【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【色平哲郎氏のご紹介】 2021年02月14日

2021-02-14 19:20:51 | 転載
〈「慶応より東大のほうが偏差値が高いのは、なぜ?」。
子どもに、そう聞かれたら、こう答えよう。
「明治十四年の政変のせいだよ」〉

磯田道史・評 
 『明治十四年の政変』=久保田哲・著

毎日新聞 2021年2月13日今週の本棚

トップダウン国家誕生の内幕
 ある時、私は気が付いた。歴史学者と一般の方では「明治維新」の見方が違う。一般の方は、明治改元(1868年)の戊辰戦争で、世の中が変わり、新時代がきた。そう思われがちだ。だが、専門家は違う。文久元(1861)年頃から日本では内戦が続いた。戊辰(ぼしん)戦争はその一つに過ぎず、西南戦争を経ても、まだ「誰が、どのように、新日本を統治するのか」が定まっていなかった。薩長藩閥が政権をかため、プロイセン・ドイツを国家づくりのモデルにするのが、最終的に定まったのは、「明治十四(1881)年の政変」以後。研究者の間ではこれが常識だ。新国家のプレイヤーとモデルは、約二十年間模索され、その間、血が流され続けた。
 その流血の模索に終止符をうったのが「明治十四年の政変」だ。そんなに重要な政変なのに、その題名の新書がこれまでなかった。不思議なくらいである。「複雑怪奇な政変」であったせいもある。ただ、近年、研究は進んだ。同志社大学の伊藤彌彦名誉教授や広島修道大学の森川潤教授の論文・学術書が出た。
 この政変の裏キーマンは、井上毅(こわし)。早くに欧州留学をした熊本藩出身の法制官僚だ。井上は、明治八年三月の段階でプロイセン憲法を日本語に翻訳して刊行。ところが、その時分、言論界のスターは『学問のすゝめ』の福澤諭吉である。福澤は英国流の議会政治を国家モデルにしていた。上から政府が強権で国を指導するのではない。下から民力が智識(ちしき)・言論で国を支える。それには民間の知力が大切だ。福澤は民を高める新聞発行が重要とみた。伊藤博文も一時はこれに理解を示した。一方、井上は英国でなく、プロイセンを国家モデルに考え、福澤の動きを苦々しくみていた。
 当時は、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の「維新三傑」が死んだ直後で、政権内は疑心暗鬼。早々に権力争いが勃発した。佐賀藩出身の大隈重信が抜け駆け。明治天皇に密奏し、議会開設・英国流の議院内閣制をぶち上げた。元来、黒田清隆など薩摩閥は議会に冷淡。その黒田らに対し、「官有物を格安で政商に払い下げた」と新聞が総攻撃を開始した。これは政権奪取を狙った大隈らの陰謀だ、と政権中枢は信じ、政変になった。ここでうまく立ち回ったのが、伊藤と井上である。スキャンダルで薩摩閥の黒田の影響力が低下するなか、伊藤は井上と組んで、自らの手で、プロイセン風の帝権・国権の強い憲法を制定。議会開設の一大功労者にのし上がった。
 これで、日本はトップダウン式の国家に、かじをきった。「民力が下から智識・言論で国を支える」福澤の理想は挫折した。そして、明治政府による福澤の私立学校「慶応義塾」いじめが始まった。政府から慶応出身の官僚が弾圧排除され、官立府県立学校にだけ兵役免除の特権が与えられた。「官尊民卑」の始まりである。本書では、伊藤と井上が鮮やかにこの政変で勝利をおさめていく姿が活写されている。伊藤・井上が合作したプロイセン風の政府は日清戦争で勝利。大国を破って国民は熱狂し、この官尊民卑のトップダウン国家を支持する傾向を強めた。

 「慶応より東大のほうが偏差値が高いのは、なぜ?」。子どもに、そう聞かれたら、こう答えよう。「明治十四年の政変のせいだよ」(国際日本文化研究センター准教授、日本近世・近代史)

