【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【色平哲郎氏のご紹介】「このまま処刑されていいのか?」

2021-03-21 18:34:26 | 転載
かくして7万年前に文化的飛躍がなされた

前頭前野の突然変異をもつふたり以上の子どもたちは、互いに会話し合うなかで空間的前置詞や言語の再帰要素を発明した。これらの子どもたちは、再帰的な会話によって発達するメンタル統合能力を手に入れただろう。これにより、記憶にあるオブジェクトを組み合わせてまったく新しい何かを脳で想像できるようになった。
そしてまた、子孫に再帰構造のある言葉を教えたはずだ。
「7万年前にメンタル統合と再帰言語を取得したことで、本質的に行動が異なる新たな種が誕生しました。真に現代的行動をとる最初のホモサピエンスです」と、ヴィシェドスキーは結論づける。
「メンタル統合のプロセスで可能となった脳内で対象物の素早い並置ができる新たな能力は、“試作品”の想像を劇的に速め、それは技術進歩の急激な加速をもたらしたでしょう。どんな計画でも頭のなかでシミュレートする前例のない能力と、それらを仲間に伝達するという同じく前例のない能力を備えた人間は、一気に支配的な種になる準備が整ったのです」
このあとに何が起きたかは、歴史が証明している。人類は大型動物を狩る知恵をつけ、栄養上の大きな利点を得た。人口が指数関数的に増加すると、人類はアフリカの地から新たな居住地を求めて拡散し、地球上で最も住み心地のいい場所に住み着いた。これらの人々は、われわれ現生人類と非常によく似ていたはずだ。そして文化的な要素を備えた再帰言語と、「前頭前皮質遅延」の突然変異によって可能となったメンタル統合の素質を兼ね備えていたのだ。
ヴィシェドスキーのこの仮説は、ローマの伝説的な建設者である双子の兄弟ロムルスとレムスにちなんで、「ロムルスとレムス説」と名付けられた。伝説では、この兄弟は狼に育てられた。狼によるコミュニケーションは“動物的”なもので、多くの“単語”はあっても再帰構造はなかったはずである。よって獣の“親”は再帰言語を教えることはできず、ふたりが洗練された言葉を話すには再帰的な要素を発明しなくてはならなかっただろう。それはかつてのニカラグアの聴覚障害者たちを連想させるからだ。

https://bit.ly/3s5pT37

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中国残留孤児2世、3世らが1980年代に結成した不良集団「怒羅権ドラゴン」の創設期メンバーだった汪楠ワンナンさん(48)が回顧本「怒羅権と私」(彩図社)を出版した。貧困といじめを背景に犯罪に手を染めた後、更生するまでの半生をつづっている。本は交流を続ける受刑者に送る予定で「読書によって自分も変わった。一回失敗してもやり直せる社会を目指したい」と語る。

https://bit.ly/3r0sl9P

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主人公である阿Qは、家も金もなく無知ですが、傲慢でプライドが高いというバランスを欠いた人物です。殴られるなどひどい目に頻繁にあいますが、そのたびに都合のいい解釈をして、現実を直視しようとしません。やがてはその無知と浅はかさによって、流されるままに処刑されてしまいます。
『阿Q正伝』は私が中国で暮らしていた頃からの愛読書であり、なにより私はひそかに阿Qの惨めな姿に自分を重ねていました。
そして、石井先生は言いました。
「私の中にも阿Qはいます」
彼女のこの言葉に、私はとても感じ入るものがありました。阿Qとは人の愚かさや醜さの象徴であり、それが自分の一部であると認めることは心の強さが必要です。この人を信じられるのではないか、という思いが生まれ始めました。

「このまま処刑されていいのか?」


「出所後も怒羅権の仲間と交流する。それでも犯罪はしない」
なぜ元幹部は“半グレ”に戻らず更生の道を選んだのか?
『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』#6

https://bit.ly/391FIR3

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今、地域に必要なのは少なくとも後世に禍根を残すような「とんでもない大失敗」をしないことなのです。

https://bit.ly/2Qp66xT

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加藤陽子の近代史の扉
議会への暴力 権力簒奪へ「正当性」まとう
毎日新聞2021年3月20日

