ウクライナ問題理解の為に・東部2州の問題。多くの国民は露が領土拡大でウクライナに侵攻と思っている。この地に露人が7-8割居住。U「ウクライナ化」強引に進め、住民とU側と戦闘。2014年から双方1万4千人死亡。露人救う意味内蔵→ロ国民はプーチン支持。
安倍元首相が「プーチンの意図はNATOの拡大、それがウクライナに拡大するという事は絶対に許さない、東部二州の論理でいえば、かつてボスニア・ヘルツェゴビナやコソボが分離・独立した際には西側が擁護したではないか、その西側の論理をプーチンが使おうとしているではないかと思う。」と述べた東部二州の問題を見てみたい。この問題は相当複雑である。
『マスコミ市民』2022年5月号は羽場久美子(青山学院大学名誉教授、世界国際関係学会元副会長)著「ミンスク2の時点に戻り即時停戦を」を掲載しているので、そこから抜粋したい。
・2014年のマイダン革命以降、アメリカ政府やNATOの事務総長を含めて、ウクライナに対して強力な軍事的・政治的な援助をしていく姿勢があった。
・今回の問題は今年の2月に始まったことではなく、2014年から始まっていると捉えることができるのです。戦争に至る経緯について、メディアはもっと多角的、客観的に伝えていってほしいと思います。
・1991年にソ連が補遺介して以降、アメリカやNATOはいかにロシア及び社会主義国を弱体化させ、世界的な影響力をなくしてしまうかということに強い関心をもったのだといえます。
・オバマ政権の副大統領としてのバイデンは、マイダン革命が行われた2014年以降、ロシアの前哨線を押えるという立場で、ウクライナへの軍事支援やNATOの拡大について積極的に発言していきます。
・2014年のミンスク議定書は、ロシアとウクライナとドネツクとルガンスクという四者の取り決めたものですが、いわゆるミンスク合意と言われるものは、2015年の2月にドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領の仲介で成立した「ミンスク2」である。
・2回目のミンスク合意を破ったのはウクライナの方でした。マリウポリを拠点とする過激なネオナチの軍事組織をウクライナの警察や国防軍にいれたことで内戦が始まるのです。
・正規のウクライナ軍が東部の親ロシア武装組織と言われる人達に対して内戦を開始する一方、それと並行して過激派のアゾフ大隊のグループが虐殺を働き、双方で1万4千人の若者が亡くなりました。
・戦闘を中止することができないまま8年間も内戦が継続する状況が続きました。ロシアは2022年突然侵入したのではなく、戦争状況はすでにあったのです。
安倍元首相が「プーチンの意図はNATOの拡大、それがウクライナに拡大するという事は絶対に許さない、東部二州の論理でいえば、かつてボスニア・ヘルツェゴビナやコソボが分離・独立した際には西側が擁護したではないか、その西側の論理をプーチンが使おうとしているではないかと思う。」と述べた東部二州の問題を見てみたい。この問題は相当複雑である。
『マスコミ市民』2022年5月号は羽場久美子(青山学院大学名誉教授、世界国際関係学会元副会長)著「ミンスク2の時点に戻り即時停戦を」を掲載しているので、そこから抜粋したい。
・2014年のマイダン革命以降、アメリカ政府やNATOの事務総長を含めて、ウクライナに対して強力な軍事的・政治的な援助をしていく姿勢があった。
・今回の問題は今年の2月に始まったことではなく、2014年から始まっていると捉えることができるのです。戦争に至る経緯について、メディアはもっと多角的、客観的に伝えていってほしいと思います。
・1991年にソ連が補遺介して以降、アメリカやNATOはいかにロシア及び社会主義国を弱体化させ、世界的な影響力をなくしてしまうかということに強い関心をもったのだといえます。
・オバマ政権の副大統領としてのバイデンは、マイダン革命が行われた2014年以降、ロシアの前哨線を押えるという立場で、ウクライナへの軍事支援やNATOの拡大について積極的に発言していきます。
・2014年のミンスク議定書は、ロシアとウクライナとドネツクとルガンスクという四者の取り決めたものですが、いわゆるミンスク合意と言われるものは、2015年の2月にドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領の仲介で成立した「ミンスク2」である。
・2回目のミンスク合意を破ったのはウクライナの方でした。マリウポリを拠点とする過激なネオナチの軍事組織をウクライナの警察や国防軍にいれたことで内戦が始まるのです。
・正規のウクライナ軍が東部の親ロシア武装組織と言われる人達に対して内戦を開始する一方、それと並行して過激派のアゾフ大隊のグループが虐殺を働き、双方で1万4千人の若者が亡くなりました。
・戦闘を中止することができないまま8年間も内戦が継続する状況が続きました。ロシアは2022年突然侵入したのではなく、戦争状況はすでにあったのです。