==

鵜飼哲インタビュー
 女性蔑視発言の根底に潜む「五輪ファシズム」の危険性
毎日新聞 2021年2月11日

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言を巡って、「彼だけに攻撃が集中すると隠されてしまうものがある」と危惧する人がいる。7年越しで五輪反対キャンペーンを展開してきた鵜飼哲・一橋大名誉教授(フランス現代思想)だ。オリンピックには、市民の生活を脅かす「五輪ファシズム」が根底にあると喝破する。哲学者ジャック・デリダの愛弟子として知られる鵜飼さんは、近代五輪の父と言われるフランスのクーベルタン男爵の思想がはらむ危険性にも厳しい目を向けてきた。五輪ファシズムとは何か?
【聞き手・上東麻子/統合デジタル取材センター】

始まりは宗教的祭儀

 ――クーベルタン思想がはらむ危険性とは?
 ◆オリンピックは古代ギリシャの宗教的祭儀でした。近代五輪の創始者のクーベルタン(1863~1937年)も「オリンピズムとは第一に宗教である」と明言しています。聖火はその象徴です。欧州からキリスト教が後退し、社会を一つにまとめる精神的なものがなくなった危機感の中で彼は育ちました。貴族制度は復活できないが、それに代わるエリート集団が社会を導かなくてはいけない。そして彼は知育・徳育・体育の三位一体の鍛錬で、「生まれは平等なエリート集団」が作り出せるという教育思想にたどり着いたのです。国際オリンピック委員会(IOC)は今も王族や貴族のサロンです。そこに元オリンピアンが(新しくIOC委員などになり)「新貴族」として入っています。
 クーベルタンの著書「スポーツ教育学」などには驚くべき内容が書かれています。当時の上流階級の通念だった女性蔑視や優生思想に満ちています。クーベルタンは初め、女性がオリンピックに参加することは認めませんでした。この排除に対しては1896年の第1回大会から女性の抗議活動があり、1900年の第2回パリ大会から女性は参加することになりますが、彼は反対でした。国家の発展のために試練を克服して環境に適応できる、兵士となるべき強い男性の人材養成が必要で、国民は彼らの競争を通じて優秀になる――という優生思想もありました。そうした価値観は、当時のヨーロッパの知識人界には広く見られたものでした。

舌禍を生んだ、63人中2人が女性のJOC評議員

 ――改めて森さんの発言の問題は何なのでしょうか?
 ◆性別が性格や行動を規定するという発想自体が完全に間違った考え方、女性蔑視です。男性も女性も当然多様であり、現代のジェンダー規範に照らせば「女性だから」という言い方をした時点でアウトです。
 同時に問いたいのは、あの場にいて「笑っていた」のは誰かということです。森発言がなされた日本オリンピック委員会(JOC)の評議員名簿を見ると63人中女性はたった2人です。森さんが会長をしている組織委員会の理事は35人中、女性が7
人。ただし会長、副会長ら幹部10人に女性はいません。こうしたことが構造的に生んだ舌禍なのです。
 IOCも実は同じ問題を抱えています。委員103人中、女性は38人ですが、これも近年の変化の結果で、日本で目標とされている4割にまだ達していません。初めて女性が加わったのは1981年、女性が会長になったことはありません。
 ――森さんの発言とその後の動きをどうご覧になりましたか?
 ◆首相だった頃からこの人の言動は見てきましたが、彼も周囲も何も変わっていませんね。なぜ支持率10%を切って首相を辞めた人が20年後、いまだに絶大な権力を行使する地位に居座っているのか? それは彼だけの問題ではありません。だから今、彼に攻撃が集中することで隠されてしまうものがあると危惧しています。与党や組織委員会にも辞任を促す人がいない。この事態全体を問題にしなければなりません。
 そもそも今回の五輪招致のきっかけは、日本ラグビー協会会長だった森さんが8万人収容できるスタジアムが欲しくて当時の石原慎太郎・東京都知事に掛け合ったところから始まったと言われています。それで、2016年の招致に失敗した石原都知事が再挑戦しようと腰を上げた。その後、都知事が2人代わり、安倍晋三前首相も表舞台から姿を消し、最初から関わっているのはいまや彼だけ。つまり、この五輪を体現しているのは森さんなのです。

