読み人知らず。論考「ウクライナ戦争にどう向き合うか」惨劇には言葉を失う。国そのものが廃墟になり、その出口が見えない。この戦争に日本がどう向き合うべきか、言い換えれば、「東のウクライナ」にならないためにはどうするか、日本の幸せの思想が出発点、
2023-04-21 05:472
読み人知らず。論考「ウクライナ戦争にどう向き合うか」
今、ウクライナ戦争にどう向き合うかが問われている。その向き合い方によって、日本の進路は真逆なものになるのではないか。
■二つの「東のウクライナ」
今日、ウクライナの惨劇には言葉を失う。国そのものが廃墟になり、その出口が見えない。
このウクライナの悲惨を見ながら、そこに近未来の日本の姿を見、警鐘が鳴らされている。
岸田首相は、今日のウクライナに明日の東アジアを見て、防衛力の強化を訴えた。
そこで想定されているのは、中国による「台湾有事」だ。それに対抗して、「反撃能力」が言われ、「専守防衛」が古語にされながら、防衛費の倍増が当然のこととしてまかり通っている。
一方、「東のウクライナ」には、全く異なるもう一つの意味がある。それは、ウクライナのように、米国の代人に押し立てられて戦争するなという意味だ。
同じ「東のウクライナ」でも、全く違った意味。それは明らかに、ウクライナ戦争に対する見方の違いに由来している。
■どう見るウクライナ戦争の本質
ウクライナ戦争をどう見るか。その本質についてはいろいろ言われている。
誰もが最初に思ったのは、ロシアによるウクライナに対する侵攻、侵略戦争だ。
なぜ今、ウクライナ侵略戦争なのか。その目的については、ロシアによるウクライナ併合など、領土拡大への野望が言われた。
だが、戦争の進展の中で、この戦争が単純な領土をめぐるロシアとウクライナの戦争ではないことが誰の目にも見えてきた。
この戦争に対する米英、米欧の支援は尋常ではなかった。戦争の勃発と同時に始まった米英メディアによるロシア非難の報道は熾烈を極め、米欧主導の国連など国際機関でのロシア非難決議、対ロシア制裁決議が矢継ぎ早になされ、国際決済秩序、SWIFTからのロシア主力銀行数行の閉め出しなど、ロシア経済を世界経済から切り離し孤立圧殺するための措置が次々と執られた。また、米英によるウクライナへの軍事支援も普通ではなかった。スターリンクをはじめ、最新の武器供与、軍事支援が大々的になされた。
ロシアの新興財閥オリガルヒが震え上がったこの米欧による一大攻勢を前に、プーチンは、オリガルヒを説得安心させながら、世界でも有数なロシアの地下資源、農産物資源を武器に米欧経済を逆包囲する新たな世界経済秩序をつくる一方、愛国を掲げ、米欧と対決するロシアの軍事再構築を図りながら、中国など世界の非米諸国との連携を一段と強めた。
事態のこうした進展は、ウクライナ戦争が単純なロシアとウクライナの戦争ではなく、米欧日など旧帝国主義勢力と中ロなど非米諸国間の世界を二分する対立、抗争の様相を呈してきていることを教えてくれている。
そこで問題となるのは、中ロなど非米諸国をどう見るかだ。米欧日など先進・旧帝国主義勢力に対して、中ロの下にブロックを形成する後進・新興帝国主義勢力と見るのか、それとも、米欧日帝国主義覇権勢力に対決する中ロなど脱覇権、反覇権勢力と見るのか、それによって、ウクライナ戦争がいかなる戦争か、その本質が違ってくる。
これは、ただ単に中ロを帝国主義覇権国家と見るか否かの問題ではない。中ロとそれと連携する非米諸国、この集団をどう見るかの問題だ。中国やロシアをそれぞれ盟主とする中国やロシア、はたまた中ロの帝国主義ブロックと見るのか、それとも、中ロと対等に連携する、非米・脱覇権勢力と見るのか。
これは、すぐれて現時代をどう見るかの問題と一体だと思う。米一極覇権時代と見るのか、米、中、ロなど多極覇権時代と見るのか、それとも、覇権時代そのものが終焉する脱覇権の時代と見るのかだ。
そこで見るべきは、この戦争が2022年2月24日のロシアのウクライナへの軍事突入、プーチン言うところの「特殊軍事作戦」以前から始まっていたという事実だ。
