ウクライナ危機 ネットにあふれる偽情報の黒幕は?
村尾哲
毎日新聞 2022/3/8 06:00(最終更新 3/8 06:00)
ロシアによるウクライナ侵攻と前後して、インターネット上で偽情報やフェイクニュースも増え続けている。中には政府機関が関わったとみられる意図的な「ウソ」も多い。フェイクニュースは、なぜあふれるのか。偽情報にどう対応すればいいのか。偽情報に詳しい専門家に話を聞いた。
写真:スマホ、SNSの普及は偽情報の拡散という負の側面も生んだ=東京都内で2021年4月23日、中村琢磨撮影
義足で「フェイク」発覚
2月下旬、ウクライナ東部で撮影されたという動画がSNS(ネット交流サービス)上で拡散し、世界の関心を集めた。
ウクライナ政府軍の攻撃でロシア系住民の左脚が切断されたという凄惨(せいさん)な内容。しかし、よく映像を確認すると左脚部分に義足が映り込むなど不自然な点が多く、すぐに「フェイク動画」であることが判明した。
同様の偽動画はロシア側だけでなく、ウクライナ側からもロシア非難の材料として投稿されており、SNSなどネット空間を舞台に情報戦が繰り広げられている状況だ。
元ロイター通信で、国際ジャーナリストの山田敏弘氏はこう解説する。
「まさに情報戦ですよ。情報機関などが、その国が国際社会に訴えたいストーリーを浸透させる手法は『偽旗作戦』と呼びます。ロシア系住民が左脚を切断したとする動画も、『ロシア系住民が迫害されている。だから助けにいく』と侵攻の正当化をねらった偽旗作戦の一環でしょう。
ウクライナ側も偽情報で対抗しています。例えばキエフ上空でウクライナ戦闘機がロシア戦闘機を撃墜したとする動画がSNSに投稿されましたが、これは単なるゲームの映像でした。すぐに偽物と分かる稚拙な内容でしたが、情報戦で大事なのは量とスピード。ロシアとウクライナは互いに自らに有利になるよう仕掛け合っている状況です」
ロシア、世論誘導で「実績」多数
当然、偽情報やフェイクニュースの中には、一般の人が意図的に製作・投稿しているものもあるが、ロシアの場合、政府主導の情報戦で世論誘導を狙ってきた数々の「実績」があるという。
「情報戦に携わるロシアの情報機関としては、SVR(対外情報庁)やGRU(軍参謀本部情報総局)などが挙げられます。2014年のクリミア侵攻の際、ウクライナ人女性が『子どもが虐待されるのを目撃した』とロシアメディアに訴えましたが、後にこの女性はロシアの情報機関関係者に雇われていたことが判明しました」(山田氏)
情報戦を直接担うのは、情報機関だけではない。カムフラージュのためロシアの民間企業も国内外で暗躍している。
米大統領選にも関与
中でも有名なのが、ロシア・サンクトペテルブルクに本社を置くIRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)だ。同社は16年の米大統領選でSNSを使って偽情報を大量に拡散させたとして米政府から名指しで非難を受けた。米政府は選挙介入を理由に、GRUに制裁を科すなどロシア側の組織的な世論工作と断定した。
ウクライナ侵攻を巡ってもIRAが偽情報を多数流していることが確認されており、ブルームバーグ通信によると、米政府は3日、IRAで中心的な役割を担っているとされるロシア人富豪とその家族を制裁対象に加えた。
米大統領選の反省からメタ(旧フェイスブック)やツイッターなど米大手SNSはフェイクニュースを防ぐさまざまな対策を講じてはいるが、ロシアや中国のSNSが抜け穴となっているのが現状だ。
山田氏によると、米国のSNS大手はアカウントの凍結など偽情報に厳しい対応をとるようになった。ウクライナ危機ではロシア発のメッセージアプリ「テレグラム」や、中国発の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」を介した偽情報の拡散が目立つという。
SNSで一変した情報戦
SNSは世界の人々のコミュニケーションを一変させたが、同時にフェイクニュースの拡散という弊害も生んだ。
「SNSの普及で情報戦の様相は大きく変わりました。現代は誰もがスマートフォンを持ち、動画の撮影、加工も容易。テレビや新聞、雑誌などの既存メディアのフィルターをかけずに直接、情報を送れます。イスラム過激派などはSNSを活用して、自分たちの主張を拡散させていきました」(山田氏)
「SNSによって簡単に偽情報を広めることができ、国際世論への影響も大きい。現代は『フェイクの時代』と言えます」と警告するのは、元陸上自衛隊東部方面総監の渡部悦和氏だ。