多くの市民を犠牲にする「五輪ファシズム」

 ――五輪ファシズムとは何ですか?
 ◆20世紀のヨーロッパでファシズムを生んだ思想的土壌は、古代ギリシャ崇拝をはじめ、オリンピック復興理念と多くの要素を共有しています。オリンピックは最初から全体主義的なイベントになりがちな傾向を強く持っていました。1936年にナチス・ドイツが挙行したベルリン大会を、IOCは今も最も成功した大会と評価しています。
 日本で成功したとされる64年の東京大会の時も反対運動があったし、今の国立競技場がある地区では多くの家屋が取り壊され住民が立ち退きを強制されました。68年のメキシコ大会では開催に反対した学生が開会式直前に何百人も殺されました。2016年のリオデジャネイロ大会の開催中も、警官による民間人の射殺が激増するなど人権侵害が多発したことを、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが報告しています。しかし、IOCは全て主催国の問題にして責任を引き受けることはありません。21世紀に入ってテロ対策が強化され、ロンドン大会(12年)、リオ大会では地対空ミサイルが配備されました。当然、日本も開催されれば同じことになります。憲法が改正された後の状態を先取するような形で五輪期間中の警備が構想されているのです。顔認証システムも初めて導入予定で、日本在住者にはマイナンバーカードの提示が求められる。監視テクノロジーのこのような浸透が五輪を通じてグローバルに展開するところに現代のファシズムの特徴があります。
 ――五輪は「平和の祭典」のはずです。
 ◆64年の東京大会、68年メキシコ大会も含めて長期間IOC会長を務めた米国人のアベリー・ブランデージ氏は、ナチス政権下のベルリン大会当時、ユダヤ系ドイツ人が迫害されていることに抗議してボイコット運動が起きた時、それらの運動に否定的な立場を取りました。同じく長くIOC会長を務めたサマランチ氏は、スペインに40年近く独裁体制を敷いたフランコ政権のスポーツ担当閣外大臣でした。クーベルタンが考えていた「平和」とは、弱体化したフランスにイギリスやドイツのような体育教育を導入し、民衆にもスポーツを教えて軍隊を再建し、欧州にバランスを回復することでした。日本国憲法が理想としている第二次大戦後の世界平和とはまったく意味が違います。

五輪憲章の理念はどこに

 ――五輪憲章は毎年のように改定されていますが、その理念は守られているのでしょうか?
 ◆人権や差別禁止について定めた憲章はありますが、実現されなくてもチェック機能はありません。国威発揚も禁止されていますが、どの国も国威発揚と大都市再開発のために五輪を招致してきました。今回の東京五輪では、国は「復興五輪」を掲げ東京都は五輪の名を冠した人権条例を作っていますが、真剣に「復興」や「人権」に取り組んできたなら今回の森さんのような発言が出るはずがありません。
 ――東京大会は「環境を優先する」も理念に掲げています。
 ◆原発事故で住民が避難した福島県浪江町に水素ステーションが造られ、五輪が消費する電力は再生可能エネルギーによる発電で全てそこで賄うとされています。小池百合子都知事はそれをもって東京の福島への貢献だと言っていますが、そもそも福島の原発事故の遠因は、電力消費地の東京が供給地とされた福島に犠牲を強いてきたことです。「犠牲」を「貢献」と強弁する小池発言は原発事故の教訓を無視しています。
 日本ではまだあまり知られていませんが、国際的にはグリーンウオッシング(greenwashing、見せかけの環境配慮)という言葉が流通しています。持続可能な発展という名目で国や大企業が環境配慮の姿勢は示すけれど、実際にどの程度環境改善に役立ったのかはまったくチェックされません。五輪についても開催都市がどれだけ環境に配慮したか、どれだけ人権を改善させたかは、独立の委員会によってチェックすべきでしょう。
――鵜飼さんは、東京五輪が決まった13年から反対キャンペーンを展開してきました。コロナ禍の中での五輪、本当にやるべきですか?
 ◆日本の将来のためにも中止すべきです。8割の人が中止・再延期を望む中で「やる」と言い募る人たちは民主主義者ではありません。それでも強行される企画は独裁的であり、この国で民主主義が機能していないことの証しになります。
 現在のオリンピックのあり方に批判的な研究者たちは、開催立候補都市に住民投票を義務づけることを提案していますがIOCは拒否しています。ドイツのハンブルクなど、ヨーロッパの諸都市は近年、住民投票に敗れて立候補を取り下げました。財政負担と環境破壊が最大の原因で五輪離れが進み、IOCは大きな危機感を持っています。
 安倍さんはあわよくば五輪を使って改憲まで持っていくつもりだったと思います。福島のことを忘れさせ、開催予算を自民党の支持基盤に流し、祝祭の勢いで改憲まで持っていく。このシナリオはコロナによって崩れましたが、五輪の歴史の中でも最悪の政治利用計画の一つでしょう。