 例年の話だが、年明けからもう3カ月がたとうとすることにぼうぜんとなる。同じ思いの方も多いのではないか。この間を振り返って、二つのニュースに胸騒ぎを覚えたことを思い出した。ともに連邦議会(国会)議事堂に関係するニュースだった。
 一つめは、1月6日にトランプ米大統領(当時)支持派が、ホワイトハウス近くでの集会でなされた大統領演説の後、議事堂へ突入した一件。二つめは、2月1日にミャンマー国軍が、議会招集の直前にクーデターに訴え、首都ネピドーの議事堂周辺を封鎖、政治家らを拘束した一件だ。
 前者は大統領選でのバイデン氏勝利を不正だとし、後者も総選挙でのアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)圧勝を不正によるものと訴えた。選挙の不当を唱、実力行使を正当化した点に共通性がある。それにしても、片や言論の府である議事堂、片や暴動あるいはクーデター。一見、議会と暴力は縁遠く映る。
 だが歴史は、この二つの意外な縁の深さを教える。ナポレオン・ボナパルトによる1799年の「ブリュメール18日」のクーデターを挙げるまでもなく、権力の簒奪(さんだつ)者が合法性を装うのに、議会という場は実は打ってつけなのだ。ナポレオンらは、ジャコバン派が陰謀を企てているとして、元老会と五百人会議員をパリからサン・クルー城へと移した上で兵力を投入し、議会制圧に成功する。
 ここで、先の米国の例を見ておきたい。トランプ氏は1月6日の集会でこう演説した。不正があったと分かった時は、違うルールで(物事を)行うことが許される。さらに、非合法な大統領が生まれようとしているが、それは許されない、などと述べて人々が議事堂へ向かうよう扇動した。
 暴徒が議事堂に突入した日は、全州の大統領選挙結果が上下両院によって承認される日だった。ペンス副大統領(当時)の動向いかんによっては、ペンシルベニア州などの選挙結果の否認といった反対動議を契機に、議場の大混乱も起きかねなかった。そう考えると、不正があれば違うルールが適用される、との大統領の演説は、不敵な響きを持って迫ってくる。
 結果的に暴動は短時間で制圧され、トランプ派のもくろみは失敗に帰した。失敗の背景には、1月3日時点で存命の歴代国防長官10人が共同声明を発して、バイデン氏が勝利した選挙結果は受け入れるべきものであり、米軍は介入する立場にないと明言したこともあった。このように、暴力による政治的な転覆の成否は、より強大な軍事力の動向で決まることもある。

 日本での最大のクーデターといえば、1936年の2・26事件にとどめを刺す。2月26日未明、安藤輝三、栗原安秀といった青年将校らが率いた歩兵第1、第3連隊を主力とする1400人余の兵が反乱を起こした。斎藤実内大臣、高橋是清蔵相らを殺害し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、議事堂を含む永田町一帯を占拠した。

 NHKスペシャル「全貌二・二六事件」(2019年8月15日放送)によって新たに解明された事実をご紹介しよう。本来は直ちに反乱を鎮圧すべきだった陸軍上層部は、反乱を奇貨として暫定的な軍政府樹立をも選択肢とした。それを知った昭和天皇は、反乱軍鎮圧を海軍に頼ろうと決意し、第1艦隊を東京湾へ集結させたほか、横須賀鎮守府特別陸戦隊に出動を命じていた。終戦時の軍令部第1部長、富岡定俊の残した記録からは、天皇が「陸戦隊につき、指揮官は、部下を十分握り得る人物を選任せよ」とまで命じていた事実が浮かびあがる。反乱軍対鎮圧部隊という陸軍の相打ちどころか、海軍対陸軍の対峙(たいじ)までが覚悟されていた事実に震え上がる。

 芝浦沖に停泊した戦艦長門が反乱軍を威圧している姿を想像するのは、無計画で失敗必至なクーデターの過大評価ではないかと思われるかもしれない。だが、26日午後、宮中で開催された陸軍の非公式軍事参議官会議メンバーの大半が反乱軍に同情的で、反乱軍説得のための陸軍大臣告示中に「諸氏の行動は国体明徴の至情」に基づくものと認める、との一文が含まれていた事実はやはり重い。

