新評論 2001


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社会的責任(アカウンタビリティ)

アカウンタビリティは多くの場合「説明責任」と翻訳されているが、もともとは「収支の帳簿をつける」という意味のアカウントから由来する、、、「説明しなければならない」「答えなければならない」の意味から「説明責任」と言う用語が用いられるようになった。
元来AがBに対してアカウンタブルであるというのは、
(1)AがBに代わってあることを実行し、
(2)それに対してBは公的であれ非公式であれAの実行したことを禁止または推進する権限を持つ関係にある。したがって政府(A)の場合にはその政府を選出した選挙民(B)に対して責任を負っている。

英語ではレスポンシビリティ(責任)と同義語として用いられることが多いが、その内容は「倫理的、法的責任を負うこと」を含んでいるから、日本語の「説明責任」をアカウンタビリティの訳語としてはめ込んでしまうと本来の意味から離れてしまうおそれがある。
したがってこの用語は「社会的責任」(説明し社会的責任を負うこと)と訳すべきであろう。アカウンタビリティがNGOにも強く問われているゆえんである。

序章 今なぜNGOが問われているのか 若井晋 「学び・未来・NGO」 新評論 2001


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1994 年、市長に就任した 2 カ月後に開催された「水俣病犠牲者慰霊式」の式辞 の中で、「十分な対策を取り得なかったことを、まことに申し訳なく思います」と、市の水 俣病対策が間違っていたことを謝罪しました。そして被害者の側に軸足を置く水俣病対策 へ変換してまいりました。 「チッソを潰す気か」とか、「市長が謝罪すれば、国や県の水俣病対策を否定することに なる。今後、水俣市には、国や県の支援はなくなる」など多くの批判や圧力がございまし た。 私は、謝罪は求められてするものではなく、間違いに気づいたとき、良
心に照らして自 発的にすべきものと思っています。

1958 年、チッソは水俣湾周辺に水俣病患者が多発すると、密かに排水口を水俣湾から水 俣川河口に変更いたしました。ところが、翌 59 年には、早くも河口に魚が死んで浮かび、 河口周辺に患者が発生し認定されます。汚染が表面化しました。この事態を重く見た通産 省は、排水口を再び水俣湾へ戻すよう指示しました。 これは、チッソの排水が水俣病の原因であると明確に証明した事件であります。 通産省の担当官は、排水を流し続けると、さらに多くの生命が失われると予想しなかった のか。排水を止めるべきだと思わなかったのか。多
くの人の命を殺めることになると良心 の疼きはなかったのか。素朴な疑問を抱き続けて来ました。

https://bit.ly/3AvVgJs


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「外国人の人権をまったくかえりみていない会社があります。これは、外国人にとって不幸であると同時に、日本にとっても極めて不幸なことです。日本は、少子高齢化が進み、外国人労働者や外国人の住民を受け入れて、ともに日本の社会を築く方向に向かわざるを得ない。

しかし、はたしてこれから、外国人を使い捨てる国に、外国人労働者は来てくれるでしょうか。今、そうした人権のリスクは『ジャパンリスク』と呼ばれるようになっています。それをもっと日本社会は心配するべきだし、反省するべきです」

https://bit.ly/3rR3esz
17回目のチャレンジで司法試験に合格、なぜ指宿昭一弁護士は「火中の栗」を拾い続けるのか?


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目指せ! 看護師副院長 非常時の今、改めて思う看護師の存在の大きさ

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大に対する緊急事態宣言が、全国47都道府県で解除された。各医療機関で第2波への備えを進めていることと思うが、このような「非常時」が続く中、改めて看護師の存在の大きさを感じる。病院職員の6割から7割を看護師が占めている、その事実の重さだ。

 看護師たちは、軍隊並みの秩序で院内感染を防御しつつ、個々の患者さんには細やかな心遣いを持ってケアを提供するという、「硬」と「軟」、両面の資質と技量を兼ね備えている。そして、そのことでどれだけ私たち医師が助けられていることか……。看護師の役割の大きさを理解していても、「平時」には、そのことに思いが至らないこともあるのではないだろうか。

 そんなことを思いながら、先日、全国病院事業管理者等協議会の会長を務めておられた故・武(たけ)弘道先生が編著者を務めた『目指せ! 看護師副院長』(日総研)を、久しぶりに書庫から出して開いた。今から12年前に出た本だが、看護師の最高職位を看護部長止まりでなく、副院長に上げることで、どれだけその病院が生き生きと活性化され、みなが働きやすく、患者さんから、そして地域からも評価が高まるか、再認識した。