対中新冷戦が公然と開始されたのに対し、対ロ新冷戦は、二正面作戦を避けて、ウクライナのNATO加盟化、対ロシア軍事大国化、ナチス化など、非公然に敢行されていた。
これに対し、プーチンによるウクライナ先制攻撃は、この対ロ新冷戦の公然化、二正面作戦化を狙ったものだったと言えるのではないか。
その目的が中国だけでなく非米脱覇権諸国とロシアの結びつきを一段と強め、覇権VS脱覇権、反覇権の攻防を後者にとって有利にするところにあったのは、この間のウクライナ戦争の展開を見ていれば容易に推察できるのではないだろうか。そのとどのつまりが米覇権の崩壊と覇権時代そのものの終焉にあったことは十分に推測できるのではないかと思う。
■この戦争の行方を予測する
今、ウクライナ戦争がどうなるか、その行方が問題になっている。
そこで焦点になっているのが武器問題だ。ウクライナの弾薬が尽きてきている。ハンガリー、オーストリア、ブルガリアがウクライナへの武器援助を拒否する中立宣言を出した。ウクライナへの武器供与を求める米国の要求に付いていけないと言う。等々が浮かび上がってきている。
ここに来て、数年かかると言われてきたウクライナ戦争が、年内に決着が付くかも知れないと言われるようになってきているのはそのためだ。
しかし、戦争の勝敗は、武器によって決まるのではない。
第二次大戦後、米国は戦争をやり続けてきた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク・アフガン戦争・・・。そこで米国が勝てなかった原因は何か。それは明らかに、武器によってではない。勝てなかったのは兵士と国民の意識で米国が負けていたからだ。
そこから見た時、ウクライナ戦争の展望はどうか。ウクライナとロシア、双方の兵士と国民の意識はどうなっているのか。
そこで言えるのは、ウクライナの兵士、国民の士気の低さだ。米欧から供給される武器の多くが戦場に届かず、横流しされているのはなぜか。ゼレンスキーの親族が戦争勃発を前にイスラエルに移住していたという事実は何と説明するのか。
なぜそうなるのか。それは、ウクライナが祖国防衛の戦争をしていると言うより、米欧の代理戦争をしているからだと思う。事実、昨年12月、訪米した際、ゼレンスキーは、米議会の演壇で、ウクライナ国民は、(祖国のためではなく)民主主義のために闘うと言った。
それに対して、ロシアは、米国の覇権回復戦略、対ロ新冷戦から自国を守るという意識になっている。ナポレオンの侵略を退けた第一次大祖国戦争、ヒトラーの侵略を撃退した第二次大祖国戦争、そして今、米欧を討ち退ける第三次大祖国戦争という意識だ。
■この戦争にどう向き合うべきか
これまでウクライナ戦争について見てきた。その本質を考え、行方を予測してきた。その上で問われているのは、この戦争に日本がどう向き合うべきか、言い換えれば、「東のウクライナ」にならないためにはどうするかという問題だ。
まず、この戦争はロシアによる侵略戦争ではない。だから、中ロによる日本への侵攻を警戒し、米欧と一体にそれに対するようにはならない。逆にそれに反対し闘わなければならない。
次に、ウクライナ戦争を米欧日対中ロの帝国主義間戦争ととらえた場合どうなるか。当面、ウクライナの「民族解放闘争」を支援しながら、「帝国主義間戦争を内乱へ」を準備することになるのだろうが、問題は、米対中ロの攻防、すなわち「新冷戦」に対してはどうするのかということだ。この立場に立つ人たちの多くが、「新冷戦」との闘いを自分とは無縁の問題として無視、軽視するようになるのは、決して偶然ではないと思う。
ウクライナ戦争を米覇権VS脱覇権の闘いとして見た時、もしくはそうなりうると見た時初めて、われわれは、覇権に反対する立場から、米覇権と闘う日本主体の立場に立てるようになると思う。
ここから一つ言えることは、われわれがあらゆる問題を考える時、常に日本を中心に置き、日本の幸せ、日本の利益のために、日本主体に考えることの重要性ではないだろうか。
ウクライナ問題を考える時にも、対米従属、「新冷戦」と闘う日本人としての立場を堅持し、そこから現実をとらえ、現実の発展がそうなっていない時には、それを変えてでも日本の幸せ、日本の利益を図るということだ