 重要なのは、クーデターの渦中で軍人という種族が国民代表の議会人をどう見ていたか知ることだろう。皇道派だった陸軍省軍事調査部長の山下奉文は、先の宮中での会議の席上、2月20日の総選挙結果を話題にした。躍進した無産政党には、共産主義者からの転向組も多い。ソ連大使館も活発に暗躍するなか、無産政党と反乱軍が呼応すれば、市中騒動も不可避となるとして危機をあおっていた。

 ミャンマーの国軍記念日は1週間後の3月27日とか。次は何が起きるか。胸騒ぎどころではない。

(東大教授、第3土曜日掲載)

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カシュガルの駅では、2人の男性にウイグル語で話しかけられた。中国語で「私は日本人なんです」と返すと、2人は喜んで「日本から来たの? ほんとうに?」と聞いてくれた。

一言二言会話が進んだところで、10メートルほど先から警官が飛んできて2人を怒鳴りつけた。「身分証を出せ!」。

どこかに連れて行かれた後に戻ってきた2人は、私とは一切、目を合わせなかった。おそらく原因は私と会話したことなのだと思う。
また、モスクが一般住宅や店舗に改造されてしまった場所で、近くを通った高齢のウイグル族の男性に「この建物は古いのか。以前はモスクだったはずだが」と聞いた。「数百年はたつだろう。確かに以前はモスクだった」と自然に答えた後に男性は、ワンテンポ遅れて私が外国人であることに気がついたようだった。周囲を見回し、急に大きな声で「習(近平)主席は素晴らしい。われわれウイグル族の面倒をよく見てくれる」と叫んだ。

別のウイグル族男性は、屋内で会話を交わすうちに少しだけ本音を見せてくれた。「あんたが今この街で見ているものは本物だと思う、偽物だと思う?」と聞いてきた後に、「あんたは外国人記者だから全部わかっていると思うけど、本当に複雑なんだ」と言ってため息をついた。

「刑務所」は実在した。新疆で考えたウイグル問題

https://bit.ly/3r9rqUx

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「負け続きだ」。米軍筋は台湾や日本周辺有事を想定した紛争シミュレーションで、米軍が中国に敗北するケースが常態化しつつあると語る。
2025年時点の米中両軍の戦力比較によれば、西太平洋に展開する空母は米国の1隻に対して中国は3隻。多機能戦闘艦は米国12隻、中国108隻と予想される。紛争発生時にアラスカや米西海岸から部隊を増派しても、中国が軍事上の防衛線として設定する日本列島から台湾、フィリピンへ至る第1列島線到着まで2~3週間かかるため、地の利がある中国の数的優位を覆すのは困難だ。
インド太平洋軍のデービッドソン司令官は今月、上院軍事委員会の公聴会で、中国の軍拡が予想を上回るペースで進んでいるとして「通常戦力による米国の抑止力が崩壊しつつある」と警告。中国は当初、50年までに米国から覇権を奪うことを狙っていたが、「その目標を前倒しする可能性がある」と危機感を示した。
台湾に関しても、中国が今後6年間で武力行使を行う危険性が高まっていると強調。米政府は台湾問題における従来の「戦略的曖昧さ」を見直し、台湾との防衛協力を強化すべきだと訴えた。

米、崩れる軍事的均衡に焦り 中国、予想上回る軍拡ペース

https://bit.ly/2QfZ12q

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【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ミャンマー3度目のクーデターを遠望する  荒木 重雄

 3度目のクーデターで権力を奪ったミャンマー国軍と、抵抗する市民がせめぎあっている。日々の状況はメディアでも報じられているが、帰趨はいまだ不透明のままだ。このようなときには少し視野を広げて、歴史を俯瞰して見ることも、現状を理解・判断する一助になろう。
 そこで気がつくのが、ミャンマーの現代史には、通奏低音のように、民族や宗教とかかわる葛藤が存在することである。政治変動には必ずといってよいほど、きっかけになったり、原因であったり、名目であったり、背景であったりで、宗教や民族が顔を覗かせる。
 そのそもそもの事の始まりは・・・

 ミャンマーでは、イラワジ河流域の中央平野に多数派のビルマ族が住み、周囲の山岳・高原地帯に幾多の少数民族が住む。

 11世紀のパガン王朝以来、ビルマ族が仏教を王権の基盤とする社会を発展させてきたが、19世紀にこの地を植民地支配した英国は、お家芸の「分断支配」に則って、少数民族にキリスト教を布教し、キリスト教化した少数民族を植民地政府の官吏や警官として仏教徒ビルマ族の監視と弾圧に用いた。
 ここに、現在の状況につながるミャンマーの宗教的・民族的葛藤がはじまるのである。