プーチン氏はSNSや報道機関の統制を強めている。3月4日にツイッターとフェイスブックを国内から遮断する手続きを決定。TikTokも6日、ロシアからの投稿停止を発表した。
ロシア軍に関する「偽情報」や「信用失墜を狙った情報」を広める行為を禁止する法案にも署名し、独立系の国内メディアや米CNNテレビ、英BCCなどを活動停止に追い込んだ。
「現代の戦争は、陸・海・空・宇宙・サイバー領域だけではなく情報・心理・経済などすべての領域を利用した『全領域戦』です。今後、情報統制によってプーチン氏が言っていることしか報道されなくなれば、冷戦期のソ連の暗黒時代に戻ってしまう恐れもあります」(渡部氏)
日本も「人ごとではない」
中国の軍事的台頭に直面する日本も人ごとではない。渡部氏によると、中国共産党の中央統一戦線工作部を中心に、世界各国で中国に有利な状況を作り出す活動が行われているという。人民解放軍配下の組織が、ネット記事やツイッターの投稿などに中国寄りのコメントや反論をして世論誘導しているとも言われる。
偽情報を含めた情報戦にどう対応すればいいのか。渡部氏はこう指摘する。
「米国ではかつて米広報文化交流局(USIA)が情報戦を担っていたが、冷戦終結を受けて現在は存在していない。偽情報もいとわないロシアや中国と比べ、民主主義国家は対応が難しいのが実情です。それでも日本は組織的対応を検討すべきでしょう。日本でも新型コロナウイルスワクチンをめぐってさまざまなデマが流れ、ワクチン接種への不安が広がりました。有事だけでなく、正しい情報を国民にいかに早く届けるかは政府の責務です。同時に私たち一人一人が情報の真偽を見抜く情報リテラシーを身につけることも必要です」【村尾哲】
山田敏弘氏(やまだ・としひろ)
1974年生まれ。米ネバダ大卒。講談社、英ロイター通信、米誌ニューズウィーク日本版などに記者や編集者として勤務後、フリーに。著書に「サイバー戦争の今」(ベスト新書)など。
渡部悦和氏(わたなべ・よしかず)
1955年生まれ。東大卒。陸自東部方面総監、ハーバード大アジアセンター・シニアフェロー(客員上席研究員)などを経て渡部安全保障研究所長。著書に「日本はすでに戦時下にある」(ワニプラス)など。
*【私見】を書いていたが突然消えた。後日消えた分もあわせ、情報社会時代の情報戦の大問題を明確にしたい。
村尾哲
毎日新聞 2022/3/8 06:00(最終更新 3/8 06:00)
ロシアによるウクライナ侵攻と前後して、インターネット上で偽情報やフェイクニュースも増え続けている。中には政府機関が関わったとみられる意図的な「ウソ」も多い。フェイクニュースは、なぜあふれるのか。偽情報にどう対応すればいいのか。偽情報に詳しい専門家に話を聞いた。
写真:スマホ、SNSの普及は偽情報の拡散という負の側面も生んだ=東京都内で2021年4月23日、中村琢磨撮影
義足で「フェイク」発覚
2月下旬、ウクライナ東部で撮影されたという動画がSNS(ネット交流サービス)上で拡散し、世界の関心を集めた。
ウクライナ政府軍の攻撃でロシア系住民の左脚が切断されたという凄惨(せいさん)な内容。しかし、よく映像を確認すると左脚部分に義足が映り込むなど不自然な点が多く、すぐに「フェイク動画」であることが判明した。
同様の偽動画はロシア側だけでなく、ウクライナ側からもロシア非難の材料として投稿されており、SNSなどネット空間を舞台に情報戦が繰り広げられている状況だ。
元ロイター通信で、国際ジャーナリストの山田敏弘氏はこう解説する。
「まさに情報戦ですよ。情報機関などが、その国が国際社会に訴えたいストーリーを浸透させる手法は『偽旗作戦』と呼びます。ロシア系住民が左脚を切断したとする動画も、『ロシア系住民が迫害されている。だから助けにいく』と侵攻の正当化をねらった偽旗作戦の一環でしょう。
ウクライナ側も偽情報で対抗しています。例えばキエフ上空でウクライナ戦闘機がロシア戦闘機を撃墜したとする動画がSNSに投稿されましたが、これは単なるゲームの映像でした。すぐに偽物と分かる稚拙な内容でしたが、情報戦で大事なのは量とスピード。ロシアとウクライナは互いに自らに有利になるよう仕掛け合っている状況です」
ロシア、世論誘導で「実績」多数
当然、偽情報やフェイクニュースの中には、一般の人が意図的に製作・投稿しているものもあるが、ロシアの場合、政府主導の情報戦で世論誘導を狙ってきた数々の「実績」があるという。