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読み人知らず。論考「ウクライナ戦争にどう向き合うか」
今、ウクライナ戦争にどう向き合うかが問われている。その向き合い方によって、日本の進路は真逆なものになるのではないか。
■二つの「東のウクライナ」
今日、ウクライナの惨劇には言葉を失う。国そのものが廃墟になり、その出口が見えない。
このウクライナの悲惨を見ながら、そこに近未来の日本の姿を見、警鐘が鳴らされている。
岸田首相は、今日のウクライナに明日の東アジアを見て、防衛力の強化を訴えた。
そこで想定されているのは、中国による「台湾有事」だ。それに対抗して、「反撃能力」が言われ、「専守防衛」が古語にされながら、防衛費の倍増が当然のこととしてまかり通っている。
一方、「東のウクライナ」には、全く異なるもう一つの意味がある。それは、ウクライナのように、米国の代人に押し立てられて戦争するなという意味だ。
同じ「東のウクライナ」でも、全く違った意味。それは明らかに、ウクライナ戦争に対する見方の違いに由来している。
■どう見るウクライナ戦争の本質
ウクライナ戦争をどう見るか。その本質についてはいろいろ言われている。
誰もが最初に思ったのは、ロシアによるウクライナに対する侵攻、侵略戦争だ。
なぜ今、ウクライナ侵略戦争なのか。その目的については、ロシアによるウクライナ併合など、領土拡大への野望が言われた。
だが、戦争の進展の中で、この戦争が単純な領土をめぐるロシアとウクライナの戦争ではないことが誰の目にも見えてきた。
この戦争に対する米英、米欧の支援は尋常ではなかった。戦争の勃発と同時に始まった米英メディアによるロシア非難の報道は熾烈を極め、米欧主導の国連など国際機関でのロシア非難決議、対ロシア制裁決議が矢継ぎ早になされ、国際決済秩序、SWIFTからのロシア主力銀行数行の閉め出しなど、ロシア経済を世界経済から切り離し孤立圧殺するための措置が次々と執られた。また、米英によるウクライナへの軍事支援も普通ではなかった。スターリンクをはじめ、最新の武器供与、軍事支援が大々的になされた。
ロシアの新興財閥オリガルヒが震え上がったこの米欧による一大攻勢を前に、プーチンは、オリガルヒを説得安心させながら、世界でも有数なロシアの地下資源、農産物資源を武器に米欧経済を逆包囲する新たな世界経済秩序をつくる一方、愛国を掲げ、米欧と対決するロシアの軍事再構築を図りながら、中国など世界の非米諸国との連携を一段と強めた。
事態のこうした進展は、ウクライナ戦争が単純なロシアとウクライナの戦争ではなく、米欧日など旧帝国主義勢力と中ロなど非米諸国間の世界を二分する対立、抗争の様相を呈してきていることを教えてくれている。
そこで問題となるのは、中ロなど非米諸国をどう見るかだ。米欧日など先進・旧帝国主義勢力に対して、中ロの下にブロックを形成する後進・新興帝国主義勢力と見るのか、それとも、米欧日帝国主義覇権勢力に対決する中ロなど脱覇権、反覇権勢力と見るのか、それによって、ウクライナ戦争がいかなる戦争か、その本質が違ってくる。
これは、ただ単に中ロを帝国主義覇権国家と見るか否かの問題ではない。中ロとそれと連携する非米諸国、この集団をどう見るかの問題だ。中国やロシアをそれぞれ盟主とする中国やロシア、はたまた中ロの帝国主義ブロックと見るのか、それとも、中ロと対等に連携する、非米・脱覇権勢力と見るのか。
これは、すぐれて現時代をどう見るかの問題と一体だと思う。米一極覇権時代と見るのか、米、中、ロなど多極覇権時代と見るのか、それとも、覇権時代そのものが終焉する脱覇権の時代と見るのかだ。
そこで見るべきは、この戦争が2022年2月24日のロシアのウクライナへの軍事突入、プーチン言うところの「特殊軍事作戦」以前から始まっていたという事実だ。
対中新冷戦が公然と開始されたのに対し、対ロ新冷戦は、二正面作戦を避けて、ウクライナのNATO加盟化、対ロシア軍事大国化、ナチス化など、非公然に敢行されていた。