 英国植民地支配に対する抵抗は、それゆえ、ビルマ族によって仏教護持をスローガンに行われることとなった。僧侶や仏教青年組織が運動の主体を担った。
 ビルマ族の不満に目をつけた日本の旧軍部は、海南島で軍事訓練を施した活動家を中心に亡命ビルマ人による軍を編成し、太平洋戦争開戦と同時に、日本軍とともにビルマに進攻させた。これが現在の国軍の発端であり、ビルマ側指揮官が、アウンサンスーチー氏の父、若きアウンサン将軍であった。
 日本の先兵として働く仏教徒ビルマ族の軍と、英国が組織したキリスト教徒やイスラム教徒の少数民族による軍との戦闘は、両民族の対立を決定的とした。

 1948年に独立したビルマでは、自治権や利権を巡って、武装組織を備えた各少数民族とビルマ族中心の中央政府との戦いが熾烈をきわめた。一時は、中央政府は僅かに首都ラングーンを守るのみにまでなった。一方、仏教界は政府に仏教の国教化を求め、政府は一旦、国教化を決定するが、非仏教徒からの激しい反発に遭って一夜にして覆す。
 このような混乱に乗じて決行されたのが、62年のネーウイン将軍によるクーデターである。長い軍事独裁政治のはじまりであった。

  ◆ 挫折した2度の民主化運動

 徹底した強権政治にも綻びが生じる。26年に及ぶ軍政下で溜まった鬱憤が、88年、ネーウインの引退表明を機に爆発し、大規模な民主化運動が起こった。だが、数千人の犠牲者を出した流血の弾圧で国軍が再び政権を掌握する。アウンサンスーチー氏が母国の政治に向き合う覚悟を決めたのはこのときであった。

 90年、軍政下で総選挙が行われたが、民主化勢力が勝利すると、軍は選挙の不正をあげつらって無効とし(今回のクーデターでも使われた口実)、逆に民主化勢力への弾圧を強化した。
 弾圧を逃れた活動家や政治家をかくまった少数民族地域への国軍の攻撃が激しさを増した。

 再び民主化運動が燃え上がったのは前回の運動から19年を経た2007年。燃料費の高騰がきっかけだったが、主導したのは若い僧侶たちだった。
 民衆の窮状を黙視することができずに立ち上がった僧たちのデモに、軍が威嚇発砲し、殴打、拘束する事件が起こった。僧侶が民衆の厚い信頼と尊敬を集める社会で、僧侶への暴行とは尋常のことではなく、事件の衝撃に促されて市民の間に「軍政打倒」の大きなうねりが盛り上がった。弾圧による死亡・行方不明が百人を超え、取材していたジャーナリスト長井健司氏が犠牲になったのもこのときであった。

 僧侶のデモ参加は民衆を励ます(今回の抗議デモのテレビ映像でも柿色の僧衣姿の僧侶の一団が目についた)。88年の民主化運動でも僧侶は一翼を担った。このときは運動衰退の後でも、一部の僧たちが軍人やその家族から依頼される読経を拒否したり、布施や托鉢を受けることを拒否する「覆鉢行」で抵抗を示し続けた。

  ◆ ロヒンギャ問題に阻まれて

 2010年、軍政下で民主化勢力がボイコットした総選挙で国軍系政党が勝利したのを見届けた軍は、民政移管に重い腰を上げた。
 しかし、15年の選挙では、アウンサンスーチー氏率いる、民主化勢力を糾合した国民民主連盟(NLD)が圧勝し、ついに、半世紀に及んだ軍の政治支配に終止符が打たれることになった。
 国会議席の4分の1は「軍人枠」など、軍政下で仕組まれた縛りが足枷にはなろうとも、民主化は確実に進むだろう、と、期待された矢先、そこに起こったのがロヒンギャ問題であった。

 ロヒンギャとは、ベンガル地方が出自とされるイスラム教徒の少数民族である。中央政府に抗えるはずもない弱小少数民族のゆえでもあろう、ネーウイン時代から国籍剥奪などの迫害を受けてきたが、2010年代から、仏教徒住民のいじめに耐えきれず、大挙、老朽船で洋上に逃れ出て、遭難したり、他国に漂着したりで、国際社会の注目を集めてきた。とりわけ17年には国軍による残酷な掃討作戦を受けて居住地を焼き払われ、70万人余りがいまだ隣国バングラデシュに難民として逃れ出ている。