「わきまえている国民」をやめて声を上げよう

 ――五輪ファシズムを止めるには?
 ◆まず中止させることです。IOC総会の場で安倍前首相は「福島の状況はアンダーコントロール」などというとんでもないうそをついたのに、オリンピックをやり切って、それも「良かった」ことにしようとしていた。子供たちの教育にとっても大変よくありません。
 私は64年の時、9歳でしたが、大会期間中は日の丸・君が代ばかりの日々でした。安倍政権はふたたびあの状態を作り出し、改憲への道をならそうとしていたと思います。それがコロナで立ち行かなくなったこの機会を捉えなければ、また何十年も同じことが続きかねません。
 そして中止した後、招致活動から開催準備まで検証し直すことが必要です。それぞれの段階で、誰が、どういう観点で、何を決定したのか。何にどれだけお金が使われたのか。不利益を被った人は誰か。全てを明らかにするこの作業は、メディアにも期待したいところです。
 コロナ禍によって、市民が政治にシビアに目を向けるようになりました。アメリカのトランプ前大統領もコロナ禍がなければ再選されていたでしょう。日本は五輪を中止し、多くの人が検証に参加することで、21年が民主主義元年になることを望みます。
 ――今後の見通しは?
 ◆次の五輪開催地は来年冬季大会が予定される北京ですが、北京は欧米諸国のボイコットの可能性もありIOCは大変警戒しています。東京、北京とも開催できないのは避けたいでしょうから、IOCは東京開催に固執するでしょう。私の見通しでは、ぎりぎりまで開催強行を狙うでしょう。「無観客」という話が出てきていますが、世論調査でも「無観客」という項目が入ると反対8割という数字が消えます。数字が下がってきたら、できるだけフルスペックに近いかたちで観客を入れようと画策してくると思います。しかし、森発言以来、ボランティアの辞退が増えています。今後は選手たちから抗議の声が上がることが、主催者側には最も手痛いはずです。
 黙っていたら「わきまえている国民」にされてしまいます。さまざまな表現方法を工夫して異論を発し続けることが大事です。

うかい・さとし
鵜飼哲・一橋大名誉教授
 1955年生まれ。一橋大名誉教授。フランス文学・思想専攻。国家の枠を超える根本的な民主主義を目指して思考し、行動する。2017年に市民団体「『オリンピック災害』お断り連絡会」を結成。「抵抗への招待」(みすず書房)、「主権のかなたで」(岩波書店)、「で、オリンピックやめませんか?」(共著、亜紀書房)など著書多数。

==

追悼・半藤一利さん 
 日本人は「そんなに」悪くはない 加藤陽子
朝日新聞2021/2/13「ひもとく」

 今年1月に長逝した半藤一利さん。穏やかな死の床で生涯の伴侶・末利子夫人にこう語ったという。「墨子を読みなさい。/日本人はそんなに悪くはないんだよ。/ごめんね、先に死にます」。日本人は悪くない、ではなく、「そんなに」悪くはないんだよ、と言い遺(のこ)した半藤さん。編集者として初めて仕えた作家・坂口安吾から歴史探偵学を継承した歴史探偵が、「そんなに」に込めた含意は何であったのか。作品からたどってみたい。

 ■軍事力への洞察

 作家にとって最初の作品には、作家の特徴の全てが内包されているという。35歳の半藤が書いた『日本のいちばん長い日』(1965年)にもこれは当てはまる。玉音盤による終戦の詔書がラジオで放送されたのは45年8月15日正午。そこに至る内閣・宮中と徹底抗戦派との攻防の24時間に光を当てた。多くが存命だった当事者に徹底的に取材し、史料を博捜した半藤。ポツダム宣言受諾による終戦がいかに紙一重の真剣刃渡りだったかを史劇として描いた。軍事力を有する集団が暴発する危険性への深い洞察。半藤の全作品を貫く核はここにあったのだろう。
 自分は歴史探偵だと半藤はよく語っていた。だがこの自称、坂口安吾由来だという点を忘れてはならない。安吾は「堕落論」を「半年のうちに世相は変(かわ)った」と書き始めた怖い人だ。特攻隊の勇士は闇屋になり、戦争未亡人は使徒から人間になった、と続ける。歴史というものの持つ測り知れぬ力への鋭い感受性。安吾から半藤へと継承されたものはこれだった。
 続いて『「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦』(2015年)を取り上げたい。公開された「昭和天皇実録」を通覧した半藤は、『日本のいちばん長い日』の自らの解釈の一部を修正すべきだと考える。新史料からは、敗戦前の天皇と軍隊との相克がより明らかになった。半藤は、8月14日の二度目の聖断時の天皇の言葉を、軍人に対して敗戦を納得させるための必死の懇願と読むべきだという。8月10日の最初の聖断と地続きに読むべきではないとの新解釈だ。