 1937年生まれの武先生は、九州大学医学部を卒業後、2度のアメリカ留学を経て、病院勤務医として鹿児島市立病院に勤めた。同院の事業管理者兼病院長を務め、その経営手腕を見込まれて埼玉県庁にスカウトされる。病院事業管理者として埼玉県立4病院の質向上と経営改善に尽力された。

 その武先生が、こう言い切る。

「病む人の一番近くで働き、沢山の患者さんに優しい目で接して、いくつもの科を回りながら、『病院を見る目』を養ってきた看護師の中から、副院長を一人置くことによって、病院の実態が経営に反映されて『より良い病院になる』というのが、生涯勤務医として働いてきた私の確信である」(p.16)副院長登用に数多くの利点

 では、看護師が副院長になると病院の何がどう変わるというのか。この本の内容を要約すると、次の5つになりそうだ。

(1)職員の最大集団の代表が経営陣に入ることで看護部の意見をくみ上げた経営ができる。
(2)看護職の地位向上、将来への展望が開け、日常勤務にも意欲がわいてくる。
(3)医師は、ともすれば自分の専門の科の視点で病院を見がちだが、各科を回った看護師は病院全体を見ることができる。看護部長は多数の看護師を統率しているので、人事管理能力が高い(場合が多い)。
(4)欧米では昔から看護師副院長は存在している。女性であっても管理能力のある人材がたくさんいることが院内の共通認識となって、総合的な組織力が上がる。
(5)学歴(なるもの)とリーダーシップとはほとんど全く関係がない。現に看護師副院長のいる病院は、経営・運営上のメリットをたくさん享受している。

 そして、武先生は、医師にとっての利点を、こう記している。

「それは、看護師副院長を置くと『医師と看護師の間の相互理解が深まり、医師が看護師の不満を理解するようになる』という収穫である」

 同書によれば、看護師の匿名座談会で、ある看護師は「こんなにいがみあっている二つの職種が、一緒に働いている職場なんて世間には、そうないでしょうね」と発言したという。看護部長の立場であっても、医師にはなかなか直言し得ないのが実情だ。だが、「副院長」の地位・肩書がつけば、いかにして病院を、チームとして効率的に、そして公平に動かすか、という大局からの発言が期待されることになる。

 医師たちは「副院長の立場が言わせること」と納得し、受け入れられると武先生は述べている。この本を出版した翌年、武先生は急逝されたが、着眼点は全く色あせていないと感じた。

 実は……看護職に限らない。薬剤師・技術職も含め、「ふさわしい」人物こそ、その病院の宝物である。

日経メディカル 2020/05/29 色平 哲郎(佐久総合病院)


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現職や与党は、メディア露出からくる知名度・浸透度、行政へのアクセスや政治資金など諸々の政治資源において、常に選挙において優位に立つ条件を有するが、とりわけ日本の選挙制度や慣行は世界で最も現職、世襲、与党、そして男性に有利と言うほかない。
元々、1925年に男子普通選挙が実現した時に、無産政党の手足を縛る目的で埋め込まれた高額な供託金や戸別訪問の禁止などの選挙運動の諸制限が、戦後の自民党長期一党支配(1955年体制)の下でもほとんど撤廃されなかっただけでなく、近年でもなお衆議院の選挙期間をわずか12日間に減少させたり、インターネット選挙の非合理的な規制なども加えられたりしている。
端的に言って、日本には民主主義の前提となる「水平な競技場」が存在しない。

中野晃一 「野党共闘をアップデートせよ」 「世界」 2022年1月


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2012年に日本の政治システムはほぼ完全に安倍自民党とネオリベ右派に制圧された。2014年では維新などと選挙協力するほどまでに民主党はネオリベ右派に引きずられていた。しかし15年の安保法制に対するたたかいを通じて、穏健保守・リベラル・左派の連携による政治システムの再生が始まった。17年にはネオリベ右派勢力による乗っ取りが希望の党という装置で企てられたのをかろうじて退けた。21年、私たちがネガティブ・キャンペーンに屈して今ここで野党共闘を手放す理由がない。

中野晃一 「野党共闘をアップデートせよ」 「世界」 2022年1月


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