 国際社会がジェノサイドと非難する中で、国軍の政治関与を弱める憲法改正にも、少数民族武装勢力との和平にも国軍の協力が必要なアウンサンスーチー氏は、ジェノサイドを否定して国軍をかばったが、「行き過ぎた武力行使」の可能性は認めた。それが、今回の国軍によるクーデターの幾つか挙げられている原因のひとつ
ともいわれている。

  ◆ ミャンマーは「地政学的要衝」のみにあらず

 クーデター首謀者のミンアウンフライン国軍最高司令官は、意思決定機関「連邦行政評議会」に一部の少数民族幹部を加えたり、僧院を訪れて僧を敬う姿勢を示したりして、民意を得ようと試みている。だが、とりわけ目立つところのない軍人だった彼が、2007年の僧侶が正面に立ったデモの鎮圧や少数民族武力弾圧の指揮で頭角を現し、現在の地位にまで登り詰めたことは、ミャンマーの多くの人が知るところである。

 一方、米国のミャンマー・ウオッチャーの間では次のような説もある。
 現時点でクーデターを起こすことは国軍になんの利益もない。軍は議席の4分の1を確保し、内政の枢要を占める内務相も軍が握り、国軍の影響力は憲法上も盤石である。国軍傘下の企業群も民政移管と経済改革でむしろ潤っている。にもかかわらずクーデターの暴挙にでたのは、ミャンマーの軍政の指導者たちは制服を着た政治家ではなく、戦士だから、というのである。

 すなわち、国軍は、英国統治と日本の占領に抗して戦い、独立後の内戦も制した歴史を通じて培った、「ビルマ民族主義の守護者・象徴」としての正統性の矜持と、強固な結束の自負を持つ。ところが、88年の民主化運動以来、ビルマ民族の支持を集める新たな受け皿として国民民主連盟が台頭し、しかもそれを、国軍の創設者アウンサン将軍の娘であるスーチー氏が率いることで、国軍の正統性の絶対化に傷がつけられた。

 それが積年の国軍と国民民主連盟(2015年以降はその政権)との対立の底流をなしていたが、とくに昨年には、ロヒンギャ問題でアウンサンスーチー氏が国軍を国際社会でかばったことが、国軍幹部には耐えがたい屈辱と映り、さらに昨年11月の選挙で国民民主連盟が圧勝したうえ、こともあろうに身内の国軍兵士からも多くの票が国民民主連盟に流れたことが、国軍上層部の自負心を著しく損なうこととなり、その面目上の危機感が、国際社会での非難・孤立や世界経済から疎外のリスクも顧みぬクーデターの動機になったとするのである。

 ミャンマーは海外企業の投資市場として「最後のフロンティア」と呼ばれ、また、インド・中国・東南アジアを繋ぐ要衝にあるところから、中国と欧米諸国との角逐も背景に、地政学的な戦略上の観点から論じられることが多いが、まずは、この地に生きる人々の情念のマグマに思いを致すべきであろう。

 当面の情勢に触れれば、アウンサンスーチー氏の訴追や国民民主連盟の解体は国軍の意のままにできても、民政移管後の10年を経験した市民は以前ほど軍に従順ではない。路上デモを鎮圧されても、SNSで国際社会に訴えたり、不服従運動で軍の統治を妨げたりの抵抗は続こう。非常事態宣言の解除後に自らの意に沿う政権をつくることが国軍の思惑であっただろうが、国民が受け入れるとは考え難く、目論みは順調には進むまい。不安定な状況が当分は続くことが予想される。

 (元桜美林大学教授・『オルタ広場』編集委員)

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ウーマンラッシュアワー・村本大輔。2013年の「THE MANZAI」で優勝し、テレビに引っ張りだことなった。しかし、原発や沖縄の基地問題などを漫才のネタにし始めた2017年頃からテレビ出演が激減。2020年のテレビ出演はたった1本だった。  
彼はジャーナリストさながら福島や沖縄などに足を運び、生の声を聞いて回る。そして、“笑い”に変え続けた。何が心に響くのか?常にお笑いのネタを探し続ける彼に番組は密着。さらに村本がテレビから消えた理由を関係者に取材。見えてきたのは、テレビの制作現場に漂う空気、そして社会におけるお笑いの役割と可能性だ。
彼はなぜテレビから消えたのか?村本大輔という芸人を通して、テレビというメディアを見つめ直す。