「情報戦に携わるロシアの情報機関としては、SVR(対外情報庁)やGRU(軍参謀本部情報総局)などが挙げられます。2014年のクリミア侵攻の際、ウクライナ人女性が『子どもが虐待されるのを目撃した』とロシアメディアに訴えましたが、後にこの女性はロシアの情報機関関係者に雇われていたことが判明しました」(山田氏)
情報戦を直接担うのは、情報機関だけではない。カムフラージュのためロシアの民間企業も国内外で暗躍している。
米大統領選にも関与
中でも有名なのが、ロシア・サンクトペテルブルクに本社を置くIRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)だ。同社は16年の米大統領選でSNSを使って偽情報を大量に拡散させたとして米政府から名指しで非難を受けた。米政府は選挙介入を理由に、GRUに制裁を科すなどロシア側の組織的な世論工作と断定した。
ウクライナ侵攻を巡ってもIRAが偽情報を多数流していることが確認されており、ブルームバーグ通信によると、米政府は3日、IRAで中心的な役割を担っているとされるロシア人富豪とその家族を制裁対象に加えた。
米大統領選の反省からメタ(旧フェイスブック)やツイッターなど米大手SNSはフェイクニュースを防ぐさまざまな対策を講じてはいるが、ロシアや中国のSNSが抜け穴となっているのが現状だ。
山田氏によると、米国のSNS大手はアカウントの凍結など偽情報に厳しい対応をとるようになった。ウクライナ危機ではロシア発のメッセージアプリ「テレグラム」や、中国発の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」を介した偽情報の拡散が目立つという。
SNSで一変した情報戦
SNSは世界の人々のコミュニケーションを一変させたが、同時にフェイクニュースの拡散という弊害も生んだ。
「SNSの普及で情報戦の様相は大きく変わりました。現代は誰もがスマートフォンを持ち、動画の撮影、加工も容易。テレビや新聞、雑誌などの既存メディアのフィルターをかけずに直接、情報を送れます。イスラム過激派などはSNSを活用して、自分たちの主張を拡散させていきました」(山田氏)
「SNSによって簡単に偽情報を広めることができ、国際世論への影響も大きい。現代は『フェイクの時代』と言えます」と警告するのは、元陸上自衛隊東部方面総監の渡部悦和氏だ。
プーチン氏はSNSや報道機関の統制を強めている。3月4日にツイッターとフェイスブックを国内から遮断する手続きを決定。TikTokも6日、ロシアからの投稿停止を発表した。
ロシア軍に関する「偽情報」や「信用失墜を狙った情報」を広める行為を禁止する法案にも署名し、独立系の国内メディアや米CNNテレビ、英BCCなどを活動停止に追い込んだ。
「現代の戦争は、陸・海・空・宇宙・サイバー領域だけではなく情報・心理・経済などすべての領域を利用した『全領域戦』です。今後、情報統制によってプーチン氏が言っていることしか報道されなくなれば、冷戦期のソ連の暗黒時代に戻ってしまう恐れもあります」(渡部氏)
日本も「人ごとではない」
中国の軍事的台頭に直面する日本も人ごとではない。渡部氏によると、中国共産党の中央統一戦線工作部を中心に、世界各国で中国に有利な状況を作り出す活動が行われているという。人民解放軍配下の組織が、ネット記事やツイッターの投稿などに中国寄りのコメントや反論をして世論誘導しているとも言われる。
偽情報を含めた情報戦にどう対応すればいいのか。渡部氏はこう指摘する。
「米国ではかつて米広報文化交流局(USIA)が情報戦を担っていたが、冷戦終結を受けて現在は存在していない。偽情報もいとわないロシアや中国と比べ、民主主義国家は対応が難しいのが実情です。それでも日本は組織的対応を検討すべきでしょう。日本でも新型コロナウイルスワクチンをめぐってさまざまなデマが流れ、ワクチン接種への不安が広がりました。有事だけでなく、正しい情報を国民にいかに早く届けるかは政府の責務です。同時に私たち一人一人が情報の真偽を見抜く情報リテラシーを身につけることも必要です」【村尾哲】
山田敏弘氏(やまだ・としひろ)
1974年生まれ。米ネバダ大卒。講談社、英ロイター通信、米誌ニューズウィーク日本版などに記者や編集者として勤務後、フリーに。著書に「サイバー戦争の今」(ベスト新書)など。
渡部悦和氏(わたなべ・よしかず)
1955年生まれ。東大卒。陸自東部方面総監、ハーバード大アジアセンター・シニアフェロー(客員上席研究員)などを経て渡部安全保障研究所長。著書に「日本はすでに戦時下にある」(ワニプラス)など。
*【私見】を書いていたが突然消えた。後日消えた分もあわせ、情報社会時代の情報戦の大問題を明確にしたい。