【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【孫崎享のつぶやき】2022-02-08 08:549

2022-02-08 22:28:58 | 転載
【孫崎享のつぶやき】
エマニエル駐日大使:「北方四島の日本の主権を(米国は)1950年代から認めている」と説明、あまりにも無責任な発言。日本はポツダム宣言受諾、桑港平和条約署名で千島列島(国後、択捉を含む)の権利を放棄しルーズベルト・トルーマン大統領時千島のソ連帰属を約束。



 エマニエル駐日大使:「北方四島に対する日本の主権を(米国は)1950年代から認めている」と説明したが、あまりにも無責任な発言である。基本的に、日本はポツダム宣言受諾、三サンフランシスコ平和条約署名において、千島列島(国後、択捉を含む)の権利を放棄している。かつ米国はルーズベルト大統領、トルーマン大統領時にソ連に対し千島列島(国後。択捉の帰属)を約束している。

 ただ、米国が意識的に北方領土問題をこじらせ、日ソ間での対立をあおったのは今回が初めてではなく、「ダレスの恫喝」がある。


A-1:事実関係:エマニュエル駐日米大使は7日、「北方領土の日」に合わせてツイッターに動画を投稿し、「北方四島に対する日本の主権を(米国は)1950年代から認めている」と説明し、北方領土問題の解決に向け日本を支持すると強調した。大使はロシアによる「主権軽視」の例として、ウクライナにも言及。緊迫するウクライナ情勢と北方領土問題を重ねることで、日本の協力を促し、ロシアをけん制する狙いがあるとみられる。 


B-1 歴史的事実関係

・ポツダム宣言と降伏文書
1945年7月26日連合国側(米国、中華民国、英国)はポツダム宣言を発表。後ソ連が参加。「「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 」
・降伏文書(1945年9月2日)「下名ハポツダム宣言ノ条項ヲ日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス 重光葵、梅津美治郎
 合衆国、中華民国、聯合王国及「ソヴィエト」ノ為ニ。。。。


・連合軍最高司令部訓令(21年1月)
 連合軍最高司令部訓令(21年1月)においては,日本の範囲に含まれる地域として「四主要島と対馬諸島、北緯三〇度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」とし、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」
・ヤルタ協定;米、英、ソ連
 ヤルタ協定「三、千島列島ハ ソヴィエト連邦ニ引渡サルヘシ」
背景:ルーズベルト大統領はテヘラン会議(1943年11月)でソ連の対日参戦を要請し、ヤルタ会議で「千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること」の内容を含むヤルタ協定が結ばれた(1945年2月11日)。この事情はグロムイコ元ソ連外務大臣著『グロムイコ回顧録』に詳しい。

・トルーマン大統領も千島をソ連と約束

・スターリン発トルーマン宛密書(1945年8月16日)
「次のように修正することを提案します。
 一、日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島全土を含める事

・トルーマン発スターリン宛通信(1945年8月18日)最高機密
 「一般指令NO1」を千島列島の全てをソ連極東軍に明け渡す領域に含めるよう、修     正することに同意します

・サンフランシスコ平和条約、1951年9月署名
第二条 (c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。(9月6日署名)

吉田茂総理大臣の演説

 日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾致します。
 敢えて数点につき全権各位の注意を喚起せざるを得ないのはわが国民に対する私の責務と存ずるからであります。
 千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議いたします。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。
上記吉田首相の発言にもかかわらず、日本は「千島列島を放棄する」ことに同意し、かつ、国後・択捉を千島と位置付けている。

・ダレスの恫喝
「二島返還やむなし」として解決を図ろうとする日本側に強い圧力をかけている。
重光外相はこのモスクワでの会談の後、スエズ運河に関する国際会議の政府代表としてロンドンに行く。ここでダレス長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。松本俊一著『モスクワにかける虹』


 「(1956年)8月19日に、重光葵外相(この時、日ソ平和条約の日本側全権を兼任)はダレス長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。ダレス長官は、“千島列島をソ連の帰属にすることは、サンフランシスコ条約でも決まっていない。従って日本側がソ連案を受諾することは、日本はサンフランシスコ条約以上のことを認めることとなる。かかる場合は同条約第26条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる立場に立つわけである”という趣旨のことを述べた。
重光外相はホテルに帰ってくると私を呼び入れて、やや青ざめた顔をして“ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたら、沖縄をアメリカの領土とするということを言った”とすこぶる興奮した顔つきで話してくれた。

重光氏もダレスが何故にこの段階において日本の態度を牽制するようなことをいい、ことに琉球諸島の併合を主張しうる地位に立つというがごとき、まことにおどしともとれるようなことを言ったのか、重光外相のみならず、私自身も非常に了解に苦しんだ」ダレス長官はさらに追い打ちをかける。9月7日谷駐米大使に、「日ソ交渉に関する米国覚書」を手交する。覚書には次の記述がある。「日本はサンフランシスコ条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていないのである。」

・国連憲章
第百七条:この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であつた国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。


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