村本大輔はなぜテレビから消えたのか?

https://bit.ly/2OJ2d6z

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キーワード 緊急事態を生きる--シュミットとノイマン=中森明夫

毎日新聞2021年3月17日「ニッポンへの発言」

 コロナ禍での2度目の春を迎える。再度の緊急事態宣言の発令と延長が繰り返された。国内でのワクチン接種は始まったが、いまだ終息は見えない。いったい、どうなるのだろうか?

 この間、出版された2冊の新書を読み、大いに啓発された。紹介したい。1冊目は、蔭山宏著『カール・シュミット』(中公新書)。ナチのイデオローグとも称されたドイツの政治思想家についての入門書である。<ナチスと例外状況の政治学>の副題がある。“例外状況”はシュミット思想の重要なワードだ。<主権者とは例外状況において決断をする者である>とは『政治神学』の冒頭の著名な一節だった。戦争やテロや大災害などの際、超法規的な決断を下す。天皇による終戦の“ご聖断”がこれにあたるかもしれない。

 さて、この“例外状況”を今回の“緊急事態宣言”と読み替えてみる。すると、いったい誰が決断を下しているのか? 本来は首相のはずだ。が、そうは見えない。1都3県の知事と首相との確執があり、そこに専門家会議がからむ。さらには世論がある。緊急事態宣言そのものの法規定が曖昧で、首相が明確な決断を下しているように見えない。国民の自粛頼みだ。つまり、この例外状況において決断を下す主権者が存在しない。延期された東京五輪をめぐる迷走にも、これは言える。中止を決断できる者はいないのだ。すべては“空気”が決めている。日本国民はみんな“空気”を読んでマスクをしている。太平洋戦争の末路を想起して、怖い。

 シュミットにはもう一つ、重要な“友敵理論”が存在する。『政治的なものの概念』によれば、人間は究極的に敵か味方(友)かに区別されるという。先のアメリカ大統領選挙を想起しよう。トランプの賛否をめぐり国が二分され、暴動騒ぎにまでなった。米国のみならず、現在の世界の“分断”状況を100年前にシュミットは予言している。

 今一冊は、高橋昌一郎著『フォン・ノイマンの哲学』(講談社現代新書)。ノイマンは20世紀初頭にハンガリーのブダペストに生まれ、幼い頃からその異常に優秀な頭脳が着目された。数学の天才少年として出発し、その後、業績は多岐にわたる。<数学における「集合論」と物理学における「量子論」の進展に大きく貢献し、過去に存在しなかった「コンピュータ」と「ゲーム理論」と「天気予報」を生み出した。彼の生み出した「プログラム内蔵方式」の「ノイマン型アーキテクチャー」がなければ、現代のあらゆるコンピュータ製品はもちろん、スマートフォンも存在しない>。さらに<彼が導いた「爆縮理論」がなければ、アメリカの原子爆弾完成はずっと遅れていたはずである。つまり、もしノイマンがいなければ、第二次大戦の結末には大きな変化があったに違いない>。当初、アメリカ空軍の原爆投下目標の筆頭に「皇居」があった。ノイマンが強硬に反対して、回避されたという。もし、彼がいなければ戦後の日本の形も大きく変わっていた!?

 本書の副題は<人間のフリをした悪魔>という。先の『カール・シュミット』では<二十世紀的現代とは人間的な自然を含めた自然一般を、技術によって限りなく支配しようとする「技術的精神」の時代である>とし、それは<時には「悪魔的」に見えるかもしれないが>と留保をつける。その意味でノイマンは「技術的精神」=悪魔(的)の申し子だ。苛烈な先制核攻撃主義者であり、ソ連への核攻撃を強く進言した。「科学的に可能だとわかっていることは、やり遂げなければならない。それがどんなに恐ろしいことだとしてもだ」とは彼の言である。

