随想④ 日本人の本質:『菊と刀』:・日本人は、行動が末の末まで、あたかも地図のように精密に規定されている。人はそれを改め、あるいはそれに反抗することにおいてではなく、それに従うことにおいて勇気を示した。
日本の政治や外交を見、「日本の特色は何であろうか」と自問する時、常に思い出すのはルース・ベネディクト(女性文化人類学者)の著書『菊と刀』での言葉である。
・日本人は、行動が末の末まで、あたかも地図のように精密に規定されている。
・人はこの「地図」を信頼した。この「地図」に示されている道をたどる時にのみ安全であった。人はそれを改め、あるいはそれに反抗することにおいてではなく、それに従うことにおいて勇気を示した。
従順で権威に従う国民、決して権威を倒そうとしない国民である。
日本の政治で検察が動く時があるが、それは「権威」を守るための摘発であり、「権威」を倒すため正義を発揮することはない。
ベネディクトは米国の文化人類学者(1887年- 1948年)でる。コロンビア大学の助教授時代、米国が第二次世界大戦を戦うにあたって助言を得るために招集した学者(彼女の分野は文化人類)の一人で、戦争情報局日本班の長であった。彼らの任務には日本を侵略に駆り立てるものは何か、弱点はどこか、如何なる形で説得が行えるか等の考察が含まれる。訪日経験はないが、日本人捕虜との会話、日本語文献、この時代の報告を基礎に、1946年米国で『菊と刀』が出版された。
ベネディクトは「日本人は戦略的物の考え方をしない」とは明確に述べてはいない。しかし、日本人には各々に与えられた「地図」があり、それに従っていれば、「最大の幸福が保護されている」と考えて行動していると指摘しており、実質的に日本人は自ら戦略を考えることはないとしている。
私達は何故、決められた道を歩むのか。彼女は、「日本人が詳細な行動の“地図”を好みかつ信頼したのは、一つにはもっともな理由があった。その“地図”は人が従う限り必ず保証を与えてくれた」と記述している。体制の中で生きていく保障を得ること、ここに日本人は価値を置いてきている。
ベネディクトは「十九世紀後半に徳川幕府が崩壊したときにも、国民のなかで、この“地図”を引き裂いてしまえという意見のグループは一つも存在しなかった」と記している。日本の歴史を見ると、権力闘争はある、時に米騒動の様なものは起こる、しかし特定の指導者と一般大衆とが一緒になって政権をひっくり返す、そのような行動をとることは殆どない。だから、権力者のあり様を問うことはほとんどしない。
第二次大戦以降、日本は経済面で地図を入手した。電気産業であれ、自動車産業であれ、鉄鋼産業であれ、地図を基に、効率を追求し世界第二の経済大国になった。だがITの時代になり、世界は如何に地図を作るかの競争に入った。「地図を作る」土台のない国が競争に敗れていくのは必然である。
寂しい話ではあるが、国際競争に敗れ、世界が見捨てる時、初めて日本に明るい未来が来るのでないか。江戸時代町人文化が花開いていたように。
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