 ■良く生きた人々

 ここで明治国家の設計者のプランを想起しておきたい。人心帰一の機軸として、神の代わりに天皇を置いた伊藤博文。政党からの影響を断つため、軍隊を天皇と直結させた山県有朋。国家壊滅の危機に瀕(ひん)した終戦時、天皇の命令に軍隊は従うのか。これが真正の賭けだったことを半藤の書は教えてくれる。
 最後に『靖国神社の緑の隊長』(2020年)を挙げよう。晩年の半藤は、夜郎自大的な歴史認識の跋扈(ばっこ)を憂え、正しい歴史認識に必要なのは歴史的リアリズムだと述べていた。その半藤の最後の書がジュニア向けの本だったことは興味深い事実だ。
 帯の惹句(じゃっく)が「こんなにも立派に生きた日本人がいた」だと、身構える読者もいよう。だがそこは半藤、まえがきに靖国の歴史をまとめてある。いわく、天皇の軍隊の戦死者を祀(まつ)る神社であること、戊辰戦争で負けた側の戦死者や、空襲・原爆の犠牲者は祀られていないことなど、わかりやすく述べている。
 ある対談時に半藤が述べた印象的な言葉をご紹介したい。日本人の欠点は何かと考えると二つある、当座しのぎの根拠のない楽観性と排他的同調性の二つだと。この言を想起しつつ本書を読むと、物語の登場人物8人の将兵が、二つの欠点を免れた稀有(けう)な8人だと気づかされる。武器を持つ軍人の根源的な暴力をリアルに捉え、多くの作品群を世に問うた半藤。その半藤が最後に、市民として軍人として良く生きた人々を描いた。全体の帳尻として半藤は、日本人は「そんなに」悪くはないんだよ、と言い遺して逝ったのではなかったか。私はこう考える。

 ◇かとう・ようこ 東京大学教授(日本近現代史) 60年生まれ。著書に『戦争の論理』など。半藤氏との対談に『昭和史裁判』。

==

半藤さんの著作に、中国の戦国時代に生きた思想家の墨子について書いた書がある。墨子は戦争の時代に、「不攻」という論稿を発表している。あらゆる戦争の形態を批判していて、戦争は避けなければならないという思想である。むろん戦争を避けるというのは、現実を全て肯定しろというのではない。戦争に行きつく芽を刈り取る、そういう要因を作らないとの意味も含んだ哲学であり、思想であり、道徳律である。半藤さんはその書を80歳になったときに書いている。  

墨子に対する畏敬の念を強く持っていたのであろう。「墨子は偉いなあ。戦争反対をああいう時代にも言い残していたんだからなあ」とよく呟いていた。そういう時の半藤さんは確かに戦争の時代を生きた苦しみを思い出していたのであろう。そして末利子夫人への最後の言葉も、墨子を称える言葉だったという。

https://bit.ly/3u7kVVg

==

「私達が結婚した頃、結婚するなら”三高”の人と言う言葉がはやりました。私達 の場合”三高”どころか、背が低い、学歴なし、収入なしの”三低”(学生結婚だっ たので)。おまけに短気、単純、短足の”三短”にもかかわらず、うまく騙され、婚 姻届に印を捺してしまいました。

家庭での彼は、夫として、父としての自覚が全くなく、子どもの為に食べやすく作 ったおかずを食べるし、いじわるを言って子どもを泣かせるし、子どもに焼きもちを 焼くしと、35歳の頭のハゲた万年反抗期の子どもなのです。
オーブンレンジの使い 方、 留守番電話の聞き方、自分の衣類の場所も判らない本当に手のかかる夫で、五歳の息 子が彼の世話をしている事があるくらいです」

http://irohira.web.fc2.com/a55Jidai.htm

==

最新の画像もっと見る