 シュミットはナチスの御用学者となり、ユダヤ系のノイマンはアメリカに亡命して反ナチスの戦争を戦った。立場は正反対だ。が、20世紀という戦争(=例外状況)の時代が、こんなデモーニッシュ(悪魔的)な知性を生んだのかもしれない。コロナ禍という世界的な例外状況が、21世紀の新しい知性を生み出すだろうか?(コラムニスト)=毎月第3水曜掲載

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国際社会は、日本はどう対応すべきでしょうか。

井本氏:国際社会がミャンマーの人々を「保護する責任(R2P、Responsibility to Protect )」はあると思います。国に人々を守る意思がないのですから。本来であれば、国際社会がPKO(国連平和維持活動)のような形を取って介入すべきでしょう。そうすれば少なくとも弾圧はなくなるでしょうし、対立する双方が対話する機会ができます。ただ国連などの介入は現状では望めません。国連安全保障理事会では中国やロシアが慎重な見方を崩さず、結局、議長声明しか出すことができませんでした。米国などは経済制裁を打ち出していますが、経済制裁で問題が解決した例を私は知りません。
ミャンマー国内では、「中国が国軍を支援している」との見方が強まっており、反中デモも行われています。ただ状況はもっと複雑だと思います。中国とべったりだったのは、むしろスー・チー政権でした。国軍は中国の影響力の増大には危機感を強めていたのです。中国は一部の少数民族武装勢力の後ろ盾にもなっていましたから。そこで国軍は近年、中国ではなくロシアから兵器を購入していました。しかもクーデターの数日前にはロシアの国防相がミン・アウン・フライン総司令官と会談しています。国軍は中国とロシア、そして中国の進出に神経をとがらせる隣国、インドとのバランスをうまく取りながら、難局を乗り越えていこうという腹では
ないかと思います。

抗議デモの死者180人 「このままではミャンマーはもっと悲惨に」

https://bit.ly/3lyVXKl

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「反省おばけ」の退治法=小国綾子  毎日新聞 2021/3/16 東京夕刊

 3月8日は「国際女性デー」。<怒れば「あの女、怖過ぎ」と言われ、泣けば「感情的」と言われ、頑張れば「女を捨ててる」と言われ、あきらめれば「だから女は」と切り捨てられる。「主張は分かるけど冷静で論理的でなきゃ」などとあしらわれるうち、「差別だ」と声を上げることにすら慎重になっていく……>。昨年のコラムで私は反省を込めてこう書いた。
 ジェンダーをテーマに書こうとすると今でも過度に慎重になる。世の中が変わらないのは自分が十分に声を上げてこなかったからじゃないか、と反省モードに陥ってしまう。いいかげん、この思考回路から脱出したい。だから私は、そいつに名前をつけた。「反省おばけ」。反省してもいい。でも反省したなら行動しなきゃ。
 “おばけ退治”をしないとね。そう思ったのは、今年の「国際女性デー」の夜、日本ラグビー協会理事の谷口真由美さんから、女性の数を一定割合まで増やす「クオータ制」の必要性について、こんな比喩を聞いたからだ。
 「10人でランチに行く時、9人が焼き肉を食べたいと言ったら、おすしが食べたいとは言い出せない。おすし派が2人でも遠慮してしまう。3人いてようやく『おすしが食べたい』と言える」。だから最低でも3割いなきゃ。クオータ制は必要、というわけ。
 ところが私は思った。食べたくもないものを食べようと思わない。「私なら一人でおすし屋に行くけどな」。その方が自由だもの。それから我に返った。ああ、私がやってきたのって、これか!
 就職した1990年の新聞業界ではどこに行っても「紅一点」と「女性初」がついて回った。私は「焼き肉」集団の中で「おすし」を主張するのをあっさりあきらめ、単独行を決め込んだ。組織でのキャリアアップなど望まず、生涯一記者を望んだ。あの時「おすし食べたい」と声を上げていれば、今ごろ若い世代の「ラン
チの選択肢」はもっと豊かだったのかも。
 昨年の「国際女性デー」は一人思い悩んで冒頭のような言葉を書いた。今年はネットメディアなどで同世代や若い世代と意見交換するうち、こんなコラムになった。一人メシもいいけど、時には焼き肉だ、おすしだと騒ぎながら誰かとランチ(=連帯)してみよう。
 もしかしたら、それが私の“おばけ退治”の第一歩、かな。(オピニオングループ)

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