これに対し、プーチンによるウクライナ先制攻撃は、この対ロ新冷戦の公然化、二正面作戦化を狙ったものだったと言えるのではないか。
その目的が中国だけでなく非米脱覇権諸国とロシアの結びつきを一段と強め、覇権VS脱覇権、反覇権の攻防を後者にとって有利にするところにあったのは、この間のウクライナ戦争の展開を見ていれば容易に推察できるのではないだろうか。そのとどのつまりが米覇権の崩壊と覇権時代そのものの終焉にあったことは十分に推測できるのではないかと思う。
■この戦争の行方を予測する
今、ウクライナ戦争がどうなるか、その行方が問題になっている。
そこで焦点になっているのが武器問題だ。ウクライナの弾薬が尽きてきている。ハンガリー、オーストリア、ブルガリアがウクライナへの武器援助を拒否する中立宣言を出した。ウクライナへの武器供与を求める米国の要求に付いていけないと言う。等々が浮かび上がってきている。
ここに来て、数年かかると言われてきたウクライナ戦争が、年内に決着が付くかも知れないと言われるようになってきているのはそのためだ。
しかし、戦争の勝敗は、武器によって決まるのではない。
第二次大戦後、米国は戦争をやり続けてきた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク・アフガン戦争・・・。そこで米国が勝てなかった原因は何か。それは明らかに、武器によってではない。勝てなかったのは兵士と国民の意識で米国が負けていたからだ。
そこから見た時、ウクライナ戦争の展望はどうか。ウクライナとロシア、双方の兵士と国民の意識はどうなっているのか。
そこで言えるのは、ウクライナの兵士、国民の士気の低さだ。米欧から供給される武器の多くが戦場に届かず、横流しされているのはなぜか。ゼレンスキーの親族が戦争勃発を前にイスラエルに移住していたという事実は何と説明するのか。
なぜそうなるのか。それは、ウクライナが祖国防衛の戦争をしていると言うより、米欧の代理戦争をしているからだと思う。事実、昨年12月、訪米した際、ゼレンスキーは、米議会の演壇で、ウクライナ国民は、(祖国のためではなく)民主主義のために闘うと言った。
それに対して、ロシアは、米国の覇権回復戦略、対ロ新冷戦から自国を守るという意識になっている。ナポレオンの侵略を退けた第一次大祖国戦争、ヒトラーの侵略を撃退した第二次大祖国戦争、そして今、米欧を討ち退ける第三次大祖国戦争という意識だ。
■この戦争にどう向き合うべきか
これまでウクライナ戦争について見てきた。その本質を考え、行方を予測してきた。その上で問われているのは、この戦争に日本がどう向き合うべきか、言い換えれば、「東のウクライナ」にならないためにはどうするかという問題だ。
まず、この戦争はロシアによる侵略戦争ではない。だから、中ロによる日本への侵攻を警戒し、米欧と一体にそれに対するようにはならない。逆にそれに反対し闘わなければならない。
次に、ウクライナ戦争を米欧日対中ロの帝国主義間戦争ととらえた場合どうなるか。当面、ウクライナの「民族解放闘争」を支援しながら、「帝国主義間戦争を内乱へ」を準備することになるのだろうが、問題は、米対中ロの攻防、すなわち「新冷戦」に対してはどうするのかということだ。この立場に立つ人たちの多くが、「新冷戦」との闘いを自分とは無縁の問題として無視、軽視するようになるのは、決して偶然ではないと思う。
ウクライナ戦争を米覇権VS脱覇権の闘いとして見た時、もしくはそうなりうると見た時初めて、われわれは、覇権に反対する立場から、米覇権と闘う日本主体の立場に立てるようになると思う。
ここから一つ言えることは、われわれがあらゆる問題を考える時、常に日本を中心に置き、日本の幸せ、日本の利益のために、日本主体に考えることの重要性ではないだろうか。
ウクライナ問題を考える時にも、対米従属、「新冷戦」と闘う日本人としての立場を堅持し、そこから現実をとらえ、現実の発展がそうなっていない時には、それを変えてでも日本の幸せ、日本の利益を図るということだ
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